新人国会議員マッキーのひたむき奮闘日記ー小泉チルドレンと呼ばれても -10ページ目

初登院

本日は初登院の日であった。やはり初めてバッチを付ける日、緊張、興奮するかとも思ったが、まったく普段どおりだった。日本の受験制度というものはある意味たいしたもので、私は小学生の頃から常に受験とそして学校や模試での順位競争にさらされてきた。受験だけでも、中学受験、大学受験、司法試験受験、米国大学入学、そしてニューヨーク州弁護士試験を受けてきた。さらに、ジュネーブの世界貿易機関(WTO)研修のための面接や米国の法律事務所に入るための面接、経済産業省に入るための面接など、いろいろなものをやってきたためか、物事にはほとんど動じなくなった。今回、私が使用したポスターがややひ弱な印象を与えるものであったためか、ひ弱との印象を持っていらっしゃる方もいるようであるが、ひ弱ではすべてを失っても、わざわざ枝野先生に挑戦するようなことはしないと思う。いずれにせよ、普段どおりのスタートであった。

しかしながら、責任感と使命感、その思いだけは日に日に強くなる。もともと私は国会議員になって威張ろうとか、虚栄心を満たそうとかいう思いがさらさらないためか、実は「嬉しい」という感覚が少ない。もちろん、「ありがたい」という思いはすごくある。しかしながら、選挙戦で初めて「頑張って」と言われた瞬間からずっとわたしの気持ちを最も占めているのはこの「責任感と使命感」なのである。初登庁でも見ていた思ったのは、この「国会議員」という地位を持ったことだけで「浮かれている」人がいることである。国民から多大な票と税金を頂いている立場、浮かれている場合ではない。誠心誠意、国民と国のことを思ってやらなくていけないことのあまりの多さに私は「責任感と使命感」に燃えているのである。

本会議前には両院協議会があり、いつもお会いする衆議院側だけではなく、青木参院幹事長や片山前総務大臣などともお会いした。その後は代議士会、麻布の先輩である谷垣財務大臣や中川経産大臣、経産省出身である細田官房長官などともご挨拶を交わした。

そして初めての本会議。私の席はなんと正面の一番前になった。ちょうど自民党では投票の先頭となるため、小沢、鳩山、渡部、前原さんといった民主党の大幹部の後に投票する形となった。さすがに本会議は身の引き締まる思い、そしてこの狭い空間で国民の皆様や国の運命が決められているのか、という感慨を持った。

その後国対委員会の説明があり、ぜひ国会の意思決定の仕組みは新人で一番に覚えたいとの思いを新たにした。議員会館に戻ってご挨拶回り、そして埼玉県やさいたま市、経産省や国連、文科省の友人、身体障害者の会の方などが下さった資料に目を通して頭に叩き込んだ。DCの時の友人にもお会いした。米国の首都に友人が大勢いるというのは心強い限りである。

そして最後はいつものとおり、まんが喫茶でメールをすべてチェックし、ウェブを更新し、返信も行った。明日からはようやく自宅でインターネットがつながる。そして来週には国会事務所にパソコンが入る。来週中には大宮事務所を立ち上げたい。そして人、すべては人次第である。今回の選挙を通じて痛切にそのことを学んだ。とにかく私と一緒に戦ってくれる人を一人でも多く募りたい。

日本はすばらしい国である。この国の歴史をつなぎ、未来のわれわれの子供たち、子孫につけを残さないこと、あの時代の先人に感謝したいと言われるような皆さんとともに役割を担って行きたい。

新人研修会

今朝はさいたま新都心駅で朝立ちを行った後、大急ぎで県連の役員会、ここで埼玉県選出の国会議員の方々と今後の活動においてともに協力していくことを約束しあった。

その後は、初の議員会館への入室。第2の604号室であるが、思ったよりずっときれいでドアを閉めれば相当仕事ができそうな雰囲気だったので、良かった。ともかく、何かを読んで頭に入れ、じっくり考えた上で解決策を導く、という作業は一番好きなことなので、それができる環境があるのは非常にありがたいことである。今日も、自民党からもらった資料はすべて読みつくし、頭に入れた。明日以降も、どんどん難しい資料を私の元に持ってきてもらいたい。

