F9の雑記帳 -35ページ目

『この村にとどまる』



 マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』(関口英子訳、新潮社)を読み終えました。
 北イタリアのチロル地方のクロン村を舞台にして、ファシズムの台頭でイタリア語を強制され、ヒトラーの移住政策により村が分断されたりする時代的な状況の下、事情により学生時代の親友と離れ離れになり、イタリア語を強制されている時には地下墓所(カタコンベ)でドイツ語を教えたり、戦後は夫のエーリヒのダム建設計画の反対運動を支えることとなった主人公のトリーナが、生き別れになった娘に向けて手紙を書き続け、ダムに沈む運命にある村について語り小説は進んでいくのですが、言葉を信じやや控えめでありながら内に熱いものを抱いているトリーナ、思索の結果を無理なく行動に移せ、時に他者との衝突を厭わないエーリヒ、戦時はヒトラーを信じ、次第に父と距離が出来てしまったミヒャエルと言った登場人物達の設定がしっかりしている上に魅力的だからなのでしょうか、読み進めるうちに思い切り引き込まれてしまい、幾度となく小説を読んでいる感覚が薄れ、歴史のある一部分に立ち会っているのかなと思いました。
 また、個人的には主人公のトリーナの母親がかなり気になりました。
 主人公のトリーナとは勉強等について事あるごとに対立するものの、「私たちに許されているのは前に進むことだけ。だから私たちの目は前についている。でなければ神は、目を両脇につけたことでしょう。魚のように。」(231頁他)と主人公である娘のトリーナに向けて言うのがその理由の一つなのですが、その姿勢が何だか凄いなと感じたからです。
 あと、表紙の写真も素敵だなと思いました。湖面から教会の鐘楼の上半分だけが姿を見せている幻想的な景観は、戦後まもなくダム湖に沈むことになってしまったクロン村の象徴ではあるのですが…。

『密会』



 ウィリアム・トレヴァー『密会』(中野恵津子訳、新潮社)を読み終えました。
 以前から近所の図書館に行くたびに読もうかどうしようか考えていて、先日ついに決心して借り漸く読み終えたのですが、短篇小説を1篇読んだ後時間をあけて読む事が多かったせいでしょうか、なかなか先に読み進められなくて息苦しくなる事も多々ありました。
 この様に書くのが何度目か僕には分からなくなってしまいましたが、時として読書には勢いも重要な要素になるのだなと思いました。
 そして、この本に収められている12篇の短篇小説のうち、初対面の女性に夕食を奢らせようとする写真家を名乗る男性の姿が少し腹立たしい「夜の外出」、結婚を夢見ていた男性がアメリカに行った後自分の気持の変化に気づいてしまう女性の姿に悲しくなった「大金の夢」、この小説の主人公は立身出世等とは無縁だったけれど、彼女の人生がある意味羨ましくなった「ダンス教師の音楽」が個人的に強く印象に残りました。

『エステルハージ博士の事件簿』


 アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』(池央耿訳、河出書房新社)を読みました。
 正直な話、僕は二十世紀前半のスキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国(と言う架空の国家)内での8個の事件(と書いてしまって良いものかどうか、僕個人としては今も迷っていますが…。)について、法学博士等の様々な肩書を持つエンゲルベルト・エステルハージが博覧強記を見せつけつつ解決していく8篇の短篇小説は、巻末の解説に書かれている様に「難解晦渋な箇所に拘泥することなく、素直に読」(268頁)む事ができなかったからでしょうか、内容をなかなか消化できず、読み終えるまでに相当時間が掛かってしまいました。
 そして、どの短篇小説も各々面白かったのは確かなのですが、眠っているにも関わらず他人と会話する、ポリー・チャームズを待ち受ける運命が悲しい「眠れる童女、ポリー・チャームズ」、ある少女の身体的な障害が人魚伝説と結び付くことで起きた悲劇を描く「真珠の擬母」が個人的に強く印象に残りました。
 最後に、僕自身への戒めとして書いておきますが、文庫版が刊行されたからと言って、単行本をすぐに読もうとするのは考えないといけないですね…。