ジャーナリスト 石川秀樹 -8ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★終活に関心のある方、エンディングノートの有効な使い方を知りたい方はご相談ください。
http://yuigonsouzoku.net/news/think-about-the-death/



ブログの「お知らせ」コーナーにこんなことを書きながら、
あまりPRもしてこなかった。


先日、3週間あまりを費やして私なりの「エンディングノート」を作ってみたのだった。
私のサイト(ブログ中心です)は現在のサイトルは
「遺言相続 Solution.net」


以前のタイトルは「終活と遺言相続.net」だった。
人生後半になって、仕事も変わって、さて次の仕事をと考えたとき、まず「出版」が頭に浮かび、また当時、娘にそそのかされて行政書士の試験にもチャレンジしていたので『いずれは相続関係も』と思っていたのだった。


4年間、いろいろやってきた。新しい仕事はどれもおもしろい。
その中で、これからの私が最も力を発揮でき、かつ人様のお役に立てることは何かと考えたとき、《やはり「老後」の問題だ》と思うようになってきた。


自分がそのような年齢になってきて(66歳、押しも押されもしない高齢者だ!)『これから先、生ききって上手に仕舞うのはなかなか大変だぞ』と思うようになってきた。


そんなことは当たり前のことなのだが、うかつな私は今もって「老いていくのは苦手」などとうそぶいて、まだ若い気でいろいろ動き回っている。しかし馬力は落ちた。
1日でできたことが、今は2日も3日もぐずぐず掛けるようになった。《こりゃ、いかんぞ。手を広げすぎると、散らかしっぱなしで終わっちまう・・・・・》





こういう自覚が出てきて、なるべく仕事を行政書士に、その中でも「人生の終わりにかかわる仕事に」特化していこうとウエイトを変えた。


「エンディングノート」は今、そこそこ”はやり”のようだ。
《こんなもの、はやりでやるな!》
というのが、自分がノートを作ってみての第一番の感想だ。
世間は勘違いしている! と思ったのだった。


その理由は・・・・・・
と、この話をすると長くなるのでいずれブログにまとめるとして


僕が作ったノートはきわめてクールだ。
客観的に自分の現況が分かるようにしている。
しかし「生き死に」の部分については非常に重く、
市場に出回っている類書のように、軽く「✔」1つで自分の意思を示す、などという安っぽいつくりにはなっていない。


生きること、そしてどう覚悟を決めて「自分の死」を迎えるかについては、お手軽、気楽なノリでは困るのだ。
リアルに「老後」を見つめてほしい。


そして、本業とした「相続対策」対策についても言いたいことはあるのだけれど。
これも長くなるので、今はやめにする。


そうそう、重要なことを言うのが最後になってしまった。
僕が編集した「エンディングノート」を、「サバイバル・カルテ」ということにした。
私が死んでいきます、死後はこうしてねノートにする気はさらさらない。


死んでいくために書き遺しておくノートなのではない!
これからの長い老後(下り坂ではあるけれど、けっこう楽しいことも多いと思いますよ)を、安全に、しっかり、豊かに生きていくための「現況」書き取りと、将来計画(「ライフプラン」と言いますね)を立てるためのノートだ。


頒布する気はなかったけれど、もし興味がおありで、実際に書いてみようという人がいれば、プリントアウトしてお送りします(A4で50ページあるけどね)。










★相続対策の第一歩、あなたの意思より強い”思い実現手段”はありません!
http://yuigonsouzoku.net/inheritance-measures1/



「相続対策」という言葉で、あなたは何を思い浮かべますか?
争族? 相続税資金? 節税?
まあ、そういう発想もあるでしょうが、第一歩はあなたの意思なんですよ。


と、いうのが一つ。
もうひとつ。
私が心配になるのは《あなた、大丈夫ですか?》ということ。
ふつうに素直に考えれば、「相続対策=お金の話」です。
でも待ってください。
誰のための対策ですか?


