前回からの続きです。

先に「●心の障害者 」をお読みください。

https://ameblo.jp/hirosu/entry-12458385529.html

 

 

 

その時でした。

 

 

 

川に飛び込もうとしていたよねの肩をつかむ者がいます。

 

 

振り向くと、

 

 

「あんた、妻吉(よねの芸名)さんですよね。

 

 こんな夜更けにどうしたんですか?

 

 もう3時過ぎですよ。」

 

 

それは偶然通りかかった顔見知りの巡査でした。

 

 

「わて、持明院へ行きたい。」(当時よねが字を習っていたお寺)

 

 

巡査は、このままだとまた川に飛び込むと思ったのでしょう。

 

 

親切に持明院に着くまで付き添ってくれました。

 

 

よねは、持明院に着くと、

 

 

いっそのこと、尼さんにでもなって、亡き人達を冥福を祈りたい。と、

 

 

当時の僧正・藤村叡雲に、

 

僧正・藤村叡雲

 

 

「先生、わてを尼さんにしとくなはれ。

 

 わて、尼さんにでもならぬと生きてられへん。」と申し出ます。

 

 


「なぜ、尼にならぬと生きられないと言うのや。」

 

 

よねは、店が失敗した事、借金がある上に父が病気になった事を話します。

 


しかし、藤村僧正は、よねに意外な事を言います。

 

 

「それじゃあ、よね子は行き詰って仕方なく尼にでもなろうというのか。

 

 そんな気持ちではダメだ。よした方が良い。」

 

 

「でも先生、わて死んだ人達の為にも尼さんになって冥福を祈り、

 

 不自由な体を持った人達の為にも働きたいのです。」

 

 

「それが今のよね子の考え違いや。

 

 形ばかり宗教家らしくても、他の子が嫁さんになって、

 

 嫁入りする姿を見たら、きっと煩悩の炎を燃やして、

 

 それこそ心の障害者となって、尼僧よねの末路は哀れなものや。

 

 尼になるなら、いつでもなれる。

 

 その前に、人の母となることだ。

 

 子供を育てる母としての経験を持たぬ者が、

 

 どうして不自由な人達の母となる事が出来るのだ。」

 

 

 

 

 


そうは言っても、両手が無い私が結婚?

 

 

そんな自分が結婚出来るなど、今まで考えもしていませんでした。

 

 

こうして、尼になる事さえ断られたよねでしたが、

 

 

不思議な事に、よねと結婚しても良いという人物が現われます。

 

 

それは山口草平という日本画家で、度々よねの店に通っていたお客でした。

 

 山口草平

 

山口は売れない画家でした。それに呆れた奥さんが子供を置いて出て行ったのです。

 

 

やもめ暮らしをしていた山口は、体は不自由でも気立ての良いよねに

 

 

好意を持っていたのです。

 

 

二人は結婚します。よね23歳、山口30歳。

 

 

よねは主婦として頑張りました。洗濯物は足を器用に使って洗いました。

 

 

掃除も足で床を拭き、貧しくても、夫を支える幸せな生活。

 

 

1年後には長男が生まれます。母となった喜びに胸が震えました。

 


 
やがて夫・山口に幸運が舞い降りて来ます。

 

 

画家の登竜門だった文展に入選したのです。

 


 
世に認められる様になり、やっと生活にも余裕が出てきました。

 

 

よねも、夫の絵を口を使って絵筆を持ち、手伝う様になりました。

 

 

そして長女も生まれ、よねは幸せな家庭を手に入れたのでした。

 

 


ところが、絵が売れる様になり、生活にも余裕ができると、

 

 

夫の山口草平は、外に女を作る様になったのです。

 

 

よねの心は張り裂けそうになりました。

 

 

夫が帰らぬ夜は、いつもいつも泣き明かしました。

 

 

それでも何とか自分の気持ちを育児に専念して心を落ち着かせようとします。

 

 

