前回のブログ『シュメール起源 いて座のアルナスルと古代の麻可胡矢と岡原村』 より

続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12438649379.html

 

前回のブログの最後に

次回は松野連系図に記載の「推定」の言葉による「固定観念」に気が付いた事と

「アクソ」山についても書かせて頂くつもりです。

と書きましたが、前回のブログからさらに気が付いた事、検証した事がありますので

こちらを優先させて頂き、今回のブログ内容とさせて頂きます。

<m(__)m>・・・こちらを先に!と、どうしてもDNAが・・マタマタ(ー_ー)!! とのお声が何処から・・・

 

前回書かせて頂いたように

岡原村の儀式

嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

が気になって、調べた所・・・

中国の二十八宿の第7宿箕宿に繋がり、さらに・・箕宿とは

古代シュメール起源のいて座の「弓」と「矢」の部分である事まで解りました。

 

ここで、思考が止まりそうになった私に、ありがたいコメントを「風様」より頂きました。

『弓と矢ってシュメールのイシュタル女神が持っていた王権を表す棒と輪(プックとミック)の事だと思っていました。』

風様のコメントにあった『シュメールのイシュタル女神』の御言葉を拝見した私は・・

自分が大きな見落としをしていた事に気が付いたのです!。

 

射手座とおうし座とシュメールの風の神

前回のブログの一部分を再度ご覧ください。

 

箕宿 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AE%BF

箕宿(きしゅく・みぼし)は二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。

距星は いて座γ星

星官(星座)としての箕は、いて座のγ、δ、ε、ηの4つの星から構成される。

 

星官 英語名 解釈 星座 星数
* Winnowing Basket 蒼龍の糞。米を篩いにかけて糠を取り除く農具。また風伯(風の神)を指す いて座 4
Chaff 箕で篩いにかけて残った糠 へびつかい座 1
Pestle 物を搗く さいだん座 3

後漢の応劭『風俗通義』祀典篇に「風師者箕星也。箕主簸揚、能致風気」とあり、周代風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。

 

※箕 いて座 風伯(風の神)を指す ・・・完全に見落としていました・・・
射手座はシュメール起源。 シュメールの風の神はエンリル

 

エンリル ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%AB

 

エンリル(シュメール語: 𒀭𒂗𒇸/𒀭𒂗𒆤 - DEnlil/DEnlil2)またはエッリル(アッカド語: DEllil)

は、古代メソポタミア神話に登場するニップルの守護神

シュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者

彼に象徴される数字は50、随獣は怪鳥アンズー。
ヌナムニルという別称もあるが、通常「エンリル」と呼ばれるその名はシュメール語で

< EN = 主人、LIL = 風 >を指し、嵐や力を象徴することから「荒れ狂う嵐」「野生の雄牛」という異名を持つ。

また、至高神の位にあるエンリルはアッカド語で「主人」を意味する「ベール」とも呼ばれ、後にエンリルに代わって至高神となった者たちも、エンリルのように「ベールの称号」を得た。

 

射手座 箕星
γ2星:アルナスル(矢の先端)
δ星:カウス・メディア(弓の中央)
ε星:カウス・アウストラリス(弓の南)

 

※アルナスル(矢の先端)・カウス・メディア(弓の中央)・カウス・アウストラリス(弓の南)風伯(風の神)※シュメールの最高神『エンリル』を表す
つまり、旧久米郷の岡原には古代シュメールの最高神『エンリル』を意識した儀式が残っていたと言う事になります!。

 

さらに気が付きました。こちらも完全に見落としていました!
★後漢の応劭『風俗通義』祀典篇に「風師者箕星也。箕主簸揚、能致風気」とあり、

周代に風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。
 

周・・つまり「姫(き)姓」の「国王」国家です!。

※周代に風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。
 

雨師(畢宿)
ウィキペディアをご覧ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A2%E5%AE%BF
畢宿(ひっしゅく)、和名は雨降り星(あめふりぼし)、二十八宿の一つで、西方白虎七宿の

第5宿。距星はおうし座ε星。

 

星官
主体となる星官(星座)としての畢は、おうし座のε、48番、δ、γ、α、θ1、71番、λの8つの星によって構成される。

 

畢宿には15の星官がある。

星官 英名 意味 星座 星数
Net 網が小さく柄が長いウサギを捕える網、或いは雨師(雨の神) おうし座 8
附耳 Whisper 皇帝のすぐそばで話をする、或いは野獣の音に耳を澄ます狩人 おうし座 1
天街 Celestial Street 日月や惑星が通る天上の道 おうし座 2
天高 Celestial High Terrace 天文観測用の高台 おうし座 4
諸王 Feudal Kings 王室の姪孫(兄弟の孫) おうし座 6
天関 Celestial Gate 日月や惑星の通る門 おうし座 1
天節 Celestial Tally 玉や銅や木や竹で作った割り符。関所を出入りするときに使った証明書で、二つに分け、右半分を中央に残し、左半分を国境警備に渡し、使者を出すとき右半分を渡し、関所を通過するときに真偽を確かめる おうし座 8
五車 Five Chariots 5台の車、或いは五帝の駐車場 おうし座 / ぎょしゃ座 5
Pillars 三柱ともいい、五車の内外に並ぶ馬をつなぐ杭 ぎょしゃ座 9
咸池 Pool of Harmony 太陽の沐浴する場所 ぎょしゃ座 3
天潢 Celestial Pier 天横とも書き、銀河の橋または渡し場 ぎょしゃ座 5
参旗 Banner of Three Stars 参宿の持つ旗、または弓矢 オリオン座 9
九州珠口 Interpreters of Nine Dialects 翻訳人員 エリダヌス座 9
九斿 Imperial Military Flag 皇帝の軍旗、斿とは旒と同じで、旗の下に垂れ下がる飾り紐 エリダヌス座 9
天園 Celestial Orchard 野菜や果物を植える畑 エリダヌス座 / ほうおう座 13

