4/16鶉長良神社例大祭参列→館林総鎮守長良神社→恩林寺参拝後、向かったのは同じ邑楽町の浮島弁財天がある多々良沼公園へ
鳥居
藤棚の藤は満開です
浮島辨財尊天由来
抑 当社は鎌倉幕府没落の時 執権北条高時の弟四郎慧性が、或る夜日頃崇拝する江の島弁財天が夢枕に立ち「汝等の池 上毛の郷に霊地あり、其処え逃れて居住なし、北条家の再興を図るべし」とのお告げに従い、弟荒間五郎友春と重臣三名を伴い主従五名にて多々良沼に辿りつき、恩林寺を建て東林友丘和尚を開山として北条家の菩提寺となし、北条家代々の護り神たる江の島弁財天を恩林寺開山東林大和尚に懇請して勧請し鎮守として建立したものである。
恩林寺縁起より
狛犬
同級生たちも釣りに行くときなど『弁天に行く』と皆言っていたので、ここの浮島弁財天は昔から地域に愛されていたと思います
例大祭に参列した鶉長良神社も『長良様』と呼ばれ地域を納めていた城主に金の鶉を納めたという話が残っているそうです
それがこの鶉古城の城主だったのか、鶉長良神社近くの茂木館の主だったのかは不明ですが金の鶉を納めた事で地名が鶉になったという予想は出来ますね