こんにちは。ヒラコウです。
今回は、
カタカムナの重要ポイントでもある、
「アワとサヌキ」
について、
取り上げてみたいと思います。
ところで皆さんは、
アワとサヌキと聞いて、
まず何を思い浮かべますか?
一般的には、
「阿波踊り」や「讃岐うどん」など、
四国に関するものが有名ですよね。
実はこの「四国」については、
これまでもブログで何度か取り上げてきた
「渦」として有名な
「鳴門の渦潮」があったり、
その他、
カタカムナウタヒの三十三首では、
「四国」を連想させるヒビキがあったりと、
何やらカタカムナと関係の深そうな土地なんです。
<カタカムナ ウタヒ 三十三首>
カム ナガラ エヒメ サヌキ ヂ
アワ トサ ヂ アメノ オシ コロ
オキ ミツゴ ツ クシ トヨ ワケ
ヒノ クニ クマソ イヤ シロ チハ
イキツ サキ ヨリ イヤシロ コト サトリ
もろに、愛媛、讃岐、阿波、土佐ですね!
(この四国とカタカムナの関連性にについても、今後ブログで取り上げたいと思っています。諸説では、弘法大師空海とも関係してる??😲)
で、このアワとサヌキですが、
スピリチュアル関連でも言われるように、
カタカムナにおいても、
アワ:女性性
サヌキ:男性性
を指すとされています。
男性性、女性性というと、
一般的には、
・男性性:目的、結果主義、支配的、一方的、外的、現象的。
・女性性:経験、情緒的、共感的、柔軟、親和的、内的、潜在的。
等とされたりもしていますよね。
(これらに個人差がある理由も、カタカムナでは説明してます)
ただ…
この男性観、女性観については、
あくまで「男性的な社会」からみた男性と女性。
としての側面もあるので、ちょっと微妙…
というか、
むしろ一時代の一社会だけを切り取った、
社会学的な側面も強いんじゃないかと感じますので、
このブログではあくまでカタカムナにおける
「アワとサヌキ」についてを触れたいと思います。
カタカムナでは、
そんな社会や性別における男女というよりも、
「傾向や性質」を表すものとして、
アワとサヌキが出てきます。
(サヌキ的、アワ的な電気粒子なども出てきたります。)
つまり、
単に男女だけを指すのではなく、
男性にも女性にも、
「アワ性とサヌキ性 (男性性と女性性)」
の両方があり、
(もちろん、性別の男女がある以上、
保有している量は違うと思いますし、
個人差もあると思いますが、)
大切なのは「バランス」
「用法容量を守って正しくお使いください」的な感じが、
カタカムナ的なアワとサヌキなのかと思います。
(この例えで本当にいいのか、、、汗笑😅)
そんな?
アワとサヌキですが、
これらは別途、カタカムナでは
「サヌキ・アワのサトリ」
とまとめられているほどに、
非常に重要なポイントとなっています。
まずは、
アワとサヌキのそれぞれを
簡単にまとめてみると、こんな感じです。
アワ=女性的、潜象、陽
サヌキ=男性的、現象、陰
で!
ここで僕が、面白いなと感じたものが
一つありまして…
それは、
アワは「潜象」、「陽」ってことです。
(反対にサヌキは、現象で陰になりますね)
よく一般的に「陰陽」っていうと、
陽=男性
陰=女性
っていわれることも多いと思うのですが、
こうしてみると、
カタカムナではそれとは陰陽が
「逆」になってまよすね。
以前のブログでは、
「潜象」と「現象」について軽く触れた際に、
カタカムナでは、
「現象は陰(=影)であり、潜象が陽である」
と紹介しました。
(あくまで現象というのは、
潜象の原型(ヒトツカタ)が、
フラクタル(相似)に映し出された姿としています。
これを相似象ってよんでいます。)
※詳しくはこちら:「カゲの素」? (現象と潜象)
また、
その様子が、
アワとサヌキのカタカムナ文字にも、
みてとれます。
こんな感じです。
これまでのブログでも以前に何度かご紹介した
「ヤタノカカミ」図象でみてみると、
アワは、
「潜象側」の「ヒ」の位置に小円が。
サヌキは、
「現象側」の「ヤ」の位置に、小円がありますよね。
※以前のブログはこちら:
ちょうど、「ヒ」は、
「ヤタノカカミ」図象や、
カタカムナウタヒ第五~六首でウタわれる、
「 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト ~ 」
の一番最初の文字であるように、
この「ヒ」の思念には、
「根源・始原」の意味があります。
現象化するよりも、もっと前。
日の出前の神聖な静寂と、
これからいよいよ始まる生成の予感が、
いっきに凝縮したようなヒビキ。
そんな「ヒの思念」が、
「アワ」には込められています。
(日の出とすると、まさに太陽の「陽」ですね)
そして、
サヌキにある小円の
「ヤ」の思念は、「飽和、極限」です。
一つの旅を最後まで行ききった様子。ゴール。結果。
と同時に、それは次のハジマリの予感でもあります。
カタカムナでは、万象万物について、
「生成(発生)・成長・極限(飽和)・崩壊(死)」
を繰り返すという、
「循環」の哲学を背景に持っていますので、
この「ヤ」は、極限であると同時に、次の「死」。
そしてその次の「ハジマリ」も同時に暗喩しています。
そんな「ヤ」の思念をもっているのが、
「サヌキ」には込められています。
つまり、
アワとサヌキの関係は、
アワ(陽)→ サヌキ(陰)の順。
それはちょうど、
パンパンに膨れ上がった風船に針をさすように、
潜在的にアワのエネルギーが満ちたところに、
それを、現象側のサヌキが突き抜くことによって、
勢いよくエネルギーが放出される
そんな様子を表しているのかもしれません。
(アワ=アマ資源量の満ちたワ、
サヌキ=差を創りだすように貫く)
そして、このアワとサヌキは、
やがてマトマリ、循環する性質を持っています。
(男女のマグワイ→生命の循環も、
このヒトツカタを表すとされています)
現代の社会は、
「男性原理」の強い傾向にある社会とも言われています。
男性性に象徴されるような、
物質的、成果、結果主義、支配が優先される社会。
だけど…
それだけだとなんとなく、
常に求め続ける果てしない
消耗戦に感じます・・・
一つのゴールを終えたら、
また次のゴールへと、、、
それもそのはずかも知れません。
最終的な成果物だけに捉われすぎ、
これまでの社会は
肝心カナメの素である
「アワ=ヒ」
この素量を、
見過ごしてきたのかもしれません。
カタカムナでは、
この素量を、
「潜在的アワ量」
といったりもします。
成果物として、
目の前にみえるモノの
内部に、奥に、
いかに素量である
「アワ=ヒ」を感じ、
それを認識にあげることができるのか。
時代はそろそろ裏返り、
このアワとサヌキの双対が、
共にバランスをとるステージへ。
つまり、今こそ、
「アワ=ヒ」の真髄を
改めて見直すターニングポイント
に差しかかっているのかもしれませんね🤔
引き続き応援よろしくお願いします!(^^)/💫
今回はとりとめもなく長くなりました(汗)
アワとサヌキは重要なテーマなのに、
軽いノリで書き始めて、
途中で収集がつかなくなったかもと、
ちょっと後悔(笑)
ご利用は計画的にですかね(汗)
まだまだ書きたいこといっぱいあるので、
また、折を見て四国や、アワとサヌキにも触れてみたいと思います。
Twitterやってます。ヒラコウ(@hirako08)