その後は自民党での新人研修会。小泉総理をはじめ、すべての党の幹部が顔をそろえる大掛かりなものであり、マスコミも多数入っていた。1年生議員にとってこのような研修をやってもらえるのはありがたい。その中で、各種政調会の案内が入っていたが、すべての興味があり、取り組んでみたい課題なので絞り込むのが大変である。それにしても、83名の新人が一同に会する様は異様でもある。今後、10回にわたってさまざまな実質的内容を含む研修会が行われるが、果たして何人が全部出席するのだろうか。私は必ずすることを皆様にお約束する。

そして、政策秘書の候補の面接も行った。非常に良い方であった。どんどん物事が前に進んでいる気がする。

明日は初登院。自然体で、誠実に謙虚に行きたいと思う。派手なパフォーマンスではなく、実力で注目されるようになるというのが私の目標である。とにかく、頑張りたい。

事務所決定

今日、選挙事務所が本格的に取り壊された。本当に今までありがとう。「初心忘れるべからず」、この言葉を君(選挙事務所)との約束にしたい。

新しい事務所はさんざん見たが、結局ソニックシティの公園の脇、来来軒という安くて美味しい中華料理屋の3階だ。大家さんの橋本さんは優しそうな人だ。それにしても、今回は不動産屋の方には本当にお世話になった。カインドエステートさん、アップル(アパマンショップ)、山一ハウジングさんをはじめ、多くの方にお世話になった。私は、不動産屋という職業について今回の経験を通じて、敬意を表したい。これで、国会、大宮の両方の事務所が決まった。いよいよ活動をする場が整った。

今はメールをチェックしたり、ウェブをアップしたりする作業が事務所でできないため、実はインターネットカフェで作業を行っている。これもいい経験だ。日本の文化の一つを学んでいるような心境である。カラオケボックスにしても、レンタルビデオにしても、新しい経営形態が経済や雇用、あるいは社会に及ぼす影響は大きい。常に新しい業態について考え、そしてそのような業態が海外で通じるかどうか、通じる場合には海外進出をぜひ手助けしたい。

ウェブにはいろいろなコメントを頂く。本当にありがたい。今日与野の住人さんからは、私の顔が見えるようにしたほうが良いとのアドバイスを頂いた。このようなアドバイスはたびたび頂いている。私としては、選挙区中の駅を毎日回って、あるいは選挙区中のスーパーマーケットや団地の前などで演説もしているが、なかなか全部には届かない。今後4年間で何度も何度も回るが、このような大変貴重なご意見も踏まえ、各地で勉強会や集会を開いていきたい。まずは、4つの区で国会後に報告会をさせて頂きたいと思っている。その時間・場所は決まり次第、ウェブで報告したい。

国会に向けての抱負

議員会館の部屋番号が決まった。第2衆議院議員会館の604号室である。この番号を受け取ったとき、自分は一生落選せずに国に人生を捧げる運命を感じた。私の誕生日が6月4日だからである。ポスター掲示板の割り当て番号が1番になったときも、当選を予感した。元来がポジティブ思考なので、このめでたい性格のまま前に前にと突き進んでしまうのである。

国会に向けて思うのは、今まで自分みたいなタイプの政治家はいなかったわけだから、その独自性をとにかく活かしたいということである。具体的には、政治家と縁遠かった人(自分みたいな人)とどんどん積極的に交際し、勉強し、政治を少しでも身近なものにしたい。政治が金持ちの道楽ではなく、清貧に甘んじても努力して国民のために尽くしたい。国内のみならず国際的な視点から日本をよくするということを進めたい。勉強・政策なら今の政治家には負けない自信がある。今は負けていてもあっという間に追いつく自信はある。とにかく、勉強に勉強、努力に努力を重ねたい。

いよいよ来週21日から国会が始まる。私を支援、期待してくださった皆様方のために、そして今回は私の支援を見送った方々には次回支援していただくためにも、衆議院議員となった新しい「牧原」の姿を見てもらいたい。

