ジャーナリスト 石川秀樹 -54ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

静岡新聞の日曜日付け読書欄に「気になる本」という気になるコーナーがある。
今週は勝間和代さんの「『有名人になる』ということ」という著書が紹介されていた。
勝間本については食わず嫌いで、ツィッターに関して書いた1冊を読んだきりである。
それなのにこの小コラムを読む気になったのは、
見出しに『去ったブームを自己分析』とあったからだ。
『ふーん、勝間和代ほどでもブームで終わっちゃうのか』
と思ったのだが、読み進むうち以下の一文が引っかかった。


──読み始めからびっくりさせられる。何しろ著者にとって「有名人になること」は、一つのプロジェクトであり、ビジネスだったというのだ。


急に勝間和代さんに親しみを感じた。
コラムの評者は「勝間ブーム」の演出を驚いて見せたが、演出するのは当たり前である。
「有名人になる」という言葉はともかく、
そのような意識(「演出する」という意識)は僕にだってある。


勝間さんの話から始まって、自分の話をするのはいささか恐縮だが、
僕も『自分の存在(言論)を誰か発見してくれないか』と思っている。
だからことさらエキセントリックな論を日々つぶやいているわけではない。
当たり前の理屈を当たり前に述べている。
──現実があまりにおかしな方向に進みつつあるとき、「まっとうな論」は一定の影響力を持つはず
という計算でもあるし、信念でもある。
いや、「計算」「信念」と言より、それしかしゃべれないただの「愚直」かもしれない。
しかし「今こそ愚直が必要」「正論は力を持つ」という計算はしている。
その結果どうなるか。
その論が多くの人が思うことと一致しているなら、それは一定の人に支持されるし、
facebookやツィッターの中で独自の立ち位置を獲得することになる。
つまり、一つのブランド化だ。


僕はいまだにツィッターのフォロワーを増やすことに執着し続けている。
同時にfacebookでは語ることに腐心し、自分の「言葉」がどこまで届くのか、
いろんな意味で実験をしている。
なぜそうするのかと言えば、いまようやく日本でもソーシャルメディアの時代が開こうとしているからだ。
個人がメディアとなれる、影響力を持てる時代がやってきた!


地方で出版業を興すということ、けっこうな冒険だ。
本を作ることは誰でもできる。
しかしそれを書籍一般の流通に乗せるのは、なかなかに難しい。
ましてその流通の中で「売れる本」にすることは極めて困難だ。
成算のない戦いに見える。
にもかかわらず僕が新規参入したのは、
『ソーシャルメディアの時代』だからだ
宣伝力を持たない無名の出版社でも
『ソーシャルメディアなら』と希望的な観測を抱けたからである。


現実問題として、ソーシャルメディアの世界も圧倒的に「有名人」に有利な世界だ。
僕と同じように、facebookで名を上げ(企業名を上げ)成功体験を得たいとする人は、
多分、大勢いるだろう。
しかし、成功する人は少ない。
勝間さんはある程度有名になってからツィッターを使い始めた。
ここで新たな勝間人気が生まれたことは確かだが、
彼女が有名になったのは書籍であり、テレビ出演、つまり口コミ効果と言うより
(初期においては)圧倒的なマスコミ効果だった。
勝間さん本人のみならず、一緒に仕掛けたプロデューサー役がいたと思う。
一方、無名な者はいくらソーシャルメディアを活用しても有名にはなれない?
そうだとすると、これから僕が書こうとしている「facebook活用本」は
意味のないものになってしまう。


「有名」と「無名」、「勝ち」と「負け」
僕の言い方はついつい、即物的、功利的なもの言いになってしまうが、
僕が言いたいのはそんなことではない。
ソーシャルメディアは、有名、無名に関係なく、魅力的だと思う。
直接の広告効果はマスメディアに比べて格段に劣る。
しかし、奇跡が起きるのは「ソーシャルメディア」においてである


