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なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

主人公は、ニュースショー「ショータイム・セブン」の元キャスター、折本(阿部寛)。現在は左遷されて、ラジオの生番組をやっている。

「今夜のテーマは、あなたは犬派?猫派?お電話ください!」などと脳天気な番組をやっている。そこへかかってきた一本の電話。自らを「ウスバカゲロウ」と名乗る若い男の声で、「大和電力城東発電所を爆破する」とテロを予告。折本は「ばかに付き合っていられない。やれるものならやってみろよ!ほれ、やれよ!」と煽ってしまう。その時、放送局の窓の外に大きな火柱と爆発音が。城東火力発電所の古い施設が爆破、炎上したのだ。「これは本物だ」と気づいた折本に、さらに犯人から電話が。

犯人の父親は、大和電力の城東火力発電所の建設作業員だった。G20会議の目玉にしたいという政府の思惑と、これに同調する大和電力の強い圧力で、無理な工程を押しつけられ、無理に無理を重ねて、ついには建設事故が起こり、命を落とす。その時にも、大和電力、日本政府からはなんの謝罪もなかった。事故すらないものにされた。

そこで折本を交渉役に据え、大和電力社長をショータイム7に呼び出し、ただちに謝罪させろ。スタジオは完全に監視下にあり、スタジオから出ようとするもの、イヤホンを外すなどすると、スタジオ内の爆弾を起動させると脅される。事実、女子アナが座っていた机の一部を爆破してみせる。

 

折本とウスバカゲロウとの、長い交渉が始まった。

しかしウスバカゲロウの要求は、時々に変わってくる。一つの目的を持ったテロではないのではないか。大和電力社長の謝罪、総理大臣の謝罪、そして犯人は、折本の過去についての詳細な説明と謝罪を求めてきた。犯人の目的はなんだ?

 

プロデューサー役で吉田鋼太郎が出演している。この人の芝居は、とっても古い、そう昭和の舞台俳優の芝居で、大げさでかつ声だけがでかくて、観ていると恥ずかしくなってくるので、好きではない。

阿部寛は、落ち目のキャスターから、人気番組のキャスターへカムバックするために、刻々と変化する事態に対応していく、その変化をうまく演じていて、やっぱりすごい役者だなと思う。

だが、ラストの謎や伏線の回収が、どうしてもついていけなかった。なぜ海外のテロによる爆破事件発生のテロップからPerfumeのライブ映像になってしまうのか。結局、あのスイッチを押したことで、何が起こったのか。

監督は、「ノベライズだけが全てではありません。ノベライズの読者、映画の観客、みなさんの想像力をはたらかせて・・・」って、そんもん、これだけのヒントで分かるか〜〜〜〜!!

ちゃんと伏線は、しっかり回収して欲しかった。なかなか緊迫した画面の連続で集中が途切れず面白かっただけに、本当に残念!

 

TVシリーズの孤独のグルメは、かなりの頻度で観ている。

何しろ、TV東京にチャネルを合わせると、なぜか必ずやっているんだ。

1話完結の30分番組だから、シーズンいくつの何話かなんて関係ないので、どこからでも観る。

松重豊は、ヤクザ役をやらせたら迫力満点の脇役スターだったのに、このシリーズではスーツを着用し、あのいかつい顔に笑顔を浮かべて、お客に対応している。彼は雑貨専門の貿易商を個人事業でやっている。

日本各地に仕事で呼ばれて、いろんな場所で非常に短い商談を終えると「腹が・・・減った・・・」ピンポンパーンみたいな引きの映像になり、ぽかーんと口を半開きにした松重豊が立ち尽くしている。

「そうだ、店を探そう」と、特に有名店でもないが、自分の勘やフィーリングを頼りに、飛び込みで飯を食う。これが、様々な土地の有名料理?なんかじゃなくて、どこにでもあるような、焼き魚だったり、ハンバーグだったり、生姜焼きだったりするから楽しい。これが有名な3つ星の料理なんかだったら白けてしまうが、庶民料理だから楽しいのだ。

 