 

畢 Net 網が小さく柄が長いウサギを捕える網、或いは雨師(雨の神)
 

畢宿(ひっしゅく)の中の
参旗       Banner of Three Stars       参宿の持つ
、または弓矢 オリオン座
 

雨師(雨の神)
『エンリル』 再度 ウィキペディアをご覧ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%AB

性格より
嵐や風と密接に結びついていると言ってもよい。大規模な撃滅を招く一方で、
嵐は恵みの雨をもたらし、風は季節の変わり目を伝え帆を膨らませ植物を受粉させる。
伝承より
原初の天空神(=アヌ)から農耕に不可欠な
をもたらす「」と「」の神(=エンリル

つまり、今まで、何度も書かせて頂いた久米郷宮原村の黒原山頂上の雨引神社様

日本から飛び出してシュメールに起源を見ると
シュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者であり最高神でいらっしゃるエンリルをお祀りする神社様』

となりました。

 

★後漢の応劭『風俗通義』祀典篇に「風師者箕星也。箕主簸揚、能致風気」とあり、周代風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。

 

・・つまり「姫(き)姓」の「国王」国家ではシュメールのシュメール・アッカドにおける

事実上の最高権力者であり最高神でいらっしゃるエンリルをお祭りする祭典があったとされる訳です・・

 

さらに、腰が抜けるかと思うほど、驚いた記述を目にしました!

 

畢宿(ひっしゅく)、和名は雨降り星(あめふりぼし)、二十八宿の一つで、西方白虎七宿の第5宿。距星おうし座ε星

 

おうし座ε星とは・・・調べました。

おうし座 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%97%E5%BA%A7

 

おうし座(牡牛座、Taurus)は、黄道十二星座の1つ。トレミーの48星座の1つでもある。
α星は、全天21の1等星の1つであり、アルデバランと呼ばれる。
この星座には、プレアデス星団をはじめ有名な天体が多い。

 

主な天体 恒星 より

私が非常に気になった畢宿(ひっしゅく)『距星はおうし座ε星』 のε星とは・・・

ε星:アイン (Ain) はヒアデス星団に属する4等星で、「アマテル (Amateru)」と名付けられた太陽系外惑星を持つ。アルデバランとともにおうし座の目に当たる位置にある。

「アマテル (Amateru)」

えええええ~っ!! \(゜ロ\)(/ロ゜)/

「アマテル (Amateru)」 の由来は ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%AB_(%E6%83%91%E6%98%9F)

 

名称

この惑星は、バイエル符号に基づいて「おうし座ε星b」]と表記された。また、主星であるおうし座ε星の固有名「アイン」より、この惑星も「アインb」と表記されることもあった。
2015年に国際天文学連合が太陽系外惑星命名キャンペーン「New Exo World」を主催した際、日本のかまがり天体観測館から、日本神話に登場する神の一柱である天照大神にちなんで、この惑星を「アマテラス」と命名することが提案された。これは、この惑星の主星がおうし座の左目に位置していることから天照大神が伊邪那岐命の左目から生まれたとの伝承にちなんだものである。しかし、既に同名の小惑星「アマテラス」が存在したことから、天照大神の異称である「アマテル」に変更された。

 

近年、付けられた「名称」である事は理解出来ました。出来たのですが・・・・

私は、ここまで、

風伯(箕宿)と雨師(畢宿)= エンリル

シュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者であり最高神でいらっしゃるエンリル

を確信出来る・・と考えた上で、雨師(畢宿)の距星「おうし座ε星」を調べていたのです。

そこで、皆様、ウィキペディアの記述、最下部に記された中東の神話における「エンリル」様の御紋章・象徴画像をご覧ください。

Neo-Natib Qadish Symbol.png

 

風伯(箕宿)と雨師(畢宿)= エンリル

シュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者であり最高神でいらっしゃるエンリル様

と・・私はあらためて「確信」いたしました。

この事により

風伯(箕宿)と雨師(畢宿)・・箕と弓と矢と星に近い黒原山の頂上に御鎮座の雨引神社様、私は、此の地「球磨郡久米郷」が古代シュメールと確実に繋がる「地」であると確信致しました。

 

私は今までブログで何度も何度も疑問を書いて参りました。

球磨郡久米郷は
久米物部氏の住めリし處なるべし
と言われたり
天津久米命様、そして大久米命様に関わる古代久米族の元祖的本拠地である
と言われたり

 

日本の祭祀に直接関わる天皇様。
天皇家に伝わる祭祀は古代物部氏の祭祀をそのまま継承なさっていらっしゃる
と父はいつも言っています。
さらに、大嘗祭や即位の礼で奉納される「久米舞」・「久米歌」

「即位の礼」と言う国をあげたとても大切な儀式に
「久米」に関わる「舞」や「歌」が神々様に奉納される事

 

どうして「久米舞」・「久米歌」が奉納されるのか?
どうして「球磨郡 市房山」の杉・ケヤキは皇居宮殿で使用されているのか?
どうして「伊勢神宮」の式年遷宮の為の「杉」が「市房山」で生育されているのか?
どうして「幕府降伏王政復古の令旨」が江戸時代初期に「親王様」より球磨の地に下されたのか?

