2002年日本選手権優勝時の記念撮影(坂田勇夫先生:最前列中央)
2022年4月12日(火)、病気療養中であった恩師の坂田勇夫先生がご逝去(享年83歳)された。
私の人生に最も影響を与えた人物を3人挙げるとしたら、まずは父・母であり、次は間違いなく坂田先生と言えるだろう。坂田先生との出会いは、私が昭和56(1981年)4月に筑波大学体育専門学群に入学したときに遡る。入学とともに入部した水泳部の水球監督が坂田先生であり、以来今日に至るまで、41年の長きに渡り、公私を問わずにお世話になってきた。
初対面の坂田先生の印象は、とにかく「おっかなそうな人だ」というもの。熱血漢で、まさに口角泡を飛ばして水球の指導に当たられていた坂田先生に対して、練習中は内心ビビりまくっていた。でも練習が終わると、新入生の私達(当時、新入生は私と目等君の2人しかいなかった)の体調管理を気遣って、自宅に招いて夕食をご馳走してくださったりもした。
とにかく「飯を食わないと強くなれない」を言うのが坂田先生の持論で、幾度となくご自宅でたらふく食べさせて頂いたが、それを嫌な顔ひとつもせず対応してくださったのが、奥様の八千代先生であった。
実は八千代先生、水球の隣で練習する飛込チームの指導をされていたのだが、我々は「飛込の先生」という認識で、坂田先生の奥様とはつゆ知らず、ご自宅を初めて訪れた時、なんで「飛込の先生」が台所に立っているんだと驚いたものであった。それはさておき、兎にも角にも、坂田勇夫・八千代ご夫妻には、つくばの父・母の如くお世話になった。
その坂田先生に一番強く影響を受けたのが、「生き様」である。誤解を恐れずに言えば、私は坂田先生から水球の細かな技術や戦術を教わった覚えはない。教えを受けたのは、正に「生き様」であり「坂田イズム」である。「坂田イズム」を端的に言うことは難しいが、最も重視されたコンセプトが「意識改革」であろう。坂田先生は水球で強くなるためには、これまでの慣習にとらわれず、意識を変革し、チャレンジすることの重要性を常に我々に問い続けた。
それを具現化させるイベントの1つが海外遠征であった。当時(今から35~40年前)、学生の身分で海外に遠征するというのは大変まれであり、坂田先生が「海外に行くぞ!」と言い出された時は、「えっ!ほんとに行くの?」とみんなで目を丸くしたものである。でもそのお陰で、私は現役選手・コーチ時代を通じて、グアム、シンガポール、スペイン、イタリア、オランダなど、様々な国を訪れ、海外の選手とマッチアップし、水球を通して異文化交流する機会を得た。
この時の坂田先生の思いは、とにかく「体が大きく、上手い選手と直接対戦することで意識を変えて欲しい」ということであったろう。そして、この坂田先生の思いは間違いなく、大きなカルチャーショックとなって、その後の私の人生を変えた。私にとってこの時の経験があったからこそ、母校の筑波大学や日本代表チームの水球監督を務めることになった時も、成功体験にとらわれず変革を求め続けることができたと思う。
水球以外でも「坂田イズム」は、私に大きな影響を与えた。特に坂田先生が大事にされる「人間関係」は、私が生きていくうえでの行動指針となっている。とにかく、坂田先生は「情に厚く、義理堅い」。卒業生が新任校で新たにチームを結成したとなれば、我々を率いて手弁当で強化のお手伝いに馳せ参じる。あるいは、国体やインターハイで全国各地を訪れる機会があれば、必ず現地のOBOGと酒宴を催し、旧交を温められた。さらに、冠婚葬祭は決して欠かさず、全国どこへでも夜通し車を運転されて、出席されていた。
このように常に「人間関係」を大事にされる坂田先生を見習うなんてことは到底できないが、私も人生の節々で迷うことがあると、「坂田先生ならどうされるだろう?」を思い巡らす時がある。そんな時は、坂田先生を少し見習って、自分の損得勘定ではなく、相手や周りの利益を優先する利他の精神で対応するように心がけている。
ここまでの「坂田イズム」はやたら強面のイメージだが、実は「坂田イズム」には人生をとことん楽しむという面もある。私は坂田先生のお供をすることで、人生の楽しみを随分教えて頂いた。たとえば、やや破天荒ではあるが、「日本海の氷見で蟹を買い付け、それを担いで立山(3003m)に上り、山頂で蟹と日本酒(立山)で酒盛りをして、温泉に入る」なんてこともした。その他、常人とは一味も二味も違う、海、山、温泉、酒、珍味を堪能する経験をさせて頂いたが、これは何物にも代えがたい大切な思い出となっている。
このような「坂田イズム」に感化されたのは、実は私だけではない。直接水球の指導を受けた選手以外にも、授業をとった学生、スキー仲間、大学の後輩などなど、「坂田先生に影響を受けた」とおっしゃる方は驚くほど多い。その証左として、コロナ禍にあっても坂田先生の葬儀には通夜・告別式を合わせて300名超の方が直接弔問に訪れられた。参列された方は異口同音に、坂田先生の思い出を嬉々として語られ、もう会えない悲しみを嘆いておられた。
そんな偉大な坂田先生を失い、喪失感は大きいが、それで停滞しているわけにはいかない。きっと坂田先生なら「やるしかないんだよ!」と、天国から檄を飛ばすに違いないので、我々が「坂田イズム」を継承して、前に進むしかないのであろう。
最後に、坂田勇夫先生、本当にお世話になりました。心からご冥福をお祈りいたします。
合掌