アマ始元量とボルテックスと | Prienture

Prienture

Prienture(プリエンチャー)

・Pri:primitive、始源、前に、先験的に
・en:円、円環、ご縁
・ture:future(未来)、adventure(冒険)

等を組み合わせた造語です。

こんにちは。ヒラコウです。


ここ最近は

主に、
男性性や女性性。
アワやサヌキについて書いてきました。





今回は、
よりスピリチュアルや
オカルト感が濃い内容を、

ライトな感じで
書いてみたいと思います😊




お題は何かというと…


「アマ始元量」


です。




これは、
カタカムナにおいては、
超絶はずせないくらいの、
重要なポイント。




どんなものかというと…




アマ始元量=

「見えない次元に存在する、
現象化前の、ポテンシャルの総体」



みたいな感じです。






ここで、
スピリチュアルを少しかじられた方や、
精神世界や引き寄せの法則にお詳しい方は、

もしかしたらピンとくる方も
いらっしゃるんじゃないでしょうか。




そう、

なんとなく

「エイブラハム」の
「引き寄せの法則」に出てくる、
「ボルテックス」
に似てると思いません?

(僕だけかな?😅🤣)




少なくとも僕はカタカムナを学び始めた頃、
そのように感じました。



あれから少しは
カタカムナを学んできたつもりなので、

今回はそこんところ、
もちっと掘り下げて書いてみたいと思います😤






まず、「アマ始元量」については
相似象でこのように言われていますよ。


「<アマタカマカハラ>のサトリとは、 宇宙の万象は、<アマ>始元量から分化し発展したものであり、<アマ>始元量に還元する関連があるという認識である。」



…🤔


…🤔🤔


(む、むず、いかも…‪‪💦‬
以下に説明させて頂きますね!😉)



で、

で、、


もし、「アマ始元量」が、
現象化前の
「ポテンシャルの総体」とするならば、



「アメ」は、
その「アマ始元量」が微分されたもの。

(雲と雨の関係みたく
細く小さくなるイメージ。)





そして、

「アマナ」は、
その無数にある「アメ」の代表者です。


(アマってクラスに、アメさんが沢山いて、
そのクラス代表みたいなイメージです。
アマクラス代表のアマナです!的な😅)




※以前の記事。アメやアマナについてはこちら:





この「アマ」と「アマナ」の関係を、


相似象では、
このように書いています。

アマ=現代宗教における神や仏の概念に近い。

アマナ=神性や仏性に近い。



どこか遠くに偉大なる神や仏がいて、
それは、あなたの心の中にもいる…
みたいな感じでしょうか🤔








一方、哲科学ともいわれたりする
カタカムナ文献では

宗教的な色合いよりも、
むしろ現象と潜象における天然理。

いわゆる「天然の法則」として、
それらを表しています。




たとえば、、、


有名な「般若心経」の一説については、
こう書かれています。



色即是空=現象から潜象へ。
(見える世界から見えない世界へ)


空即是色=潜象から現象へ。
(見えない世界から見える世界へ)







ってとこで、

ここでようやく本題の

「アマ始元量」と
「ボルテックス」についてです。
(やっとかよw😅)






カタカムナでは、


現象化においては、

見えない次元のアマ始元量は、

アメとなり、
トキトコロ(時空間)になり、、
ココロワク ミト…

と、


いわゆる現象化のプロセスを示しており、

また、それを感受するのを
アマウツシともいったりします。

(ここいら本当に盛り沢山なので、
詳細はまた別記事で😊)





なんだかボルテックスを
「現象化前の源」としているのと
少し似ていますね。



そして、
そのボルテックスに
アクセスする方法としては、


例えばスピリチュアル系では、

「ホッとする」や「ワクワクする」

だったり、


トラウマや我欲、
執着や囚われの対極として、

「浄化」や「空」、
「無我」なんて言ったりもします。




が、


ここいらは往々にして
個人の体感や解釈にも委ねられているので、


「悟った!」
「いや、悟る主体は存在しない…」

「ホッとしてワクワク…叶った!」
「けど、一方でこの現実は?
本当の願いを見つける為のコントラスト?」

「全ては繋がってる?」
「全てはひとつ?それとも無?」

などなど、



今を生きる僕らとしては、
全て、
とーーっても!!大事なのですが、



一方で、
個人の咀嚼の仕方しだいでは、
いかようにもなり、

それが、
スピリチュアルジプシーと
そうでない場合との
分岐点になったりしているケースもあります。





おそらくそれは、、、



その大半が、
主に「色即是空」、

つまり
現象や結果側からの方向を中心に、
取り扱っているからだと感じています。




直近の記事でも触れましたが、

カタカムナでは、

カムとアマの双対。
潜象と現象の重なり合い。


互いの織り成す関係性が、
陰陽、男女など、
さまざまに相似象(フラクタル)として表れ、
それが螺旋状に循環するというような
達観を示しています。




つまり、

色即是空と空即是色。
この両方が重なり合うことで、
初めて成り立つとしているんですね😲


その証左に、
アマは、現象化前の始元としながらも、
常にカムを志向しているといいます。
(アマヒ)

つまり、アマカム、
潜象と現象は、

直線上の対岸にあるのではなく、

螺旋のように、
メビウスの輪のように、
重なり合い、回り巡り、
そして循環している…




カタカムナでは、
そのミチをカムカエルともいい、
「考える」の語源とも言われています。
(カムへと還る=考える)



とすると、
スピリチュアルや
引き寄せの法則、

さらには
ボルテックスには

実はまだ続き(カムカエル編?)が
あるのかもしれない??🤔








いかがでしたでしょうか。

有史以来、

物質文明の繁栄に呼応するかのように
スピリチュアルもその反動として、

いわゆる「色即是空」的なものを
メインに語ってきたのは、
歴史の必然と言えるのかも知れません。



一説には、

人類は有史とされる以前から、
6500年毎に
霊性と物質の時代を繰り返し、
螺旋の帯紐のように進み、
その分水嶺が2013年とも言われています。


また、

オカルトやスピリチュアル系で有名な、
かつて存在したとされる
レムリアやムー、アトランティス。

それら、
失われたとされる文明は、

おそらく存在したのでしょうし、
また違う観点からは、
今も存在している
と言えるのかも知れません。

(ここいらもカタカムナ的考察では、大変ロマンに溢れて面白いところなので、また別記事にします。多分、上古代人は、行って帰ってきたんだと思われます…😲)




もしかすると、僕らはこのようにして
物質と精神が融合した次元へと
マワリテメグッテイル???🤔






なんだか
トンデモ感も満載になってきたので、(笑)
今回はいったんいったんここまで😅


今回はいつにもまして、
長文、乱文になってしまいました🙇‍♂️

ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます!😊
次回もゆるりと頑張ります!😤🤣



Twitterやってます(^^)/ ヒラコウ(@hirako08)