どうして「”その”令旨」に伴う、祈願の為の神社の中興・寺社創建等、数々の「行動」が球磨郡久米郷宮原村で行われたのか?

どうして「”その”神社の中興」が宮原村伊勢本の「皇大神宮」様であり宮原村の黒原山頂上の「雨引神社」様であったのか?

 

今回、調べた事が私の疑問に直結していると思いました・・

 

以前、ブログ『本題 山部王 そして球磨(古代久米)と山部 』の中で

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12328855951.html

伊予国一宮大山祇神社 宮司家の三島敦雄氏が昭和二年に書かれた著書
『天孫人種六千年史の研究』の中に

『久米連・久米部のクメはスメル語のクメで武具の意』と記されていた事を書かせて頂いていました・・・

 

実は今回、シュメール・・いえ、バビロニア地域と古代のヘブライ つまりメソポタミアを

簡単にですが、勉強させて頂いたのです。

今までは、こちらの地域の事を勉強してもすぐに頭が混乱してしまうのが現状だったのですが

今回、何故か突然 「頭を整理する事」が出来るようになりました。

 

沢山理解出来た事の中で、驚いた事の一つ・・次回書かせて頂く事なのですが

バビロンのハンムラビ王「アモリ人」だったのですね・・・

「アモリ」は球磨に数か所御鎮座の神社様のお名前であります・・・

次回詳しく書かせて頂きます(..)

 

最後に

ブログ『宮原誠一の神社見聞牒』宮原様は『No.093 阿蘇津姫を祀る田主丸町竹野の阿蘇神社と大麻』の中で

https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12439652578.html

 

『私も、ここ熊本県球磨の地が古代祭祀の起源の地と思っています。』

 

とお書き下さいました。私はこの御言葉がとても心強い励みとなり、今回の調査を進めました。

 

前回のブログにコメント下さった「風様」の御言葉で、私は見落としていた「重要な事」に気が付かせて頂きました。

次回書かせて頂く「アモリ」について気が付かせて下さった方は、ブログ「九州遺跡紀行」の

スタルペス様です。 

 

宮原様、風様、スタルペス様には、心よりお礼申し上げます。

ありがとうございます。

 

私は、見えない大きな御力、そして皆様方の御力で、確実に「真実」に向かっていると確信しています。

私のブログをご覧下さっている皆様方にも心よりお礼申し上げます。

皆様方、ありがとうございます。

 

ひろっぷは、これからも前進続けます!

 

前回のブログ『古代より球磨で湧きだす「塩水」。さらに「アクソ山」について』

より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12437519056.html

 

初めに

前回、前々回と、『古代中国の都市国家及び地名』と球磨郡を例にあげた関わりを書いていますが、皆様にぜひ、御理解して頂きたい事があります。

私は・・・古代中国の私が着目する「方々の系」が『その地』から始まったとは考えていません。『その方々』のもっと遡った先には、かならず『メソポタミア』や『エジプト』が存在している と考えています。そう・・『その地』よりも、もっともっと『西』に起源があると考えているのです。

だからこそ、今までのブログの中でも特にその意識をアピールしたかった

父が歌うバビロニアの歌・・? 

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12403868777.html

以降、関連する記事を数回続けて書かせて頂いていました。

私がいつも書く所の 古代 → 中世 → 近代 は繋がっている・・の古代とは

日本の古代だけではなく、もっともっと遡った中国・インド・カンボジア等・・よりも、もっと『西』

『メソポタミア』以西の事を指しているのです・・・

 

と言う事で、今回は、古代と地元の関係『マタマタ気が付いてしまいました!』と言う事を

書かせて頂きます(p_-)

DNAが今回気が付いた事を優先するように「指示」を出されているようなので

(マタマタ(ー_ー)!! と全国からお声が・・)

「アクソ山」については次回書かせて頂きます。

 

今回気が付いた事とは

地元岡原村に伝承された神事・儀式は古代に繋がる

と言う事であります。

早速書かせて頂きます。

 

ブログ『御教示へのお礼 及び 弓を用いた旧岡原村での 儀式』で私は昭和48年~49年1月頃岡原霧島神社の宮司であった横瀬安住氏がお話になられた岡原村の祭祀と風習を書かせて頂きました。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12409467784.html

 

(岡原村)民族資料 横瀬安住氏談
①子供名付けの儀式
嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。
 

②七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)
 

③弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった。明治四十年頃、横瀬氏はその席に列席したことがある。
他、家の棟上げに弓矢をつくり、鬼門、鬼門裏に立てるのも同じ趣旨と思う。

と免田郷土研究会 郷土 第二号 昭和49年2月発行に記されていたのですが

ここ数日、どうしても、上記の儀式が気になり、調べてみました(p_-)

 

1.子供名付けの儀式 『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』

嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

 

基本的な事が全く理解出来ていない私は、まず『手箕』とは一体何かを調べました。

手箕・・箕 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95

 

箕(み)は、脱穀などで不要な小片を吹き飛ばすことを主目的として作られる平坦なバスケット形状の選別用農具(農作業で使う手作業用具)であり、民具。機械式の脱穀用具と区別して手箕(てみ)とも言う。

 

(p_-)・・一体何故この選別用農具「手箕(てみ)」が神社で行われる儀式と関係あるのか?