選挙事務所の閉鎖と新しい事務所

選挙事務所として使っていた事務所を閉鎖した。わずか20日間くらいであったが、最後に事務所を後にするときに涙が出た。この場所を最初に見たとき、そして建物が建ったときの感動、事務所開き、出陣式などのセレモニーをしたこと、多くの人たちとの出会い、たくさんの友人や知人、支援者などが来てくれたこと、そして当選が決まり万歳をしたこと、その後たくさんの人が祝福に来てくれたこと、最後は数人になって一生懸命後処理をしたことなどが次々に思い浮かんでくる。今まで不動産を持ったことが一度もない自分にとって、生まれて初めてもった自分の城だった。私は、この城のことを一生忘れない。

与野にもった城も同じである。ここでは、大宮を越える多くの人がいつも来てくれて(みのり会の方々や中央区のライオンズクラブの方々など)、心を込めて折ってもらった千羽鶴が最後には4000羽にもなり、加藤さんが作ってくれた張り紙は常にユニークで、そして暖かいものであった。この城を持ったことは私の誇りであり、心の支えである(オーナーの吉澤さんにも心から感謝したい)。

そして、今事務所はなくなった。次は新しい事務所を作らなくてはならない。場所は、大宮駅西口のソニックシティのそばに決めた。まったく資金のない私にとって、これだけ資金が次々に出て行くのは恐くもある。しかし、夢や目的の実現には必要なことがある。たとえ、雑草を食べることになっても、前に進みたい。

当選直後の生活

当選後、国会が始まる21日までは大忙しである。実際には、次のことが忙しい。

1.選挙事務所の閉鎖ー今回、大宮駅西口そばと与野駅から近い17号沿いの2箇所に事務所を設けた。これらの事務所の閉鎖作業は本当に大変である。何よりも大変なのは、後援会や事務所訪問をしてくださった方々、名刺をいただいた方々、その他の名簿をデータに落とし、そしてそのデータを移転する作業である。とにかく事務作業が山のように多い。

2.ポスターはがし。選挙期間中に貼ったポスターははがさなければならない。このような後処理も大変である。

3.ご挨拶周りー公職選挙法上、お礼を申し上げることはできない。したがって、今後の決意表明を述べさせていただいている。元の職場や法律事務所にもご挨拶に伺った。懐かしさとありがたさで心がいっぱいである。

4.ホームページの更新。選挙も終わり、ホームページを更新できるようになった。そして、選挙期間中にもらっていたメールも見ることができるようになった。連絡先が書いてあって、ありがたいメールにはなるべく電話もしたいと思っている。とにかく、純粋に一緒にいろいろな人と国づくりをしたい。

5.国会準備。まだ議員会館の部屋の割り当てはないが、入る委員会を決め、税制などの勉強を開始した。二つの委員会に入れるため、経済産業委員会と法務委員会という自分の専門分野を希望として提出した。

6.スタッフの準備等ー右も左もわからない国会に行くためには、ある程度国会に通じているスタッフが必要である。大宮に事務所を設けるためにも体制を考える必要がある。

7.大宮の事務所探し。新しく、事務所を設ける必要がある。

8.法律事務所開設準備。弁護士会の登録替えも含めて、さまざまな準備が必要である。

9.毎朝の駅だち。選挙区すべての駅に立つ予定。選挙が行われ、結果が発表された12日の朝からすでに大宮駅西口、東口、与野本町、与野駅に立った。選挙期間が終わり、ようやく静かになると思ったのに、というご意見もいただいたので、住人がいるところはマイクロフォンを使わないか、ボリュームを絞って行うことにしたい。

いずれにしても、政策や勉強などでは誰にも負けない自信がある。問題は、いかに多くの人と接して話をさせていただくかである。政策勉強会やミニ集会、そしてプロジェクト勉強会を開きたいと思っている。