お子さんのため?
大の大人になった「子ども」のため、
あなたは自分の身を削って、少しでもおカネが多く残るよう奔走するんですか?
子のために相続税のことまで心配してやって・・・・・
「節税」とかなんとか。


そんなことしていて、あなた大丈夫ですか?
私、ずいぶん歳を取りました(実感ないですが)。
昔から言ってきました。
「俺たち、50歳過ぎたら何があっても不思議じゃない」
そんなこと言っているうちにうかうかと日が過ぎ、
還暦はとっくに超えて66歳、押しも押されぬ「高齢者」の仲間入りです。


で、考えるんですよ。
《ほんとに、何があってもおかしくないぞ!》って。
今年初め、父が倒れました。脳梗塞。
右半身が不自由になり、嚥下の障害も。
身近な出来事に、恥ずかしながら今も困惑しています。


ここまで生きてきたんだから最後くらい好き勝手していいだろう、は決してありません。
父が、ということではないですが、元気に生きている人は油断します。自制しなければいけないところを
「最後くらい・・・・」と手を抜く。


結果は重大で、人間はいつ不測の事態が起きても、覚悟なんかできないし、後悔しても取り返しがつかないし、ほとほとまいってしまいます。






そういう中で「相続対策」を考えると、私はまず第一に
《自分の身を守ろうよ!》と言いたくなります。
老後というのは長い長い下り坂です。
しかも時々、奈落に直結するような深い穴がひそんでいる坂道。


子どもや子孫のため(「事業のため」「家業のため」でも同じですが)などと、わが身を削ってさまざま対策を講じるのも、「身の程知らずで危険だなぁ」と感じてしまうんです。
まず自分の老後の安全と安心。
これは強調しておきたい。


その上で「あなたの意思」です。
あなたは何をしたいんですか?
自分がこの世にいなくなったときに、あなたは遺った人たちにどう生きてもらいたいんですか?
あなたが生きて成し遂げてきたことを、どんな形で引き継がれることを望んでいるのですか?


それが明確なら、どんな相続対策も可能なのだ、と明言しておきましょう。
難しいことを抜きにして、ごくシンプルに
「私が遺した財産で家族が争うな!!」でもいいんです。


ずっと隠してきた遺言書で一言そんなことを書き遺しても、
相続人たちの心には残りませんよ。
常日頃からはっきり伝えておくのです。
頑固にわがままに、遠慮なく、
「これが私の意思だ!」を示しておくのです。


実際の相続対策にはさまざまな手段やテクニックも必要になりますが、最高の影響力は「あなた」です。
あなたの生きざま、考えてきたこと、そしてやってきたことが、
あなたの後を歩いていく人に道筋を示してくれます。




石川 秀樹
ジャーナリストであり、相続対策の総合プロデューサー。

http://yuigonsouzoku.net/…/staff-%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%A7%…/



手前みそな話で恐縮です────
行政書士としての仕事をアピールするためにこのところ、
私のブログサイトを「ビジネス向きの総合サイト」に切り替えるべく、作業を行っています。


先日、自分のサイトをあらためて外側から眺めてみました。
まだ記事数はぜんぜん足りません。
いま数えてみたら、わずかに34本。
書きかけの下書きが20本もありました。






なぜ書きかけで終わっているかというと、
<どこまで書いていいのか>という
自分の腹が十分に決まっていないからです。


遺言や相続、その相続対策、
また取り組むべきことのひとつとして終活、エンディング周辺のこともあります。
やりたいことが多すぎるんですね。


さらに、一つひとつが人の生き死にに直結する話なので、
書きにくいということもあります。
だから系統だって淡々と、1つのテーマ(例えば「遺言書の書き方」など)を書き続ければいいのに、あれも問題だ、これも今書いておかなければと、
心に浮かぶことをつい、追いかけてしまいます。


言いたいこと、いくつかあります。
ひとつは、人生の晩年はなかなか厳しそうだということ。
私自身、ようやくそれを少し感じられるようになってきました。
『限りある時間だ』と考えますとね、
お金やモノを持つことはあまり重要ではない、
でも老後という長い下り坂を無事に下りきるためには、
お金ほど大事なものはない──とも、一方では考えるんです。





そういう中で、私が<専門>たらんとするのは相続対策。
もろにおカネが絡んできます。
そこで話されること、興味、関心の的になるのは、
例えば節税の話。
いかに国に(税務署に)無駄に吸い上げられないか、
その手法ばかりが話されるのです。


