合言葉
黒川紀章さんで、ふっと思い出したことがある。
まだこの仕事を始めたばかりの頃、
まだ何も知らないのに現場にぽんと放り出されて、いつも失敗ばかりしていた。
施主にはおこられるし、職人さんには相手にされず情けないやら悔しいやら・・・。
よく落ち込み、よく泣いてた。
そんなときの自分の合言葉は「黒川紀章にもはじめがある。」
知らなかったことを知る瞬間。
このときは誰にだってある。
という意味。
なぜ黒川さんだったのか・・?
多分建築家は黒川さんしか知らなかったからだと思う。
作品を見たこともなく、書かれた物を読んだわけでもなく、ただえらい建築家だということだけ知っていた。
この合言葉にはかなり長くはげましてもらった。
いつも自分で投げかけ自分で答えていた。
でも
いつしかこの言葉を言わなくなり、このことはすっかり忘れていた・・・。
yumily
奈良市写真美術館
ずっと以前から写真で見て気になっていた奈良市写真美術館。
設計者は黒川紀章。
黒川さんの和風な感じの建物に意外な感じがし、そのことにもすごく興味があった。
静かな住宅街にちっとも特出せずに建っているけど、ひとたび目に入ったら美しさにはっとする。
何ごともない寄棟の屋根がただ美しい。
壁は透明で屋根だけがそこにある。
瓦葺の屋根はまったくシンプルに静かにそこにある。
内部は天井にふくらみをもたせていてその大きなアールが迫力を出している。
それに準じてか階段の壁がアールになってたり、
手すりがくねくねしたりしてて、曲線使いが目立つ。
床タイルには模様がちりばめられていて、POPな感じだ。
POPであり、上品さを保っている。
外観のシンプルな直線から内部天井のアールにつながり、そのアールは階段の壁や手すりと協調し、その軽快さが床のタイルに導かれている。
この建物には流れがあり
流れているから違うテイストのものがあっても全てに違和感がない。
この建物で今まで知らなかった黒川建築の一面に出会えたような気がした。
奈良市写真美術館
設計:黒川紀章/黒川紀章建築都市設計事務所
所在地:奈良県奈良市高畑町
用途:美術館
竣工:1991年12月
構造:
1階-鉄骨造
地階-鉄筋コンクリート造
規模:地上1階、地下2階
岩国徴古館
お花見に出かけた岩国の錦帯橋近くで見つけた建築。
暗くて重々しい印象の建物。
古い建物を修復したりアンティークに見せかけたお土産屋さんやカフェが並ぶ街並みの中で
それらとはまったく違う表情をし、寡黙に何かを訴えるようにして建っていたのは
元岩国藩主の吉川家が"郷土に博物館を"という 目的で建てられた「岩国徴古館」。
戦時下最後の建築。
設計は後期表現派の佐藤武夫。
早稲田大学の大隈講堂の設計を担当し、建築音響の研究成果を残されている建築家。
竣工は昭和20年3月の終戦直前。
この時期の建築は軍需工場か「沈黙」しか残されていなかったといわれている。
そんな中での博物館建設には構造的にもデザイン的にも苦労があったのではないかと想像する。
それでも決して流されることなく、あきらめることなく、建築家としてやれることは最後まできちんとやるという姿勢が伝わってくる。
威圧や制限のなかでの抵抗や自分の建築との葛藤などがこの建物の底の力として現れているような気がする。
建築への鉄の使用は禁じられ、この建物は鉄筋のかわりに竹が使われた竹筋コンクリート造だという説もあるが、真相はわかっていないみたいだ。
鉄筋が使えなかったから、柱の下部分が大きくなっているのが特徴的。
内部は外部とは違って大正ロマンな雰囲気。
構造のための太い柱ををうまくデザインしている。
自分の確信しているものを自由に創れない時期。
日本の建築の中で一番辛かった時期。
そのなかでも建築をしてた人はいる。
トイレ内部だけは最近直されていた。
よく公共のトイレに使われている100角のピンクのタイルが貼られていて、この建築の雰囲気をまったく無視したものだった。
気持ちがへしゃげる・・・!