さてそのシリーズ最終版とでもいうか、遂にというか、劇場版が公開されたので観てきた。

今回は、いきなりJALの機内でどうやらロングフライトで、機内食を2食も食べ損ねるところから始まる。

到着したのは、フランス、花の都パリ。

彼はかつての恋人で、共にパリで生活した小雪の娘の千秋(杏)から依頼を受けた絵画を届けにやってきたのだ。

千秋の祖父、一郎に絵画を手渡したところで、この老人が「ついでと言ってはなんだが、忘れられない汁がある。死ぬ前にもう一度、その汁を飲みたい」と言い出し、またしても引っ込みがつかなくなった五郎(松重豊)は、4つのヒントを元に食材探しの旅にでる。その旅は、フランスに始まり、韓国、五島列島、東京と国際的な展開をみせる。五島列島で台風にあって、宿のある島へ渡る船が出航してしまい、乗り遅れた五郎は、パドルボードにのって、島を目指す。しかし台風は勢力を強め、ついに彼は海へ投げ出されてしまう。気がつけば、そこは無人島。と思いきや、都合良く調理器具が置いてあり、海でとった食材で「五郎鍋」をたのしむが、どうやらキノコにあたったか、痙攣して気を失う。再び目覚めれば、そこは韓国語を話す軍事基地のような一室。かと思えば、韓国男性に失望した女達が集まり料理を研究する施設であった。そこで日本人の志穂(内田有紀)に出会う。内田有紀、最高に綺麗だなぁ。もう彼女を観られただけで満足だ。そこで、スープの話をすると、彼女はいくつかの食材をあげ、島で採れたという材料を用意してくれる。韓国には不法入国の体裁なので、船で本土へ渡り、入国審査官を待つ間、またもや腹が減った五郎は、ハングルは読めないものの、鯖の塩焼きの写真に釣られて店内へ。そこで食べるものが、決して贅沢ではないが、とても旨そうだ。

 

どうやってもらった食材を日本に持ち込んだのか、日本の税関は何も言わなかったのかは知らないふりをして、史穂の別れた主人の潰れかけたラーメン屋の偏屈おやじ(オダギリジョー)に頼んで、ついに幻のスープを完成させ、それでラーメンをすする。

 

さて、いつもこのドラマを観て思うのは、料理は旨そうだが、松重豊の食べ方が汚い。いや、見苦しいという方がいいのかなぁ。どこがと言われると、うまく説明できないのだが、なんだか貧しい育ちがうかがえるような食べ方。空腹に耐えられないのだから、そういう食べ方を演じているんだと言えばそうかもしれないし、松重豊と飯を食ったことがないのでわからんが。今作でも、パリの小さなレストランで、肉料理を食べる。白い飯がないんだから仕方ないと、パンをちぎってその上に肉をのせて、汁を垂らして大口をあけて頬張るシーンがある。これが僕には大いに違和感がある。マナーがどうとか、エチケットがどうとか、そんな話ではないが、この映画を観た人が、海外であの食べ方をしないよう、心から祈る。間違いなく「日本人は変な奴」と思われる。パンで残ったソースを皿を拭うようにして食べることはある。これはソースが旨かったことの証でもあり、シェフへの賞賛でもある。パンをちぎってスープや飲み物に少し浸して食べるのもよく見かける。しかし、料理を切って、パンにのせ、そこにソースを垂らして一口で食うなど、みたことがない。それは例えば、CoCo壱番屋の店の中で、いきなりインドの人が手づかみでカレーをライスと混ぜて器用に親指で口中に押し出すのを見た日本人が、唖然としてしばし呆然とするのに似ている。決して、いけないというのではない。が、その国には国の食べ方があるので、やっぱりあの食べ方は止めた方がいいな。よい子はマネをしないでね。

 

細かな設定に無理があるが、それは松重豊の脚本なんだから、まぁ、いいとして、孤独のグルメらしさというか、そういうものが、初期の頃と比べると別物になっている気がする。シーズンが進めば、中身も変わる。スタイルは守りながら、こういう孤独のグルメもあるんだよってことで、大変楽しめたので満足。

 

中島みゆきが歌う姿をみるのは、何年ぶりだろうか。
 

僕がライブに参加していた頃の中島みゆきは、絶対にシンガーだった。
彼女の描く詩は、文学の香りが濃く漂い、同時代の吉田拓郎やかぐや姫なんかとは、全く違う天才的な言葉を紡ぐ女性であった。しかもボーカルに迫力があり、みゆき流の「こぶし」があり、圧倒的な歌唱力、表現力があった。

