『 「宗教とオカルト」 の時代を生きる智恵 』
谷沢永一(たにざわ えいいち) / 渡部昇一(わたなべ しょういち)
PHP研究所 2003年7月発行・より
<谷沢> ところで、カトリックは公会議というものを開いて、
解釈や教理を決めたりしていますね。
仏教の場合は聖書のような根本のテキストがなく、お経がたくさんあるのだから、キリスト教よりもいっそう、「どれがいい」 とか 「これが基本だ」 と決める会議があってもよさそうなものです。
<渡部> 無数のお経を読める坊さんがたくさんいたわけでは
ないから、難しいのではないですか。
あとはもう 「わが仏尊し」 ですよ。だから、違うというだけの話で、喧嘩もできないでしょう。
<谷沢> お経は翻訳の問題もありますからね。
三蔵法師がインドへ行き、たくさんの経典をシナへ持って帰った。それをめちゃめちゃに訳すわけです。
鳩摩羅什(クマラジュウ)が訳し、三蔵の弟子が訳したけれども、もう判じ物です。
漢訳というのは、ほとんど意味をなさない。これでは議論も何もできません。
明治時代になると、「インドへ帰れ」 「翻訳の前の原点を大事にしよう」 という動きが学者の間で出てきましたが、それぐらいにシナの翻訳は好き勝手に訳してあるわけです。
ただ、日本の学僧はあの漢訳で勉強したんですね。
<渡部> そうでしょうね。辞書がない当時、
厳密な翻訳ができるわけがありません。
明治になってサンスクリット学の研究が進んだドイツやイギリスへ留学し、新しい日本の仏教が始まりますが、高楠順次郎などの明治の偉い人は
マックス・ミユラーの弟子が多いのです。
マックス・ミユラーはドイツ人で、オックスフォードの初代の比較言語学教授になりました。
そこへ日本から留学生が行って、サンスクリットの仏典を読むのを教えてもらった。
そうすると、漢学のお経を読んでいてはわからなかったことがわかるようになった。
それがその後のインド哲学(印哲(いんてつ))になっていくわけです。
靖國神社(東京・千代田区) 3月26日撮影