「オートマタ・シティ」


砂川文次「オートマタ・シティ」(『群像』2024年5月号所収)を読みました。
この小説は、(過去に立ち消えになったはずの)「新東京特別市」計画の調査を命じられた行政監査院のコマツが、上司のフジタとともに奮闘する姿を描いた小説なのですが、途中までの(いくら仕事とは言え)若干白けた感じから、後半にかけて(サスペンス映画の一部のような)手に汗握るような展開になった事(←しかも、登場人物それぞれの仕事上の担当業務ゆえにそうならざるを得ないのが何だか面白かったです…。)も手伝ったのでしょうか、予想よりかなり早いペースで読み終えてしまいました。
そして、仕事と関係ない場所で会えば良い人だろうけど、職場で会うから一癖あるように見えてしまう登場人物達の中でも、(小説の本筋云々は別にして)「新東京特別市計画」について新聞記事にしたマエダの姿や行動の描写を読み、マスコミはある意味非常に怖いなと思いました。
まあ、事実よりも自分自身の想像を大切にしているからこその展開なのでしょうが、個人の思い込みや考察、他人から聞いた含みを持たせた(ように思わせてしまう)発言が、本来なら大事になりそうもない事に火をつけてしまうんですね…。
また、個人的にはコマツの入社同期であるナガサワの配属先が変わった途端に勤務態度が変わる描写も面白かったです。
しかし、「新東京特別市」計画が息を吹き返したのが、まさかあの人物の仕事の結果だったとは思いませんでした。
ああ、「仕事は仕事だ。」(307頁)か。重い…。
『未成年1』


フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー『未成年1』(亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫)を読みました。
この本は発行されてすぐぐらいの時期に、会社帰りにしばしば立ち寄る本屋で見つけた際に帯に惹かれたのと、たまたま巻末の「読書ガイド」を読んでしまい、その時に「『未成年』は一九世紀の古典ではない。現代文学なのだ。」
(470頁)と言う山城むつみの一行を読んでやられてしまったため、つい購入してしまったのですが、この本の厚さにその後腰が引けてしまい、つい二週間ぐらい前まで積読本状態にしてしまっていました。
しかし、先日(一応)全巻揃えている上、このままではずっと読まないに違いないと考え何だか急に怖くなってしまったので漸く読み出したのですが、まず冒頭から面食らってしまいました。
そして、巻末の「読書ガイド」にある「ロスチャイルドとなることを夢見る二十歳の青年アルカージー・ドルコルーキーの成長の記録」(484頁)と言う要約については、読み進めるうちに納得できはしたものの、何だか妙に疲れました。
もしかすると、その原因は現時点でこの物語の展開がまるで予想できていないことなのかもしれませんが、第二部以降を読み進めるのが少し怖いです。
まあ、僕は今後、ドストエフスキーの「狙いを素直に受けとめ、その複雑怪奇さをみずからの手で解きほぐし、次の第二部に入る心構えとしなくてはならない」(468頁)作業をしてから、読書しないといけないなと思いました。
『文と本と旅と ――上林曉精選随筆集』

上林曉『文と本と旅と ――上林曉精選随筆集』(山本善行編、中公文庫)を読みました。
この本は昭和34年に五月書房から出版された単行本のタイトルと同じではあるものの内容は異なり、上林曉の随筆が「文」「本」「旅」「酒」「人」に分類されて55篇の随筆が収められているのですが、どの随筆も読んでいて面白く感じたり思わず(文字通り)膝を打ちそうになったり感動したりと心が動かなかった文章はありませんでした。
そんな中でも、個人的には最後に置かれた「『枯木のある風景』の出来るまで」がこの本に収められた文章の中でもっとも強く印象に残りました。
その理由は、宇野浩二の病気が凄まじいにも関わらず家に通い、宇野浩二の「画期的作品」(337頁)である『枯木のある風景』の原稿を6年がかりで著者が受け取ったという事実に思わず泣いてしまいそうになりましたし、過酷な状況に陥っているのに何とか小説を書き上げた宇野浩二も凄いですが、諦めずに宇野浩二を待ち続け最後には小説を受け取った著者の姿勢も負けず劣らず凄いなと思ったからです…。