日本の相続税法は最高税率55%という酷税です。
しかも1度税金を払って得た財産に、所有権が移転する
というだけで高税率を掛けるという悪法!
ですから、圧縮する手立てがあるなら対策するに
越したことはない、と心から思います。


でも、本当の対策はそんなことではない。
節税はなんのためですか?
国を出し抜いて、鼻をあかしてやりたい?
ではないはずですよね。
節税の目的は、
相続人に重い負担を掛けたくないという思いやり。


だと思うんですが、どうでしょう。
ではなぜあなたはそんなに「思いやり」を注ぎたいのか。
それは家族が幸せになってほしいと願うからでしょう?


肝心なことは、取られる税金を削ることに腐心するより、
先に旅立つあなたが、のこっていく家族のために
そこまでのことをしてあげたいという
あなたの「想い」の部分だと思うんですよ。


これが書きたいことの「第2番目のテーマ」です。
それがすっぽり抜け落ちているのが現状。
こういう見方は”へそ曲がり”と言われかねません。
でも、あなたの思いがきちんと相続人たちに伝わっていれば、
無用な争いなんか起きにくいはずなんです。


遺言だって、私は家族に公開しています。
私の考えはこうだからこのようにしたい、
不満があれば言ってくれればいいし、お父さんに誤解や勘違いがあれば言ってほしい──と投げかけています。


遺言書にたいするこういう発想って、まずないと思います。
「遺言は秘して書くもの」と思っていませんか?
そんなんだから逆にもめてしまうんだよ、傷つく人を出してしまうんだ!
と私はいいたくなるんです。


しかも、遺言に書くのはお金の振り分けの話ばかり。
(これは民法もそんな風にすすめているから仕方ない面もありますが)
でも、遺言には何を書いたっていいんです。
むしろ自筆で、思いのたけを書いてください。
そのための”最後の言葉”なんですから。


相続対策=お金の話、ではないと思っています。
おカネのことより、しっかりあなたの思いを伝える。
そういう対策をとる。
そのために私は、徹底的に相談者の気持ちを聞き、何をしたいのかを突き止めます。
その作業はまさにジャーナリストの仕事と同じです。


私のやり方はこんな感じなので、サイトに案内文を書きました。
1つでは足りずに2つも。
ここに掲げたのが、あっさり書いた1本目です。
最後に2本目へのリンクを張ってあります。
うまく書けたかと言うと・・・・・、自信はありません。
なのでまた長々と、こんな文章を書いている次第です。





★Facebookにバースデーカメラ登場!友達の誕生日にビデオメッセージを贈ろう
http://denhon-charisma.com/dc/birthday-camera/



一部で「近日公開」が伝えられていた「バースデーカメラ」が日本でも登場した!
それを知ったのは偶然のことから。


以前、こんなタイトルで書いた記事がある───
<★Facebookの「誕生日メッセージ」殺到に悩む人に効く処方せん!>
このところ、この記事へのアクセスが上がっている。





誕生日にはお祝いのメッセージが集中しますからね。
日本で友達のタイムラインに直接書き込むのは、友達申請を承認されたときと、この「誕生日」と。2つくらいしかないかもしれない。
それくらい「タイムラインを自分の部屋のように思っている人が多い」ということだと思うけれど。


で、殺到を防ぐのは簡単だ、と書いた。
極めてシンプルな方法だ。
プロフィールに「誕生日」を書かなければいい。
それでピタッと”年に1度の”書き込み行事がやむ。


どうしてそうなるかと言うと、
Facebookが友達に「この人がきょう誕生日です」とお知らせするからだ。人はそのお知らせに反応して、メッセージをくれる。
イベントを開くと、PCでもスマホでも「もうすぐ誕生日の友達」が多数表示されている。
メッセージが殺到するのは、あなたや私が「有名人」になったからではなく、Facebookが大きなお世話を焼いてくれている結果なのだ。


なぜそんなことをするのかと言えば、Facebookの生命線が「友達との交流」にあるから。
Facebookは今も真剣に友達を交流させようとしている。
そのノリは、学生時代の”仲間づくり好き”に似ている。
この点だけは日本もアメリカも同じ。