信じられないような出会い。
想像もできないコラボレーション。
とてつもない影響力、その広がり。
わずかな間にも『人生が変わった』と言える体験がそこここに生まれている。
それは勝間ブームのように計算されたプロジェクトではない。
まさに奇跡のようなで・き・ご・と…。
そしてそれは、誰にでも起こりえる
計算していようと、いまいと。


僕がこの歳で(62歳)出版社を始めたのも、
ソーシャルメディアと言う“劇場”があったからである。
組織の人間として無名を通してきた自分を、少し解放してあげたかったのだ。
試みはまだはじまったばかり。
奇跡はこれからも起こせるような気がしている。






読者登録してね   ペタしてね


お笑いコンビの「次長課長」の河本準一さんの会見をたまたま目にしたとき、
僕は強い違和感を覚えた。
そして『かわいそうに』と思った。
これが僕の直観だ。



『かわいそうに』と言えない空気が、蔓延しているように思えた。
何かスッキリしない気分だが、事情も深く知らないことゆえ、黙っていた。
しかしきょう、facebookのタイムラインで「時々パリ」さんのブログが紹介されており、
一読して、僕が違和感を感じた理由がわかったような気がした。
ブログを書いた「時々パリ」さんに、強く握手を求めたい。



僕はミーツ出版という出版社をこの3月に立ち上げた。
1年間の事業計画を検討してみると、僕個人への収入はほとんどなさそうだ。
それも、今年計画している3冊の本が首尾よくリリースされ、
それなりに売れていくということを前提にしての話である。
よくて今年の年収は200万円程度!
そのとき僕は笑いがこみあげてきた。



『休みも祭日もなく、これほど働いてもワーキングプアだな、俺は…』


しかしそれは、苦笑いというものであって、決して忌々しく自嘲したわけではない。
僕には国家からの年金があるし、勤めてきた企業に預けている年金の収入もあるからだ。
だから笑っていられるが、現役の人たちのワーキングプアぶりは、
冗談や笑いでは済まされない。
しかし現代の日本で、1100万人以上もがその状態におり、
政治からも行政からも放置されている。


自ら事業を始めた僕は、企業の現状についても少しは分かるようになり、
「企業を悪者にする」気はなくなっている。
同時に、政治に対しても無茶苦茶を言う気はない。
しかし政府・政権与党も、野党の自民党も
「大きな政府」「小さな政府」のどちらで行くとも決めず、
政策の原資たる税金をどうするかさえ決められないでいる。
(消費税増税問題の混乱を見よ!)


こうした中で、生活保護費問題の象徴であるかのように河野さんがやり玉に上がり、
「けしからん」とスケープゴートにされた。
メディアの報道の次元が低すぎ、問題が国家の大きな仕組みそのものにあるのに、
個人の倫理観の問題にすり替えられてしまった。


僕はメディアに長くいた者だけに、
記者、レポーター、それを指導し価値判断の要を握っているデスク、ディレクター、
プロデューサーの力量のなさにガッカリさせられる。


「今どきの若い者は」なんて言う気はさらさらない。
今のメディアが幼稚で力がなく、世間をミスリードばかりしているとすれば、
その責任は前の世代だる「僕らの世代」に問題があったからだ。


自分がいつも正しいなどとは思わない。
今までも、これからだって、決して思わないだろう。
しかし、メディアのミスリードは大きな罪である。
そのことだけはキモに銘じている。


今回の報道が胸を張れるものであったか、
メディアに関係する人はよくよく考えてほしいと思うのだ。





読者登録してね   ペタしてね

きのう、ミーツ出版設立のあいさつのため久しぶりに大先輩のお宅を訪問した。
静岡県中部にあるAさんの家は、窓も閉め切りで『不在か?』と思った。
ブザーを押すと、中から奥さんが現れた。Aさんも在宅だった!