今回、映画館のスクリーンでみた中島みゆきは、シンガーだけではない。
演出も含めて、総合エンターテインメントというか、つまり彼女はある意味で自らの歌を「演じている」ようだ。

ギターを手にしたのは最初の1曲だけ。YAMAHAへの遠慮かな?(笑)

後半では、毎曲衣装を替えて登場し、独特のポーズや動きで客の目を釘付けにする。

 

中島みゆきのライブDVD等は時々観たけれど、彼女のMCが入った動画は初めてみた。
やっぱりあんな感じで喋るんだなぁ。「大変ご無沙汰いたしておりました。中島みゆきです」と1曲目の後に喋る。なんともいえない、不思議なイントネーションのしゃべり方。あの、ぽわ〜んとしたようなというか、甘ったれた声というか、知性と感性に溢れた曲を書く人と、このしゃべりの落差が、ちょっと不思議な感じで、僕はいつまでたっても違和感がある。「中島みゆきの、オ〜〜ルナイトニッポ〜〜〜ン」を聞いたときの「ずっこける感じ」が今でもある。

 

歌ってなければ、ただの婆さんである。近所のスーパーオオゼキへいけば、こんな感じの婆さんは、一杯いる。本編タイトルロールの後に、リハーサル風景が写る。すっぴんの中島みゆき。どうみても、ただの婆さんである。

編曲、指揮者の瀬尾一三は、よたよた歩いているし、そもそも彼はあそこで指揮する意味があるのかどうか、昔から疑問だ。出たがりのアレンジャーか?

ギターの古川望は、古田新太がギター弾いてるのかと思ったし、

ドラムの島村英二は、拓郎のバックやってた時とあんまり変わらんなぁ。

何しろ、バンド全体で、「若手」というと、ストリングズのおねぇさん達が一番若いって感じの老人バンド。

 

しかし、中島みゆきがマイクに向かってひとたび一声を発したとき、そこは中島みゆきワールドとなる。

緩急を付けた歌い回し、決してフォルセット(裏声)に逃げない、追い込むサビ。

投げ出すかのように聞かせる「こぶし」。

そうかと思えば、あくまでコケティッシュな表情でおどけてみせる歌。

幼い笑顔には引きつけられる。

結局中島みゆきというアーティストは、「女」をうまく使っているんだと思う。それだけ、姑息といえば姑息な演出だが、その発声や歌のうまさ、歌詞の鋭さや柔らかさに相まって、男でも女でも味方につけてしまう。それが彼女の大きな魅力。

 

しかし「時代」をやっていたフォークソングの中島みゆきとは、どこでバイバイしたんだろう。夜会とかの時に、ある意味ギターを捨てたというか。

 

「銀の龍の背に乗って」と、アンコールの最後、「地上の星」は圧巻である。
本当に涙が出てしまったんだ。止まらなかったんだ。
彼女の堂々とした、凜とした立ち姿、自信に満ちた表情と発声。

どこまでも止まらない、かすれないロングトーン。

両手を広げ、「さぁ!行こうぜ」と歌う部分は、ブワーっと涙が止まらない。

 

中島みゆき。
何度でも言う。
天才だ。

年末年始には家内が、もはや恒例行事となりつつある、感染症を発症してしまい、要介護の彼女の看病に追われてろくな正月にはならなかった。が、まぁ、それは仕方がない。どうせ正月の習慣だ、料理だは、すっかり前に放棄してしまった僕なのだ。年賀状は、生命保険会社からの2枚だけ。書かないんだから来るわけがない。宝くじだって、券を買わないといくら待っても当たらないのだ。
しかし、身体と心が、「闇」を求めて騒ぎ始めた。「映画が観たい・・・」しかしこの時期、いつものイオンシネマ座間はお子ちゃま向け漫画やアニメ、マーベル関係等に独占されて、観たい映画がない。と思ったら、ふと「私にふさわしいホテル」という題名に目が行った。堤幸彦監督だ。主役はのん?ああ、能年玲奈か。久しく見取らんなぁ。しかも8:20からとはベストである。早速予約してプレミアシートを確保した。