若い人は友達が大好きだ。
しかし日本では、大人になるにしたがってプライバシー意識が過度に芽生えてくる。異常なほどの「個人情報(露見)嫌い」で、このためFacebookの普及も他の国ほど進まない。


話がどんどんそれてしまっている(ゴメン)。
アメリカでは、長じてからも友達好きの傾向は変わらない。
というよりも、社会に出ればますます友の大切さを感じている。
「個」の意識が確立しているからこそ、友が必要なのだろう。


だからFacebookは「誕生日に友達にメッセージを贈るのは大切だ」と考える。だから友達に「友達の誕生日」を教えることを責務だと考える。だからその機能をもっと強化しようと考える。
そして今回、実装したのが「バースデーカメラ」だ。


ごく簡単に言えば、簡単お手軽、15秒のビデオメッセージを贈る仕掛けだ。
本当に簡単だった。
僕みたいな世代は、動画の自撮りは照れくさくて『そんなの、やりたくない!』と思ってしまうが、若い人は平気だろう。


こういうのが普通になれば、日本ももう少し開放的な明るい社会になるのにな、と思う。
しかし、しかしねえ、日本のFacebookユーザーの多くが、
いまだに「タイムラインに書き込まれること」を嫌う。
ただのあいさつでさえ、さっさと消す人がいるからね。


そういうわけで<★Facebookの「誕生日メッセージ」殺到に悩む人に効く処方せん!>なんて記事がいまだによく検索されるようなんですが、そういう調子だと、この「バースデーカメラ」というビデオメッセージ、物議をかもしそうですねェ。
何しろ友達のタイムラインに「動画」を貼り付けちゃうわけだから。
よほど気の利いたことを言ってあげないと、迷惑がられるかも。


一抹の不安がありながらも、Facebookの画期的な新企画、ご紹介しました。




★友達やFacebookページは、なぜ消えるのか? 「フォロー」という仕組みを知ろう!
http://denhon-charisma.com/dc/follow-mystery/




ひところは毎日のようにニュースフィードで見かけていた「友達」や「Facebookページ」、いわば“常連さん”がいつの間にか姿を見せなくなるという現象がFacebookではしばしば起きる。
なぜか、と考えたことがありますか?



答えは「アルゴリズム」と、「フォロー」という仕組み。
アルゴリズムはFacebookの場合、一種の“掲載ルール”と理解してくれればいい。交流が盛んな人同士ほど互いに相手の投稿がニュースフィードに現れやすくなる。



一方、「フォロー」は当たり前すぎて、これまであまり注目されなかった。
でも、とても重要だということが分かってこの記事を書いた。






Facebookで「友達になる」というのはどういうことかと言うと、お互いに相手を「フォローしている」状態になることを言う。フォローしているからこそ、相手の投稿が自分のニュースフィードに現れる(ただし、アルゴリズムの影響を受けるので、フォローしているから100%相手の投稿が届くわけではない。でも、フォローしていなければ100%、相手の投稿は届かない)。



( )の中に書いたことが、実は重要だ。
「友達」とは相互フォローしている状態である。
ついこの間まで、コレは常識だった。
しかし2013年12月以降、この常識が覆った。
「友達」でありながら相手をフォローしていないという状態をつくる、「フォローをやめる」という“新機能”をFacebookが追加したためだ。



「友達」という観念を何よりも大切にしてきたFacebookの大転換である。ユーザーが多くなりすぎて、サーバーの負荷が耐えられなくなったのだろうか。
たぶん、そうではない(ということが、今回調べ直してわかったような気がする)。



アルゴリズムに依拠しているFacebookは、なにもことあらためて「フォローをやめる」を導入しなくても、とっくに“事実上のフォロー凍結”を実施していた。
4か月間相手の投稿に反応しなければ、間違いなく相手との“関係“は途絶える。
実際は、それよりずっと短い期間の“途絶”でフォローは凍結されていくようだ。



長いことFacebookを使っていても、この原理原則ともいうべきFacebookのルールを知っている人は意外に少ない。でも、経験的になんとなく承知している人は大勢いるだろう。
Facebookが「ニュースフィードの設定」を取り入れた時期にこの記事を書いた。
半年前に書いたものだが、参考にしてほしい。