Aさんは新聞社で政治畑を歩き、1面コラム、論説で鳴らした。
リベラルな発想をお持ちだが、新聞社の保守的な体質と調整をはかるために主張をねじ曲げる結果、論調はときに揺れるときもあった。
僕のような素直なリベラリストからすると、板挟みが痛々しくも感じられた。


しかし並外れた執念の持ち主であるAさんは、結果的には頂点を極めて退社された。
言論人とサラリーマンの二足のわらじを履いて、時に矛盾を抱えながらも、
分裂症になることもなく会社員人生を全うしたのである。
だから、70歳を過ぎた今は悠々自適でひっそりなのかと思ったのだ。
だが、そうではないらしいところが、先輩らしいところだった。


近郷近在の読者を対象に「“新聞”を週3回発行している」のだそうだ。
読者は100人超。
A4判にやや大きめの字でぎっしりだから、1回の量は新聞の長い論説くらいだろうか。
原発の話もあれば、小沢一郎の去就、ロシアのプーチン大統領の今後など、多彩。
一読して、さすがの洞察力を披歴していた。


「新聞が書かないから、仕方なしに書いているんだ」
「仕方なし」にしては、週3回の論説は常人の域を超えている。
その意気やよし、衰えぬ反骨精神に圧倒される。
新聞社の桎梏(しっこく)から解放され、論調は本来のリベラルを取り戻しつつある。
もっとも、小沢嫌い、民主党嫌いは色濃く、『やはり超個性的』ではあったが。


■ソーシャルメディアで健筆を揮えば、人生変わるのに

先輩の健筆ぶりに感心したものの、一方で『もったいないな』とも思った。
紙で100人に発行するために、毎月の本人負担は5万円だそうだ。
年間60万円を、年金から支出しながら発行を続けている。
手間暇をかけ、エネルギーを絞り、しかも持ち出し。
老ジャーナリストの自己満足と言われかねない発行ぶりなのだった。


「facebookをやればいいじゃないですか。ブログでもいいし。
いやいや、メルマガを有料課金でやれば、収入にもなりますよ」
そうアドバイスしたのだが、乗っては来なかった。


60数万部の新聞社にいて言論人であったことは誇りだったと思う。
『雀百まで…』ではないが、ジャーナリスト魂が今も心の熾き(おき)となっている。
立派だが、僕から見ると未練と思えなくもない。
読者はわずか100人である。
ソーシャルメディアならわずかな日月でケタ違いのファンを掴めるのに…。


「これだけたまっているものな(300本くらいの原稿を見せながら)。米久の庄司さんは『本にしないか』と言ってくれている。でも、明るい話題ではないから辞退しているんだ」


誇り高い人である。なのに、半分は自らを否定して見せた。
『少し老いたのかな』と思った。
もっとも、この判断は間違ってはいない。
時事ネタは旬を逃せば意義が薄れる。
本にしたのではタイムラグがありすぎる。
それでも売れるとしたら、よほど見識すぐれた有名人の場合だけだろう。


しかし、旬を逃さないメルマガなら一定数、売れる可能性がある。
月額100円、500円、1000円…と、いくらにするかは知らないが、
数百人の単位でファンが付けば、収入としても相当な額になる。


■ネットを駆使して一流記者に!欧米では当たり前

老後の収入うんぬんより、僕はプロの書き手がソーシャルメディアで活躍するのを見たい。
ツイッターにしてもfacebookにしても、ジャーナリストの参加は少ない。
先日、有田芳生さんから友達の承認をもらったのでfacebookのウォールを拝見したが、
ツイッターをそのまま再掲載している感じだった。
論客としての姿は、そこに見出せなかった。


確かに、facebookではプロがいくら書いても1円にもならない。
しかしお金にするのは有料のメルマガにして、facebookはもっぱらその人となりや考え方、生き方を見せる場にすればいい。
そして、全人格的に『この人なら』と思えばメルマガ購読につながるだろう。
そういう導線にfacebookはなるのではないだろうか。


それは僕自身のことを考えても、理想の自画像である。
出版社の社長になったことなど、少しもうれしくない。
本当になりたいのは、生涯現役のジャーナリストだ。
目標とするのは『室内』の出版編集人だった山本夏彦さん。
出版社を運営しつつ、鋭い書き手でもあった。


自分で出版社を持っていれば、最低限の発表の場はつくることができる。
しかし今は、出版事業をこなすための雑事に時間を取られ過ぎている。
いつか出版社を任せられるようになったら、思い切り取材をしたいと思っている。


■定年後まで「社畜の記者」ですか?もったいない!