そこで、ウィキペディアの記述を読み進めると、『特記事項』の中に、とても興味のある記述を見つける事が出来ました。

 

初誕生 長野県佐久地域には箕を使用し、幼児の成長を願う初誕生の行事がある。

箕の中に幼児を入れ、杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり、大人がゆすりながら「粃(しいな)は舞出ろ実は残れ」と歌い、邪気をはらう。

 

岡原の風習は名付けの儀式として『嬰子に手箕をかぶせ』、長野県佐久地域では初誕生日の時に『箕の中に幼児を入れ』、共に幼児の成長を願う儀式でありました。

しかし、違いは長野県佐久地域では『杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり』とありますが、岡原では『弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た』とあります。

岡原は・・・『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』です・・・

と考えていると、同じくウィキペディアの『特記事項』の記述にとても気になる事が書かれていました。

 

箕宿
箕宿は中国天文学における二十八宿の一つであるが、ここでの「箕」は本項の「箕」のことである。

 

本項の「箕」すなわち『手箕(てみ)』と中国天文学『二十八宿』・・・

凄く興味が湧いてさらに調べました(p_-)

 

二十八宿 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BF

 

二十八宿(にじゅうはっしゅく)とは、天球を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。

二十八舎(にじゅうはっしゃ)ともいう。またその区分の基準となった天の赤道付近の28の星座(中国では星官・天官といった)のこと。中国の天文学・占星術で用いられた。

江戸時代には二十八宿を含む多くの出版物が出され、当時は天文、暦、風俗が一体になっていたことが、多くの古文書から読み取れる。
28という数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である27.32日に由来すると考えられ、1日の間に、月は1つのエリアを通過すると仮定している。

角宿を起宿として天球を西から東に不均等分割したもので、均等区分の十二次と共に天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられた。

二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象(四神あるいは四陸ともいう)に分けられた。
二十八宿は、それぞれの宿の西端の星(距星という。必ずしも明るいとは限らない)を基準とし、その距星から東隣の宿の距星までがその宿の広度(赤経差)となる。

『漢書』「律暦志」 以降、二十八宿は度数をもって表されたが、その周天度は360度ではなく、1太陽年の長さ、すなわち365度で表された。 中略・・・

考古学上、二十八宿の名称が整った形で発見されたのは、1978年、湖北省随県で発掘された戦国時代初期(紀元前5世紀後半)の曾侯乙墓(曾国の乙侯の墓から出たものが最古である。そこで発見された漆箱の蓋には青竜・白虎と朱書きされた二十八宿の名称のある図があった。

日本における最初の二十八宿図は、7世紀から8世紀頃に造られた高松塚古墳やキトラ古墳の壁画で白虎などの四神の図と共に見つかっており、中国の天文学体系がこの頃には渡来していたことを伺わせる。

 

二十八宿一覧 より

☆東方青龍 箕宿 距星は 「いて座γ星」

 

箕宿 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AE%BF

箕宿(きしゅく・みぼし)は二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。

距星いて座γ星。

星官(星座)としての箕は、いて座のγ、δ、ε、ηの4つの星から構成される。

 

星官 英語名 解釈 星座 星数
* Winnowing Basket 蒼龍の糞。米を篩いにかけて糠を取り除く農具。また風伯(風の神)を指す いて座 4
Chaff 箕で篩いにかけて残った糠 へびつかい座 1
Pestle 物を搗く さいだん座 3

後漢の応劭『風俗通義』祀典篇に「風師者箕星也。箕主簸揚、能致風気」とあり、周代に風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。

 

ビックリしました!『棒』が記されています。

長野県佐久地域では『杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり』 ・・・が登場しました!

 

では・・岡原の風習は『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』です

矢・・・いて座・・? !!!

 

中国天文学『二十八宿』 箕宿

☆東方青龍 箕宿 距星は 「いて座γ星」

いて座γ星とは? ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A6%E5%BA%A7%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E2%E6%98%9F

 

いて座γ2星 (γ2 Sgr) は、いて座の恒星で3等星。

近くに見える5等星のγ1星は、太陽系から1,500光年以上とこの星の15倍以上遠くにあり、見かけの二重星の関係である。
この星とδ星を結ぶ線分を同じ長さだけ西側に伸ばし、そこから1.5度ほど北を見ると、天の川銀河の中心部に辿り着く。

名称
固有名はアルナスル (Alnasl)。これは、アラビア語で「矢じり」を意味する al-naşl に

由来する。

 

\(◎o◎)/! 

箕宿 距星 いて座γ星 (アルナスル) アラビア語で「矢じり」を意味する

「矢じり」です!!! 岡原の神事・儀式と繋がって参りました!!

 

そして・・もう皆様すでにお気づきと思いますが(p_-) 「いて座(射手座)」

いて座 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A6%E5%BA%A7

 

いて座(射手座、Sagittarius)は、黄道十二星座の1つで、トレミーの48星座の1つでもある。冬至点や銀河の中心がこの星座の領域にある。

比較的明るい星は、射手の上半身に集中しており、下半身は4等星以下の暗い星ばかりである。その明るい星々であるγ星-δ星-λ星-φ星-σ星-τ星-ζ星-ε星をつないでできる星の並びを近年の英語圏では Teapot (ティーポット)と呼んでいる。

Teapot のうち前半部のγ星、δ星、ε星にη星を加えてできる四辺形は中国の二十八宿の第7宿箕宿である。アラビアでは al-Naʽām al-Wārid と呼ばれ、天の川の水を飲みに来たダチョウ(の一群)と見られていた。
後半部のλ星-φ星-σ星-τ星-ζ星にμ星を加えると、枡を伏せた柄杓に見える。ここは二十八宿の第8宿斗宿である。北斗に対して「南斗」ともいい、南斗六星として知られている。

日本では南斗六星のうち、枡にあたるφ星-σ星-τ星-ζ星の4星をミボシ(箕星)と呼ぶ地方がある。

 

★前半部のγ星、δ星、ε星にη星を加えてできる四辺形は中国の二十八宿の第7宿 箕宿

恒星 から

γ2星:アルナスル(矢の先端

δ星:カウス・メディア(弓の中央

ε星:カウス・アウストラリス(弓の南)は、いて座で最も明るい恒星

 

つまり・・・いて座の「弓」と「矢」の部分が『箕宿』

岡原の神事・儀式は

『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』

やった!!やりました!!! 繋がりました!!\(◎o◎)/!

