こんにちは、前回の小岩嶽城に引き続きサクサクっとお城紹介。毎年桜🌸の季節になると、桜とお城とのコラボを考えたりするのだけど、なかなか上手く噛み合わず。
なんとか長野県の花岡城を訪問。桜🌸が散りはじめた4月16日の季節の城ブログスタート!


【花岡城】

築城  鎌倉時代   花岡氏

廃城  1548年

城郭  平山城

天守閣  なし

標高   811m      比高  51m


知名度  ★★☆☆☆☆

満足度  ★★★☆☆☆

遺構度  ★★☆☆☆☆

疲労度  ★★☆☆☆☆☆


花岡城は花岡氏の居城とされる。花岡氏は諏訪氏の氏族有賀氏から派生したとされているが、詳しい系図は明らかではない。また承久年間(1219年〜1222年)に有賀四郎なる人物が在城していたされ、城の歴史は少なくとも鎌倉時代にまで遡るものと考えられる。本来、花岡氏をはじめ有賀城、小坂氏は諏訪西方衆と呼ばれて、諏訪氏に属していた。

1542年に武田信玄が諏訪に侵攻に際しては高遠頼継と連携して武田氏に従属した。

1548年上田原の戦いで武田軍が敗れ、諏訪郡代板垣信方が戦死して諏訪に動揺がはしり小笠原長時らに呼応して花岡忠常は反武田に転じたが同年に塩尻峠の戦いに小笠原軍が敗れ諏訪西方衆も武田軍に攻められて廃城となった。


花岡城は諏訪湖の西岸、天竜川の南岸に築かれている。城は丘の上にあり城下まで車🚗で行けるが、道が狭くあまりおすすめしない。湖岸に駐車場があるのでそこから城を巡った方が良い。


【駐車場】

湖岸駐車場に数台駐車できる。


花岡城の道①

県道16号線の歩道橋を渡る。道路を横切ったらダメだよ。


花岡城の道②

狭いなぁ〜


花岡城の道③

ここから坂道を上がる。


花岡城の道④


花岡城の道⑤

花岡城が見えてきた。


花岡城の道⑥

ここは右折。


花岡城の道⑦


花岡城の道⑧

この先が駐車場スペース


【3郭】

※余湖くんのお城ページ参照

本丸腰曲輪に位置にあたります。

3郭から階段があるので登ろう。


階段を上がると本丸。


【本丸】

※余湖くんのお城ページ参照

本丸に着きました。楕円形の小さな曲輪です。

本丸から見る諏訪湖と3郭😀

本丸から見る2郭

本丸の東側は土塁があります。

土塁の横から行くと2郭

本丸から2郭へ

2郭が見えてきました。


【2郭】

※余湖くんのお城ページ参照。

ちょっと細長い曲輪、周囲に土塁に囲まれている。

葉桜が綺麗だ。満開から10日ほど遅れたかな😥

2郭から3郭に繋がっています。


以上で花岡城は終わり。

サクッと終了です。


次回の城ブログに続く。

こんにちは、、まずは大河ドラマの「秀吉兄弟」の武田信玄の退場があっさりし過ぎてちょっと不満😠
さて前回の春日山城に引き続きサクッとお城巡り。今回は長野県の小岩嶽城。実は2回目の訪問。
1回目の訪問写真データはスマホ📱紛失と共に揖斐城に沈んでいるので今回はちゃんと記録に残さないと💦
とはいえ、このお城に到着したのが16時30分。
あまりゆっくり探索できない。なのでサクッと30分訪問記録で申し訳ないが載せようと思います。
ではスタート▶️

【小岩嶽城】

築城  1522年   仁科盛国

廃城  1583年

城郭  山城

天守閣  なし

標高  840m     比高  240m


知名度  ★★☆☆☆☆

満足度  ★★☆☆☆☆

遺構度  ★★☆☆☆☆

疲労度  ★★★☆☆☆☆


中世仁科氏庶流の古厩氏が所有していた、古厩郷に1522年仁科盛国が築城した。

仁科盛国の子小岩盛親が城を守らせた。

国人領主の仁科氏は信濃国守護小笠原氏とは抗争を経て被官化した経緯があり、臣下にあっても小笠原氏を警戒する狙いがあったとも思われる。

1542年以後から武田信玄が信濃侵攻を開始。1552年8月.武田信玄は3000人の兵で500人で守る小岩嶽城を攻撃した。城主小岩盛親は3ヵ月わたる籠城の末子小岩盛康ともに自刃した。

1561年になると仁科宗家も滅亡する。その後古厩氏は武田信玄の5男の仁科盛信に従った。1582年の武田氏滅亡後は上杉景勝配下の市川信房に入ったが、後に小笠原貞慶が旧領に復帰し、古厩盛勝も小笠原氏に従った。しかし1583年上杉方に通じて小笠原氏に逆心を企てたと言う理由で成敗された。その時点で小岩嶽城は古厩城と共に廃城となった。