自分のことはさておき最近、もったいない話を聞いた。
65歳の友人が言う。
「この前、小学校の同窓会をやった。
優秀なクラスでさ、東大、京大、慶応に行ったやつもいる。
その中でも最優秀のやつは、東大を出て日経新聞社に入った。
記者としてバリバリ書いていたが、先日、定年になった。
今は自分の健康のために、遠くのパチンコ屋に歩いて通っているそうだ」


「どんなに優秀なやつも、60を超え、65歳を超えるとただの人になってしまう」
と友は慨嘆する。
ところがこの話をした張本人は、65歳で新しい「経営指南塾」を開き、目を輝かせている。
もっとも、彼にfacebookを手ほどきしたのだが、そちらの筋はさっぱり。
書く力はあっても気力なし、やる気はあっても書くつもりはない…。
玉に瑕(きず)の面々が多く、プロの書き手はなかなか現れない。


日本では会社ジャーナリストばかりだ。
欧米では新聞社の記者として名を馳せると、コラムニストとして独立していく。
自身のブログやメルマガを有料にして、独立したジャーナリストになる。


記者クラブ育ちのぬるま湯記者たちは、なかなか独立しない。
安全を考えればこの選択は誤っていないのだから、仕方ない。
大新聞社に所属していた方が、安定した高収入を得られるのは確かである。


しかし、定年で会社を離れてさえなぜ“社畜記者”のままなんだろう。
地方にいる僕なんぞより優秀なOB記者・ライターはごまんといる。
ぜひそういう人たちに、ソーシャルメディアの書き手になってもらいたい。
プロが参入してくれば、市民ジャーナリズムは格段に飛躍するはずだ。


大先輩と久しぶりに会話を交わして、僕はそんなことを考えた。




読者登録してね   ペタしてね
本の魅力とはなんだろう。


生まれてこの方、仕事をしていた時間を除き、
圧倒的に時間を費やしてきたのは「本を読む」という時間だ。
特に大学の4年間、万巻の書物は大げさにしても、優に1000冊は読んだ。


読んだ本の内容を覚えているか、と聞かれると怪しいものだが、
功利や効率のため、知識を詰め込むために本を読んできたわけではない。
ただただ楽しみだったし、「好きだから」こそ読み続けている。


若いときに読んだ本のいちいちを記憶してはいないが、今日に至るまで、
僕の思想や考え方、価値観、ひいては行動のあれこれを決めてきたのは、
間違いなく「本」から派生したものだと思う。


ふと思い出し、何十年ぶりかに書棚から本を取り出し読みふけることがある。
するとそこに、心を煩わせていたことの解決へのヒントが見出されたりする。
勘としか言いようがないが、体のどこかで覚えていたのだろうか。


あるいはまた、当てずっぽうであっても「思い当たる節」に当たるのは、
どんな本にもいろいろな啓示があること、
目的がないときには読み過ごしたことが、
あるテーマを抱えているときには気づくことが出来る、
そんな作用であるのかもしれない。


だから僕は書棚のことを『第2の脳みそ』だと思っている。


◆◆絶頂から転げ落ちたとき、本作りの醍醐味を知る

本の効用はそればかりではない。
「最高の暇つぶし」でもある。
おまけに、本を読んでいれば雑事から逃げ込むことができる。


そんな本であるが、読書を一時封印したときがある。
つい最近のことだ。
59歳後半から61歳後半までの2年間。
法律書以外、一切読まないことに決めた。
司法書士・行政書士の試験を受けようと思ったからだ。


すべては娘の一言から始まった。
30ウン歳、崖っぷち娘が急に勉強を始めた。
行政書士の試験を受けるのだと言う。
気まぐれと思っていたが、会社から帰ると一心不乱の勉強が続いている。
「案外続くじゃないか」と声を掛けたら娘は、
「お父さんもやりなよ。司法書士の方が難しいよ」と言った。


