2017年5月ある夜のこと


治療法を決めるきっかけになった夜のこと。


この話をするとスピリチュアルな世界が好きなのか?って思われるのかもしれないが…。


とりわけ好きな訳でもないけど、


世の中にはそんな世界があってもおかしくはないんじゃないかとは思う。


治療法の選択で悩んでいた夜。


娘はその日は静かすぎるほど静かに眠っていた。

相変わらず熱は下がってないし、頻脈も続いていた。

心拍監視はナースステーションで続いていた。


病室では音がうるさいので音無しのモニターだった。


私もウトウトしかけていた時、


近くの病室に人が入られたのかなぁ。


廊下がバタバタしていて。


静かになったと思ったら心電図モニターの音が。


あぁ。誰か急変して近くの部屋に入られた?



また寝ようと思って娘の寝顔を確認して横になろうとしたその時。


娘の足元に人が立っていた!黒い影。顔は見えない。


びっくりして私は急いでメガネをかけた。


とんでもない恐ろしさを感じて。


体を動かそうとしたが金縛りみたいに動けなくなった。

 

手にあったスマホの時計は深夜2時すぎだった。


なんだか胸騒ぎがして眠れなくなった。


なんか嫌な気配を感じでいたら、横の部屋のモニター音が、

緊急アラームに変わり、

また何人か看護師さんが入ってった。


私の心臓もドキドキして。


娘は全然起きる気配もなく。


緊急アラームがしばらく続いて、


その後急に静かになり、


モニターの音もなくなった…。


亡くなってしまったのかな。。


いつ間にか足元の影は消えて。


窓ガラス越しに綺麗な月が見えた。


なぜか亡き祖母を思い出し、


「ばあちゃん、〇〇をまだそっちに連れていかんといてな」と心の中でそう言った。


とにかく体が疲れ切ったまま、朝を迎える。


そして次の日の朝、衝撃が走る。


看護師さんに昨夜のモニター音で眠れなかったことを伝えると。


「昨日は誰も近くの部屋でモニターつけてないし、特別室も誰も入ってないです」と。



マジ。。

一気に背筋が凍りつく。


看護師さんに一連の話をした。


きっと、カルテには母、心労が溜まってきている様子、と記載されたかもしれない泣き笑い


私は怖くなって。

前夫が来た朝、急いでお守りとお札を買ってきて!

と、すごい勢いで、せっかくきたのに病室から追い出し神社に向かわせた。


めっちゃたくさん買ってきた。

ありがとう。



なんとも疲れた一夜だった。

母に話しても前夫に話しても、??の様子で。


この頃毎日のようにママ友のRちゃんママにLINEしていた。


Rちゃんママは、

ある日私が、死にたくなるような気持ちを吐露した時に、人がどうにもならない悲しみに直面した時に、そのことを受け入れていくまでには段階があるんだと教えてくれた。



受容の5段階。そんなものを知った。


①否認 孤立

②怒り

③取り引き

④抑うつ

⑤受容


あ、もしかしたら私、今、③におる?

神様にすがったりしようってなってる?


なんて冷静な自分もいたりして。


8年経った今も私は、

④抑うつがずーっと続いてて、

一向に

⑤受容には至ってないのかもな…。


と、これを書いてて思いました。



でもこの時、この夜の出来事で、娘の命があってこそだと思い、

私は次の日主治医に、今できるMAXの治療をします、と伝えました。


主治医は安堵したような顔をしたことを覚えています。


播種あり、放射線MAX28日間。

抗がん剤5クール➕大量化学療法➕造血幹細胞移植


この字にしただけでも恐ろしくなる治療に娘と共に闘う決意をしました。


退院はすんなりいって、クリスマスあたりだと。


退院の2文字がとにかく遠くに感じた。




 

泣いても死にたくなっても平等に明日はやってくる。

桜が散るのはあっという間。


春に娘の脳腫瘍が分かってから春が苦手になりました。けれど最近はまた桜が綺麗だなって思えるようになってきましたお願い


⑤受容まであと少しなのか…。