こんにちは。ヒラコウです。
前回は、「アマ始元量」と、
現象化するにあたり、
「アマの性質」を受け継ぐとされる、
「8つの法則」というのについて触れました。
見えない潜象領域においては、
科学が現代になって解明したことが
既に示されていたとも言われるカタカムナ。
いったいカタカムナ人は
どんな世界観をもっていたんでしょう🤔
今回は、そんなカタカムナ人がもっていたと思われる世界観の一つをご紹介したいと思います。
では、
その世界観の一つというのがこちらです。
それは、
「すべてを
モノとして統一する世界観」
う~ん、🤔🤔🤔
???
…どゆこと?????
ですね(笑)😅🤣
こちら、
あえて、ざっくりいうと、
「物心一如」
精神と物質を分け隔てなく観る、
そんな世界観のようです😲
現代の感覚でいうと、
物質とは、
心が通っていない、
どちらかというと冷たいイメージ。
対して、
心は、
「心無い一言に傷ついた」や、
「まごころ」
「お心遣い」
なんて言葉もあるように、
どちらかというと
温かみのあるものとして、
とらえられることもあるかと思います。
しかしながら
カタカムナでは、
それらを分け隔てなく
物 = 心 → 全てをモノとして統一
って感じ。
どうしても、
現在語の感覚からすると、
「モノ」っていうと
いわゆる「物質」的なイメージを
もってしまいますが、
「物思いにふける」
って言葉もあるように、
「モノのオモイ」
って感覚が、
どうやら宿っていたようです。
ちなみに、
<モノ>の図象はこんな感じです。
実は僕、
この図象を見たときに
ハッとしました。
それは、
「まんま、
ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)じゃん!」
と感じたからです。
ちなみに、
ヨモツヒラサカとは、
日本神話に出てくる、
あの世とこの世を繋ぐとされる坂。
詳しくは、
こちらの記事にも書いていますよ。
たしかに、
「モ」と「ノ」の小円が、
ヨモツヒラサカを
示唆しているようにも見えますね😲
もしも、
そうなのだとすると、どうでしょう。、
あの世(精神、霊性)と
この世(現象、物質)。
これらが繋がり、重なり、
そこに宿しているのが
<モノ>
というのも、
あながち、当てずっぽうな訳でもなく、
その背景には、
別名、「潜象と現象の哲理」とも呼ばれる、
カタカムナ人の
ある「サトリ」
があったのかも知れません…🤔😲
いったい、
どんな哲理なのでしょうね??
続きがあるのですが、
(てか、ここまではむしろ前振り💦)
長くなっちゃうので、
また次回😅
いかがでしたでしょうか。
今回は最後に、
僕がカタカムナを学ぶに当たって、
とても参考にさせて頂いている(というよりも、むしろメインで学ばせていただいている)、
ヌーソロジーの半田広宣さんのツイートをご紹介して今回は終わりにしたいと思います。
※リンクはこちら:https://twitter.com/kohsen/status/1320654764779032576?s=21
次回もお楽しみに😊
Twitterやってます ヒラコウ(@hirako08)