Prienture

Prienture

Prienture(プリエンチャー)

・Pri:primitive、始源、前に、先験的に
・en:円、円環、ご縁
・ture:future(未来)、adventure(冒険)

等を組み合わせた造語です。


Amebaでブログを始めよう!

お久しぶりです。

ヒラコウです。

 

ながらくご無沙汰しておりました🙇‍♂️

 

更新していない期間にもたくさんの方が

アクセスして下さっていて、本当にありがとうございます!

 

 

 

さて、私事で恐縮なのですが、

昨年は長らく勤めていた仕事を辞め、

今年から北海道に引っ越すこととなりました。

 

昨年はその準備等もあり何かと奔走していましたが、

今現在は少し落ち着き、

 

引っ越し自体が、来月と迫るなか、

新生活を前に少しドキドキしております笑

 

 

また、

 

昨年は奇遇にも、北海道への移住を前にして、

 

ゴールデンカムイの無料期間や、

北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録等もあったりと、

(どちらも別々の意味で驚きました!)

 

 

個人的に興味をそそる話題で、

アイヌコタンや遺跡めぐりもしてみたいな~、

などと、想いを巡らせていました。

 

もしかしたら

カタカムナに通じるものもあるのかな??

(一説にはそういう話もあったりします)

 

 

 

 

 

そして、このブログについてなのですが、

 

以前から、

このブログタイトルを改めたい、

と想っていました。

 

 

それもそのはずで、

 

実は、今までのブログタイトルは、

ブログを書きたい気持ちが先行しすぎて、

まずはとにかく書いちゃえー!と、

「取り合えず」でつけたものでした(おいおい!😱😅🤣)

 

 

 

今回、ようやく自分的にも納得する

ブログタイトルが出来ましたので、

これを機にリリースしたいと思います。

 

 

新しいブログタイトルはこちらです。

 

 

ブログタイトル:

 

「 Prienture(プリエンチャー)」

です。

 

 

 

 

これは僕の造語なのですが、意味としては、

 

 

 「Pri」 :primitive、始源、前に、先験的に

 

 「en」 :円、円環、ご縁、中に、

 

 「ture」  :future(未来)、adventure(冒険)

 

 

等の意を組み合わせたものです。

 

 

 

 

過去は過ぎ去りし失われたものでも、

未来は見果てぬ先の夢でもない。

 

 

それは今に、

円として、ご縁として、

息づいている。

 

そんなコンセプトで

幅広いテーマを扱いつつ
今の暮らしに役立つアイデア等も交えながら

楽しんでいければと思っています。

 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

Twitterやってます。ヒラコウ(hirako08)

 

 

<こちらは縄文遺跡の一つ、大湯環状列石>

※画像はjomon-japan.jpさんのアーカイブより:

 

こんにちは。ヒラコウです。

 

 

 

前回の記事では、

カタカムナの世界観の一つである、

 

「すべてをモノとして統一する世界観」

 

について、

ご紹介させていただきました。

 

 

 

今回は、その続編。

 

 

見えない世界(潜象)

と、

見える世界(現象)。

 

 

 

これらを扱うとされる

カタカムナの哲理

について触れていきたいと思います。




と、まずその前に…

 

 

そもそも一般的に言われる

「科学」ってなんでしょう?🤔

 

 

少し調べてみると、

下記のサイトにはこのように…

 

「広い意味でいう「科学」とは、観察や実験などで実証された体系的・法則的な知識のことであり、自然科学のほかにも社会科学や人文科学など、多岐にわたる分野の総称として使われている言葉です。」


TRANS.Biz (「科学」と「化学」の違いとは?物理・生物での使い分けも解説)


 

 




つまり、


物質のもつ性質を、

 

「主に観察や実験により

実証から根拠だてる学問」、

 

といった感じでしょうか。

 

(といっても自分、

あまり詳しくないのであれですが、、、😅)

 

 

 

 

他方、

 

カタカムナの哲理はどうでしょう?