小岩嶽城は松本城から北北西に約20kmの位置にあります。県道25号線から入口あるのですが、案内板が小さくて2回ぐらい入り損ねています💦

駐車場もちゃんとあるので入口さえ入れば行きやすいお城です。



【駐車場•模擬門】


※余湖くんのお城ページ三参照

駐車場はちゃんとあります。



駐車場の場所に模擬門があります😀


違う角度から撮影📷


模擬門の裏側から撮影📷


裏門もこんな感じです。


奥へ歩く🚶‍➡️



【南3郭】

南2郭.南3郭.北2郭.北3郭と区分けされているはずだが、北側の郭はヤプ化されていて残念な感じになっている。

奥へ歩いて本丸へ右側の北郭はヤブ化になっている。


【本丸南横堀】

※余湖くんのお城ページ参照

本丸南側の横堀、もう少しわかれば良かったが右側の土塁が高いのが目立つ


【本丸北横堀】

※余湖くんのお城のページ

本丸北側の横堀、北2郭が薮に包まれいるのでわかりにくいけど、、

本丸に入ります。


【本丸南側】

※余湖くんのお城のページ参照

本丸の広さは150m×50mぐらい。

これぐらいの広さ。


【本丸•北側】

※余湖くんのお城ページ参照

本丸北側は鳥居⛩️と

社があり、、しかしボロぃ😨


【のろし台の道】

模擬門まで戻り、南側から約230m先にのろし台櫓があるので行ってみよう。


のろし台の道①


【南3郭南西の空堀】

南3郭の空堀が一部残っています。


のろし台の道②


のろし台の道③

ここから階段を登ります。


のろし台の道④

よく整備されている階段。


のろし台の道④

櫓が見えてきた


のろし台の道⑤

おおー😍


【のろし台櫓】

のろし台櫓から見る、安雲野市街地の景色。

夕方17時なので夕方🌆の景色。


詰城に登る時間と登山道も不安定なので勇気ある撤退💦

列伝さん、、近場のお城をサクッと紹介ですみません🙇

 

こんにちは😃

忙しく、かなり城ブログもスローになりました。

今回は春日山城②です。


やはり、春日山城は広いね。

遠征でこれだけ広いと訪問に軽く2時間取られた。


100名城、続100名城を目指す人は高田城、春日山城、鮫ヶ尾城の3城で1日いっぱいいっぱいになりますね。


さてさて写真で誤魔化すひっくんブログ、春日山城の後編スタートです。


春日山城①←前回はこちらを参照に🙇



【不識院跡】

復元されさ毘沙門堂の場所は不識院跡と呼ばれる場所であり


上杉謙信の「謙信」は、法号であり戒名を不識院殿真光謙信と言います。そして林泉寺には「第一義」という謙信の座右が掲げられています。この法号のはじめにある「不識」というのは禅の達磨大師の言葉です。

この不識からきたのが不識院。

上杉謙信は亡きあともここから見守っている?


不識院跡から更に登って


右側に回転すると護摩壇(護摩堂)、諏訪堂、毘沙門堂の跡が並んでいます。


【護摩壇(護摩堂)】

上杉謙信は出陣前に毘沙門堂に籠ったのはよく知られいるが、護摩を焚いて戦勝や息災を祈祷したのが護摩壇(護摩堂)と言われているらしい。

護摩壇より少し上がった場所に諏訪堂、毘沙門堂があります?


【諏訪堂、毘沙門堂】

護摩壇の奥には諏訪堂と毘沙門堂が並んであります。諏訪堂は諏訪神社からきたのかな?

復元された毘沙門堂は当時この位置に建てられいたのか。

諏訪堂から本丸へ

本丸の下の削平地、この辺りは小姓曲輪と言われている資料もあるみたいで、小姓が待機する場所だったのか?さてここから本丸帯曲輪へ


【直江景綱屋敷】

本丸の帯曲輪の位置に直江景綱屋敷、

直江兼続の妻お船さんの父の屋敷跡だね

大河ドラマの天地人のお船さん、

ここから本丸が行けない🈲

直江景綱屋敷から二の丸、三の丸を見る。

次はここから探索。

帯曲輪を歩き🚶‍♀️ます。

ここから二の丸、三の丸へ

二の丸へ降りて行きます。

二の丸が、見えてきました。


【二の丸】


二の丸は古絵図には、「御二階」「台所」と記載されるものもあり、現在も笹井戸と言われる井戸跡が残っています。

この辺りは能登地震で崩れたそうらしい。

怖い😱

二の丸の奥に井戸跡を発見💡


小さな井戸だが


ちゃんと水が潤っている。


二の丸から三の丸へ行きます。


三の丸の道へ、


ここから360度折り返して三の丸へ


この付近に青芋があって説明板もあるのだが枯れている😥


三の丸が見えてきました。

結局下がる⤵️なぁ

三の丸の入口です。


【三の丸】

三の丸の北側には米蔵、二の丸が台所ならここから米を運んでいたのかな?

