こんばんは、、最近特にブログ更新を手抜きしている私😨

城巡りは2カ月ほど休んでいますが、、夏アニメは視聴しています。

そこでたまにアニメネタを載せようかなと思い今回を書きました。

そんな中で…「負けヒロインが多すぎる」と「女神のカフェテラス」を観ていたら、、

ふと、、「泥棒猫」の言葉にて、、

「泥棒猫キャラ」の声優に和氣あず未さんを思い出してちょっと声優妄想を(笑)


勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う

猫耳少女キャラをしている当たりから、やたら和氣あず未さんの猫キャラが頭に入り


「負けヒロインが多すぎる」では友達に好きな人を奪われて


女神のカフェテラスでは抜け駆けのキス


「カノジョの彼女」ではまた抜け駆けのキス


カノジョの彼女での抜け駆けされた声優が女神のカフェテラスに出ていて(笑)



負けヒロインの泥棒猫もここに出演。


まぁ〜アニメオタしかわからないネタだが和氣あず未キャラは「泥棒猫」だよとインパクトしてしまったネタでした。



お久しぶりです。
またまたブログを放置していました😨
最近、、忙しくて城巡りが全くできていなくて…ほぼ2カ月放置状態です。
早く関東シリーズを仕上げないとね〜
JOJO氏に怒られそう😅

前回の佐倉城から茨城県に入ります。
小坂城です。サクッと写真だらけのお城ブログだけど見てくださいね。


築城  1540年頃  岡見治資

廃城  1590年

城郭  梯式平山城

天守閣  なし

標高  20m     比高  15m


知名度  ★★★☆☆☆

満足度  ★★★★☆☆

遺構度  ★★★★☆☆

疲労度  ★☆☆☆☆☆☆


小坂城は小田氏の分家岡見治資と言われています

小田家風記には「小坂城主が岡見備中守であり、一万石の小田一族大名」と記録されている。

新編常陸国誌には「1548年に小野川の対岸の泉城から攻撃を受け、小坂岡見勢が泉城主の東条重定を討って撃退した」とされている。

小坂合戦には、東条氏に味方する江戸崎の土岐氏と岡見氏に味方する小田氏も参戦したとされる。

天正年間に入ると岡見氏は多谷氏との抗争する様になり、多谷氏側が佐竹氏、岡見氏側が北条氏が支持する。それにより岡見氏は北条氏の傘下に入る事になります。しかし1590年に小田原役で北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると岡見氏も改易。

小坂城もその頃廃城としたと思われます。


前回の佐倉城より北へ約30km北にある小坂城。

小さな丘城です。周りは住宅街があり当時は鎌倉街道が側を通じていてそれなりの要衡な当時だったのか?専用駐車場もあり整備はされています。

駐車場も4台は駐車できます。

バスの駐車場もあります。ツアー対策かな?

バス駐車場スペースに小坂城の整備板があります。

バス駐車場スペースより階段があり、城に入れます。

整備されていますね。


【5郭】

縄張り図では郭ではないのだけど削平地になっているので5郭と命名。そこは郭じゃないとかのクレームはお許しください🙇‍♂️

5郭から土塁がありその先は空堀になっています。

空堀を覗いてみましょう。なかなか良い空堀。


5郭から土橋が見えます。


【3郭の土橋】

3郭に入る土橋、右側は横に並行に空堀が左側は縦に空堀があります。


【3郭と5郭の空堀】

3郭の区切の空堀。こちらは深さ1mぐらいでしょうか?


【3郭】

東西29m南北33mでほぼ正方形の郭です。

江戸時代には愛宕神社⛩があり虎口は改変されているかもしれないと説明板に書いてありました。


【3郭虎口?】

改変疑惑の虎口、土塁が削られています。


【4郭】

東西14m南北17mの3郭の半分ぐらいの広さの郭です。ここでは他の郭では発見されない天目茶碗片、石臼片が発掘されており文化的にな空間の場所と思われます。


4郭から2郭の南側を撮影。土塁と空堀があります。


3郭と4郭の空堀はこんな感じです。


3郭から2郭へ行きましょう!


【2郭土橋】

3郭から2郭に繋がる土橋です。

2郭土橋から西側を見る空堀、櫓台があり折れ曲り横矢になっています。工夫しているなぁ

2郭土橋の東側空堀。

2郭の虎口です。


【2郭】

東西56m南北78mで北側はL字になっております。


【2郭南側空堀】

ちょっと藪化しているけどちゃんと空堀が見える


2郭と本丸の空堀

2郭から本丸に入る土橋が明瞭でない。


【本丸土橋】

ちょっと土橋としては寂しい(−_−;)

もしかしたら2郭と本丸は木橋でつながっていたかも…と妄想中

本丸の虎口に入ります。


【本丸】

東西42m南北34mなんだが南西部分は一部欠けています。

本丸からの景色…観れない(−_−;)

本丸の北側の土塁を登ります。


【櫓台】

この櫓台からは本丸、2郭、3郭が良く見れて司令塔の役割がある。


【櫓台から見る2重空堀】


本丸の櫓台からみる2重空堀、面白い構造なんだなぁ〜と思う。


以上で小坂城は終わります。

いや〜小さなお城だけど良好に残っていますね。

疲労度もないしおすすめなお城の一つです。



本佐倉城に引き継ぎ、千葉県のお城佐倉城。
佐倉城はやはり100城であり千葉県の代表お城です。この城はちょっと攻略の仕方が失敗してちょっと本佐倉城より雑な感じの城ブログです。

