こんにちは。ヒラコウです。
前回の記事では、
カタカムナの世界観の一つである、
「すべてをモノとして統一する世界観」
について、
ご紹介させていただきました。
今回は、その続編。
見えない世界(潜象)
と、
見える世界(現象)。
これらを扱うとされる
カタカムナの哲理
について触れていきたいと思います。
と、まずその前に…
そもそも一般的に言われる
「科学」ってなんでしょう?🤔
少し調べてみると、
下記のサイトにはこのように…
「広い意味でいう「科学」とは、観察や実験などで実証された体系的・法則的な知識のことであり、自然科学のほかにも社会科学や人文科学など、多岐にわたる分野の総称として使われている言葉です。」
※TRANS.Biz (「科学」と「化学」の違いとは?物理・生物での使い分けも解説)
つまり、
物質のもつ性質を、
「主に観察や実験により
実証から根拠だてる学問」、
といった感じでしょうか。
(といっても自分、
あまり詳しくないのであれですが、、、😅)
他方、
カタカムナの哲理はどうでしょう?
カタカムナでは、
物質から生命やエネルギーにいたるまで
すべてを
<モノ>として統一し、
現象、潜象、など、
見えない世界と
見える世界の理(コトワリ)が、
どのような
(見えない世界にあるとされる)
<始元、ヒトツカタ>
に由来しているのか…
という観点のようです😲
つまり、
科学が
見える方から
立証していくのに対し、
カタカムナでは、
見えない側から、
見える側へと現れる
「相似形(フラクタル)」を
観ていくといった感じ😊
一体どんな哲理なんでしょうね。
今回はまず、
そのおおよそのところを、
ご紹介できればと思っていますよ😊
ではまず、こちらから。
カタカムナの哲理によれば、
すべての<モノ>には、
「動く性質」があり、
絶対的な静止というのは
ありえない。
とされています😲
あくまで「静」というのは、
動く関係においての、
相対的な立ち位置。
ざっくり言うと、
めっちゃ動くものと
そうでもないもの。
その関係性が、
「動」と「静」だと観ているようです。
たしかに、
一見動いていないように見える石も、
原子レベルでは動いていますし、
また、大きな流れで観ると
緩やかに変化していってますよね。
そして、
僕らや、物。
はたしてそれらは、
壊れたり、
失ったり、
亡くなったりしたら、
それでもう本当に
全て終わりなんでしょうか??🤔
カタカムナでは、
その「動」や「静」の関係を表すものを、
イサナミ(波、動、波動)、
イサナギ(凪、静、粒子)
というようです。
(神話??😲)
また、
この「イサ」というのは、
よく「いざ出発!」
なんて言うように、
「出発」や「始まり」を表す
思念とされているようです。
これらに関連し、
相似象では
このようにも言われていますよ。
「そしてこの<イサ>を<マ>と称し、時間量(トキ)空間量(トコロ)の始元量と観じ、<マ>はアラユル物の基礎量であるといふ思念から<アマ>ともよんで居る。
イサ・マ・アマ・は共に始元量を意味し、現象背後(カム)の基礎量を指して居る。」
※ご参考までに「アマ始元量」の記事:
アマ始元量とボルテックスと
少し話が
とっちらかってきたので😅
ここまでを
わかりやすく要約してみると、
↓のような感じでしょうか🤔
カタカムナでは、
すべては、「動いている」とし、
それを、
イサナミ、
イサナギと表現している。
そして
「イサ」は始まりや出発の意。
また、
「イサ」のことを別名、
「マ」とも呼んでいる。
この「マ」は、
=時間量や空間量の
始元量である。
(※ポイント:カタカムナでは「トキトコロマリ」といって、時間も空間もマリ。つまり粒子や量子的なものとして観ていますよ)
また、
「マ」とは、
あらゆるモノの「基礎量」でもある為、
その文脈では、「アマ」とも呼んでいる。
つまり、
「イサ=マ=アマ」。
これらは、
=「すべての始元量」であり、
そして、
=「カムの基礎量」
でもあると。。。
う~ん、、🤔
とすると、どうなんでしょう。
(ちょっと脇道にそれ、
個人的な見解ですが、)
先程出てきた
イサナミ、
イサナギというのは、
イサナミ=
アマの性質を受け継いだ
波(動)の性質
イサナギ=
アマの性質を受け継いだ
凪(静)の性質
、とも言えるのかなと🤔
もちろん、
イサナミ、
イサナギといえば、
日本神話では、
国産みの最初の夫婦神
として有名です。
一方、
神話とは無縁な感じのする
現代科学では、
すべては
「波動」と「粒子」で、できている
なんて、いったりもしています。
(すべては、波動さんと粒子さんが、
産んでるってニュアンス?…😅)
とすると、
例えば、科学と神話のように、
一見、関係ないと思われるものであっても、
もしも同じモノを
違う角度から観ているだけなのだとしたら、、
最終的に同じ結論へと行き着くのも、
あながち不思議ではないのかもしれませんね😲
たしかに
目に見える物だけが全てとすると、
無くなったら全て終わりです。
だけど、
まるで、
寄せては返す
潮の満ち干きのように、
僕らは
個性という波にのって現れ、
互いに関係しつつ、
やがて、
その現れも終わりを迎え、
大切な潜在記憶は
ドコカへと還しながら、、
見える世界と、
見えない世界の
満ち引きを
繰り返しているのかもしれないなと…🤔😊
いかがでしたでしょうか。
今回はまた新たな
カタカムナの世界観がでてきましたが、
まずはイメージだけでも
つかんでおければ良いと思っています。
カタカムナは
突き詰めればシンプルなのだけれど、
あらゆるジャンルにまたがる奥深い世界なので。
色んな景色を楽しみつつ、
ゆるりと旅していけると幸いです。
少し長めの記事になっちゃいましたが、
ここまで読んでくださり、
ありがとうございます!😊
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