F9の雑記帳 -28ページ目

『散るを別れと』


 野口冨士男『散るを別れと』(P+D BOOKS、小学館)を読みました。
 この本に収められた「夜の烏」と「残りの雪」、「散るを別れと」は巻末の「伝記と小説のあいだ(あとがきに代えて)」の中の「想像や空想も挿入できる小説と伝記のドッキングというスタイル」(203頁)で書かれており、どの小説も読んでいて非常に勉強になりました。
 そして、それらの小説の中で、個人的には悪妻と言われたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻の小泉節子について書かれている「残りの雪」と、批評や小説で名を成したものの貧乏から抜け出せず、「本日を以て目出度死去候」と言う新聞広告を出して生涯を閉じた斎藤緑雨について書かれている「散るを別れと」が同じぐらい面白く、印象に残りました。
 「夜の烏」は永井荷風に影響を与えた(であろう)井上啞々(アア)について書かれているのですが、読み終えて導入としての役割が強すぎ、「残りの雪」「散るを別れと」に比べると面白さに欠けるように感じました。
 ひょっとすると、「残りの雪」と「散るを別れと」には主人公の男性に対してかなり年下の女性が登場し、「夜の烏」とは雰囲気が若干違うので、上記のように感じるのかもしれませんが…。

「DTOPIA」





 安堂ホセ「DTOPIA」(『文藝』2024年秋号所収)を読みました。
 この小説は、配信リアリティショー『DTOPIA』の2024年シーズンの舞台であるボラ・ボラ島での再会をきっかけにして、キース(こと井矢汽水)とモモ(こと鈴木百之助)の身の上に起きた出来事について、(2012年以降)年を追っての語りを中心にして進んでいくのですが、まず、『DTOPIA』のMr.東京(と言う通称)のキースが中学生の頃から他人の睾丸を摘出していた(そして、それを売ったりした)り、ある場所で“拷問”の執行役をしていたりする事に驚きました。
 ですが、ショー『DTOPIA』の2024年シーズンは勿論、東京(特に池袋)の人種の多様化、(渋谷にある設定の)大麻用のパイプ専門店『インディゴ・チルドレン』、スピリチュアル…、そんな事柄が小説上に次々に登場しするので、処理能力が低いと言われたらそれまででしょうが、個人的にはやや“他人事”のスタンスが色濃い姿勢で読んでしまいました。
 まあ、全体としては面白いのは間違いないのですが、もう少し内容を絞ってくれても良かったような気がします…。

「その国の奥で」



 J・M・クッツェー『その国の奥で(原題:In the Heart of the Country)』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)を読みました。
 この小説は、1997年に村田靖子により『石の女』として翻訳された作品の新訳なのですが、南アフリカの人里離れた農場に住む独身女性のマグダが、母親は彼女を産んだ直後に死んでしまい、父親はほとんど喋らず彼女を愛さない父親と何人かの使用人と生活をともにする中で、何とか他者と対等に交流したいと願いつつも、父親に対して怒りをためてしまった末に起こした行動とその顛末を(妄想も含めて)描いているのですが、内容が盛り沢山すぎて途中気持ち悪くなるぐらいに圧倒されてしまいました。
 更に、巻末の「J・M・クッツェーのノワールなファンタジー」を読んで、クッツェーの作品を幾つか読んでいるはずなのに、南アフリカの歴史等について無知であることを改めて突きつけられたと感じました。
 ああ、(多くの人が指摘しているという)タイトルにコンラッド『闇の奥(原題:Heart of Darkness)』のHeart(奥)が含まれているということは考えもしなかったです…。