しかし、夫は愛人を家にまで連れて来る様になったのです。

 

 

目の前で堂々と見せつけられる様に浮気される地獄。

 

 

よねは当時の日記に、こうつづっています。

 

 

やはり私も女でした。

 

人並みに、より深くねたみを持っていました。

 

自分の腕を切った人でさえ、憎まぬようにしてきた私が、

 

なぜ、こんなにも、その女が憎いのでしょう。

 

 


それに対して何も出来ない私。

 

 

両手の無い自分が悲しくなりました。

 

 

やがて、愛人に子供が出来ます。

 

 


ああ、なんで私ばかりが不幸に・・・・

 

 

 

よねは、妻としての限界を感じました。

 

 

草平との離婚を決意、二人の子供を連れて家を出ました。

 

 

結婚してから12年後の事でした。

 

 

 


別れたものの、どうやって子供2人を育てていこう。

 

 

その時、画家だった元夫の絵を描く手伝いをしていた事が役に立ちます。

 

 

着物の帯地の図柄を描く仕事を得て、日々の生計をたてる事が出来ました。

 

 

よねは更に絵筆の技術を磨く為に、子供達と東京の渋谷に行き、

 

 

帯地に更紗絵を描いて生計を立てる様になります。

 

 

やがて、よねの努力の甲斐あって、

 

 

口で描いた絵柄が工芸品として認められる様になったのです。

 

 

仕事場も出来、作品も売れる様になります。

 

 

やれば出来る! 両腕が無い私でもやれば出来るんだ!

 

 

なんとデパートの三越で、個展の開催も決まったのでした。

 

 

 

やっと子供を育てられる自信が湧いてきました。

 

 


ところが、その時です。

 

 

大正12年、9月1日。関東大震災。

 

 

よねの仕事場も、何日も掛かって口で描いた個展用の作品も全て焼けてしまい、

 

 

命からがら子供2人と逃げるのがやっとでした。

 

 

もう、私には何も無い。これからどうやって生きていけばいいの?

 

 


ああ、なんで私ばかりが不幸に・・・・

 

 

 

 

 


しかし、周りを見ると、震災後のがれきのいたる所に、死体が転がり、

 

 

手足を失った人たち、親を失った子供、大やけどを負った障害者がいたのです。

 


ああ、私はなんとごう慢な女だったのだろう。

 

 

一人で稼いで生き抜いていけるなんて、自分はなんと慢心していたことか。

 

 

私よりも困っている人達が、こんなにも沢山いるのに・・・・・・・・

 

 

 


よねは、今までの自分の体験を、自分の為にでは無く、

 

 

他の障害者の為に生かして生きていこう。と決意します。

 


昭和8年10月、子供達に手がかからなくなると、

 

 

よねは自分の身を仏の手に委ね、出家し尼僧となり、

 

 

名前を大石順教と改めました。 よね45歳の時でした。

 

 

 

 

昭和11年10月、順教は京都の勧修寺に移住し、

 

 

身体障害者の相談所「自在会」を設立、

 

 

自分と同じ立場である身障者の自立のための教育を行なっただけでなく、

 

 

行く所の無い女性達を保護したのでした。

 

 

この時、食べる事にも困って尋ねて来る障害者の為に、

 

 

自身もお金の無い順教は、どうする事も出来ませんでした。

 

 

そこで、一日一食の断食を始めます。ある時は一日二食の断食を行なって、

 

 

その浮いた一食を、食べ物に困っている人に与えました。

 

 

この断食は、順教が81歳で亡くなるその日まで一日も欠かさず実行したといいます

 

 

私は両腕が無いので、その分人よりも栄養も少なくていいし、なにより、

 

 

下の世話をしてくれる方の負担が少しは少なくなるでしょ。

 

 

大石順教

 

 

 

ある日、順教が庭で足で草取りをしていると、後ろで気配がします。

 

 

振り向くと、一人の男が立っていて、じっと順教の方を見ています。

 

 

