「 天皇家はなぜ続いたか 」
今谷明 (いまたに・あきら 1942~)
株式会社 新人物往来社 1991年12月発行・より
私が最近出しました 『室町の王権』(1990年 中公新書)について、内容と重複しないように話を進めていきたいと思います。
はじめに出版後のいくつかのエピソードをご紹介したいと思います。
出版後すぐ、横浜市の鶴見図書館から講演の依頼がありまして、それでは 「中世の天皇制」 という題でやりましょうと引き受けました。
その二ヶ月後、11月ごろになって、「天皇制」 はイデオロギー的ニュアンスでとられかねないので題を変えてほしいといわれまして、私も納得し、「戦国大名と天皇」 という演題に変更して、それで鶴見図書館も了承した。
それからしばらくして、図書館長が菓子折をさげて私の研究室にやってきまして、演題に 「天皇」 という ことばを使うのは まずい、という。
要するに講演自体をやめてほしい ということだったのです。
講演を依頼しておいて、題にクレームをつけて、あげくの果ては中止である。
あまりに身勝手ではないかと思ったのですが、なにしろ私も横浜市の職員(横浜市立大学助教授)ですから、横浜市の内部でけんかしても しようがないなと思って了承しました。
どうも真相は、図書館の上部官庁である市の教育委員会が演題に難色を示して、講演の決裁がおりなかった らしいのです。
その日の午後講義があり、さっそく顛末(てんまつ)を学生たちに話し、
「これが天皇制のこわいところなんだよ」 「権力が横浜市に圧力をかけたわけでもないのに、自粛(じしゅく)のあまりそういうことがおこなわれる。
そういうグロテスクな対応のあり方というのが天皇制の問題点である」
と説明しますと、学生はなにか わかったような わからないような顔をしまして、お笑いになった。
7月9日の猿沢池付近