ソーシャルメディアと言う「劇場」では、奇跡がしばしば起きる | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

静岡新聞の日曜日付け読書欄に「気になる本」という気になるコーナーがある。
今週は勝間和代さんの「『有名人になる』ということ」という著書が紹介されていた。
勝間本については食わず嫌いで、ツィッターに関して書いた1冊を読んだきりである。
それなのにこの小コラムを読む気になったのは、
見出しに『去ったブームを自己分析』とあったからだ。
『ふーん、勝間和代ほどでもブームで終わっちゃうのか』
と思ったのだが、読み進むうち以下の一文が引っかかった。


──読み始めからびっくりさせられる。何しろ著者にとって「有名人になること」は、一つのプロジェクトであり、ビジネスだったというのだ。


急に勝間和代さんに親しみを感じた。
コラムの評者は「勝間ブーム」の演出を驚いて見せたが、演出するのは当たり前である。
「有名人になる」という言葉はともかく、
そのような意識(「演出する」という意識)は僕にだってある。


勝間さんの話から始まって、自分の話をするのはいささか恐縮だが、
僕も『自分の存在(言論)を誰か発見してくれないか』と思っている。
だからことさらエキセントリックな論を日々つぶやいているわけではない。
当たり前の理屈を当たり前に述べている。
──現実があまりにおかしな方向に進みつつあるとき、「まっとうな論」は一定の影響力を持つはず
という計算でもあるし、信念でもある。
いや、「計算」「信念」と言より、それしかしゃべれないただの「愚直」かもしれない。
しかし「今こそ愚直が必要」「正論は力を持つ」という計算はしている。
その結果どうなるか。
その論が多くの人が思うことと一致しているなら、それは一定の人に支持されるし、
facebookやツィッターの中で独自の立ち位置を獲得することになる。
つまり、一つのブランド化だ。


僕はいまだにツィッターのフォロワーを増やすことに執着し続けている。
同時にfacebookでは語ることに腐心し、自分の「言葉」がどこまで届くのか、
いろんな意味で実験をしている。
なぜそうするのかと言えば、いまようやく日本でもソーシャルメディアの時代が開こうとしているからだ。
個人がメディアとなれる、影響力を持てる時代がやってきた!


地方で出版業を興すということ、けっこうな冒険だ。
本を作ることは誰でもできる。
しかしそれを書籍一般の流通に乗せるのは、なかなかに難しい。
ましてその流通の中で「売れる本」にすることは極めて困難だ。
成算のない戦いに見える。
にもかかわらず僕が新規参入したのは、
『ソーシャルメディアの時代』だからだ
宣伝力を持たない無名の出版社でも
『ソーシャルメディアなら』と希望的な観測を抱けたからである。


現実問題として、ソーシャルメディアの世界も圧倒的に「有名人」に有利な世界だ。
僕と同じように、facebookで名を上げ(企業名を上げ)成功体験を得たいとする人は、
多分、大勢いるだろう。
しかし、成功する人は少ない。
勝間さんはある程度有名になってからツィッターを使い始めた。
ここで新たな勝間人気が生まれたことは確かだが、
彼女が有名になったのは書籍であり、テレビ出演、つまり口コミ効果と言うより
(初期においては)圧倒的なマスコミ効果だった。
勝間さん本人のみならず、一緒に仕掛けたプロデューサー役がいたと思う。
一方、無名な者はいくらソーシャルメディアを活用しても有名にはなれない?
そうだとすると、これから僕が書こうとしている「facebook活用本」は
意味のないものになってしまう。


「有名」と「無名」、「勝ち」と「負け」
僕の言い方はついつい、即物的、功利的なもの言いになってしまうが、
僕が言いたいのはそんなことではない。
ソーシャルメディアは、有名、無名に関係なく、魅力的だと思う。
直接の広告効果はマスメディアに比べて格段に劣る。
しかし、奇跡が起きるのは「ソーシャルメディア」においてである


信じられないような出会い。
想像もできないコラボレーション。
とてつもない影響力、その広がり。
わずかな間にも『人生が変わった』と言える体験がそこここに生まれている。
それは勝間ブームのように計算されたプロジェクトではない。
まさに奇跡のようなで・き・ご・と…。
そしてそれは、誰にでも起こりえる
計算していようと、いまいと。


僕がこの歳で(62歳)出版社を始めたのも、
ソーシャルメディアと言う“劇場”があったからである。
組織の人間として無名を通してきた自分を、少し解放してあげたかったのだ。
試みはまだはじまったばかり。
奇跡はこれからも起こせるような気がしている。






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