さて映画の話。
新人賞を受賞した新人作家の加代子は、華々しい未来を約束されたも同然であったが、なんと文壇の大御所、東十条宗典(滝藤賢一)の散々な酷評のせいで、単行本も出せずにいる。しかし彼女は、「書けないのでは無く、書かないのである」と筆は進まず、先輩で編集者の遠藤道雄(田中圭)を困らせている。しかし彼女は、数々の有名作家がそこに缶詰して作品を書いたと有名な「山の上ホテル」に宿泊し、大作家気分で原稿用紙に向かうのが、年に一度の楽しみであった。その日もチェックインを済ませた加代子の部屋に、先輩で、編集者の遠藤が立ち寄る。そして、あの憎っくき大御所、東十条宗典が、上階のスイートに宿泊していると聞かされる。加代子は、文芸誌の締め切りを落とさせて、作家の評判を貶めてやろうと、あの手この手を使って策略を練る。まんまと原稿を落とすことに成功した加代子であったが、恨みを抱いた東十条が、加代子の文壇復帰の前に立ち塞がる。こうして二人の確執は、周囲を巻き込み、激しいトラブルの渦の中へとみんなを連れ込む。

のんは、こういうコメディアンヌと言うか、ポワ〜〜ンとした女性を演じる為に俳優になったんではないかと思うくらいに良い。「じぇじぇじぇ!」とかいいそうで言わないが、あのドラマ以来彼女を見たのは久しぶりだ。大人になったが相変わらずのぽわ〜んとした空気感は楽しませてもらった。滝藤賢一はもう、さすがの芝居で、笑わせどころと、締めどころの演じ分けはさすがの一言。田中圭も、こういう役は得意中の得意。田中みな実、光石研などががっつり脇を固めて、肩の力を抜いて観られるホンワカした新春向けの映画でありました。

楽しいひととき。
なんだが原作が読んでみたくなり、柚木麻子の文庫本を紀伊國屋で購入。

鎌倉に住む娘二人と弟一人の3人の物語。事故で、両親を一瞬にして失った三人の姉弟。長女葉子(松たか子)は編集者。出版会社を独立してフリーになったばかり。次女の都子(多部未華子)は、カフェの店長であったが・・・・
長男潮(松坂桃李)は、江ノ電の保線員をしている。

ある日、次女の都子が「私ね、韓国へ行くの。釜山。そこに住むつもり」と言い出すので、問題勃発。3人が抱えるそれぞれのトラウマや未来を儚む心情。いづれも両親を一瞬で亡くした子供時代のショックを抱えているのだろう。脚本は野木亜紀子。軽妙なセリフ回しと軽快なユーモアの中に軽薄ではない若者の心理描写はさすがだ。よくありそうな話なのに、なんだかついつい引き込まれて最後まで観てしまう。

 

テレビドラマはどうしてもCMが邪魔だ。集中が途切れてしまう。配信で再び、集中して観てみたくなるそんなドラマだった。
 

多部未華子。名前は、未だ華ではない子だが、おそらく今が頂点近くで、美しい時なんだろう。見とれてしまう。

 

死体遺棄事件の犯人は一応あがるが、なんだか尻すぼみで腹落ちせず。扱いも薄い。室井の車庫に放火したのも、やっぱりなぁ〜〜な感じで証拠のビデオまで出てきては、もう言い逃れできない。周囲の室井に対するよそ者感も、少し薄らいできたようだ。リクが万引きしたのも、あの人の入れ知恵だった。室井は何もいわず、いしだあゆみに頭を下げる。タカの初恋は残念ながら実らず。しかし、新たな目標ができで勉強に打ち込む。彼の心には、室井の姿が焼き付いているんだろう。

とにかく室井は家族に対して怒らない。怒らないで本人がそれを分かるようにする。「他人をむやみに疑うんじゃない」は、彼の経験から出た言葉。人を疑うことが仕事だった。それを疑ったことはないと。それは近所の酪農家夫婦の一人息子への態度にも表れる。16歳の時、酪農なんて絶対に嫌だと家を飛び出し、その後全く音沙汰のない一人息子が突然帰ってくる。「いきなり刑事さんがきたんだよ。それで室井さんって人からの伝言なんだが、いいかげん、両親に連絡しろって」国家権力をこんな風に使ってもいいのか!?と思うが室井だから許そう。そんな個人的人捜しにも手を貸す現場の刑事がいるってことだ。

ラストはやっぱり衝撃だった。

落とし所として、あれで良かったのだろうか。大いに涙は誘われた。

この映画は、もはや踊る大捜査線のテーストではなく、完全な人情物語になっており、謎や事件の解明よりも、室井とその家族、周囲の人達を描いている。やや冗長な物語の進行、何度が腕時計を確かめた。でっかいポップコーン、全部食べきった。