しかし立派な土塁で囲まれている。

三の丸の中心部

【上杉景虎屋敷】

上杉謙信の養子、上杉景虎屋敷。

米蔵の側に屋敷とはなかなか重要なポジションやん

上杉景虎屋敷から見る景色。


三の丸はここまで、ここから本丸へ階段を上がる。


ここで分岐点が分かれていてとりあえず、本丸へ


本丸が見えてきました😀


本丸虎口。ここへ登って


右側に入ります😀


【本丸】

36m×24mの小規模な曲輪、御殿はなかったと言われています。

本丸を角度を変えて撮影。


本丸から毘沙門堂、諏訪堂、護摩壇側の景色。

ちょいと大木が邪魔(笑)


本丸からの景色、快晴ならもっと絶景なんだろうね


ちょいと動画🎥撮りました。


本丸から天守台へ

区切りの堀切を越えて天守台へ


【天守台】

天守台はありますが天守閣はなかったもよう。

ただ当時櫓はあったと想定されると思われる。


天守台から南側の景色、山の向こうは長野県かな。


天守台から奥の井戸曲輪へ


10mぐらい降りた曲輪が井戸曲輪。


【井戸曲輪】

本丸の北側にある曲輪で、真ん中に大井戸があります。

直径5mぐらいあり、いまでも水が潤っている。

凄い💦


井戸曲輪の南側。天守台の切岸。


井戸曲輪の北側、本丸の切岸。


井戸曲輪から南南東の上杉景勝屋敷へ、その真に鐘楼台が見える


降りて、、登って💦


井戸曲輪を降りた堀切。左側からぐるぐると上杉景勝屋敷へ行けるがまずは鐘楼台へ


鐘楼台へ登る。


【鐘楼台】

直径5mぐらいの小さな曲輪、鐘楼台。

🔔を鳴らして時刻とか教えていたのだろうか?

鐘楼台から見た井戸曲輪。

鐘楼台から見た上杉景勝屋敷。


鐘楼台を降りて、上杉景勝屋敷へ行こう。

左側に堀切がありますがまずはまっすぐ上杉景勝屋敷へ


上杉景勝屋敷と鐘楼台の堀切これは立派だ。


まずは上杉景勝屋敷へ


【上杉景勝屋敷】

上杉謙信の跡目を継いだ上杉景勝の屋敷、尾根を巧みに利用して曲輪が造られており、曲輪も曲がっています。

上杉景勝屋敷の奥の曲輪

上杉景勝屋敷から降りて堀切を横切ります。

堀切を渡ると、、、

側面のT字に合流ーーー文字は御成街道と言われて二の丸、三の丸へ繋がっています。


【御成街道】

上杉謙信と交流のあった関白近衛前嗣の通った道と言われていて大手道の延長線の道なのかな?

上杉景勝屋敷の側面を通る御成街道。


御成街道を通ると柿崎景家屋敷が見えてきました。


【柿崎景家屋敷】

上杉四天王の1人、柿崎和泉守景家の屋敷。

勇猛な武将として知られている。

信長の野望ではこんな顔しているのか?

見るからに強そうだ😀

柿崎景家屋敷から降りていきます。


春日山城大手道①

ここからは大手道です。


春日山城大手道②


春日山城大手道③

基本案内通路から外れているのか?人の気配がない。


いきなり削平地がきた。ここは南三の丸


【南三の丸】

「ジョウ(城)の畑」と呼ばれ、古くから城内を意識されていて、土塁や堀で区画された郭が連なり春日山城の最も重要な屋敷が集まった場所されています。



春日山城大手道④

ここからは番所へ


春日山城大手道⑤


春日山城大手道⑥


春日山城大手道⑦

この位置から本丸から1km、南三の丸から400mと書いてある。やはり観光ルートは大手道から登って搦手道だよなぁ(−_−;)


春日山城大手道⑧


【番所跡】

大手道の中程、本丸を初めて目標にする地点にあって「番所跡」と伝えられる。標柱の小山は木戸が造られいた土塁の跡で門があったと考えられています。


春日山城大手道⑨

番所から大手口まで歩く道中には切り通しみたいな場所もあります。


春日山城大手道⑩

大手道を歩く🚶‍➡️と雪の塊がおそらく除雪した雪なのかな?


【大手口】

ここから番所まで約600m.南三の丸まで約1200m本丸まで約1900mの距離である。

この付近にも駐車場🅿️があるからガッツリ探索はここに駐車するのもベストかも知れない。


以上で春日山城は終わりにします。

登山口から春日山神社⛩️駐車場🅿️まで約500m

てくてく歩いて帰りました。


そのあと鮫ヶ尾城へ向かいたが、残雪が思っている以上に溶けてなくてちょっと苦労しました💦