 

さらに「いて座」についてウィキペディアの記述より

由来と歴史
いて座の設定は古く、シュメール文明に起源を持つとするのが定説である。

バビロニアのネブカドネザル1世時代(紀元前1300年頃)のものとされる境界石標には射手と馬ならぬサソリが合体し、さらに羽根を生やしている蠍人間として描かれている。 

アッシュールバニパル時代にはパ・ビル・サグと呼ばれ、半人半馬で蠍の尾を持った姿で

「ギルガメッシュの叙事詩」にも登場する。

画像 ウィキペディアより

Sidney Hall - Urania's Mirror - Sagittarius and Corona Australis, Microscopium, and Telescopium.jpg

 

岡原村の儀式

嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

が気になって、調べた所・・・

中国の二十八宿の第7宿箕宿に繋がり、さらに・・箕宿とは

古代シュメール起源のいて座の「弓」と「矢」の部分である事まで解りました!

何だか・・岡原村では、古代シュメールまで繋がる重要な儀式が伝承されていたようです(p_-)

 

2.子供名付けの儀式に使用した『麻殻の矢』と『麻可胡也(矢)』

『麻殻の矢』の麻殻とは? もちろん解らないので調べました(p_-)

すると、とても解りやすく麻殻について記されているサイト様を見つける事が出来ました。

ASAHUKU様サイト 

『麻幹(麻がら、おがら)の活用方法について(まとめ)。とっても奥深いです。』 です。

https://asafuku.net/?p=3541

 

勝手ながら、ASAHUKU様サイト 『麻幹(麻がら、おがら)の活用方法について(まとめ)。』

より、私が非常に興味が湧いた記述を抜粋させて頂きました(..)

 

日本人に精神面でも実生活においても欠かすことができない麻がら。

ヘンプの茎を中が空洞になっていますが、拡大すると、表面は繊維部になっており、その繊維部と空洞の間(白っぽいところ)は木質部と言われます。

この木質部を乾燥させたものを「おがら(麻幹、麻がら)」といいます。

お盆の迎え火、送り火では、オガラで火を焚きますね。お盆時期には、ホームセンターやお花屋さん、スーパーなどで販売されています。これは大麻のオガラです。

大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められています。

お祭りの松明(たいまつ)
お祭りの松明として全国各地で使われてきました。例えば、岐阜県神戸(ごうど)地方のお祭り。無数の松明(オガラ)の明かりに照らされて、神社から担がれた「神輿」が「お旅所」に奉安される「火まつり」だそう。オガラがなければ、お祭りが成立しません。

以上 ASAHUKU様サイトより 抜粋

 

★大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められています。

お盆の迎え火・「火まつり」に使用される大麻の「麻殻」

 

しかし「麻殻」の矢については記述がありませんでした・・・

 

そこで、「矢」について調べたのですが ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2

 

神事 の記述には

葦(アシ)の茎と桃の木で出来ていた『葦矢(あしや)とは桃弓(ももゆみ)』

桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢

『蓬矢(ほうし)とは桑弓(そうきゅう)』

は記されていたのですが「麻殻」の「矢」については記されていません。

しかし・・

儀矢
神社の神事用として、神宝、威儀物、神幸等に使う矢を「儀矢」(ぎや)という。

征矢(そや)、雁股矢(かりまたや)、鏑矢(かぶらや)の三種がある。

やがらは黒漆塗、矢筈は水晶、筈巻・下作共に紅、羽根は白羽根二片とし、平やなぐいまたは、壷やなぐいに盛るとこになっている

上記の『やがら』とは『矢殻』つまり『麻殻』ではないのか?と思ったのですが、今一つ確証には至りませんでした。

ただ・・一つ 征矢(そや) 祖母の実家の平川家に養子に入って平川家を継いだ高祖父の実家「矢立家」。椎葉村の矢立集落には矢立氏の先祖を祀る「征矢神社(雪矢神社)」が御鎮座です。 征矢(そや)とは神事の儀矢でもあった・・と言う事が解りました。

 

さらに「麻」と「矢」の関係を調べた所・・ついに気が付いたのです。

麻可胡也 です。

真鹿児矢 コトバンク様より

https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E9%B9%BF%E5%85%90%E7%9F%A2-633358

 

精選版 日本国語大辞典の解説 より

名〙 「古事記」などに見える矢の名。どのような矢かは不明。

一説に狩猟用の矢で、鹿・猪などの大獣を射るのに用いた矢。また、鹿の角で矢筈・鏃(やじり)を作ったもの、輝く矢、立派な矢の意から金属製の矢とも。あまの真鹿児矢
※万葉(8C後)二〇・四四六五

「梔弓(はじゆみ)を 手握り持たし 麻可胡也(マカゴヤ)を 手挟み添へて」

 

麻可胡也(マカゴヤ) = 真鹿児矢

 

天の真鹿児矢(読み)あまのまかこや コトバンク様より

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%9C%9F%E9%B9%BF%E5%85%90%E7%9F%A2-2003329