「私にデザインさせろーーー!」(怒)
yumily
明治建築をつくった人びと
九州博物館を見たとき
国立博物館としての意味を建築から感じ取れなくて
それから国立博物館という存在が気になって仕方なかった。
その後東京、奈良と博物館を見て歩き、自分なりに感じることがあり納得した。
ひとりよがりの納得をもっと確信したく、いろいろ調べていたら、近代建築史にはまってしまった。
図書館で借りてきた積み上げた本をむさぼるように読み、その時代へ旅をした。
明治大正時代の建築史はドラマチックだ!!
教科書のようなビデオ
「明治建築をつくった人びとーコンドル先生と4人の弟子」
企画 大成建設
監修 藤森照信
1999年
おすすめBOOK
明治の近代建築上幕末・明治編
明治の近代建築下大正昭和編
藤森照信著
岩波書店
日本近代思想大系19都市建築
藤森照信著
岩波書店
日本の建築 明治大正昭和 3国家のデザイン
藤森照信著
三省堂
奈良ホテル
西の迎賓館として創られた奈良ホテル。
設計は辰野金吾。
奈良博物館が古都に調和しないと不評だったためこのホテルには強く和風が求められた。
辰野も片山同様西洋建築を専門とする建築家だったけれど
イギリス留学中に自国の建築ルーツを知る大切さを指摘されたことがあり、その経験がここまで見事に和風と洋風の融合をさせたものを創ることができたのではないかと想像する。
奈良ホテルは緑がこんもりと繁った丘の上に建っている。
坂道を上がり初めて目にした建物からはおおいかぶさるような迫力を感じた。
それは4年前のことだが今でも言葉で言い表せない力を感じたことはすごく印象に残っている。
迫力のある人が創るものには迫力が宿る。
竣工 1909年(明治42年)
所在地 奈良県奈良市高畑町1096
設計 辰野片岡建築事務所
構造 木造2階建て
奈良国立博物館
奈良国立博物館
近代建築を見るとその歴史が知りたくなる。
その建物に関する背景を調べるのは楽しくてわくわくすること。
建築史をひもとくと国境を越えいろんなところで糸はからまりつながり現在に至る。
そのどの時点にも建築に対する熱い思いと張り詰める緊張があり私を興奮させる。
日本の建築家のはじまり。
近代建築の父と呼ばれているイギリス人ジョサイア・コンドル氏は1874年(明治10年)に工部大学造形家学科教授として迎えられ、1期生の辰野金吾(たつのきんご)、曾禰達蔵(そねたつぞう)、片山東熊(かたやまとうくま)、佐立七次郎(さたちしちじろう)に西洋建築を教える。
明治12年4人は卒業し、日本初の建築家となる。
奈良国立博物館はその中のひとり宮廷建築家片山東熊の設計。
フレンチバロック様式。
宮廷建築家らしく外観は華麗で優美な印象。
が、内部は意外にあっさりしている。
玄関入ってホールもなくいきなり展示が始まり、そのままあたりまえに展示が並ぶ。
内部に特別な見せ場はなく少々物足りない気もする。
当時は、古都奈良にそぐわないと不評だったという話があるが
外国人から西洋建築を学んだ宮廷建築家に何を期待したのか・・。
国の思いと住民の思いのずれだったのか・・・?
100年後の今
広い奈良公園の中に静かに建っているこの建物に違和感はないが
中の展示物の仏像と器の西洋館とのギャップはあり・・。
仏像を飾る建物をなぜ西洋館にしたのか?と思うが
日本の近代建築の確立した時代で、この時めざすところの建築はこれだったのだからこれしかない。
そう考えるとこのギャップな感も楽しめる。
竣工 1894年(明治27年)
所在地 奈良県奈良市
設計 片山東熊、宗兵蔵
構造 煉瓦造平屋建て、桟瓦一部銅板葺

























