民族の名称で博物館が困った  | 人差し指のブログ

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『 私が 「この国」 を好きな理由 』

日下公人 (くさか・きみんど 昭和5年~)

PHP研究所 2001年4月発行・より

 

 

 

国立民族学博物館の端信行(はたのぶゆき)教授が、あるとき 「具合の悪いことになりましてね」 と言いはじめた。

 

 

国立民族学博物館には、世界各地の民族に関する物品が展示してあるが、「当館に道具を展示しているその民族の人が見学にくる時代になった」と言うのである。

 

 

なぜ具合が悪いかといえば、展示物の前に表記されているその民族の名称を、当の本人達は使っていないというのである。

 

 

彼らはその名称で呼ばれると、即座に 「ちがう、われわれの民族はそんな名称ではない」 と怒るそうだ。

 

 

では、自分達のことを何と呼んでいるのかと聞くと、自分で自分を呼ぶ言葉がないらしい。

 

 

強いていえば 「山の向こうの人達がわれわれをこう呼ぶ」 と答えるのだという。

 

 

アイヌの人やエスキモーの人達も、自分達のことを何とも呼ばなかったらしい。

 

 

「お前は何者だ」 と聞かれると 「人間です」 とか 「われわれです」 と答えたらしい。

 

 

それがいつの間にか 「アイヌ」 「エスキモー」 「イヌイット」 という名称になった。

 

 

 つまり、民族の名称は、多くの場合隣の部族が呼ぶ名称である。

 

 

隣の部族とはたいてい仲が悪い。

それゆえ、その名称の多くは蔑称である。

 

 

仲がよければ一つの集団になっているはずで、自分と相手を名称によって区別する必要もないからである。

 

 

古代の日本は中国から 「倭国」 と呼ばれたが、「倭」 という字は、矮小の 「矮」 に通じる。

 

 

すなわち、日本人は背が低いとか、日本の国土は狭いという意味の蔑称である。

 

 

このように、人間はよその部族や外国とぶつかったときはじめて、「自分は何族か」 「何人か」 を意識するもので、端教授は、この名称はやめてくれと言われるが、さりとて自称が定かでないから困るというのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             7月9日の猿沢池付近