2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第53回目で、RC造り復興の「岩国城」(山口県岩国市横山)の「天守」をお届けします。
初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。
「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
〇アクセス
JR山陽本線「岩国駅」下車、又はJR山陽新幹線「新岩国駅」下車。 「岩国駅」からはバスで約15~25分、「新岩国駅」からはバスで12分乗車して「錦帯橋バスセンター」バス停で下車。 山頂の「天守」へは、錦帯橋を渡り徒歩10分でロープウェイ「山麓駅」から約3分で「山頂駅」へ、更に大手門跡まで徒歩3分。
〇RC造り復興「岩国城 天守」
・四重六階、「南蛮造(唐造)で望楼型」、「付櫓」が付随する「複合式」
※四階は三階より出張る、六階は五階より出張る(いずれも「ありこし=方杖」で支える)
・屋根は「瓦葺」
・壁は「下見板張り」
・窓は「突上げ窓」、三階中央に「華頭窓」
・破風は三重目に「入母屋破風」と「千鳥破風」
・軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
・内部はRC造りで資料等展示
・天守(櫓)台は「野面積み・乱積み」(本来の「天守台」は「天守」の北西に復元「野面積み・乱積み」)
〇「岩国城 天守」の歴史
・1608年に完成
・1615年に一国一城令で取り壊し
・1962年にRC造りで外観復興
〇城主
・1601年に「吉川広家」が3万石で入城→6万石(毛利藩からは立藩が認められず)、以降「吉川家」が幕末維新まで領有し1868年に立藩が認められ城主格に ※但し、1615年以降は麓の「御土居」に居城
RC造り復興「岩国城 天守」(南蛮造=唐造、北東方向から)↓
RC造り復興「岩国城 天守」(「ありこし=方杖」で支えられた四階の出張りが目立つ、北東方向から)↓
RC造り復興「岩国城 天守」(「付櫓」が付随、東面)↓
RC造り復興「岩国城 天守」(西面、二の丸跡から)
RC造り復興「岩国城 天守」(三階中央に「華頭窓」、北面を下から見上げる)↓
RC造り復興「岩国城 天守」(四階部分と六階部分が下の壁より出張る「南蛮造=唐造」)↓
RC造り復興「岩国城 天守」(「突上げ窓」と「鉄砲狭間」が並び隅には「石落とし」)↓
RC造り復興「岩国城 天守」の内部(RC造り)↓
RC造り復興「岩国城 天守」の内部(RC造り)↓
RC造り復興「岩国城 天守」の内部から見る「突上げ窓」↓
RC造り復興「岩国城 天守」の内部(最上階=六階)↓
復元の「岩国城 天守」台↓
RC造り復興「岩国城 天守」と「錦帯橋」↓
RC造り復興「岩国城 天守」(山上の南面)↓
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