前回のブログ『橘一族と八角形の地』 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12481156600.html

 

2019/06/25 12:37 追記

こちらのブログを書いた後、とてつもない重要な事を私は書いていない事に気が付きました!ブログ、最下部に「追記」をさせて頂きました<m(__)m>。

 

 

前々回のブログ日本最古のベンガラ彩色耳栓・・呉人が見た球磨人で書かせて頂いたように、https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12465743160.html

熊本県球磨郡あさぎり町深田(旧深田村)字灰塚の灰塚遺跡から出土した耳栓は

鹿児島県国分市上野原遺跡(現霧島市)と福山町城ケ尾遺跡(現霧島市)と並ぶ

日本最古のベンガラ彩色の耳栓であった!

と言う事が解りました。

 

さらに、ブログ『常識を覆した球磨からの出土品 鳥が先か卵が先か・・』で書かせて頂いた事

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12464570216.html

球磨郡の錦町大原天子遺跡ではそれまで縄文時代には無いと考えられてきた水稲農耕文化には欠かせない有肩打製石斧が出土していた!

つまり(p_-)

球磨郡からは日本最古のベンガラ彩色耳栓と

日本最古の有肩打製石斧が出土していた

事になり、これらは、もっとクローズアップされていてもしかるべき発見ではなかったのか!?

と私は考えます。だからこそ、私はこれからも、見た事、知った事、聞いた事、をどんどんブログに書かせて頂こう(^^)/ と思います。私の辞書には見ざる、言わざる、聞かざるは無いのです。(ー_ー)!!  ・・・(^'^)

 

所で・・

ブログ『日本最古のベンガラ彩色耳栓・・呉人が見た球磨人』をご覧になられた宮广(みやま)様から本日(2019/06/23)、大変貴重なプレゼントを頂きました\(^o^)/

ブログ『球磨と古代の製鉄②』で、ご紹介させて頂いた当時の求麻郷土研究会の宮广(みやま)副会長(今は引退なさって、準会員になられていらっしゃいます)です。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12335472032.html

宮广様が自ら球磨で採取されたパイプ状ベンガラを私はプレゼントして頂いたのです!(^'^)

私は宮广様に心から感謝致しました。

 

ご紹介させて頂きます。

球磨郡球磨村一勝地(いっしょうち)の黄檗(きわだ)地区で採取された

パイプ状ベンガラ(液状) と一部赤鉄鉱を含む褐鉄鉱

 

採取地『球磨郡球磨村一勝地の黄檗(きわだ)地区』 の様子

赤い土が液状になっています(p_-)

 

周辺の地層 紫に見える「土」(岩)は崩して磁石をあてると沢山付いてきたそうです。

 

パイプ状ベンガラが乾いた様子(私の家で実験)

黄色く変色しました(p_-)

 

頂いたパイプ状ベンガラは『球磨郡球磨村一勝地の黄檗(きわだ)地区』で採取された物です。つまり!

パイプ状ベンガラは球磨郡内で採取出来る!と言う事を宮广様が証明して下さいました。\(^o^)/ \(^o^)/

「耳栓」が見つかった球磨郡あさぎり町深田(旧深田村)には近年まで「深田鉱山」があり、

「あちらでも取れるでしょう」と宮广(みやま)様はおっしゃっていらっしゃいました。

ただし、頂いたパイプ状ベンガラは液状ですが、彩色する為には、乾かした後、約800度で焼かなければいけないそうです。

つまり、球磨の縄文時代早期(約1万2,000 - 7,000年前)の人達は「その技術を持っていた!

と言う事になります。

凄~い\(◎o◎)/!\(◎o◎)/!

宮广様は、御自分の足で球磨・人吉の至る所を歩き回り、御自分の手で球磨の古代の「形」を復元されていらっしゃいます。
ブログ『
常識を覆した球磨からの出土品 鳥が先か卵が先か・・』でもご紹介した球磨の古代の須恵釜跡(数か所)も、宮广様が発見されました。
敬服と言う言葉では足りない、私が心から尊敬する方です。

今回、大変貴重なプレゼントを頂き、宮广様には心から感謝致しております。

ありがたい応援を頂いた事で、私は今後もしっかりと勉強して行きたい!とあらためて心に誓いました。

所で・・・『球磨郡球磨村一勝地の黄檗(きわだ)地区』

鉄鉱石が採取出来る地の地名 『黄檗(きわだ)』 何だか・・物凄く気になる地名です・・・

 

実は・・別件ですが宮广様が家に来られた事で、私はまた、新たなお導きを受けたようです!

