氷山の一角?それとも・・・
「高校で進路を決めるとき、学校の先生に2つの学校を勧められたので、その中から進学先を決めました」という話があった。
一見、何の問題もなさそうな感じに聞こえるんだけど、勧められた学校は「鍼灸系専門学校」と「IT系専門学校」で、当人の意向だったり、学校の関係性など、何の脈絡もない提案に驚くばかり。現場に居合わせたわけではないので断言は出来ないけれど、進学率を上げるためだけ・・・の提案か?という感じ。
あとは・・・もう1つの側面として、専門学校が進学できない生徒の受け皿という感じになってしまっているという現状から、ここなら受け入れてくれるハズ・・・という感じでの提案なのかもしれない。
ただ、これを聞いた親はどういうアクションを起こしたのかな?「とりあえず進学先が見つかりそうでよかった」という範疇の感覚だとしたら、自分はクレイジーだなと思う。
氷山の一角なのか、レアケースなのかは分からないけど、将来を支える人材を育てるという観点で考えれば、非常に由々しき問題だと思うな・・・。
生きる力
中でも、自分自身が進もうとする「道」に関して、無関心であったり、1つでも上を目指そうという向上心が欠けていることが気になっていて、(成長しなくても)今の自分を受け入れてくれるところがあれば・・・というスタンスが数多く見られる気がする。
不可避な事情を抱えている場合、現状で・・・という選択肢は致し方ないことだと思うけれど、そうではない場合は単なる「エスケープ(回避)」でしかないのかな・・・と。
残念ながら、エスケープしたものは「ツケ」として残り、生きていれば、いずれは目の前に現れるものなんだけど、当人(子供)だけでなく、大人にもそういう認識がないっていうのが現状。
特に「勉強だけではなく・・・」という言葉の意味を、「勉強+勉強以外の何か」ではなく、「勉強はなくとも、勉強以外の何かさえ・・・」みたいに考えている大人にそういう傾向が多いような・・・。
そう考えると、学校の役割って「生きる力」を与える最後の砦なのかもしれないな・・・と思ったりも。だとすると、教師に本当に必要なものって、知識や技術ではなく、『バイタリティ』なのかもね。
しろたえ@赤坂
かねてから行ってみたかった『しろたえ』。
つい先日、ようやく行くことが出来た。
この扉をあけると、赤坂マダム(?)で店内は混んでいて、アッシュにしたソフトモヒカンのメンズがたった1人というのは、かなり異色な雰囲気(苦笑)
そんな店内では、こちらのケーキたちがお出迎え(笑)
そして、お持ち帰りしたケーキたちは・・・
の以上4品。
コージーコーナーあたりのケーキと比較すると、かなり小さめに見えてしまう。
でも、本当においしいモノは満腹になるまで食べるのではなく、また食べたいな・・・と思うぐらいで終わるのがベストということを考えれば、妥当な大きさかも。
ちなみに、このケーキたちは、こんな感じで包装。
なかなか味のあるテイストがGood!
近いうちにまたいけるといいな・・・。
・・・だけど、おろそかになりがち
権限を行使するためには、行使すべきか否かをジャッジする力が必要なわけで、しかも、モノによっては短期的な視野ではなく、長期的な視野で考える必要がある場合も。
また、こういったものは一朝一夕で身につくものではなく、人材が育成される過程の中で、成功や失敗を繰り返しながら身についていくことも少なくないので、組織が望む人材になるまで時間もかかる。
良いときもあれば悪いときもあるのがビジネスなので、いざというときに備えるためにも組織内での「教育」は重要なハズなんだけど・・・残念ながら、おろそかにされがちなんだよね。
独り言
いろいろな場面の中で、「ウチの子は勉強が出来なくてもいいんです。」と言い切る親がいるんだけど、果たして、それが本当に子供のためなのかな?と思う。
学生の頃にロクに勉強をしなかった輩が言うことじゃないと思うんだけど、だからこそ、あえて言いたいことがある。
それは・・・勉強は「自由」を得るために必要なことで、その自由とは、「たくさんの選択肢を得る自由」のことで、具体的には「働くorお金を得る選択肢(就職)」だったり、「学ぶ選択肢(進学)」。
だから、将来の自由を子供から奪ってしまうことは親としてどうなのかな・・・と。
まあ、どの程度の勉強が出来なくてもいい・・・にもよるんだけど、せめて中学・高校レベルの学力は必要だと思うんだけど、最近は「高校」の学歴をお金で買いました・・・みたいな人も多いから、現実的にはそれ以上・・・というのが本音かな。
出来るまで・・・
これって大事なことだと思うんだよね。
