『孔雀屋敷』


イーデン・フィルポッツ『孔雀屋敷 フィルポッツ傑作短編集』(武藤崇恵訳、創元推理文庫)を読みました。
以前、書店で帯の「全収録作品 新訳・初訳」の文句に惹かれ(著者についてはほぼ無知な状態で)買ってきたのですが、結構な期間積ん読状態にしてしまっていました。
ですが、最近あまり読書をしていない自分に気づき恥ずかしくなり、先日勇気を振り絞り読みはじめ、2週間程掛かりましたが昨日漸く読み終える事が出来、少し安心しました。
ただ、過去に色々あった(?)からでしょうか、この本に収められている「孔雀屋敷」「ステパン・トロフィミッチ」「初めての殺人事件」「鉄のパイナップル」「三人の死体」「フライング・スコッツマン号での冒険」という六篇の小説は読んでいてそれなりに面白かったのは確かなのですが、(途中で)何となく展開が分かってしまったり、“殺人に使った凶器が意外だけどそれ以外は…”と感じてしまう小説があったりして、読み終えた後に(個人的には)残念な気持ちになりました。
まあ、正直なところ、著者についてまるで知らないで読み始めたから、余計に上記の様な感想(めいたもの)しか書けないでしょうが。
最後になりますが、本当に腹の足しにもならないのを承知の上で書いてしまいます。
…この本の中で気に入った小説は、臨場感と緊張感が(個人的には)非常に高いと感じられた「ステパン・トロフィミッチ」です。
「いなくなくならなくならないで」


向坂くじら「いなくなくならなくならないで」(『文藝』2024年夏季号所収)を読みました。
就職間近の主人公時子が、高校生の時に友人で死んだと思っていた朝日からの電話に出た事から始まるこの小説には、時間の経過とともに変化する時子(と彼女の家族や周囲の人々やかつての友人等)と朝日の関係の描写を軸に進むのですが、読んでいる間僕は腹が立ってどうしようもありませんでした。
もっとも、上記のように考えてしまう時点で僕は作家の思惑に嵌ってしまっているのでしょうが。
しかし、朝日はどれだけ時子と深い関係になれば満足したのでしょうか。
もしかしたら、僕が読書中に小説の主題をしっかり把握できれば、上記のように考える事はなかったかもしれないですね…。
「サンショウウオの四十九日」


朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」(『新潮』2024年5月号所収)を読みました。
この小説は主人公の伯父の葬式や四十九日の様子が中心に描かれているのですが、主人公の右半身が(濱岸)瞬、左半身が(濱岸)杏と言う設定だと分かった瞬間に何だか落ち着かない気分になり、何度となく読むのを止めようかと思いましたが、考えてしまいましたが、どうにか最後まで読む事が出来ました。
上記のように感じた理由は個人的に良く分かりませんが、主人公の父がかつて伯父の身体にいて栄養を取っていた”胎児内胎児“であり、伯父の体内で父の反対側にもう一人いたと言う設定は苦も無く受け入れられたので、もしかすると、主人公について具体的にあれこれ考えすぎたからなのかもしれません。
とはいえ、主人公(達)の設定があるがゆえの思考や行動の違い、学生時代の思い出等の描写は読んでいて面白かったですし、場面場面で濃淡はあるものの全体に漂う死の雰囲気は小説に良い緊張感を与えているなと思いました…。