題して(p_-)

孝霊天皇様後裔の方と白髪岳

でございます。

 

宮广様がお帰りになられた後、私はあらためて、ブログ『球磨と古代の製鉄②』を読み返していました。

すると・・この時に書いていた『球磨郡側(あさぎり町)ご鎮座の狗留孫神社様」について、とても気になり始めました・・・。 ブログを書いた当時の私は・・

江戸時代中期に編纂の「麻郡神社私考」には上記のあさぎり町上村の白髪岳麓にご鎮座の狗留孫神社様の御祭神に
「影向之神三座(よごうの神)」と記されていて
東ハ霧島神 
中ハ狗留孫権現
西ハ阿蘇神
と記されています。
「影向之神(よごうの神)」  
どう言う意味だろう??? 今後考えてみます(..)

 

と書いたきり、あらためて考える事をしていなかった事に気が付きました。

早速「影向之神(よごうの神)」 とは?と調べてみました。

 

Weblio辞書様サイトより 『影向とは?

https://www.weblio.jp/content/%E5%BD%B1%E5%90%91

 

 仏・菩薩また神などが仮の姿をとって人々の眼前に現れること。また、その姿。
 貴人などが来ること。また、現れることや来ることをしゃれていう語。

影向
読み方:エイゴウ(eigou)
仏・菩薩また神などが仮の姿をとって人々の眼前に現れること

ようこう 【影向】
ヨウゴウとも。影臨・降臨・影現ともいい、仏・菩薩が衆生救済のため、この世に姿を現す

こと。

 

あさぎり町の狗留孫神社様の御祭神

「影向之神三座(よごうの神)」
東ハ霧島神 
中ハ狗留孫権現
西ハ阿蘇神

仏・菩薩また神などが仮の姿をとって人々の眼前に現れること・・

ヨウゴウとも。影臨・降臨・影現ともいい・・・

あれっ!?? 非常に気になり、さらに『狗留孫権現』様について調べました。

 

狗留孫峡 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E7%95%99%E5%AD%AB%E5%B3%A1

狗留孫峡(くるそんきょう)は、宮崎県えびの市を流れる川内川上流部にある約10 kmの峡谷。クルソン峡と表示することが多い。
その源流は熊本県の白髪岳にある。

基盤岩の四万十層を侵食し、断崖は100m以上、岩峰や巨石が所々に見られ、溶結凝灰岩が分布する。原生林で覆われ、ヤマメやオオサンショウウオなどの動物が生息する。キャンプ場の施設もあり、バイクでツーリングする姿も見られる。谷の奥には栄西熊野三所権現を勧請して建立した、日本で2番目に古い禅寺端山(はやま)寺」跡もある。地元では親しみを込めて「オクロソン(オクルソン)」とも呼ぶ。

 

谷の奥には栄西熊野三所権現を勧請して建立した、日本で2番目に古い禅寺

「端山(はやま)寺」跡

 

拘留孫仏誕生窟
過去七仏の一人「拘留孫」が生まれたとされる場所。1,300年前から修行者の姿があったと伝えられる。

石卒塔婆(狗留孫岩)
ここに八大龍王の中の2龍王、健磐(たていわ)と娑伽羅(しゃがら)がいた。

健磐龍王が拘留孫仏に願って、22メートルほどの高さの石卒塔婆を山中に建てた。大変喜んだ娑伽羅龍王は観音菩薩にお願いして、15メートルほどの高さの石卒塔婆を建てた。拘留孫仏が立てた石卒塔婆には大般若経が書かれ、この岩を拘留孫仏の化身としてあがめた。観音菩薩が建てた方は観音石とも呼ばれ法華経が書かれている。

 

谷の奥には栄西熊野三所権現を勧請して建立した、日本で2番目に古い禅寺

「端山(はやま)寺」跡

 

栄西 ウィキペディアより

明菴栄西 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E8%8F%B4%E6%A0%84%E8%A5%BF

明菴栄西(みょうあん えいさい/ようさい、永治元年4月20日[注釈 1](1141年5月27日) - 建保3年7月5日(1215年8月1日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。

日本における臨済宗の開祖、建仁寺の開山。

天台密教葉上流の流祖。字が明菴、諱が栄西。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。

 

永治元年(1141年)4月20日、吉備津神社権禰宜・賀陽貞遠の子として誕生。

生地は備中国賀陽郡宮内村とされるが、他説として同郡上竹村もある。

曽祖父は薩摩守・賀陽貞政。

 

久寿元年(1154年)、14歳で比叡山延暦寺にて出家得度。以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。行法に優れ、自分の坊号を冠した葉上流を興す。

仁安3年(1168年)、形骸化し貴族政争の具と堕落した日本天台宗を立て直すべく、平家の庇護と期待を得て南宋に留学。天台山万年寺などを訪れ、『天台章疎』60巻を将来する。当時、南宋では禅宗が繁栄しており、日本仏教の精神の立て直しに活用すべく、禅を用いることを決意し学ぶこととなった。