だけど、中には制限時間を設ける以前に、全く出来ないであろうと推測できるような状況におかれる人もいるわけで、その場合にどうするか・・・は、ある意味で教育者としてのスキルを問われると思う。
これまでに自分がヒアリングして集めた情報をまとめると、学力が低い学生ほど、前述のような状況に置かれるケースが多く、「時間切れ」で終わってしまうことが多い。
だけど、この時間切れは、あくまでも当初の制限時間の枠内の話で、そこから先の時間で、取り組んではいけない・・・という意味ではない。(もちろん、評価されるべき内容は、あくまでも制限時間内での仕上がりだけど)
取り組ませている内容にもよるだろうけど、重要度や頻度などを考慮して、評価するorしないに関わらず、最後までやらせることをしないと、その科目がどうこうというレベルの話ではなく、物事への取り組み姿勢という観点で大きな問題を抱えることになる。
というのも、「時間切れ」の経験が多い学生ほど、「出来なければ時間ギリギリまで引っ張って、時間切れで逃げ切る」というスタンスになってしまっている傾向があるから。
出来るまでやらせて苦痛を与えるのは悪である・・・みたいな風潮が一部にあり、時間切れでやれていなくても最低ラインの評価がつけられ、卒業(進級)・・・みたいな感じになっているようだけど、それは単なる「学歴売買」でしかないと自分は思う。
こんなスタンスで、社会に出て仕事をする・・・のは、そもそもムリがあるわけで、その人物の一生の面倒をみる覚悟がある上で、前述のような風潮を起こすのであればご自由に・・・と思うけど、自分の手元を離れた瞬間、その責任を負わないのであれば、それは無責任な見解以外の何者でもない。
昨今、メンタル面に問題を抱えている学生が増加傾向にあるだけに、考慮すべきところは考慮した上で・・・になるので、教育する側に大きな負担がかかるのは事実だけど、コレまでの自身の経験から、(学生の)家族に協力してもらうことで、多少なりとも軽減できるのかな・・・と思う。
学校での学び1つ1つがキャリア教育であることを考えれば、「苦痛」と解釈するのではなく、「カベ」と解釈して、乗り越えさせることをやっていかないといけないよね。
働く意識
最近、こういう本を読んだ。
- キャリア教育のウソ (ちくまプリマー新書)/筑摩書房
- ¥819(Amazon.co.jp)
「キャリア教育」と言うと、どうしても職業教育的な感じに捉えられがちなんだけど、そうではなく、本来は学び全てがキャリア教育でなければいけない。
だから、「学校の勉強=大学入試(進学)のため」みたいな考えをしていると、そう遠くない将来で足元を救われかねないことになるかも。
以下のリンク先では、キャリア教育を受けたかどうかが、正規・非正規雇用の分かれ道に・・・なんてことが書かれているけれど、一概にそうだと言い切れない部分はあるにしても、知ると知らないでは、後々のベクトルが変わるのは間違いがないよね。
http://benesse.jp/blog/20130815/p1.html
でも、中学で実施されている就業体験が、高校では取り組まれないことが多いためにムダになってしまっていたり、そもそも教える側が「社会人経験」をしていないだけに、子供たちに対して心に響く言葉がないんじゃないのかな・・・と思ったりも。
中には「大学に合格せることが何よりも重要」と思っている教員もいるだろうし、保護者に関しても同様のことが考えられるから、ある意味ではニーズに応じた教育をしているようにも思えるけれど、それだけが学校の役割ではなく、「ニーズのあるなしに関わらず、教えるべきを教える」が学校じゃないかな。
最近では、高校教員が民間企業での就業体験というものをやっているようだけど、大学生のインターンシップよりも短い期間だし、最も大切なビジネス・・・の部分に関与できていないことの方が多いから、これまた大きな意味がありそうに思えない。
そう考えると、教員養成系学部にいる人は、教育実習だけでなく、民間の教育産業でのインターンシップなんかもやった方がいいかもしれないね。
まだまだ、日本の教育に関して、変えなきゃいけない部分が多い気がするな・・・。
(ブログネタ)スイカとメロン、どっちが夏っぽい?
ブログネタ:スイカとメロン、どっちが夏っぽい? 参加中
私はスイカ 派!
メロンは3歳の娘が好きなフルーツなので、我が家の冷蔵庫に格納されている比率は、スイカよりも圧倒的に高い・・・。
もともと娘はスイカが好きだったはずなのに、最近は見向きもしない感じで、3歳にして高級感という違いを知ってしまったのかな・・・と。
だけど、自分の中で、夏と言えば「スイカ」。
海にメロン・・・って合わないからね。