「何か、私にご用ですか?」

 

 

「実は私、死ぬつもりでおりましたが、ある人から先生の事を聞きまして、

 

 死ぬ前に一度、先生にお会いしたいと思いました。」

 

 

彼は自分の不注意もあり、右腕を失ってしまったのでした。

 

 

それで仕事も出来ず、女房は片輪者の妻と言われるのが嫌と出て行きました。

 

 

「こんな体では、もう何の仕事も出来ず、生きて行く道が無く

 

 毎日悲観のどん底に落ちてしまい、身も心も疲れ果てました。死にたいです。」

 

 

すると、順教は彼に聞きました。

 

 

「それはようこそ。  それで? その会社の方はどうなってます?」

 

 

こんな体では、会社の仕事は務まりませんので、辞表を出しました。

 

 この体では、もうどうにも生きる道が無くなりました。」

 

 

「ちょっと待って下さい。

 

 貴方、先ほどから、この体だとか、不具者だからとか言われますが、

 

 不具者がなんです! 障害者がなんです!

 

 そんな事は、問題ではありません。

 

 障害は肉体だけで十分!

 

 精神的にまで不具者根性になっていて、情けないじゃありませんか!

 

 

 伺えば、十数年お勤めされているとの事、

 

 ならば腕の仕事よりも、頭の仕事の方がはるかに優れているはずです。

 

 障害者となられても、心まで片輪者になってはいけません。

 

 会社には、貴方が十数年働いた事でつちかった頭の使う仕事が山ほどあるはず。

 

 長く使って頂いた会社の仕事の要領は分かっているはずですよ。

 

 明日とは言わず、今日これから会社に戻って、人事の人にお会いになり、

 

 死ぬ前に大石順教の所を尋ねたら、順教にさんざん叱られたと言いなさい。

 

 守衛でも小使いでも、何でもさせて下さい。と頼んできなさい。

 

 それでもダメなら、私が会社へ行って係りの人にお会いして話しましょう。

 

 片腕を失ったというよりも、会社に一本の腕を差し上げたと思って行きなさい。」

 

 

 

 

すると、翌朝、彼は生き生きとした顔で、順教のもとを訪れて言いました。

 

 


「先生、昨日はありがとうございました。

 

 あれから直ぐに会社に行きまして、先生に言われた通り人事課へ申し出たところ、

 

 確かに頭さえしっかりしていれば、工場内の監督として働いてもらえると、

 

 重役とも相談してもらい、今まで通り勤めてさせてもらう事になりました。

 

 先生、本当にありがとうございます。」

 

 


それから数ヶ月経った頃、

 

 

見違えるほど風格の整った男性が順教の前に姿を見せました。

 

 

「先生、私も男の道を進める様になりました。

 

 今の女房が実に良き主婦で、まことに幸福な家庭を作っています。」

 

 

 

 

 

 

その後、順教は、身体障害者の為の更生施設・仏光院を設け、

 

 

障害者達との共同生活を始めます。

 

 

障害を持って産まれたばかりに捨てられた多くの子供達を引き取り、

 

 

自らその子供達の母となって育て、障害者の母と呼ばれる様になります。

 

 

大石順教

 

 

そして、手足を失ったり、目が見えなくなって

 

絶望の淵にいる人達を勇気づける為に、

 

 

順教は全国を飛び回り講演活動や奉仕活動を率先して行いました。

 

 

 

昭和30年(1955)、口を使って書いた般若心経が

 

日展の書道部に入選します。

 

 

下は、専門家も絶賛する順教が口だけで描いた美人画

 

縦1m70cmくらいの大作

 

 

ある日、順教と暮らしていた足の悪い少女が彼女に聞きました。

 

 

「私、足が悪いからよく転んでしまいます。 悲しいです。」

 

 

すると、順教は、

 

「転ばないで歩ける方法を教えてあげましょうか?

