<どうにかしてもらえませんか?>
少し前に、地元の新聞に、東日本大震災で体育館に避難している
被災者の方から、同じようなお願いが、相談窓口に多数寄せられるようになった
という記事が載りました。
どういった<お願い>なのかというと、
体育館のなかにいると、<傾聴ボランティア>の腕章をつけた
みなさんが、かわるがわるやってきて、
<つらいことや悲しいことがあれば
なんでも、話してください、お話をうかがいますよ。
自分ひとりのなかに溜めてしまわないで。。>と
言ってやってこられる。
なにか役に立ちたいと思う気持ちでボランティアとして
きてくださっていると思うので、
<気にかけてもらって、ありがとうございます! 大丈夫です>
そう、お返事をするのだけれども、お断りしても
しばらくするとまた、別の方が、そう言って来られる。
たしかに悲しいことやつらいことはあるけれども、
いつでも、それをひとに話したいわけでも、
相談したい気分でいるというわけでもないので、
何度も、何度も、ありがとうございます。。でも。。
そう言わないといけないことでストレスが限界にきている、
という相談だそうです。
<ただもう、どうか、そっとしておいてもらいたい。>
そう、思うのだけれど、なまじ、声をかけてくださるのが
ボランティアの方の善意からの言葉だとこちらも
わかっているから、それだけに、キツく断ることもできず、
<ありがとうございます。。でも、大丈夫。。>を
繰り返しているのだけれど、今なにがしんどいといって、
それがなによりも、今疲れるのです。
なんとか、ボランティアの方に、そっとしてもらえないでしょうか?
というのが、本音なのだとか。
被災者の方のおっしゃる気持ちは、
とてもよくわかります。
ひとのために、ひとはなにができるのか、というのは
とても、難しい、デリケートなことだから。
ボランティアのひとにとっては、善意から
役にたちたい、という純粋な気持ちで、言葉をかけられている、のだとしても、
そのことが、被災者のみなさんに新たなストレスを与えてしまっては
まったくの逆効果になってしまいます。
むしろ、
さりげない、お天気の話とか、震災とは関係ない、
なんでもない、日常のことで、話しかけてみたり、
どこか、たとえば、トイレのすぐ脇とか
誰でもそちらに立ち寄りやすくて、目立たないコーナーとかに
座っていて、
<お話したい気分のときは、あそこにいつも居ますので。。>とかって
声をかけておいてあげたら、被災者のみなさんが
ほんとうに、誰かに話を聴いてほしいときには、トイレのついでに、
ふらっと近くに寄られたりできて、それなら被災者のみなさんに、
ストレスにならずに、お話をうかがえたかもしれないなぁと思います。
誰かののために、という思いで動くとき、
自分にとって、良かれと思うことが、相手にとってもそうであるとは限らない、
と一歩ひいて考えることは、とても大切だと思います。
でなければ、記事のように、善意という名のもとに、
ひとを追い詰めることになってしまうからです。
きつい言い方になるかもしれませんが、
善意という名のもとに、なされながらも、それは、まさに
<単なる自己満足>でしかないし、また
善意という名のもとに、被災された方をさらにいっそう
傷つけてしまっていることでしかない、からです。
自分にとって、良いこと、が、そのままひとに良いこととは限らないし、
自分がこうあるべきだと思っていても、それをひとに強いる必要も
語る必要も、ありません。
とても傷ついているとき、とてもツライとき、
欲しいのは、アドバイスじゃなくて、無理に心を開かせることでもなくて、
いちばんありがたいのは、そばにいてくれること、
言葉にされない思いがあるなら、そのまま、そっとしておいてもらうこと、
そのままのそのひとに寄り添ってあげることのような、気がします。
記事を読みながら、そんなふうに思いました。
ひとは。。。お喋りしすぎなのかもしれません。
ただ黙って自然に咲いている、お花のようであれたら。。
もう今は、避難場所というのは、被災地には、
ほとんどなくなっていて、みなさん、仮設住宅などへ
移られたと聞いています。
仮設住宅の戸をたたいて、
<辛いことがあったら、話してください>
そういう支援のかたちよりは、むしろ
仮設住宅の戸口のあいだの通路に大きな花壇を作って
お花や苗を植えて、
乾燥してたら、お水をあげてくださいね!と、声をかけて
水遣りのお仕事をお願いしてみたり、
ベンチを、花壇のそばにいくつかおいて、
仮設住宅の玄関から誰かが、出てこられたら、
お花のことを話しかけてみたり、
話したそうでなければ、黙ってお花の手入れを一緒にしたり。。
そんなふうな、言葉かけがされているといいなぁと思います。
話したくても、話したくなくても、
なにかしたいひとも、何もしたくないひとも、
そこに居る、そのひとのままで、そばに寄り添ってもらっていることが、
ありがたい、
私は、被災者ではありませんが、介護に疲れたときには、
そんなふうに、思ったりもします。