 

 

カタカムナでは、

物質から生命やエネルギーにいたるまで

 

すべてを

<モノ>として統一し、

 

現象、潜象、など、

 

 

見えない世界と

見える世界の理(コトワリ)が、

 

 

どのような


(見えない世界にあるとされる)

<始元、ヒトツカタ>

由来しているのか…

 

 

という観点のようです😲

 

 

 

 

 

 

 

つまり、

 

科学が

 

見える方から

立証していくのに対し、

 

 

 

カタカムナでは、

 

見えない側から、

見える側へと現れる

 

「相似形(フラクタル)」

観ていくといった感じ😊

 

 

 

 

一体どんな哲理なんでしょうね。

 

 

今回はまず、

 

そのおおよそのところを、

ご紹介できればと思っていますよ😊



 

 

 

 

ではまず、こちらから。

 

 

カタカムナの哲理によれば、

 

 

すべての<モノ>には、


「動く性質」があり、

 

絶対的な静止というのは

ありえない。

 

 

とされています😲

 

 

 

あくまで「静」というのは、

 

動く関係においての、

相対的な立ち位置。

 

 

ざっくり言うと、

 

めっちゃ動くものと

そうでもないもの。

 

その関係性が、

「動」と「静」だと観ているようです。

 

 

 

 

たしかに、

一見動いていないように見える石も、

原子レベルでは動いていますし、

 

また、大きな流れで観ると

緩やかに変化していってますよね。

 

 

 

 

そして、

 

 

僕らや、物。

 

はたしてそれらは、

 

壊れたり、

失ったり

亡くなったりしたら、

 

それでもう本当に


全て終わりなんでしょうか??🤔

 

 

 

 

 

 

カタカムナでは、

 

その「動」や「静」の関係を表すものを、

 

イサナミ(波、動、波動)、

イサナギ(凪、静、粒子)

 

というようです。

 

(神話??😲)

 

 

 

また、


この「イサ」というのは、


よく「いざ出発!」

なんて言うように、

 

「出発」や「始まり」を表す

思念とされているようです。

 

 

 

 

 

これらに関連し、

相似象では

このようにも言われていますよ。

 

 

 

「そしてこの<イサ>を<マ>と称し、時間量(トキ)空間量(トコロ)の始元量と観じ、<マ>はアラユル物の基礎量であるといふ思念から<アマ>ともよんで居る。

イサ・マ・アマ・は共に始元量を意味し、現象背後(カム)の基礎量を指して居る。」

 

 

 

※ご参考までに「アマ始元量」の記事:

アマ始元量とボルテックスと

 

 

 

 

 

 

 

 

少し話が

とっちらかってきたので😅

 

ここまでを

わかりやすく要約してみると、

 

↓のような感じでしょうか🤔

 

 

 

 

カタカムナでは、


すべては、「動いている」とし、


それを、

イサナミ、

イサナギと表現している。



そして

「イサ」は始まりや出発の意。



また、


「イサ」のことを別名、

「マ」とも呼んでいる。

 

 

この「マ」は、

=時間量や空間量の

始元量である。

 

 

(※ポイント:カタカムナでは「トキトコロマリ」といって、時間も空間もマリつまり粒子や量子的なものとして観ていますよ)

 

 

 

 

また、

 

「マ」とは、

あらゆるモノの「基礎量」でもある為、

 

その文脈では、「アマ」とも呼んでいる。

 

 

 

 

 

 

つまり、

 

「イサ=マ=アマ」。

 

 

 

これらは、

 

「すべての始元量」であり、

 

そして、

 

=「カムの基礎量」

 

でもあると。。。

 

 

 

 

 

う~ん、、🤔

 

とすると、どうなんでしょう。

 




 

(ちょっと脇道にそれ、

個人的な見解ですが、)

 


先程出てきた


イサナミ、

イサナギというのは、

 

 

イサナミ=

アマの性質を受け継いだ

波(動)の性質

 

 

イサナギ=

アマの性質を受け継いだ

凪(静)の性質

 

 

、とも言えるのかなと🤔

 

 

 

 

 

 

もちろん、

イサナミ、

イサナギといえば、

 

 

日本神話では、

国産みの最初の夫婦神

 

として有名です。

 

 

 

 

一方、

 

神話とは無縁な感じのする

現代科学では、

 

すべては

「波動」と「粒子」で、できている

 

なんて、いったりもしています。

 

 

(すべては、波動さんと粒子さんが、

産んでるってニュアンス?…😅)

 

 

 

 

とすると、

 

例えば、科学と神話のように、

一見、関係ないと思われるものであっても、

 

もしも同じモノを

違う角度から観ているだけなのだとしたら、、

 

最終的に同じ結論へと行き着くのも、

あながち不思議ではないのかもしれませんね😲







たしかに

目に見える物だけが全てとすると、

 

無くなったら全て終わりです。

 