 

 それはね。

 

 悪い足を隠さない事なんだよ。

 

 身体の不自由は、そういう因縁なのだから仕方がないけど、

 

 私達は「心の障害者」になってはいけないの。

 

 だから、足が悪いのは身体の障害、でも、

 

 悪い足を隠しながら歩いて転ぶのは、心の障害なの。

 

 忘れなさいというのは、無理かもしれないけど、

 

 片足が悪いくらいの事に心を奪われてはいけないのよ。」

 

 


「どうしたら、その心の障害者を取り除く事が出来るのですか?」

 

 


「それはね。
 
 自分の事は自分で出来る様にする。のもそうだけど、

 

 世の中の為に、感謝と奉仕の心を持って、心の働きを生かすの。

 

 例え何も出来ずにベッドに伏せっている体でも、

 

 微笑ひとつでも、優しい言葉ひとつでも、周囲の人々に捧げる事が出来たら、

 

 その人は社会の一隅を明るくする事が出来るのよ。」

 

 


「先生、私、何も出来ない人間だと思っていましたが、

 気持ちが明るくなりました。」

 


「その明るさが大切なのよ。

 

 例え健全な肢体に恵まれていても、それを人の為に生かす心を持たず、

 

 欲望の欲しいままに、お互いが傷つけ合う事しかしないとしたら、

 

 それは大変な心の障害者ではないかと思うのよ。」

 

 

 

 

 

 

 

1968年4月21日、

 

 

大石順教は、この日も福祉活動を終えると、家に帰り床につきます。

 

 

そして、そのまま眠る様にして亡くなったといいます。

 

 

81年の波乱万丈の人生でした。

 

大石順教


彼女は生前、自分には3つの宝があり、

 

それが私を幸せにしてくれたと語っています。

 

それは、

■無手
もし私に両手があったら、決してこのような幸せな生活には巡り合わなかったでしょう。
■無学
もし私に学問があったなら、カナリヤの先生に出会う事も無かったし、
文字を学ぶと言う幸せな時間も訪れなかったでしょう。
■無財
そして、どんな人とも一つになれる貧乏な私があったからこそ今の私があるのであります。

 


この三つの無形の財産が、

 

私のゆく道を、どれだけ幸せにしてくれたであろうか。

 

 

 

 

END

参考:無手の方悦 抜粋p86~p92、P104~p105、p112~p116、
p125~p131、p149~p151、p214~218、p292、
p299~p300、
知ってるつもり?!大石順教 https://www.youtube.com/watch?v=rSHAK2JEQ5I

●患者が死ぬのが分かる看護婦。

 

 


占いの仕事をしていると、様々な方の相談を受ける事があります。

 

 

その看護婦の方も、その内の一人でした。

 

 

現在は、看護師という総称になっていますが、(2002年3月から)

 

 

当時はまだ看護婦さん、看護士さんという言い方でした。

 

 

 

 


電話相談なので、顔は分からないが、

 

 

口調やイントネーションから、とても優しそうな顔が思い浮ぶ。

 

 

そんな彼女の相談事を聞き終わった後だった。

 

 

最後に彼女からちょっと驚く話を聞かされた。

 

 

それは、患者さんが死ぬのが分かったというものだった。

 

 

 

 

 


まぁ、病院という所は日々沢山の重病人を看護し、手術しているのだから、

 

 

日々のバイタルや病状から、もう危ない患者というのは、

 

 

ある程度なら看護婦でも大よその検討がついても不思議では無い。

 

 

しかし、彼女の場合は、まったく違う角度から、

 

 

患者が死ぬのが分かったと言うのである。

 

 

 

 


彼女は勤続26年というベテラン看護婦だった。

 

 

そんな26年間の内、患者さんが亡くなるのが分かったのは4回あったと言う。

 

 

ちなみに、看護婦さんの平均勤続年数は11年と言われているので、

 

 

26年は長い。ベテラン中のベテランだ。

 

 

統計では、25年以上務める看護婦は全体の10%しかいないという。

 

 

 


では、彼女はどうやって患者の死が分かったのだろうか?