文治3年(1187年)、再び入宋。仏法辿流のためインド渡航を願い出るが許可されず、天台山万年寺の虚庵懐敞に師事。

建久2年(1191年)、虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。九州の福慧光寺、千光寺などで布教を開始。また、帰国の際に宋で入手した茶の種を持ち帰って栽培を始め、日本の貴族だけでなく武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作ったと伝えられる。

建久5年(1194年)、
禅寺感応寺 (出水市)を建立。大日房能忍の禅宗が盛んになり、天台宗からの排斥を受け、禅宗停止が宣下される。建久6年(1195年) 博多に聖福寺を建立し、日本最初の禅道場とする。同寺は後に後鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を賜る。栄西は自身が真言宗の印信を受けるなど、既存勢力との調和、牽制を図った。

以上 ウィキペディアより

 

球磨の白髪岳を源流とする「川内川」上流部狗留孫峡の『日本で2番目に古い禅寺「端山(はやま)寺」跡』

一番古い禅寺は建久5年(1194年)建立の鹿児島県出水市の感応寺である事が解りました。さらに、その後、建久6年(1195年) 博多に聖福寺を建立し、日本最初の禅道場とする。

非常に気になるのは栄西、この方が白髪岳山中に熊野三所権現を勧請して建立された事です。

 

栄西 永治元年(1141年)4月20日、吉備津神社の権禰宜・賀陽貞遠の子として誕生。
生地は備中国賀陽郡宮内村とされるが、他説として同郡上竹村もある。
曽祖父は薩摩守・
賀陽貞政

 

賀陽氏 を 調べました。

参考 日本の苗字七千傑様サイト 【吉備氏】 姓氏類別大観 より

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01205.htm

【吉備氏】
孝霊天皇の皇子吉備津彦命は四道将軍として異母弟の若建吉備津彦命とともに吉備国へ派遣される。
その後、吉備国に留まり吉備氏族として繁衍して下道、上道、賀陽、三野、笠、苑などの諸氏に分流。

 

《賀陽氏/上道氏》   姓氏類別大観

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01205a.htm

 

系図を拝見すると「栄西」 この方のお名前がしっかりと記されていました。

 

つまり、球磨郡あさぎり町にそびえる「白髪岳」

反対側えびの市の白髪岳山中には、孝霊天皇様の後裔『賀陽氏』でいらっしゃる『栄西』この方が熊野三所権現を勧請して建立された事がようやく理解出来ました。

 

球磨側にも狗留孫神社様がご鎮座。

御祭神
影向之神三座(よごうの神)
東ハ霧島神 
中ハ狗留孫権現
西ハ阿蘇神

影向之神 影向とは

仏・菩薩また神などが仮の姿をとって人々の眼前に現れること・・
ヨウゴウとも。影臨・降臨・影現ともいい・・・

 

どうやら・・孝霊天皇様の後裔『賀陽氏』の方々も球磨や白髪岳に纏わる「真実」を御存じのように感じてきました・・・

白髪岳について数年前に関東在住の歴史研究家の方から辰韓系の守護山である・・とご教示を頂いた事があります。

辰韓系・・後の『新羅国』ですね・・・

「白髪岳」ですが、山林の約三分の一は国有林等で、残りの三分の二の所有者は

実は家の親戚のお家なのです・・白髪岳の大半を所有する「お家」です・・

白髪岳については・・実は家の親戚一族は無関係ではないのであります(*_*)

だからこそ、『鳥が先か卵が先か!?』のお話は、もしかしたら・・家の親戚一族のご先祖様と何らかの関わりのある話ではないのか!?と気になっております・・(*_*)

 

私の住む集落から見た白髪岳

 

孝霊天皇様の後裔・・・

宮原誠一の神社見聞牒宮原様の最新ブログ

『No.112 河野氏ゆかりの地・福岡県瀬高町堀切の玉垂神社と荒仁宮』では宮原様が

孝霊天皇様の後裔『河野氏』についてを御推考されていらっしゃいます。

https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12480749359.html

 

孝霊天皇様の後裔でいらっしゃるのは・・

百済王威徳王から二位達率(だっそつ)と極めて高い官位を与えられた倭系百済官僚であった「日羅」 この方も孝霊天皇様の後裔でいらっしゃいます。

ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85

 

日羅(にちら、? - 583年12月)は、6世紀朝鮮半島にあった百済の王に仕えた日本人。父は

火(肥後国)葦北(現在の葦北郡と八代市)国造刑部靭部阿利斯登(ゆげいべのありしと)
父阿利斯登は宣化天皇の代に朝鮮半島に渡海した大伴金村に仕えた九州出身の武人で、日羅は百済王威徳王から二位達率(だっそつ)と極めて高い官位を与えられた倭系百済官僚であった。