毎日毎日、一瞬一瞬、「たゆまぬ努力」を続けて行きたい。

新人候補の選挙

今回の選挙、多くの方々に本当に助けてもらった。自分という一人の人間に対して、こんなにも多くの人が助けてくださったこと、これは一生忘れられない宝である。

私は、とにかく全く政治とは縁のない人間であった。政治を早くから志して準備をしている人がいる。政経塾などで先輩議員たちとの人脈を築いて、アドバイスを得ていれば、まったく状況は違うだろう。2世議員や市議・県議など地方議員上がりの人、やはり有利なんだなあとつくづく感じた。100M競争で向こうは50M以降からスタートするようなものである。ビラ、名刺、ポスター、看板、事務所、名簿等々、基本的な道具や知識すらない状況では、裸で重装備の兵士と戦うようなものである。資産家、とくに不動産持ちや会社のオーナーなどもやっぱり有利である。私のように給料を大幅に減らしても国のために戦う!というようなスタンスでやってきた者には、一円一円の支出について破産に向かう恐怖を感じた。

今回の選挙で私は仕事を辞めた。小さな子供を持ち、さらに妊娠8ヶ月の第2子誕生を待つばかりだった秘書も仕事を辞めた。私が決意を決めたときには海外にフライト中だった妻も仕事を辞めた。親は年金生活者で、母は一生主婦である。私の親族はみな同じ状況である。立候補を決めたとき、自分が巻き込む周りの人のすべての人生を考え、まさに奈落の底に沈むかもしれない感覚も持った。しかし、この日本という祖国を海外からも見てきた私にとって、もはや国を救いたいという思いは、どんな恐怖、どんな大敵にもひるまない、むしろ相手が大敵であればあるほどやりがいと感じる、そういう感覚に変わっていた。

今、自分が第1回目の戦いを終えて思うのは、自分を支えてくださった方々、その存在なしに今の私はありえなかった。毎日毎日、自分のために懸命に働いてくださる方々、支援や励ましを下さる方々の姿が寝るときにまぶたに浮かんだ。そして、今でも浮かぶ。何としても、みなさまの期待にこたえなくてはならない。

もし、私と同じように政治を志したいが、全くよりどころのない若者がいれば、私はそのような若者たちを是非励まして、みんなで一緒にこの日本を作って生きたい。志はあるが、仕事はやめることができない多くの勤務者の方々の夢を私がリスクはとるので一緒に創って生きたい。そして、お年寄りの方々には今までこの国を創ってきて下さった感謝と尊敬の念をこめて、私が身を粉にして働くので、幸せにすごしていただきたい。

当選後の決意

回は残念ながら小選挙区では敗れ、比例区であった。しかしながら、9万1000を超えるご支持というのは、全国的に見れば小選挙区でも勝利を収めていてもおかしくない、あまりにありがたい数である。

当選の報を受けてから、感じるのは「うれしい」ではない。9万人を超える方々のご支援とご期待にこたえなければという使命感である。今回、ここさいたま5区では郵政民営化「反対」の方が多いという結果になった。しかしながら、その中には、2大政党制を維持すべきだから、郵政民営化に対する態度はどうであれ相手は立派な人だから、相手は知っているが私のことは良く知らないから、などいろいろな理由があるはずで、必ずしも郵政民営化や小さな政府に反対な意見が多数を占めたわけではないと信じたい。そして、国民全体でいえば、圧倒的に郵政民営化を第一歩とする小さな政府の実現、そして有言実行の政治が支持されたのである。

私は、自分が政治家になるとは考えもつかなかったが、その私から見て日本の政治は分かりにくかった。その選挙でどちらかが勝つと何かが「実現する」というようなことはなかった。私は常々言っているが、文句を言ったり、反対したり、けちをつけたりするのは簡単である。たとえば、テレビでいろいろと批判をしたり、批評をしたりしている人たちが、小泉首相に成り代わって何かを実現できるのかといえば答えはノーである。むろん、言論の自由を国民の根本的権利として認めるようになったのは、このような批判を認めるためである。したがって、批評家や評論家の存在は貴重である。しかし、政治家には不要である。批判するだけでなく、どうどうと法律の形にして「完璧な」対案を示せばよいのである。その対案同士の建設的な議論を通じて、よりよい政策形成を行えば良いのである。今回の国民の選択はまさに空虚な言葉に疲れた国民の改革への「実行力」が判断された選挙であったのである。