 

 

彼女が一番最初に患者が死ぬのが分かった時の事を話してくれた。

 

 

 


それは不整脈と左肺炎で入院していた50代の主婦だったという。

 

 

当時彼女は日勤で、その主婦の方の担当だった。

 

 

経過は順調で、もう少しすれば退院も出来るだろうという方だった。

 

 

昼食時間が終わり、患者さんの食器を片づけに病室に入った時です。

 

 

食器を見ると、ほとんど手をつけていません。

 

 

「あら、食欲ないの?」と聞くと、

 

 

その主婦の方は、寝ながら彼女に、こう言ったというのです。

 

 

「今日は、お父さんが来てくれたのよ。」

 

 

「いつ?」と聞くと、

 

 

「今までずっと、ここに居たのよ。」と言ったという

 

 

しかし、ナースステーションに戻って面会記録を調べても、

 

 

彼女のお父さんは勿論、誰も彼女に面会に来た記録がありません。

 

 

その後、食事時間に一緒になった婦長さんに、

 

 

患者がほとんど食べなかったを伝えると同時に、患者が言った、

 

 

「お父さんが来てくれた。」という不思議な言動も伝えました。

 

 

すると婦長さんが、

 

 

「たしか、彼女の父親は亡くなっているんじゃない?」と言うのです。

 

 

実は彼女の病院では、遺伝的な可能性から親族の病歴などのアンケートを取っていて、

 

 

そこに彼女の父親が肺ガンで亡くなっている事が記されていたのです。

 

 

しかも、調べて見ると、この病院で亡くなられていました。

 

 

同僚の一人は、「迎えに来たのかもね。」と不気味な事を言ったそうですが、

 

 

「彼女は退院が近いから、そんな事はないわよ。」と直ぐに打ち消しました。

 

 

ところが、それから3日後の事でした。

 

 

彼女が急性心筋梗塞で亡くなったのです。

 

 

 

 


2回目は、それから約1年後の事だったといいます。

 

 

40代の男性が、無菌室の個室に入院されていました。

 

 

無菌室なので、家族であっても面会は出来ない状況です。

 

 

ところが、彼女がバイタルを計りに行くと、その男性がこう言ったのです。

 

 

「すみません、母が入って来てしまって。

 
 すぐに帰させますから・・・」

 

 

しかし、部屋を見回しても、誰もいません。

 

 

念の為に併設されていたトイレも見ましたが、誰もいませんでした。

 

 

その瞬間、「あっ!」と思ったといいます。

 

 

その4日後、男性は亡くなったのです。

 

 

 


その後も、そういう事があると、患者は3日か4日後の亡くなるのだそうです。

 

 

彼女は私に言いました。

 

 

「どうして、私は何回も、

 

 こんな死の前兆を知ってしまう様な経験をしてしまうのでしょうか?」

 

 

 

勿論、私は霊能者では無いので真相は分かりません。

 

 

でも、私の経験上、感じる事を彼女に伝えました。

 


「そこには、愛があるんじゃないかな。」

 

 


普通、昨日まで元気だった人が、急死したりすると、

 

 

側に居た人は、つい自分を責めてしまいがちです。

 

 

もっと何か出来たんじゃないか?

 

 

こうしていれば、助かったんじゃないか?と、

 

 

看護を担当していた看護師ならなおさらの事です。

 

 


私も最近ですが、猫を亡くした時思いました。
(●猫は自分の死を予知できるのか https://ameblo.jp/hirosu/entry-12455904653.html

 

もっと早く保護でもしていたら、長生きしていたんじゃないか。

 

あの時、もっと食べやすい食事を与えていたら、長生きしたんじゃないか。と。

 

 

でも、もしあの時、猫が人間の言葉を話せて、

 

 

「母さんが、迎えにきたの。」と言ったら、どうでしょう。

 

 

もしかしたら、私は覚悟が出来たかもしれません。

 

 

「もう逝くんだね。ありがとね。」って。寿命だったのだと。

 

 

 


私は、こう思うんですよ。

 

 

普通、病室に親が来ていても、見れば分かるのですから、

 

 

わざわざ入って来た看護婦さんに、親が来ているなんて言わないですよね。

 

 

では、なぜそう伝えたのでしょうか?