やはり長遠征すると時間に追われてやはり雑になる💦本当に反省やわ。

ではサクッと見ててや〜

【佐倉城】

築城  1550年頃    千葉親胤

廃城  1873年

城郭  連郭式平山城

天守閣  3重4階層塔型(非保存)

標高  30m     比高  16m


知名度  ★★★★★☆

満足度  ★★★☆☆☆

遺構度  ★★★☆☆☆

疲労度  ★☆☆☆☆☆☆


佐倉城は鹿島山の西側部に築かれ西側と南側を囲むように鹿島川とその合流する高崎川が流れ、北側に印旛沼に至る低湿地が広がる地域である。

最初に佐倉城の築城に手がけたのは、本佐倉城にいた千葉親胤だった。千葉親胤は大叔父の鹿島幹胤に命じて築城を開始したが1557年に千葉親胤が暗殺によって中断。千葉邦胤の代にも工場を試みたが千葉邦胤め1574年に暗殺されてしまい頓挫した。いつしか築城予定地には鹿島幹胤にちなんで「鹿島台」と呼ばれる様になったとされる。なお、鹿島氏は神島氏とも称され、千葉親胤の兄千葉胤邦の室は神島氏の出身とされる。彼女は千葉胤邦の生母では無かったが千葉家中に大きな影響があり、千葉邦胤の暗殺後に北条氏政の息子北条直重を千葉氏に送り込もうとした際に彼女の支持を取り付けた事で実現したと伝えられる。

佐倉城は1590年に工事を完成しないまま小田原役を迎え江戸時代に入り1610年徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城を再開され、佐倉城が完成し佐倉藩の藩庁が置かれた。

佐倉藩は「老中」の城と言われ多くの城である。


土井利勝以下は

1610年〜1633年

土井利勝

1633年〜1634年 7万石

石川忠総

1635年〜1640年 4万石

堀田家信、堀田康信

1642年〜1660年 11万石

松平正盛、松平正信

1661年〜1678年 6万

大久保乗久

1678年〜1686年 8万3千石

戸田忠朝

1686年〜1701年 6万3千石

大久保忠昌、大久保忠真

1701年〜1723年 10万2千石

稲葉正通、稲葉正知、

1723年〜1746年 6万石

松平乗邑、松平乗佑

1747年〜1871年 10万石

堀田正亮〜6代


1869年、最後の藩主となった堀田正倫が版籍奉還。江戸末期から藩の財政が切迫していたこともあり、この年に城の破壊するに任せ、修理などは行われない事を明治政府に願い出て許可を受けている。

1873年には廃城令が出されて、佐倉城は存城処分が決まったものの、明治初期に陸軍の歩兵連隊(佐倉連隊)の兵営地となったこともあり、城門、櫓、侍屋敷は撤去された。



佐倉城は前回の本佐倉城より4kmほど西側にあるお城である。国立歴史民族博物館があり城跡のかなり近くまで行く事ができる。


【駐車場】

国立歴史民族博物館の駐車場に。


駐車場からとりあえず歩く🚶‍♀️


馬出しの遺構が見えてきました。


【馬出し】

結構規模がでかい。表に回って空堀をみましょうか?ドキドキ💓


【馬出しの空堀】

佐倉城の最大の見どころがいきなり、

凄く綺麗に整備されている。いきなりメインの遺構がドーン!(◎_◎;)


【椎木門】

馬出しの反対側に椎木門があり古写真が残っています。


【椎木門の空堀】

ヤブだらけやなぁ


【兵営の便所】

佐倉軍隊のトイレ跡だったそうです。


【礎石の石】

二の丸付近に石🪨がゴロゴロしている部分があり、土の城と言われる佐倉城の礎石が集められた場所なんだろうか?


さて二の丸へ


【不明門】


【二の丸】


【二の丸南の空堀】

藪だらけ😅


一の門へ歩きます。


【一の門】

本丸の正門でしょうか立派な古写真が残っています。


【本丸】

南北105m×東西127mの広さであり、やはり広いなぁ


本丸は約5mぐらいの土塁に囲まれており、土塁を歩こう😁


【胴櫓】

2重の櫓であり古写真が残っていた。


本丸土塁を歩きます。


【天守台】

3重の天守があったらしく1813年に焼失したらしい。


天守台を下から見上げる。


本丸をぐるりと歩きます


【三重隅櫓跡】


本丸から台所門(不明門)に行きます


【台所門跡】

本丸の裏門かな。


台所門から折れ曲がります。


二の丸の帯曲輪です。


三の丸が見えてきました。


【三の丸】


【堀田正睦の像】


幕末の日米通商条約に活躍した人である。

写真と比べどうだろうか?


【三の丸の城門】

古写真がありました。


【三の丸の空堀】


【姥ヶ池】

天保時代に城の若君が誤ってこの池に落ちて亡くなり、その責任を取るために、姥がこの池に身投げした伝承が残ると言う。怖い😨


さて帰るます。


駐車場に戻りました。


以上で佐倉城は終わりです。

もうちょっとゆっくり探索しないとなぁ