タイトルロールの後に注目だ。そう、彼が現れた。もう一歩で室井の家だったが、いつも通り電話に呼び出されて慌てて現場へ飛んでいく。これは、室井のラストの後だったのか、前だったのか。そして現れる文字「ODORU IS CONTINUED」

さらに続編を匂わせる。

 

 

「偉くもなれず、約束も守れず。俺は逃げたんだよ」

青島と交わした約束。「官僚も現場も関係なく一体となって捜査ができる組織」。ゴールデンゲートブリッジは封鎖できなかったが、あの時の約束は、室井の胸に焼き付いている。官僚の壁を破れず警察庁を退職した室井は、故郷の秋田へ戻り、犯罪孤児の里親をして暮らしている。高校2年生で16歳のタカと小学4年生で10歳のリクと暮らす室井は里親1年生だが、料理をしてやり、子ども達の意思を尊重して、タカとリクと向き合いながら生きている。

平和な毎日にさざ波をたてたのは、突如現れた謎の少女、杏。杏と一緒に住むこととなったが、その少女こそ、あの恐怖のシリアルキラー「日向真奈美(小泉今日子)」の娘だった。彼女が現れていらい、おかしな事件が立て続きに起こる。「室井慎次の家」の前にある池の対岸。異臭がすると付近の住民が騒いでいる。交番に届け出た室井は、掘り起こしを依頼。そこから出てきたのは、特殊詐欺と強盗事件の犯人、あのゴールデンゲートブリッジ封鎖事件の犯人の腐敗した遺体だった。室井の家のガレージが放火されて燃え落ちた。誰の仕業なのか。

リクの父親は、「強盗で捕まってムショに入っている」と周囲の者は言っているが、リクの腕に残る傷跡、背中のやけど痕、父親を恐れる様子等から、どうやら虐待を受けていたようだ。その父親が刑務所が出所する。刑務官から私物を渡された男は「その写真は息子さんか?」と聞かれ「はい、リクといいます」と応える。この男は何者?

様々な伏線を張り巡らせて、物語は後編「生き続ける者」へと続く。

地方の税務署員である熊内(内野聖陽)は、天才詐欺師氷室(岡田将生)に自動車販売詐欺でまんまと騙されて、大金を盗み取られる。親友の刑事の手引きで氷室を追い詰めた熊内はに氷室は、「おじさんが追っている脱税王を詐欺にかけて、脱税額と同じ10億円を盗んでやるよ」と詐欺に誘われる。公務員としての立場と、脱税王に対する憎悪の中で、この話に乗った熊内。

氷室はこのコンゲームのため、やり手の詐欺師7人を集めて、詐欺集団「アングリースクアット」を結成、巨悪に立ち向かう。

「オーシャンズ11」「コンフィデンスマン」など、詐欺師の映画はとっても面白い。その詐欺の手口には、ほぉーと正直感心してしまうし、それに乗っかるカモをみて「バカだなぁ」と笑ってみたり。実際に詐欺が始めると、いつバレるか、わずかなほころびに、ハラハラしながら最後まで観てしまう。その意味で、面白い映画だった。最後の現金10億を回収する手段には、笑いとともに痛快感があふれ出した。

時は慶応4年7月。薩長が天皇のお墨付きをとり官軍として旧幕府軍に戦争をしかけた、日本最大の内戦と言われる「戊辰戦争」の話。幕府を支援する東北諸藩が同盟を結んだ「奥羽越列藩同盟」。しかし新発田藩の内部は揺れていた。藩主は幼く、「様子を見て、勝ち馬に乗るのが得策であろう」と同盟への参加を渋る。阿部サダヲ演じる家老の溝口は、同盟軍からの強い参加要請と藩主の意見の狭間で苦しんでいた。そんな時、同盟軍が参加を促すため新発田藩へ軍を派遣。同時に新政府軍も藩主への面会を申し入れていた。もしも両軍が藩内で鉢合わせすれば、城下は一気に戦場と化す。そのため、峠の砦で新政府軍を迎え撃ち、同盟軍が出て行くまでの時間稼ぎをしようと考え出したのが、死罪が決まっている囚人(男9,女1)達に、無罪放免を条件に砦を守れと命ずる。これがこの物語の始まりであり、全てである。