 

 

 

きっと貴方は、とても良い看護婦なんでしょう。

 

 

だから、迎えに来た霊が、患者に伝えたのです。

 

 

「看護婦さんが来たら、言ってあげて、

 

 私が今、ここに来ている事を・・・・」

 

 

 

急死するのは、貴方のせいじゃないのですよ。

 

という愛のメッセージとして。

 

 


「今日は、お父さんが来てくれたのよ。」

 

END

 

 

●供養する順序と待遇の差。

 

 


このお話は、昨日のブログ(●実家の白猫が招く家庭不和)の続きです。

 


 

従って、昨日のブログ(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12457307575.html

 

 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ

 


これは10年以上前に頂いた電話相談です。

 

彼女は結婚して20年になる奥様で、大学生になる長男と、

 

高校生になる長女がいる4人家族というごく普通の家の方でした。

 

ところが、約2年半前に実家から連れてきたという猫がいるそうで、

 

どうもその猫が来てからというもの、段々と夫との間に喧嘩が増え、

 

不仲になっている様な気がすると言います。

 

正確に言うと、猫がこの家に来たのが、2年半前の夏。

 

彼女が御主人と喧嘩が始まったのが、約2年前だったという。

 

そして、今では家族4人が顔を合わせる夕食時しか夫とちゃんと顔を合わる時がなく、

 

その時さえ、ほとんど会話も交わさないという。

 

ただ、彼女の本音としては、離婚はしたくないと私に言う。

 

本当は喧嘩もしたくないのだが、なにか知らない内にキツイ口調になっているという。

 

実際、彼女に喧嘩の主な原因を聞いても、はっきりした原因は思いつかないらしい。

 

普通は夫の浮気とか、ギャンブルとか、無駄遣いなど

 

はっきりした喧嘩の原因があるはずなのに彼女の場合、心当たりが無いのだ。

 

しかし、1つはっきり彼女が感じているのは、18年間仲が良かったのに、

 

実家の猫が家にきてから、段々と夫との仲が悪くなっていったという事だった。

 

そんな電話相談でした。

 

はたして、この可愛い猫が彼女と夫の仲を悪くさせようとしているのだろうか?

 

しかし、シロが原因だという何の確信も証拠も無い。

 

そこで彼女にこんな質問をしてみた。

 

「猫のシロちゃんの元の飼い主である貴方の御両親は、御主人の事を嫌いだったり、

 

 別れた方がいいとか離婚した方がいいとか言った事はありましたか?」

 

「いえ、両親は結婚には賛成で、夫の事を嫌った事はありません。」と言う。

 

「今までご主人が、シロちゃんに対して酷い仕打ちをした事はありますか?」

 

「無いです。」

 

どうもシロが家庭不和の原因だという感じが見えて来ない。

 

そこで、一旦猫の事から離れて考えて診ることにした。

 

さて、そうなると占い師がまず考えるのは、いつから喧嘩が始まったのか。である。

 

当然、それは今から2年前となる。

 

「今から2年前に猫の事以外に貴方の家で何か変わった事は起きませんでしたか? 」

 

すると、2年前にだいぶ家の中に中古品が増えたと言うので、

 

彼女にその増えた中古品を撮った写真を見せてもらう事になった。

 

その写真の1枚は、庭にある倉庫の中で、倉庫の中に赤い自転車があった。

 

その中古の赤い自転車が2年前に増えたものだという。

 

しかし、次に見た部屋の写真を見て「えっ?」と思った。

 