なぜその言葉に反応したのか分からない。
強いて言えば、こっちも崖っぷちだったからだろう。


54歳で編集局長になった。
入社した時から「1面のコラムを書くか編集局長になる」と念じた。
無論、そんなに会社人生、甘くはない。
紆余曲折、山も谷もあったが(谷の方が多かった)、なぜか自信だけはあった。
何の根拠もないのに『俺が局長になるのは天命』くらいに思っていた。


どうにかこうにか「目標」にたどりついた。
能力を買ってくれる人がいたからだ。
しかし人の気持ちは分からない。
いつしか大きな断層が出来て、2年半後、僕は大役を下された。
『局を変えようと思ったのに、何もできなかったな』の思いが強い。


しかし一方、ホッと一息ついたのも事実であった。
見えない神経戦に、やはり疲れていたのかも知れない。
体中、異変が起きた。
左肩が上がらない、猛烈な腰痛、そして全身にかゆみ…。
『よくぞ俺は重い病気にかからなかったものだ』と思った。


──ぎりぎりセーフ、俺は運がいい。
と思ったのは無論、負け惜しみである。


人生暗転したが、次の配属先は出版関係の責任者。
離れ小島のようなロケーションにあり、自由が利いた。
ここで読む楽しみではなく、本を作る醍醐味を知った。
何より『こんな本を作りたい』と思えば、それが実現する。
新聞ほどの部数ではないが、十分に満足感があった。


◆◆iPhoneやネットの周辺で時代のうねり

しかしまた異動。
今度はインターネット絡みの部署。
「局長」の名はついているが事実上はナンバー2だった。
激しい変革期にあったが、提案はことごとく通らず意欲を失った。


失った中でiPhoneに出合った。
不思議な電話機だ。
電話、カメラ、スケジュール管理、音楽、そしてアプリも使える。
これは長年探し求めていた「電子手帳」そのものではないか!
すっかりはまった。


2010年、ツィッターのブームが来た。
法律の勉強は前年の秋から始めていたが、iPhoneを駆使してつぶやきも続けた。
短文を書くことが日課になっていくうち、記者だったことを思い出した。
この年の冬にはfacebookも始め「書き手」意識がますます強くなった。


しかもこの頃、電子書籍にも新しいうねりが到来していた。
すると、出版編集人としての意識も頭をもたげてくる。
そしてその頃、受験勉強は正念場を迎え、頭の中が猛烈に忙しくなった。


つい先日までは世捨て人のような心理の中にいた。
遮二無二勉強を始めたことで、本来の自分を取り戻した。
今は疾風怒濤を感じる。
──新しい時代が始まっている
わくわく感がある。
こうしてはいられないと、はやる気持ちがあった。


◆◆「本に残したい人生」がある

猛烈な焦りがあったが、試験には落ちてしまった。
負けたまま会社を去りたくない、だからもう1年我慢した。
志を持続できるか、自分の本気を問い直す期間だとも感じた。
この年、新聞から放送へと極端な異動があり新しい職場で右往左往。
が、これも新しいことへの対応能力を試す機会だと思えばありがたい。


結果は幸い「吉」と出た。
今年1月、行政書士試験に合格。
2月いっぱいで会社を退職し、3月16日に出版社を設立した。


行政書士事務所の開業ではなく、なぜ出版社だったのか。
それは自分の「得手」を優先するとの意味と、出版に絡んで、
次から次へとやりたいことが生まれてきたからでもある。


出版社である以上、ベストセラーを出したい。
一方、良質な自費出版の本を世に送り出したいとの思いもある。
若いころ手掛けた取材により、「本に残したい人生」に数多く出合っているからだ。
自分で書ければ申し分ないが、
書くのが苦手な人でも意思さえあれば僕がその人の人生を
一冊に再構成することは十分可能である。
つまり、出版は書き手(記者)としての思いを実現する手段でもある。


だからミーツ出版株式会社は欲張りな会社だ。
本にまつわるすべて、読む・書く・作る・取材するのすべてやりたいと言うのだから。

◇◇

長くなったが、以上がミーツ出版設立の経緯である。
本が好きな人たちと末永くお付き合いしたいと思っている。


■■ミーツ出版には2つのfacebookページがあります

ミーツ出版 → http://www.facebook.com/meetssyuppan
facebook本 → http://www.facebook.com/meets001