山田孝之演じる政は女房を寝取られた仕返しに、藩の武士を殺害してしまう。捕らえられた政は、死刑を命じられ囚われの身となるが、無罪放免と聞き、砦守護隊に参加する。彼は旧幕府軍も官軍もどちらにも与せず、耳の聞こえない女房に会いたい、女郎屋から救い出したい一心で参加する。この10人の賊軍を指揮するのは仲野太賀演じる鷲尾兵士郎と2名の武士。彼らは迫る官軍をなんとしても砦で阻止しようと、あれこれと知恵を絞り、官軍を食い止めていく。佐久本宝演じる花火師の息子ノロは、知恵遅れであるが火薬の扱いに慣れており、「兵六玉(爆弾)」を作っては官軍を苦しめる。しかし、いかんせん多勢に無勢、仲間が傷つき倒れていく中、鞘師里保演ずるなつが、「私は聞いてしまったんだよ。無罪放免なんて嘘っぱち。この戦が終われば全員殺されるのよ」同様する囚人達、兵士郎もこのことを知らず、野村周平演ずる入江数馬を問い詰める。家老の溝口の企みに一同怒りを露わにするが、もはや引き返す方法はない。やるかやられるか。目の前に官軍が迫っているのだ。この地には、燃える黒い水が湧き出す場所がある。それを使えば兵六玉は雨でも爆発し、威力も増す。その井戸が、官軍が陣を張る後ろの山崖にある。深夜こっそり忍びより、燃える黒い水を敵陣に流し込み、ノロの兵六玉が大爆発を起こす。これが最後の戦いの合図であった。次々に倒れる仲間達。しかし遂に官軍を駆逐した賊軍の前に新発田軍が家老を筆頭に現れる。囚人達を始末するためだ。兵士郎は「自分もこれから賊軍である」と言い残し、失った右の指を補うため刀を右手に強く縛り付け、新発田軍に斬りかかる。一人で多くの兵士を倒し、ラスボス家老の前に立ち塞がり、刀による勝負を挑む。これに応えた家老の右手には拳銃が握られていた。あえなく倒れる兵士郎。こうして10人の罪人と1人の武士で11人の賊軍の戦いは終わる。なつとノロは逃げ延びて、政の望み通りに女郎の女房に形見の手ぬぐいをわたし、金を渡す。

こして新発田藩は周囲の藩からは大きな恨みを買ったが事なきを得て、城下は平穏のままであったとさ。お・し・ま・い。

爆発音がすごい。10番シアターの音響では耳がおかしくなるくらいにでかい音で驚いた。ゆりあんリトリィバァとか千原せいじとか、お笑いがキャストに多いのは、やや腰砕けになってしまって緊張感が緩んでしまう。山縣京介を演じた玉木宏、殺陣の名人、本山力など実力派が多数いるなか、お笑いはいらんだろう。

「荒野の7人」を彷彿とさせる155分の長編映画だった。

★★★☆☆

大学ホームカミングに参加し、クラブの夜の宴会にも参加した。会場は受付が混雑していて並んでいる。しばらくして入場。指定された席へつくと、若い恐らくは現役学生であろうと思われる集団が、ビュッフェに群がっている。まだ多くの卒業生や先輩方が席にもついていないし、そもしも乾杯してないのだからまだパーティーは始まっていない。そんなことにはお構いなしに、我先に群がり、乾杯が終わった時にはすでに料理の一巡目は空だった。

パーティーや宴会での行儀やマナーは、大学に入ってクラブの先輩方から学ぶ。高校生の時には気にもしなかったことが、実は大変無礼な行為であったり、目上の人を敬うとか、一歩我が身を引いてみるとか。そういうことは、クラブのコンパの席で先輩方から教えてもらった。

それにしてもこのZ世代の不躾な行儀の悪さはなんだ。全体に宴会自体が統制がとれていない感じがする。なにか筋が通っていないというか、バラバラというか。まずは指定された席に着席し、宴が盛ったら席を移動して交流を深めるというのが宴会のマナーだ。

多分、老齢の先生と一緒に参加したせいで、みんなこの席に近づきがたかったんだろう。ならば、もう連れて行かない。恩師に無礼は働けない。

疲れ切った夜だった。