コロナ禍対応政策手法のカギとしての「ナッジ」と「アーキテクチャ」
2010年頃になって流行しだしている「ナッジ」と「アーキテクチャ」というキーワードから、コロナ禍社会の自律的行動制御学を考えてみたい。題して、コロナ禍対応政策手法のカギとしての「ナッジ」と「アーキテクチャ」――官僚と圧力団体、既得権益とコロナ政策を考えるというテーマだ。「ナッジ」(nudge)とは、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー(Richard Thaler, 1945- )とキャス・サンスティ ン(Cass R. Sunstein, 1954- )『実践行動経済学』 の原著タイトルのことである。英単語の nudge とは、「ひじで軽くつついて相手に何かを知らせたり、相手の背中をやさしく押して前に進めること」を言う。彼らは、経済学の政策に、行動経済学の知見——― ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman, 1934- )のプロスペクト理論(Prospect theory)がその例——を導入して、人びとの選択をよい方向にもってゆくように、ナッジすることを提唱する。いっぽう、「アーキテクチャ」(さらには「コード」も)という用語は、アメリカのローレンス・レッシグという情報法学者の使う「設計されたもの」という用語であるが、ここでは、ナッジを中心に見ていこう。一見、よく分からない表現だが、なんでも規則や原則によって縛る日本の政策手法とは異なり、アメリカでは、選択の自由や、強制されない権利を重要視する伝統がある。その最たるものが、武装して自分の 私的財産を守る権利、つまり銃砲の合法的所持によく現れている。これは、理念的には武装して自分たちを守る権利やその選択を保証すべきだという発想から来 ている。また、公的な保険医療制度になじんだ日本人にはよくわからないのだが、政府が資金つまり税金をつかって、人びとの治療やケアのために平等に資金を 動員することに快く思わない人が多いのが実情だ。自分の健康は自分で守るべきだとか、治療のオプションが選択できずに、国家が規定した最低の治療方針にしたが う強制を嫌う、いわゆる「自己責任論」が強い面がある―——ただしアメリカに保険システムがないわけでないのだが、私企業が提供している個人の医療保険や年金が主流だという。セイラーとサンスティーンは、このような自由主義(Liberalism)あるいは自由放任主義(リバータリアニズム;Libertarianism)が多いなかでも、政府が国民に不平等にならず個人の自由意志を尊重するための政策方針を、「リバータリアン的パターナリズム(Libertarian paternalism)」と言っている。パターナリズムとは、その当人のことを慮ってより大きな枠組みのなかでその当人にあれこれ世話を やく方法で、したがって、リバータリアン的パターナリズムには、お互いに矛盾している(「撞着語法」という)面もある。よって、矛盾してもなお、自由意志を尊重しながらも、政府は政府でしっかりと国民によい「選択」を選んでもらうように「軽く(背中を)押す」(ナッジ)という方針を彼らはとるのだという。それは、個人への強制や命令ではなく、上記の行動経済学から導きだされた「経験的」あるいは「実験的」な選択の結果を予測して、政策に援用する方法である。よく例に出されるのが、男性トイレの小便器の下のほうに「蠅マーク」「▼マーク」を付けておくと、小便がまわりに飛び散らないで、清潔なトイレになる、という例だ。この例のようなナッジが、はたして、コロナ禍対応政策に適用できるのだろうか?各行政庁は、この「ナッジ」誘導政策を考えているようだが、まだ、初歩的なものにとどまっているようだ。そのうち、「人流」も止められるのだろうか? 夜の外出、集団での飲酒、などを自然になくせるのだろうか?なくせるとして、そのとき、はたして、自主的な誘導行動が、威嚇的な誘導になってはいないか、よく検討される必要があるだろう。 そこで一句。 踏切でやさしく背中をチョンギース ひうち