それだけに私への期待も大きい。さいたま5区では久しぶりの政権与党の議員である。私は民主党の議員も多く知っており、立派な方も多い。しかし、どんなに立派でも野党では政策実現ができない。他方、与党の議員なら何でもできるのではないか、そういう期待が極めて大きいのである。

これはありがたいことである。私は日米の弁護士として、あるいは政府内弁護士として、これまでみんなの期待に答える仕事をしてきた。今回少し異なるのは、私は一年生議員であり、与党320名の一人に過ぎないということである。しかしながら、約束は約束である。次の選挙までに必ずやり遂げるよう全力を尽くしたい。

すでに私の言っていることが曖昧すぎるというご批判を頂いた。まさに私の皆様にお願いしたいことである。私が自分の知識や経験の範囲で、あるいは勉強したり、「学者」との議論を通じて理想を語ることは難しくない。すでに自分なりの日本の未来プランもかなり詳細に作っている。しかしながら、そのような頭で考えた政策と、実際に利害関係のある方々の願いとは一致しない。是非、皆様の生の声をどんどんもらって、自分の頭で考えたこととのギャップを埋め、そして実現していきたいのである。

とにかく倒れようと何しようと、初心貫徹、頑張り抜く!

出陣前夜

今日も朝6時20分から街頭に立った。夜は10時近くまで駅でビラを配った。また、多くの人に会った。とにかくやれることは全部やる。少しでも「牧原ひでき」を知ってもらう。そのためには何でもする、それが今日までの事前運動であった。

この間、感謝しっぱなしである。政治家が自分の支援者のために命を捨てる覚悟で頑張るというのも分かる気がする。あまりにありがたいのである。

新聞記者の方は本社派遣の方も増え、注目区になっているようである。私がとにかく希望しているのは、この選挙区は新しい日本を占う選挙区として、正々堂々フェアに、そして政策勝負、人勝負、党勝負、で行きたいということである。ネガティブキャンペーンなんかは絶対にやらない。ネガティブキャンペーンは仮に一回勝っても、必ずや当人に傷がつくし、そもそも日本の未来を占う選挙にあまりにふさわしくない。

明日以降いよいよ本番である。正々堂々、とにかくフェアに、清潔に、そして潔く全力を尽くしたい。

世界の中の日本

日本は世界の200近い国のひとつである。「極東」(far east)といわれており、世界でははじっこの小国という認識である。バブルの頃には、「あの小国はやるな」と思われていたが、その後のバブルの崩壊後認識は崩れた。私は、19まで海外に行ったことはなかったが、初めての海外旅行でアメリカ10都市を一人旅行で回った。そのとき、世界における「日本」というものを感じた。自分が「外国人」と見られる感覚は非常にショックだった。

そのときである。私はこの国のために国際舞台で戦おうと思ったのは。私は19まで外国に行ったことがないので、英語はまったくできなかった。実際、28才で留学をしたときに、自分の英語のできなさがやはりショックだった。しかし、積極的に外国人の友人を作り、その分野の専門家がいれば会いに行き、何よりもジュネーブの国際機関で世界中から集まっている人たちと毎晩のように世界の情勢のことを話し合ったことで英語に対する恐怖がなくなった。外国人に対する遠慮がなくなった。

その後、ワシントンDCで同時多発テロを経験した。日本の世界における存在感の薄さをつくづく感じたのはそのときである。これは絶対に変えなければならない。経済産業省に入るとき、私は「この国のために戦いに来た」と宣言した。2年間、これを実行したと思う。

そして、今政治の世界に入り、私はやはり国のために戦う。世界に対して戦ってきた私だからこそ戦えるという自信がある。しかし、日本は世界のすみっこにある小国であるという認識を忘れず、少しでもわが祖国が世界から尊敬され、世界の中で「誇り」を持って生きていける国にしたい。