ソウルの路地裏のぞいてみれば -65ページ目

街角のブデチゲ

ソウルの三成洞、COEXから奉恩寺路(ポンウンサロ)を東へ10分ほど歩いたところに、JOHNSON'S BEER & RESTRAUNTというビアレストランがある。


T-BORNステーキやフライド・ポテトなど、アメリカンスタイルのメニューが並ぶ、ビアホールである。


なのに、そこの名物はブデチゲ。


各テーブルには、ガスコンロがセットされており、お客さんもほとんどが、ブデチゲを注文している。



それがこれ↓



ソウルの路地裏のぞいてみれば


もともとブデチゲは、米軍キャンプから放出されたハムやソーセージをチゲにしたものだから、アメリカンスタイルのパブにあっても、まあ、いいか。


ソウルの街をそぞろ歩きすると、こんな店に出くわすことがあるから、やめられないのである。




慶州で困ったこと

慶州ではまた、困ったことがある。


言葉が通じないのである。



慶州が位置する慶尚道は,、ソウルが日本の東京だとすると、関西に相当する地域である。


慶尚道の主要都市・釜山は、よく大阪に例えられる。


この慶尚道方言が、まったくわからないのである。



それは、ミスクと彼女の友人とで一緒に食事をしたときに起こった。


ミスクはソウル生まれのソウル育ちなので、話す言葉は標準語である。


僕はミスクとの会話には何の支障もなかった。


ところが、彼女の友人と話をする番になると、いつもは聞き取れる韓国語が、まったく聞き取れないのだ。


友人が何か言うたびに、僕は聞き返し、そして困惑した顔をする。


そうするとミスクがくすくす笑いながら「訛りがありから・・・・わからないでしょう」と言って「通訳」をしてくれるのだった。



およそソウル弁と慶尚道弁は、まったく発音が違う。


若い人はそれでも標準語で話してくれるが、市場のおじさん・おばさんの言葉となると、まったく歯が立たない。



山形弁を流暢に話すダニエル・カールを、やたら尊敬してしまう僕なのであった。





慶州(キョンジュ)という町

ミスクが大学時代を過ごした慶州(キョンジュ)は、かつて栄華を極めた新羅の都だ。


日本でいうと奈良・京都という感じだが、古墳が立ち並び、けっこう田舎なので、イメージは奈良に近い。


人口は28万人。


韓国伝統舞踊を学ぶ学生にとって、歴史的な雰囲気の中で過ごす4年間は有意義なものがあるだろう。


僕が慶州を訪れたのは、95年にミスクを訪ねて行った1回きりだが、多くの歴史遺産があり、毎年世界から多数の観光客が訪れるという。



慶州はまた、「慶尚道」の語源となった町でもある。


韓国には日本の都道府県にあたる「道」があるが、この「道」の名前は、域内に含まれる町の頭文字を組み合わせて作られている。


「慶尚道」は「慶州」と「尚州」の組み合わせ、「全羅道」は「全州」と「羅州」の組み合わせである。


江原道なら「江陵」と「原州」といった具合だ。


このような地名を「合成地名」という。




慶州には世界遺産に登録された仏教寺院「仏国寺」がある。


山の中に、忽然と姿を現す石仏は圧巻である。また、古墳群では、新羅の栄光を物語る鉄器や金細工を見ることができる。


ただし、当時若かった僕には、ありがたい仏様も、興味の対象ではなく、退屈なだけだったが・・・




僕はこうして韓国の女子高生に出会った(4)

ミスクは韓国舞踊を習っている。


(日本で言う日本舞踊だ)



ミスクは韓国舞踊で全国入賞もしたくらいの、優秀な踊り手だった。



日本でも韓国でも、子供のころから舞踊を習わせるなんていうのは、お嬢様と相場が決まっている。


実際、ミスクのお父さんは印刷会社を経営していて、ミスクはつまり「社長令嬢」ということになる。


もっとも、お父さんの会社は97年、IMF危機とそれに伴う金融危機のあおりを受けて倒産してしまったが。




僕は韓国でミスクに3回会った。正確には3回会いに行った。



63ビルディングの、当時最先端の技術だったアイマックスシアターを見に行ったり、漢江の遊覧船に乗ったり、民俗村へも、実はミスクと初めて行った。


なぜかわからないけど、ソウル大公園のお化け屋敷にも、ミスクと二人で行った。


女子高前でトッポッキを初めて食べたのも、ミスクとだった。



当時ミスクは高校生。お母さんは典型的な教育ママ(チマ・パラム)だったが、まあ、一生の間に何回も来ない日本人のために、僕とだけは遊びに行くのを許してくれていたようだ。


(お母さんには後日、由緒ある料亭で韓定食をごちそうになった)



ミスクはやがて大学へ進学する。


舞踊の勉強をするため、大学は東国大学の国楽科を選んだ。


東国大学は有名な大学で、ソウルにもキャンパスがあるが、国楽科は慶州(キョンジュ)にある。


大学進学と同時に、ミスクは慶州へと引っ越していった。


(つづく)

僕はこうして韓国の女子高生に出会った(3)

1週間のイベント中、僕は事務局員として、一生懸命仕事をし、国際交流に励んだ。


ミスクたち韓国代表団とはもちろん韓国語で会話をした。


まずその時点でけっこうポイントは高い。当時、今みたいな韓流ブームがなかった当時、日本人が韓国語を話すだけで、韓国人は驚いたのだ。




だんだん打ち解け、彼女たちとも仲良くなり、僕たちの距離も近くなっていった。





そして最終日、明日は日本を離れるという日、ミスクは僕に言った。


「日本に来る前、日本人は悪い人ばかりだと思っていた。だから今回、最初は日本に来るのは気が進まなかった」


「だけど1週間、一緒に過ごして、日本人も私たちと同じ人間で、親切な人もいっぱいいるということが分かった。国が問題なんじゃない。あくまでその人個人が問題なのだということがわかった」


「hiroオッパーに会って、そういう考えが持てるようになった。私の住所を教えますから、手紙をください」



そうしてミスクは前の晩に用意したというアドレス帳を僕に手渡した。




キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!



僕とミスクの文通が、こうして始まったのである。


(つづく)