前回のブログ『球磨 あさぎり町の遺跡からの出土品』 より続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12313557213.html
昨日、球磨川沿岸道路を八代方面に車で向かっている途中に
球磨郡球磨村の神瀬で、変わった地名を発見致しました。
球磨村神瀬は江戸時代まで『神瀬村』でした。
この旧神瀬村の国道沿いで
「箙瀬」と言うバス停を見つけました。
何と読むのだろう?と気になり、(ずっと頭から離れませんでした)
今朝、調べた所、バス停付近の一体が
熊本県球磨郡球磨村神瀬(大字)箙瀬
くまむらこうのせ(大字)えびらせ
と言う事が解りました。
「箙瀬」(えびらせ)です。 たけ冠に服と書いて「箙」です。
そこで・・漢字 「箙」(えびら)の意味を調べたのですが
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AE%99
発音[編集]
音読み
呉音 : ブク
漢音 : フク
訓読み : えびら
名詞[編集]
矢を入れて携帯する容器。
「箙」(えびら) ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%99
箙(えびら、英: quiver)とは、
●矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器のこと。矢筒。「やなぐい」とも読む。靫(うつぼ、ゆぎ)とも呼ばれる。wikt:箙を参照。矢を差す箱型の「方立 (ほうだて) 」に、「端手 (はたて) 」と呼ばれる矢を寄せかけるための支えが付き、端手に紐をつけて腰や背につける。
●神社の儀飾としても使用される。「平やなぐい」や「壷胡やなぐい」などが一般的
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地図を見たのですが
https://map.goo.ne.jp/map/address/43513003B35/
球磨川を挟んで、両側に球磨村神瀬 「箙瀬」地区が広がり
「箙瀬」は熊本県芦北郡内にも広がっていて芦北郡芦北町箙瀬となります。
※箙(えびら)とは、
●矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器のこと。矢筒。「やなぐい」とも読む。靫(うつぼ、ゆぎ)とも呼ばれる。wikt:箙を参照。矢を差す箱型の「方立 (ほうだて) 」に、「端手 (はたて) 」と呼ばれる矢を寄せかけるための支えが付き、端手に紐をつけて腰や背につける。
※靫(うつぼ、ゆぎ)とも呼ばれる。
靫(うつぼ、ゆぎ)って・・・・「ユギ」って・・・
私が以前こちらのブログにアップしていた京ガ峰横穴群の装飾にあった”物”ですね!
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12272067315.html
球磨郡錦町 京ガ峰横穴群 装飾 「ユギ」を背負った人
「ユギ」のアップ
そうか・・・
●熊本県球磨郡球磨村神瀬(大字)箙瀬
●熊本県芦北郡芦北町箙瀬
「箙瀬」「靫(うつぼ、ゆぎ)」
矢を寄せかけるための支えが付き、端手に紐をつけて腰や背につける。
芦北と言えば日羅。
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85
日羅(にちら、? - 583年12月)は、6世紀朝鮮半島にあった百済の王に仕えた日本人。
父は火(肥後国)葦北(現在の葦北郡と八代市)国造刑部靭部阿利斯登(ゆげいべのありしと)。
父阿利斯登は宣化天皇の代に朝鮮半島に渡海した大伴金村に仕えた九州出身の武人で、日羅は百済王威徳王から二位達率(だっそつ)と極めて高い官位を与えられた倭系百済官僚であった。敏達天皇の要請により583年日本に帰国し、阿斗桑市(あとくわのいち)の地に館を与えられた。朝鮮半島に対する政策について朝廷に奏上した。
その内容が 人民を安んじ富ましめ国力を充実したうえで船を連ねて威を示せば百済は帰服するであろうことや、百済が九州に領土拡大を謀っているので防御を固め欺かれぬようにすべきこと等の 百済に不利な内容であったため、同年12月に百済人によって難波で暗殺された。物部贄子と大伴糠手子により小郡の西畔丘に埋葬され、後に葦北に移葬されたたとされる。
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父は・・・芦北国造 刑部靭部阿利斯登
「刑部靭部」
靭とは・・靱(矢を入れる道具)
「靫(うつぼ、ゆぎ)」「靭・・靱(矢を入れる道具)」
あっ!!繋がりました!
「箙瀬」「靫(うつぼ、ゆぎ)」「芦北国造刑部靭部阿利斯登」
※全て「矢」繋がりの・・・同語です!
気になる地名を調べたらこうなりました(p_-)
ちなみにもう一つ「発見」したのですが・・・
神瀬(こうのせ)は、子供の頃から慣れ親しんだ「地名」なので
あまり、深く考えた事が無かったのですが
平河氏は神瀬氏と姻戚関係があり
私の祖母の実家平川家(江戸時代中期まで平河)を継ぐ為に養子に入った高祖父の
実家「矢立氏」も神瀬氏と姻戚関係にあり
そもそも「神瀬村」という地名は全国にどれくらいあったのだろう?と
興味が湧いて調べたのですが
全国に・・・江戸時代までの「神瀬村」は、たった3か所しかありませんでした!
旧高旧領取調帳データベースの検索結果
1 伊勢国 多気郡 神瀬村 かみぜ 和歌山藩領分 和歌山県
2 備前国 津高郡 神瀬村 かんせ 岡山藩領分 岡山県
3 肥後国 求麻郡 神瀬村 こうのせ 人吉藩領分 八代県
神瀬村は
伊勢国(多気郡) 備前国(吉備) 肥後国球磨郡 の3か所でした。
何だろう・・・この繋がりは・・
そう言えば・・・・
日羅の父 「芦北国造刑部靭部阿利斯登」 。
芦北国造・・・
参考 日本の苗字七千傑様 サイト
http://www.myj7000.jp-biz.net/
日本の苗字七千傑様 サイト内 芦北国造 姓氏類別大観
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01235.htm
【葦北国造】
景行朝、吉備津彦命の子三井根子命が葦北国造に任じられ、後に日奉部、日奉直、日奉宿禰を賜姓される。
日本の苗字七千傑様 サイト内 『芦北国造 姓氏類別大観』 より引用
結局・・・
やはり・・・・景行天皇に球磨も芦北も繋がってくるのですね・・・
気になる地名を調べた結果でした(..)
最後に独り言を(..)
頭の中を「矢」という文字がグルグル回っています・・・・
次回 『遠江国を出自の地とする曾祖母の実家「新堀氏」』 に続きます。
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