(ページ右上にある「いいね!」を押してください)





読者登録してね

けさのNHKテレビで「就活のカギはフェイスブックの素顔」という特集をやっていた。
ちょっと複雑な感想を持った。


企業の採用担当者の間で、就活学生たちのfacebookをチェックしているという話。
「(学生の)素顔を見たい」ということらしい。


聞いてすぐに感じたのは、
『そんな身元調査みたいなことにfacebookを使うなよ』だった。
その後『それならそれで、逆にfacebookを利用するしかないか』とも思った。
つまり、調べられることが分かっているなら、
はじめから「計算」してfacebookを使うということ。


これは誰しも考えることで、NHKはちゃんと見抜いて取材していた。
とある就活セミナーでは
「(企業から)好印象を持たれるためのfacebook活用術」を教えているそうだ。

① プロフィール写真は正面から、笑顔で、
② 友達の数は50人以上は集めよう(行動力・社交性・人脈があると見られる)、
③ 週2回は前向きな投稿をしよう─。

うん、この対抗策は当然だ。
当然だけど、つまらない!
つまらないけど、やらざるを得ないのか……。


聞いていて、若い人がかわいそうになった。
同時に、『facebookも本意じゃなかろうに』とも思う。


私の場合、昭和47年(1972年)のことだけれど、7つ会社を受け全部落ちた。
8社目、静岡新聞に”拾って”もらい救われた。
七転びでそれはもう十分にめげたよ。
なにか侮辱されたようで、怒りのようなものがわいてきた。
一方、採用してくれた会社には当然、感謝の念をいだく。
それが頑張る原動力になった。


10年ほど前、立場変わり入社の面接に立ち会う側になって、
「50社受けて全滅した」などの話を聞き、本当に驚いた。
でも今は80社、100社だそうだ。
若者たちが世に出るために、こんな艱難辛苦を背負わされているとは……。
100社も落とされたら、まっとうな人なら自分を否定したくなるだろう。


だからまじめな学生は、真剣になって就活セミナーを受ける。
そして「対応策」を学ぶ。
すると採用担当者側は「最近はみんな訓練してくるので、見わけがつかない」と、
素顔を見ることができるとされるfacebookまでチェックに行くわけだ。
いかにもありそうなことなので、このこと自体は否定しない。
批判もしない。


でも、次の展開はを考えると「なんかなァー」と思う。
結果は容易に想像できるのだ。
そう、「成功する就活のためのfacebookセミナー」が大はやりになりそうだ。
「学生でfacebookをやっていないなんて論外だ!」
などと言われるようになるかもしれない。
ソーシャルメディアの普及は進む。
でも全然、うれしくない。


日本の会社は勘違いしている。
「facebookで学生の素顔が見られる」と思うのが、そもそも間違いだ。
今は(学生にとって)”不意打ち”だから素のままの個人がそこに出ているかもしれない。
しかし早晩セミナーばやりになって、
つまらない、毒にも薬にもならない投稿のオンパレードになるだろう。
(大人たちと同じように)


「思想傾向が見られてしまう」
「ふだんの行動までがチェックされる」
「交友範囲、人脈度も測られる」
などと言われれば、誰しも奔放ではいられなくなる。


この点、採用担当者は『よいツールを見つけた』くらいに思っているのだろうが、
『余計なことしてくれたぜ!』と私は怒りたくなってくる。
学生時代くらい、自由に泳がせてやればいいじゃあないか。


第一、企業よ、今の学生の対応力をなめちゃあいけない。
こんな時代だ。
(企業が採用活動の参考にfacebookをチェックしている、
なんてことまでがマスメディアで報道される時代だ―ということ)
今後は、よほど不用意でのんきな学生でない限り、
ソーシャルメディアを「素」で使う学生はいなくなる。


