「潔い」は英訳できるか? | 人差し指のブログ

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「新しい日本人が日本と世界を変える」

日下公人(くさか きみんど 1930~)

株式会社 PHP研究所 2017年1月発行・より

 
 
 
 私の経験から言えば、日本人が英語を主体にモノを考えはじめると 「知」 が劣化する。
 
 
これは日本語にあって英語にはい単語やニュアンスがたくさんあるからかもしれない。
 
 
 アメリカ人を相手に講演するとき、通訳つきでも話がなかなか伝わらなくてくたびれるのは、根本的に文明や文化、思想が違うからである。
 
 
そのなかでアメリカ人にわかることだけを伝えようとして、彼らの言葉で考えると、ものすごく程度が下がってしまう。
 
 
 
 かつて米大統領選挙で共和党のブッシュ・ジュニアと民主党のアル・ゴアが争って裁判所にまで持ち込まれることがあった。
 
 
私はそれを見て、「そんなことをするのは民主主義の恥、アメリカの恥であって 『どちらかが潔くしたらどうか』 という話は米国内ででないのか」 と外務省の元駐米大使同席の機会に話したことがある。
 
 
 すると、「私もそう思うが、英語には 『潔い』 という言葉がない。 
助言したいが、できない」 と言われたので苦笑したことがある。
 
 
そこで日本語ができる外国人や日本人の英語教師らの顔を見るたびに、「 『潔い』 という英語はありますか」 と聞いたのだが、みんな 「ぴったりくる言葉はない」 という答えだった。
 
 Noble でも、graceful  でもない。
 
上智大学名誉教授の渡部昇一氏が、「Manly という古い言葉がそれに近い」 と教えてくれた。
 
 
ヨーロッパには 「潔い」 という感覚が少しはあるのだろう。
長い歴史によって生まれる感覚である。
 
 
アメリカはまだ240年しか歴史がないから、敗者は敗者、退場するだけであって、それを飾る言葉がない。
 
言葉がないということは概念がないということである。
 
 
 ただでさえ、英語による思考は二分法になりやすい。白か黒である。
 
 
もともと契約のために発達した言葉だから仕方ないが、対象となる社会現象や自然現象は、たいていアナログである。
 
 
アナログをデジタルで表現すると、グレーゾーンを切り捨てることになる。
 
 
洋裁で言えば、布地の截(た)ち屑(くず)がたくさん出るようなもので、日本語はその截ち屑を掬(くす)い上げる微妙なニュアンスがある。
 
                                  
 
 
2017年2月28日に「日本人の肌は(英語で)何色?」という対談を紹介しました。コチラです ↓
 
 
 
 
 
靖國神社(東京・千代田区) 3月26日撮影