その写真には、思わぬ物が映っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見せてもらった写真は和室の写真で、

 

 

そこには仏壇があります。

 

 

それも2つです。

 

 

 

 


もともとあった仏壇の隣の押し入れの片側の上段に、

 

 

もう一つ、仏壇が置いてありました。

 


1つの家に、2つの仏壇という相談は電話相談で何回かありますが、

 

 

実際にそういう場面を見たのは、多分これが初めてか2回目位でした。

 

 

滅多に無い事ですが、少子化になっている現在、

 

 

これからはこういうケースは増えるのかもしれません。

 

 

 

 


彼女に聞くと、こんな事情があったといいます。

 

 

 

 

実は2年半前、彼女の実家で独り暮らししていたお母さんが亡くなったそうです。

 

 

彼女は一人っ子だったので、彼女意外に子供はいません。

 

 

そこでまず、彼女はお母様が飼っていた猫のシロをこの家に引き取り、

 

 

その後、遺品整理を行い、処分できる物は処分して、使える物は引き取り、

 

 

父母の位牌がある仏壇は、ここに持って来たという訳でした。

 

 

庭の物置にあった赤い自転車も亡きお母様が使っていた物だったのです。

 


つまり、2年前にだいぶ家の中に中古品が増えたと言うのは、

 

 

実家を整理して、使える物を持って来たという意味だったのです。

 

 

今から考えて見ると、

 

 

彼女から、実家から猫のシロを連れてきたと聞いた時に、

 

 

気が付いてもおかしくなかった事でした。

 

 

 

 

ちょっと驚きはしましたが、

 

 

実は1つの家に、2つの仏壇があってもいいのです。

 

 

写真を見る限り、旦那さんの仏壇の方が立派ですから、それは良い事です。

 

 

奥さんの仏壇がだんなさんの仏壇より若干上なのは気になりますが、

 

 

でも押し入れの下段に置くと、猫や犬が供物を食べたり水を飲んだりしますので、

 

 

上段に置いて押し入れのドアは普段は開けておくという形なら許せる範囲でしょう。

 

 

2つの仏壇の位置も、隣り合わせなら、許せる範囲内と言えるでしょう。

 

 

これがどちらかの上になってる上下の位置なら問題ですし、

 

 

また2つの仏壇が対面した位置に置いたりすると、

 

 

その家庭は離婚すると言われているので、この様に同じ方向を向いているか、

 

 

別の部屋に安置するのがいいのです。

 

 

 

 

 

 

ただ、困ってしまいました。

 

 

猫には問題は無いとして、

 

 

1つの家に2つの仏壇を置いても問題は無いとしたら、

 

 

いったい何が、彼女の家に悪い作用を及ぼしているのでしょうか?

 

 

 

 

 


しかし、御主人と喧嘩が始まったのが、約2年前だった事を考えると、

 

 

仏壇がこの家にやってきた時期と重なるので、とても怪しいと言わざるを得ません。

 

 

 


そこで、しばらく上の写真の2つの仏壇をじっと見て考えていました。

 


すると、ある事に気が付いたのです。

 

 


なんと、2つの仏壇には大きな差があったのです。

 

 

皆さんは、気が付かれたでしょうか?

 

 

私は上の写真の2つ仏壇に差がある事に気が付くのに5分もかかりました。

 

 

もし、5分以下で、上の2つの仏壇の差が見つけられる方は、

 

 

きっと私よりも能力があり、観察力の優れた方です。

 

 

少し考えてみてから、先をお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なんと、彼女が実家から持って来た押し入れの仏壇には、

 

 

ご主人の仏壇には無い物があるではないですか!

