このところ、突然夕立が多くて、
今日も午前中に2度も、青空だったのが突然モクモクと
黒雲が立ち込めてきて、突然の夕立となったのですが、
あとのほうの夕立のときには、偶然、梅小路公園のなかを
通り抜けていたときだったので、少し雨宿りしながら
雨に洗われたお花の写真を撮ることができました。
クリックして大きくして見てもらうと
鮮やかな感じが伝わるでしょうか。
上の左の写真は、七条通りの入口の左手の花壇の
日日草の隣にさいている、薄紫のお花で、
上の右の写真は、先日、アップした、
蒸気機関車の走っている散歩道と小川の交わる角に咲いている
萩の花です。
下の左の写真は、日日草の花びらの上の雨粒で、
下の右の写真は、萩の葉っぱの上の雨粒のなかに、
太陽が映り込んでいる写真です。
また、お盆ですが、梅小路機関車館の蒸気機関車は、走っていて
子供たちで満席でした。
ふた雨もきたわりには、今日も暑さは厳しいです。
今日、8月15日は、終戦の日、
66年前のお昼の終戦を告げる玉音放送って、
こんな暑さのなかで、みんな聞いていたのかな~と
街を走りぬけながら、ふと、思いました。
戦後、日本中が焼け野原だったときには、きっと
とっても大変だったんだろうな~って、残されていた
写真やなんかを見ていると思います。
でも、そこから今のおじいちゃんやおばあちゃん達が
一生懸命働いて、今の、この日本にしてくれたのです。
66年ということは、そのとき10才だったひとが今、76才で、
そのとき20才だったひとが、86才なわけで、そう思うと、
そんなにも頑張ってきたおじいちゃんやおばあちゃんの
人生の最終章が、寂しかったり、辛かったり、では
あんまりではないか、という気がしてきます。
最後はやっぱり、笑顔で、そのひとらしい、そんな
暮らしを送れるようであってもらいたい、と思います。
頑張ってきてくれた、おじいちゃんやおばあちゃんの戦後に
感謝して、みんなで大切にするような世の中であってほしいと思います。
ちなみに、このブログのタイトルの<ひろきっとん>というのは、
戦争前にうちに奉公にきてもらっていた19歳の丁稚どん、で、
終戦の少し前に、婚約者を残して、中国のどこかに出征して、そこで
戦死し、木箱のなかに石ころがひとつだけ入ったものが、遺骨とされて
日本に帰ってきた青年のことなのですが、
母が幼かったころ、足が不自由でみんなにいじめられていたときに、
いつも休みの日には、遊びに連れていってくれた、口数は少ないけれど
優しい青年で、出征の日、見送りに出た母の頭をクシャクシャと1度撫ぜて
にっこり笑って、戦地に赴かれたとかで。
今79歳の母に、<彼岸にやはるひとで、誰かに会えるとしたら、誰に会いたい?>
と尋ねると、少し考えたあと、<ひろきっとん、ひときっとんに、会いたおす。。>と
いつも同じ答えが返ってきます。
自宅で介護しているときとか、仕事で行き詰ったりとか、
あ~、もう嫌やな~って思うことも、ときにあるのですが、
そういうとき、しんどうても、うんざりでも、
この1日は、ひろきっとんが、どんなに望んでも、生きることがかなわへんかった
その1日なんやな~ そう思うと、自分にできるかぎりは頑張らんと、罰があたるなぁ~と
生まれつき、あかんたれ、の私でも、もいっかいもちこたえる!気に、
ひろきっとんが、してくれるのでした。
梅小路公園に咲くお花の写真を撮りはじめてから、10ヶ月、
平和な日々のなかで、公園に咲く美しいお花たちを、ひろきっとんに見せたいなぁ~
と思ってつけたのが、このタイトルの由来です。