「 日本語の素顔 」
外山滋比古 (とやま しげひこ 1923~2020)
中央公論社 昭和56年10月発行・より
立石寺
しづかさや 岩にしみ入る 蟬の声 芭蕉
知らぬ人もないほど有名な句であるが、あるとき 妙なことが問題になった。
戦争前、日本学術振興会かなにかの仕事で、何人かの英学者が日本文学の古典を英訳していたときのことである。
この芭蕉の句を訳す段になって、委員の間で意見が わかれた。
”蟬の声” は単数、つまり一ぴきか、それとも、たくさんか、について である。
日本なら ”蟬の声” でよろしい。
英訳では、どちらもご随意に解釈してくださいと言いたくても、そういう便利な表現方法がない。
単数か複数かをはっきりしなくては、ものが言えないのである。
議論をしたが決着がつかない。
それでは、というので芭蕉研究の専門家や俳人に問い合わせたところ、
ここでもなお、どちらとも決しかねた、という。
一ぴきの蟬のなく声が岩にしみ入ると解してきた人は、蟬しぐれのようなものは想像することもできないというであろうし、複数派はたくさんの蟬がないているのでなくては ”しみ入る” 感じにはならないと言うであろう。
字面から見るかぎり、どちらともきめかねる。 ”言ひおほせて” ない。
受け手に解釈の自由が与えられているのである。
斎藤茂吉はこのセミが油蝉なのか それともニイニイ蝉なのか、で論争をしたそうです。
息子の北杜夫の本で知ったのですがその文章を見つけるのが面倒なので
コチラを ↓
7月9日夕刻の三条通り