 

 

 


それは花です。黄色い花です。

 

 

つまり、新たに増えた仏壇には生花があり、

 

 

元からある仏壇には、生花が無いのです。

 

 

 

 

しかも、それは花だけではありませんでした。

 

 

写真ではちょっと分かりずらいのですが、

 

 

実家から持って来た仏壇には、黄色い花以外にも、

 

 

ロールケーキと、ご飯とお水が供えてあるといいます。

 

 

 


彼女に、どうしてこういう差が生じているのか聞くと、

 

 

もともと彼女が嫁いだご主人の家では、普段、仏壇には特に何も供えず、

 

 

朝起きたら扉を開けて明かりを点けるだけだったといいます。

 

 

ところが、彼女の実家では、

 

 

お父さんが亡くなってから、ご飯を新しく炊いたら、まず仏壇にあげ、

 

 

お父さんが甘党だったので、たまに好物だったロールケーキをあげ、

 

 

お父さんが好きだった黄色い花を生けていたそうです。

 

 

彼女は仏壇をここに引き取ってから、その時の供養を続けていたのです。

 

 

彼女に悪気は無かったのですが、結果、供養に差が生じてしまったのです。

 

 

 

 


そして、もう1つ問題がありました。

 

 

写真からはわかりづらいのですが、

 

 

リビングが写真の左の方にある関係から、

 

 

朝起きると、左からこの仏間に入って来るので、

 

 

まず最初に、奥さんの実家の仏壇の扉を開き、電気を点け、お祈りし、

 

 

その後で、夫の実家の仏壇の扉を開き、電気を点け、お祈りすると言います。

 

 

つまり、毎回夫の仏壇が後まわしになっているのです。

 

 

 

 

私は彼女に言いました。

 

 

今の状態では、夫の先祖霊は貴方の事を良く思いませんよ。

 

 

自分達が、粗末に扱われているという気持ちがわいてきて、

 

 

それが霊障となって、夫婦喧嘩に発展しているのかしれません。

 

 

つまり、ご主人が不機嫌になる姿は夫のご先祖の気持ちの表れだったりするのです。

 

 

 


「貴方は、ご主人の家に嫁いだのですから、

 

 もうご主人の家の人なのですよ。

 

 だから、まずご主人の仏壇の供養をしてから、実家の仏壇の供養をしてあげて、

 

 それから花やご飯やお水は、どのご先祖様も喜ぶ行為ですから、

 

 実家の仏壇にだけあげるのではなく、あげるなら、

 

 まずご主人の仏壇にあげて、それから実家の仏壇にあげる様にしてみて下さいね。」

 

 


ちなみに、

 

 

男性が養子に入った場合は、今回のケースの逆になります。

 

 

つまり、ますおさん状態で婿入りした時で、実家の仏壇を持ち込んだ場合は、

 

 

まず、奥さんの仏壇を先に供養してから、自分の実家の仏壇の供養をします。

 

 

それから順序の事を言うと、

 

 

もし神棚があるなら、まず神棚。そして仏壇の順序でお祈りします。

 

 

それには理由があります。

 

 

なぜなら、例えば仏壇にお祖父さんの位牌があるとします。

 

 

でもお祖父さんは生前、神棚にお祈りしていた人でしょう。

 

 

それが、亡くなった今、神様より先に自分を優先されてお祈りされると、

 

 

心苦しくなってしまうのです。だからまず神棚、そしてお祖父さんという順序で。

 

 

 

あと、今回の様に、実家の仏壇を引き取れないという事もあるでしょう。

 

 

そういう場合は、近くのお寺に相談して永代供養してもらう事です。

 

 

そのお寺によって預かり期間は10年かもしれないし、33年かもしれませんが、

 

 

いずれの場合も、期間が過ぎた後は位牌はお焚き上げしてくれるでしょう。

 

 

 

 

 


その後、彼女は夫の仏壇をまず優先して供養し、

 

 

実家の仏壇に花や供物や水をあげる時は、

 

 

まず夫の仏壇にも同じ物を供える様にするようにしたといいます。

 

 


すると、あれだけ仲が悪かった夫婦関係が元の仲が良い関係に戻ったそうです。

 

 

そして今では猫のシロもご主人にすり寄って来る事があるそうです。


END