 


「古事記」に見える矢の名で、語義未詳。一説に、鹿などを射る立派な矢の意。

あまのかぐや。
※古事記(712)上「故(かれ)、爾(ここ)に天忍日命と天津久米命と二人、天の石靫(いはゆき)を取り負ひ、頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を取り佩(は)きて、天の波士(はじ)弓を取り持ち、

天之真鹿児矢(あまのまかこや)を手挟(たばさ)みて御前に立ちて仕へ奉りき」

 

★梔弓(はじゆみ)を 手握り持たし 麻可胡也(マカゴヤ)を 手挟み添へて

 

あっ!! 思わず言葉が出なくなる程驚きました・・

天津久米命様が手に握っていらっしゃった「矢」が天之真鹿児矢・麻可胡也(マカゴヤ)

 

麻可胡也(マカゴヤ)とは 『麻殻』で作られた『矢』ではなかったのでしょうか!?

大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められてる。

大麻の『麻殻』で作られた『矢』は悪いものを祓い清める事が出来る『矢』であった・・

天津久米命様。 ここ球磨郡久米郷は古代元祖的久米族の本拠地であったと言われる場所です。

しかし、殆どの解説では天之真鹿児矢(麻可胡也)を小鹿の骨で作られた「矢」であろう・・

と推測が記されています。

ただ・・球磨郡久米郷の神事・儀式で使用されていた『麻殻』の『矢』については、もちろん

どなたも御存じ無いでしょうから、言及されている方はいらっしゃいませんでした・・・

 

私が天津久米命様、そして大久米命様に拘るのは、古代シュメール系モン・クメール人の方々が長江の下流に住されていて、この地域は後に、紀元前6世紀には呉の国が

支配していたからです。

古代シュメール系モン・クメール人の方々が、日本に渡って来た古代元祖的久米族で

あるといった説があります。

大久米命様は「黥(さ)ける利目(とめ)」とあり、目のまわりに入れ墨をしていた・・・

つまり、句呉王(後の呉)太伯公と同じ・・入れ墨です。

そして、球磨郡久米郷の『久米殿』の御先祖様のお名前は諱『市房』。

市房山は夫差王を斎祀る山

つまり、久米殿(久米族)は夫差王に関わる系の方々と言う事になります。

私は、古代球磨郡久米郷を本拠地にされていた古代シュメール系モン・クメール人の

久米族と呉王の系の方々はきっと繋がりがある・・と考えるのです。

単なる『軍隊』とはどうしても考えられません・・・

 

今回、私の住む「岡原地区」に伝わった「神事」と「儀式」を調べた結果、

岡原の神事・儀式 は シュメール → 中国 → そして球磨郡久米郷に繋がる事が良く理解出来ました。

 

②七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)
③弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった。

こちらの風習・儀式も今後詳しく調べたいと思っています。

 

次回は松野連系図に記載の「推定」の言葉による「固定観念」に気が付いた事と

「アクソ」山についても書かせて頂くつもりです。

 

次回 『スメル語で武具「クメ」とシュメールの風と嵐(雨をもたらす)神、さらに球磨の

「アモリ」について』に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12440043577.html

前回のブログ『大発見!呉国の首都「姑蘇」”王墓虎丘”近隣には平河(平川)地名が多数』

より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12436957817.html

 

前回

★呉国の首都「姑蘇」
★呉王闔閭(こうりょ)の墓「虎丘」
★蘇州市 姑蘇区 平河路・平川路

 呉国の首都「姑蘇」、「王墓虎丘」の近くには「平河路」・「平川路」の地名が見えました。

 

地名は必ず動いているはずだ!・・と考えてかなり以前から気になっていた「不思議な山」の名『多良木町槻木 アクソ山』の”アクソとは一体何なのだろう?と視点を海外に向けて調べたら新たな発見がありました。

アクソ山」については後半で書かせて頂きます。

 

まずは、見落としていた『球磨で湧きだす「塩水」』について書かせて頂きます。

 

球磨で湧きだす「塩水」潮神社

球磨郡湯前町に潮神社が御鎮座です。

潮神社は球磨では有名で別名「おっぱい神社様」とも呼ばれています。

湯前町商工会様のサイトを拝見すると

http://yunomae-shoko.com/index.php?%E6%BD%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E5%A1%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

潮神社

祭神はウガヤフキアエズノミコト。
宮崎にある鵜戸神宮と同じ神様です。

社殿の改築は、100年ごとに行われ、明治初期の改築に寄付をした人たちの名前を見ると、地元だけではなく球磨一円に知らていた神社であったことがわかります。
昔から、おっぱいを型どったものを作って参拝するとお乳の出がよくなると言われ、子宝や子育てにご利益があるとされています。

この辺りの地名が「潮山」、神社の名前が「潮神社」なのは、湧き水がしょっぱくて山の中なのに塩が出ると珍しがられたからだといわれています。

以上 湯前町商工会様のサイトより

 

潮神社に記された由来記が サイト九州大図鑑様のブログで紹介されていました。

http://daizukan9.blog63.fc2.com/blog-entry-882.html

 