父 国造刑部靭部阿利斯登(ゆげいべのありしと)

ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%A6%E5%8C%97%E9%98%BF%E5%88%A9%E6%96%AF%E7%99%BB

 

火葦北阿利斯登(ひ の あしきた の ありしと、生没年不詳)は、日本古代(6世紀)の豪族。

刑部靫部阿利斯登(おさかべ の ゆげい ありしと)ともいう。姓は君。

肥後国の葦北(現在の熊本県葦北郡および八代市)の国造であった有力な首長であり(『先代旧事本紀』「国造本紀」によると、景行天皇の時代に、吉備津彦の子の三井根子命が、国造になった、とある)、
刑部(允恭天皇の皇后、忍坂大中姫にちなむ名代)の管理者であり、
靫負部(ゆげいべ)として、朝廷の親衛軍として王族に近侍する役目を負った。

 

参考 日本の苗字七千傑様サイト 【葦北国造】 姓氏類別大観 より

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01235.htm

景行朝、吉備津彦命の子三井根子命が葦北国造に任じられ、後に日奉部、日奉直、日奉宿禰を賜姓される。

 

系図を拝見すると刑部靫負部とあるのは「火葦北阿利斯登」この方のおじい様からでいらっしゃるようです。

 

実は・・私、ずっと気になっていた事があります(p_-)

靫負部(ゆげいべ)として、朝廷の親衛軍として王族に近侍

  する役目を負った。

朝廷の親衛軍として王族に近侍する役目の方が何故?葦北にいらっしゃったのでしょうか??????

 

靫負部(ゆげいべ)・・球磨郡球磨村には靫負に所縁の地名があり球磨郡錦町 京ガ峰横穴群には有名な装飾 「靭・ユギ」を背負った人

ブログ 球磨郡球磨村神瀬(旧神瀬村)の地名 をご覧ください<m(__)m>

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12314802139.html

朝廷の親衛軍として王族に近侍する役目の方が何故?葦北にいらっしゃったのか・・??

何故だろう?? 

葦北と球磨は土地が繋がっている・・

 

最後に・・・

白髪岳のえびの市側「狗留孫峡」には神武天皇様に所縁のお話もありました。

以下のサイト様には美しい清流のお写真が掲載されています(^'^)

球磨郡あさぎり町にそびえる白髪岳を源流とする川内川の上流「狗留孫峡」のお写真です。

http://www.synapse.ne.jp/~matsuosa/hutu/kuruson/kuruson.htm

 

神武天皇も参拝され、ここに五穀の種を御蒔きになられた

神武天皇様が御蒔きになられた五穀の種に御所縁の地名が狗留孫峡から下った、えびの市の「飯野」です。

実は・・えびの市「飯野」は・・私の主人の勤務先であります(^'^)

 

2019/06/25 12:37 追記

そう言えば・・わたし共、宮原の一族も辿れば孝霊天皇様の後裔でありました\(◎o◎)/!

宮原の一族の先祖『橘 公業』は伊予橘氏であり、伊予橘氏とは、皇統の「橘氏」と孝霊天皇様の後裔「越智氏」との姻戚関係により派生致しました。

参考 日本の苗字七千傑様サイト 【越智氏】 姓氏類別大観

《孝霊帝裔氏族綱要》 をご覧下さい<m(__)m>

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206.htm

今回のブログで書かせて頂いた「吉備氏(賀陽氏)」・「葦北国造」そして「越智氏」・

伊予橘氏」も全て

孝霊天皇様の後裔!

です。\(◎o◎)/!

越智氏は物部大新河から進む「小市国造」の系さらには「紀氏」とも姻戚関係にある事が解ります。

伊予橘氏の系は 日本の苗字七千傑様サイト 越智氏 姓氏類別大観

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206.htm#001

こちらから進んで 「元越智姓 伊予橘氏」をご覧頂ければお解り頂けます。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01201b1.htm#002

※橘公業が薩摩守に任官されたことから、後裔は橘薩摩家と称する。

 

伊予橘氏に見える姓は前回のブログでもご紹介した「矢野氏」がしっかりと記されています。

さらに、わたし共「宮原一族」の系譜もお解り頂けます<m(__)m>

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01201d.htm

 

つまり(p_-) 前回のブログからの流れで解る事は

霧島・球磨・葦北には孝霊天皇様の後裔が

とても深く関わっている!

 

次回『孝霊天皇様と球磨川のかっぱ様 細媛様をお祀りする曾祖母の実家』に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12487098803.html