「 言語・人間・社会 」
芳賀綏 (はが やすし 1928~2017)
有限会社 人間の科学社 1984年1月発行・より
金田一春彦博士の論文や著書にしばしば出てくるが、外国の言葉に訳しにくいとされる日本語の中に 「間(ま)がわるい」 というのがある。
金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年 - 2004年)は、日本の言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究でよく知られている ~wikipedia
そのほか、「バツが悪い・きまりがわるい、てれくさい」 といった単語は
小学校三~四年になると使いはじめるほど、ごく普通に日本人が使う言葉だが、さて、欧米語に訳すのは大変むずかしい。
日本に長く住むベルギー人で 『私は日本人になりたい』 という本を書いた言語学者、グロータース神父は日本語が大変達者な人だが、この人に、間がわるい、バツが悪い、という日本独特の言葉があるが、ヨーロッパ人にはそういう感情がないかと問うたら
「ヨーロッパも全然ないことはない。
たとえば船に乗ってどこかへ出かける時、一斉に見送りに出てテープを
なげかわして、さかんに別れを惜しんで、いよいよ船は岸壁を離れはじめた、だんだん感動がたかまってきた、ところが、その’いいところで’船が
エンジンの故障で進まなくなってしまった。
いつまでたっても船が遠くならない・・・・。
見送る人も帰ることもできず、テープの端を持って立ってる。こっちも船室に入るわけにもいかず、つったってる。
こういう時の気持ちはじつにやるせない。これが日本人のいう間が悪いということに近いのではないか。
しかし、コトバとして明確に表現する習慣はない。」 と答えたそうだ。
こういう微妙な対人感情の動きを、たとえば戯曲などに描き分けようとする立場に立つとすると、まことに日本語の表現の多様さ、微妙さは便利であるし、また日本人の社会を描写しようとするなら、こういうところを見のがすことはできないだろう。
日本文学研究家のドイツ人などは、「なつかしい」 に当るドイツ語がない、といって翻訳に苦しむ旨を語っている。
「したう」 「あこがれる」 など、ほのかな対人感情の表現は欧米語に移しにくい。
情緒性の次は、感覚性の反映を見ることである。
たとえば 「お湯加減もそろそろよろしいようですからどうぞ」
と言えばわれわれは大体わかる。
この程度の湯加減で・・・・・と、感覚的にわかってしまう。
摂氏何度と言明してくらないと困る、というのはドイツ人などにはありがちの感覚だが、日本人は 「そろそろよろしいようだ・・・・」 のほうが違和感がない。
いつか地下鉄本郷三丁目駅の切符の自動販売機に、「機械不良」 だと出ている。
どうしろと書いてあるかというと 「お金を入れたあと、’しばらく’お待ち下さい」 とある。
’しばらく’待てといわれて誰も首をかしげない。
カンで 「しばらく」 の長さはわかるのだ。
7月9日の猿沢池