サイト『九州大図鑑』様より

潮神社由来記
潮神社は湯前町の東部湯前駅より約三粁潮山の麓にある無各社であるが祭神は日向国鵜戸神宮の祭神鵜草葦不合尊と同体である。

創立年月日は詳でないが六百年前の永享年間に再興せられたものと語り伝えられている。

潮池は面積三坪にして草莽におおわれ満々と潮水を湛えている。

三百五十年前元和年間相良家の藤原頼兄なるもの初めて参詣し潮を見て甚だ奇とし浚渫せしめ其後毎年八月頃池を渫えたと云う。

殿の改築は百年毎に相良の家老職がその主管となり施工していたのである。

現社殿は昭和三十年萱葺を瓦葺として改築したが大体の骨組は明治初期に建造されたもので釘等を見ても昔の鍛冶屋製でその古さが覗えられるのである。

この社殿は古来球磨一円の産土神、婦女子の守護神の鎮座ましますところとして普く知られている。

乳の型を自分の年令の数作って参詣すれば霊験あらたかであると謂われている。

明治初期のころの改築寄附版に郡内市町村の有名人の名が書かれているのを見て球磨一円に知られた神社であったかが判ると思う。現在に於いても他町村からの参詣者があるのを見てもその由来を知ることができるものである
昭和四十七年十二月謹書

 

以上 サイト『九州大図鑑』様より

 

補足

原文(写真)には『三百五十年前元和年間相良家の祖藤原頼兄なるもの』と記されていますが、350年前の藤原頼兄とは、私のブログで頻繁に登場する相良家筆頭家老「犬童頼兄

(相良清兵衛)であり、相良家の祖とは異なるので、おそらく神社の御由緒書きが一部誤って伝わったものと私は推測して「祖」の記述を外させて頂きました。

 

御由緒書きで解る事

①湯前”潮山”の麓「潮神社」 御祭神は鵜草葦不合尊様

②創立年月日は詳でないが六百年前の永享年間(1429年~1441年)に再興せられたものと語り伝えられている。

”潮山”の潮池は面積三坪にして草莽におおわれ満々と潮水を湛えている。

④藤原頼兄(犬童頼兄※相良清兵衛)が初めて参詣し潮を見て甚だ奇とし浚渫せしめ其後毎年八月頃池を渫えたと云う。

⑤社殿の改築は百年毎に相良の家老職がその主管となり施工していた。

⑥社殿は古来球磨一円の産土神、婦女子の守護神の鎮座ましますところとして普く知られている。乳の型を自分の年令の数作って参詣すれば霊験あらたかであると謂われている。

 

私は湯前の潮神社についてはもちろん知ってはいたのですが、ここから深く「古代」について考える事を行っていませんでした・・・

ところが・・・

ブログ 『ひぼろぎ逍遥』の古川様が、私が見落としていたとてつもなく重要な事を気が

付かせて下さいました。

実は、 『ひぼろぎ逍遥』の古川様が数日前から米良そして球磨の神社様の調査の為に球磨にお越しになられていました。

私も米良の狭上稲荷神社様に御一緒する予定だったのですが、主人の休みが重なり所用が出来た為、残念ながら御一緒する事が出来ませんでした。

2月2日の夜、古川様からお電話を頂き

「湯前の潮神社はとても重要な神社ですよ!海の沿岸部まで行かずとも球磨では

(ミネラル)が採れていた。塩(ミネラル)が摂取出来るからこそ、女性の出産、子育てには重要だったのです。古代を考えると球磨は塩をも採れる土地だった」 

とお話を頂きました。

古川様は宮崎の鵜戸神宮近くの「草部吉見神」様をお祀りの神社様との繋がりについてもお話をされていらっしゃいました。

私は古川様からお話を伺い、自分自身がとてつもなく重要な事を見落としていた!と言う事に気が付きました。

 

★”潮山”の潮池は面積三坪にして草莽におおわれ満々と潮水を湛えている。

 

私は、すぐに古代との繋がりを調べました

すると、湯前町が公開しているPDFに、全く知らなかった記述を見る事が出来ました。

https://www.town.yunomae.lg.jp/userimage/4rekimati.pdf

 

3.歴史的環境

(1)旧石器時代

球磨地域は、熊本県下でも有数の旧石器時代の遺跡の密集地帯として知られている。

特に九州縦貫自動車道関連工事に伴う発掘調査が行われた 1980 年代後半以降、調査報告書の刊行とともに全国的に注目されることとなった。
本町では、国道 219 号から南部ふるさと農道を多良木町方面に向かい、潮神社(うしおじんじゃ)の周辺が潮山・クノ原遺跡となっている。
当時の農道建設に伴い、平成 8 年度(1996)から 9 年度(1997)にかけて行われた熊本県による調査において、石器や石材の集中部(ブロック)が認められ、それらが環状に分布しており、当時では九州初となったいわゆる「環状ブロック」を検出した
遺跡の環状ブロックは直径約 20m で、全国的にみると中規模なものと言えるが、旧石器時代に少人数のグループで移動生活を行っていた人類が一時的に集合している状況から、大型動物等を狙った大人数による大規模狩猟や解体を行った痕跡を示すものと考えられている。

 

(2)縄文~古墳時代

球磨地域における縄文時代の特徴として、縄文時代草創期から早期にかけての遺跡確認数の多さを挙げることができる。

この時代の遺跡としては、本町では潮山・クノ原遺跡から主に縄文早期以降の石器が出土しており、石材としては、黒曜石、安山岩、チャート、黒色珪質頁岩(こくしょくけいしつけつがん)が使用されていたことがわかっている。
このうち黒色珪質頁岩は、遺跡の北側を流れる大谷川に産出することから、比較的容易に入手できたと考えられる。
また、大谷川には鉱泉が存在し、現在の鉱泉地点は潮溜池の中にあるため確認できないものの、戦前頃までは鉱泉を沸かした湯治場として賑わいをみせていたとされる。
大谷川の北側には宮崎県日南市にある鵜戸神宮(うどじんぐう)の分社として潮神社があり、この鉱泉との関係があると言い伝えられており、当時の人々はこの鉱泉の効能を知ってこの地に来ていたことも考えられる。

