2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第54回目で、「日本100名城」で現存重要文化財「丸亀」(香川県丸亀市一番丁)の「天守」をお届けします。 

 

初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。

 

 

「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。

 

アクセス

JR予讃線「丸亀駅」下車して徒歩15分。

 

〇現存重要文化財「丸亀城 天守」

・三重三階、「層塔型」、現在は「単独式」(かつては、「隅櫓」と「多門櫓」に繋がる「連立式」でした)

屋根は「瓦葺」

は一階の北東南が現在「下見板張り」(西は「多門櫓」を外した時に白漆喰にした)、北面に「狭間」

は「竪格子窓」、三階は柿渋塗りの「連子竪格子窓」、一階北面東端「出窓」下は「石落とし」

破風は二階南北に「向唐破風」、二重目東西に「千鳥破風」

軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」 

内部は木造で一階は間仕切りなし、壁は「太鼓壁」、三階には「大砲狭間」  

天守(櫓)台は高石垣の「打込接・布積み」

   

「丸亀城 天守」の歴史

・1660年に完成

 

城主

・1587年に入国した「生駒親正」は1597年から築城開始(17万石3千石)

・1602年頃に城郭が完成し「生駒一正」は城代を配置

・1615年に一国一城令で廃城

・1641年頃に「山崎家治」が5万石で入城して城を再築

・1658年に「京極高和」が6万石で入城→5万1千石、以降「京極家」が幕末維新まで領有

※1660年に「天守」完成

 

現存重要文化財「丸亀城 天守」(北面)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(北面は向唐破風と出窓と連子竪格子窓が特徴)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(出窓の「石落とし」が見える、北面を下から見上げる)↓

ライトアップされた現存重要文化財「丸亀城 天守」↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(北西方向から、「山下御殿」跡付近から)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(西面1階の「下見板張り」は外されている)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(南西方向、本丸跡から)↓

ライトアップされた現存重要文化財「丸亀城 天守」(南西方向、本丸跡から)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」(南面、本丸跡から)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の鬼瓦に「京極家」の家紋「平四つ目結紋」が付く↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の「下見板張り」↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」を支える「天守台」(北面は「打込接・布積み」)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部の白壁(1階)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部4隅には燧梁(ひうちはり、縦に両柱を立てて柱頭に梁をかまして隅を堅固にする方法) ↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(2階)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(竪格子窓の内側は「引き戸」)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(二階から三階への階段)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(三階から二階への階段)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(三階最上階)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部の「太鼓壁」(壁の中に砂利や小石を入れて壁を強化している)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部の「大砲狭間」(いざという時に、ここを打ち破って大砲を打つ場所にする)↓

現存重要文化財「丸亀城 天守」の内部(三階天井は小屋組み)↓

 

 

 

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