急な傾向だから今は「セミナー」だが、
しばらくすれば学生同士のネットワークの中で、
「facebookで自分を表現する法」
くらいは編み出され、すぐに広まるだろう。
よって、本来はのびのびとおおらかで可能性に満ち、
野心や、根拠のない自信にあふれている若者の素顔は隠されるばかりとなる。



企業にこれだけは言っておきたい。
facebookはネット上の仮の人格にすぎない。
そんなものをのぞいても人の本質はわからない、と。


「釈迦に説法」だって?
とんでもない!
採用担当者、及び幹部や役員ら採用に関係する者たちは、
決して人間観察、人間評価の達人ではない。
型にはめて、勘違い採用をすることの方がはるかに多い。
結果は「当たる八卦、外れるもなんとか」とあまり変わらない。


だから「クジで決めろ」と私は暴論を吐き続けてきた。
なまじ偏った目で選んで後悔するなら、ランダムに選んで会社で育てろ。
育てられるシステムをもて。
50社、100社落とされた人の中に、会社の宝となる原石は必ずいる。


学生諸君にはこう言いたい。
いくら企業に説いたところで、会社がクジ採用に踏み切ることはない。
人間を「元気の良さ」や「素直さ」「やる気」などで測る
即物的で近視眼な見方を変えたりはしないだろう。
だから、本来自由であるはずのfacebook上でも、
「きな臭い」物言いをしなくなる。
つまらない大人にならうことになる。


一方、これからは採用担当者を出し抜くために、
計算し抜いて「自分」を造る学生が出てくるかもしれない。
実験、ゲーム感覚と自覚しているならいいが、
あまりナメていると大人には見抜かれる。
首尾よく入り口を潜り抜けても、関門はいくつもある。


そんなわけだから、
小細工を弄する能力があるなら“本物”を身につけた方がいい。
就職のためでなく、自分のために。
底の浅い計算では人生という長丁場は戦えない。


そして最後に一言、なかなか内定をもらえない君に。
人にやさしい、は欠点じゃない。
ぐずぐず迷うのも悪くない(慎重だと言うことさ)。
行動力がなくたっていい(君は思慮深いのだろう)。


ただ、そんなに若いのに『俺は俺』『私は私』と言ってはいけない。
変わらないことを「正義」にしてはいけない。
独りよがりはただの幼稚であると自覚してほしい。
足りないところがあれば、やはりそれは直さなければ。


前の段落と矛盾しているって?
それはそうだ。
どんな自分でも、それは受け入れ自分を好きになろう。
しかし「問題あり」と感じているなら変わる努力をしよう。


そんな悪戦苦闘の中で、自分らしさは生まれてくる。
就活のために、無理に「世間」の規準に合わせても付け焼刃。
人と違うなら「芯のある違い」でなければ世の中に通用しない。


「Facebookのぞき見」が教えているのは企業の底の浅さだ。
だから多くの会社に蹴られても
『自分はだめな人間なんだ』と思い込むことはない。
委縮するくらいなら今からでも遅くない、
徹底的に相手(会社)を調べて、“好き力”をアップしよう。
こちらが真剣でなければ相手に通じるわけがないがないんだ。


■関連する記事
★就活、40年前のことを思い出した 全否定されても揺るがなかった僕の自信
★コミニュケーション能力? そんなものよりもっと大事なものがある!




<ここからは「著者ページ」と「著書」の紹介です>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな視点、はじめてだ!
「なぜ?」を徹底追究
ジャーナリストの視点で電本3部作

※著者ページ
http://denhonkan.jp/meikan/detail.html?ab_id=7



※著書
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』



 Vol1.
 Facebookの基本のキ」。
 「入門書」ですがかなり濃い内容です。
 いいね!の原理、エッジランクやクチコミ発生機能について  核心を伝えます。
 
 









 Vol.2
 Facebookのビジネス活用術。
 個人やお店、小さな会社は大企業や有名人を見習ってはい けません。
 バラマキマーケティングより友達を大切に。
 











 Vol.3
 Facebookのスーパースターたちを紹介しています。
 「誰か」って? 
 まあ、立ち読みでご確認ください。
 インフルエンサーの投稿術を詳しく伝えます。