中略・・・

ほかにも、米山(こめのやま)遺跡からは宮崎県を中心に出土する後期の綾(あや)式土器が出土し、東方(ひがしかた)遺跡では石製の玦状(けつじょう)耳飾が出土しており、長尾(ながお)、下辻(しもつじ)、浅鹿野(あざかの)の各遺跡も縄文時代の遺跡として知られている。

※PDFの中には東方(ひがしかた)遺跡で出土した石製の玦状(けつじょう)耳飾と勾玉の写真が掲載されていました。

弥生時代は、下里(しもざと)、上ノ段(うえのだん)、下辻の各遺跡があり、これらの遺跡では、戦前より打製石鏃(だせいせきぞく)をはじめとした多くの遺物が出土していたといわれている。
古墳時代に入ると、町内でも浅鹿野や東方に古墳が造られていったが、石室などは後世の耕作や開発ですでに破壊され、詳しい構造などは分かっていない。

以上 湯前町公式ページより

 

★潮山遺跡・クノ原遺跡

潮神社(うしおじんじゃ)の周辺が潮山遺跡・クノ原遺跡となっている。

旧石器時代からの遺跡であり平成 8 年度(1996)から 9 年度(1997)にかけて行われた熊本県による調査において、石器や石材の集中部(ブロック)が認められ、それらが環状に分布しており、当時では九州初となったいわゆる「環状ブロック」を検出。

大谷川には鉱泉が存在し、現在の鉱泉地点は潮溜池の中にあり大谷川の北側には

宮崎県日南市にある鵜戸神宮(うどじんぐう)の分社として潮神社があり、この鉱泉との関係があると言い伝えられており、当時(縄文~古墳時代)の人々はこの鉱泉の効能を知ってこの地に来ていたことも考えられる。

”潮山”の潮池は面積三坪にして草莽におおわれ満々と潮水を湛えている。

 

さらに潮山遺跡・クノ原遺跡近隣の東方(ひがしかた)遺跡(縄文時代の遺跡)からは

石製の玦状(けつじょう)耳飾および勾玉が出土

現湯前町は 旧球磨郡久米郷湯前村 であります。

 

つまり、満々と潮水(塩水)が湧き出る潮山の潮池の周囲には石器時代から超古代、古代の方々が集まり豊かな生活を形成していた・・と言う事になります。

わざわざ、海の近くに行かずとも、人間の身体に必要な塩分(ミネラル)を摂取する事が出来る土地・・・それが球磨郡であった・・・だからこそ

ブログ『消えた縄文晩期の大都市「球磨」と大国主命様』 で書いたように

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12423455121.html

ブログ『縄文時代晩期『人吉の中堂遺跡』は凄い!遺跡だった』で書いたように

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12427746204.html

ここ、球磨・人吉は縄文晩期終末期には九州第2位の大都市圏であり、西洋風のワンちゃんの土偶を造り、石器製場所まで在り、西日本(近畿地方を含む)で唯一の集落内群構造の認められる例『住居跡63棟』が発見される遺跡等を造った方々が住める場所であったという理由が!私にはようやく理解出来ました。

 

球磨には潮水(塩水)が湧き出ていました。

球磨ではヒスイ・水晶を採掘する事が出来ました。

球磨では鉄の採掘・精製を行う事が出来ました。

球磨では銅の採掘・精製を行う事が出来ました。

球磨では金銀含有アンチモニが採掘出来て、金・銀の精製を行う事が出来ました。

球磨郡中には至る所に球磨川水系のとても清らかな「青い水」が流れています。

 

「石の民」・「鉄の民」・「鉱山を得意とする民」・「勾玉等球を磨く事を得意とする民」・

「麻を植える民」等・・・

石器時代以降、弥生時代直前の縄文時代晩期までに「この地」に様々な「民」(民族)が次々と押し寄せてきた・・

その理由がやっと理解出来ました。

 

ちなみに・・潮山。今では潮湯(しおゆ)となって、県内外からの沢山の方々の身体を癒す温泉となっています(^'^)。

湯前温泉「湯楽里」様 サイト 

『奥球磨の山の中にある海から遠く離れた 珍しい潮湯(しおゆ)です 』・・

http://www.y-yurari.co.jp/page0101.html

 

★石器時代以降、弥生時代直前の縄文時代晩期までに「この地」に様々な「民」(民族)が次々と押し寄せてきた・・

球磨に押し寄せて来られた様々な民族の中の「一系」が何処から来られたのかを「証明」する事が可能なのか!?

多良木町槻木の「アクソ山」。 アクソとは・・・一体何か?

海外に視点を向けたら、偶然か!?

アクソ(阿克蘇)とは新疆ウイグル自治区アクス(アクソ)地区に位置する県級市であり

「アクス(アクソ)」※阿克蘇はテュルクの言語で「白い水」を意味する言葉であり

阿克蘇(アクソ)」は前漢時代の『姑墨国』かつて中国(東トルキスタン)に存在した

オアシス都市国家が存在した場所であった・・

と言う事が解りました。

 

詳しくは次回、しっかりと書かせて頂きます。

と書きましたが・・・2019/02/08追記 

次回、内容を変更して

『シュメール起源 いて座のアルナスルと古代の麻可胡矢と岡原村』

に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12438649379.html

 

今回のブログの最後に

皆様、球磨を流れる球磨川水系の一つ 万江川の水で心を癒して下さい(^'^)