 

 


だけど、 

 

まるで、


寄せては返す

潮の満ち干きのように、

 


僕らは


個性という波にのって現れ、



互いに関係しつつ、

 

やがて、

その現れ終わりを迎え、

 


大切な潜在記憶は

ドコカへと還しながら、、

 


見える世界と、

見えない世界の

満ち引きを

繰り返しているのかもしれないなと…🤔😊








いかがでしたでしょうか。


 

今回はまた新たな

カタカムナの世界観がでてきましたが、

 

まずはイメージだけでも

つかんでおければ良いと思っています。

 

カタカムナは

突き詰めればシンプルなのだけれど、

あらゆるジャンルにまたがる奥深い世界なので。

 

色んな景色を楽しみつつ、

ゆるりと旅していけると幸いです。

 


少し長めの記事になっちゃいましたが、

ここまで読んでくださり、


ありがとうございます!😊

 

 

Twitterやってます。ヒラコウ(hirako08)

 

 

 

こんにちは。ヒラコウです。

 



前回は、「アマ始元量」と、

 

現象化するにあたり、

「アマの性質」を受け継ぐとされる、

「8つの法則」というのについて触れました。

 


 

見えない潜象領域においては、

科学が現代になって解明したことが

既に示されていたとも言われるカタカムナ。

 

 

いったいカタカムナ人は

どんな世界観をもっていたんでしょう🤔

 


 

今回は、そんなカタカムナ人がもっていたと思われる世界観の一つをご紹介したいと思います。






では、


その世界観の一つというのがこちらです。

 




それは、

 

「すべてを

モノとして統一する世界観」

 


 



 


う~ん、🤔🤔🤔


???

 

…どゆこと?????

 



ですね(笑)😅🤣

 

 

 




こちら、



あえて、ざっくりいうと、


「物心一如」

 

精神と物質を分け隔てなく観る、

そんな世界観のようです😲

 

 

 




現代の感覚でいうと、

 


物質とは、

心が通っていない、

どちらかというと冷たいイメージ。

 




対して、



心は、



「心無い一言に傷ついた」や、


「まごころ」

「お心遣い」



なんて言葉もあるように、

 


どちらかというと

温かみのあるものとして、

とらえられることもあるかと思います。






しかしながら

カタカムナでは、


それらを分け隔てなく

 

物 = 心 → 全てをモノとして統一

 

って感じ。

 



 



どうしても、

現在語の感覚からすると、



「モノ」っていうと

いわゆる「物質」的なイメージを

もってしまいますが、


 


「物思いにふける」

って言葉もあるように、

 


「モノのオモイ」


って感覚が、

どうやら宿っていたようです。

 

 



 

ちなみに、

<モノ>の図象はこんな感じです。



実は僕、

 


この図象を見たときに

ハッとしました。




それは、


「まんま、

ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)じゃん!」


と感じたからです。





ちなみに、

ヨモツヒラサカとは、


日本神話に出てくる、

あの世とこの世を繋ぐとされる坂。




詳しくは、

こちらの記事にも書いていますよ。



あの世とこの世を繋ぐ坂?(ヨモツヒラサカ、イフヤサカ)


 鏡のアカとアオ(イと素粒子)





 

 

 

 

たしかに、

「モ」「ノ」の小円が、


ヨモツヒラサカを

示唆しているようにも見えますね😲








もしも、


そうなのだとすると、どうでしょう。、




あの世(精神、霊性)と

この世(現象、物質)。



これらが繋がり、重なり、

そこに宿しているのが


<モノ>



というのも、


あながち、当てずっぽうな訳でもなく、




その背景には、

別名、「潜象と現象の哲理」とも呼ばれる、


カタカムナ人の


ある「サトリ」


があったのかも知れません…🤔😲


 




いったい、

どんな哲理なのでしょうね??







続きがあるのですが、

(てか、ここまではむしろ前振り‪‪💦‬)


長くなっちゃうので、

また次回😅






いかがでしたでしょうか。


今回は最後に、

僕がカタカムナを学ぶに当たって、

とても参考にさせて頂いている(というよりも、むしろメインで学ばせていただいている)、

ヌーソロジーの半田広宣さんのツイートをご紹介して今回は終わりにしたいと思います。








 ※リンクはこちら:https://twitter.com/kohsen/status/1320654764779032576?s=21

 






次回もお楽しみに😊



Twitterやってます ヒラコウ(@hirako08)