ジャーナリスト 石川秀樹 -53ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

孫正義さんが興味深いアンケートをしている。
大飯原発再稼働についての3肢択一の質問だ。
今現在の”投票”結果を列記してみる。


期間限定で夏季のみ稼働すべき  1672票(9.3%)
継続的に稼働すべき       1712票(9.6%)
再稼働すべきでない      14505票(81.1%)




国論を2分しているどころではない。
国民の9割以上が、昔のように原発が動き出すことには反対しているのだ。
「原発推進政策よ、お前はもう死んでいる!」と先日僕が言ったのは、
こういう背景を直感してのことだ。
国民の生命と財産、安全と、名誉と誇りを守るのが政治の務めだとすれば、
野田首相の再稼働に前のめりの姿勢は、国民に対する明確な裏切りである。


野田首相がカネに屈したとは思わない。
彼なりに国民生活の利便性と原発事故の確率とを秤(はかり)にかけた結果だろう。
だがその判断は、肝心なところでピントがズレている
「利便性」を犠牲にしても原発はノーだ、と大多数の国民は覚悟を決めている。
どうして政治家はこのことを過小評価するのだろう。


さらにもう一つ見誤っていること。
それは、原発に対する国民の嫌悪感だ。
放射能は不気味な存在である。
「ただちに今、健康に影響がない」ものであっても、いつがんを誘発するか分からないし、
遺伝子に与える影響も大きい。
最も忌むべき”時限爆弾”だ。
だが国民の原発への嫌悪感は、とうにその初期状態を超えている。
現在の嫌悪感の由来は、一にかかって政府の重ねてきたウソと、
加害企業である東京電力の不誠実で傲慢な対応に対する怒りなのだ。
──政府も東電も鉄面皮である!
国民はこう感じている。


故に、民主党は次の衆院選で大敗北を喫するだろう。
これは再稼働があってもなくても同じこと。
ならば野田首相がすべきことはただ一つ。
菅直人前首相の行動に倣(なら)うことだ。
菅氏は総攻撃を受け退陣を余儀なくされたが、
浜岡原発の稼働を全面的に止めた
暗愚だ、無責任だ、統治能力がないと散々なことを言われながらも、
この1点において、彼は日本の歴史に名前を刻んだ


野田氏は君子豹変して、大飯原発の再稼働を止めるべきだ。


□   □   □

午前中にこのように書いていたところ、車に乗ると国会中継が聞こえてきた。
大飯原発の再稼働について答弁した野田首相は、原発再稼働忌避の声を
「精神論」と言って切って捨てた。
僕はステアリングを思い切りたたいた。
──ばかに付ける薬はありゃしない
帰宅してツイッターを見ると、有田芳生さんが次のようにつぶやいていた。


現実への危惧を「精神論」という者こそ精神論だ。
政治イデオロギーの呪縛のもとでは何とでもいえる。
まさにオウム事件当時に流行した「あー言えばジョーユー」だ。
何を持って上位価値とするか。
人間的根源の生命である。
オイルショック時には深夜テレビはなくなり、新聞も薄くなった。
英知への怠惰だ。



ジャーナリストで現職参議院議員でもある有田さん、
あくまで「言葉」で戦う気構えだ。


現実への危惧と言うのは、原発事故がまた起きやしないかという僕らの不安のこと。
それを野田氏は「精神論」と言った。
有田さんは「政治イデオロギー」と言ったが、そんな高尚な理念ではないだろう。
ただ一直線に、『再稼働させなければ経済界から何を言われるか分からない』
そのことへの恐れが、見るべきものを見ない、
見えているものも見えない状態にさせているのだ。


現実に停電が起きてもいないのに「計画停電」を唱えるのは国民へのブラフだ。
テレビ局、新聞社に電気を使わないよう自粛要請できないのは、
矛先転じて己れが標的になりやしないかという恐怖心。
「停電したら国民生活が立ち行かない」?
ばかも休み休み言えってんだ。
一度立派に停電させ、国民がパニックに陥るかどうか見定めてから策を練りやがれ!

パニックに陥り、ジタバタと頼みもしないのに見苦しい姿を見せているのは
首相をはじめ政治家、官僚、東電幹部など
いわゆる「エリート」と言われてきた者どもだ
恥を知りなさい!!


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昨日、野田首相の「大飯原発再稼働」表明を受けて僕は
『原発推進政策よ、お前はもう死んでいる!!』
というブログを書いた。
するとfacebookの友達がYouTubeの動画を教えてくれた。

"Stress Test Meeting" Interrupted: Audience's Protest and Poignant Words from A Fukushima Woman

「僕はこれを観て泣いてしまいました」と言うコメントをつけて。


僕も同様だ。
同時に「日本人は何をしているのだろう…」と思った。
動画は東京在住の外国人の方がアップしていたからだ。
1月18日、原発再稼働の前提となるストレステストをめぐる専門家の意見聴取会議は、
日本のメディアも同じ場面にいて目にしていたはずだ。
専門家たちは、傍聴に来ていた被災者の訴えに何も答えられず
会議は中止せざるを得なくなった。
それがこの光景だ。
しかし、どこの社もここまでリアルに報じてはいない


その後のてんまつにも触れておこう。
枝野経産相は翌日、記者会見で重大な国民への背信行為を口にした。
「今後、(一般の方は)別室でモニターを通して傍聴していただく」
一大臣の会見一つで、傍聴者は会議室から締め出された。
傍聴できるのは事前に登録した人だけ。
”国民に開かれた会議”と言うのは、ただの詭弁にすぎない。


hidekidos かく語り記-福島からの女性


動画途中から登場する女性の声を、文章で再録した。
とくとお聴きあれ。


福島から来ました。
すいません、なんかどちらに行っていいか分かんなくて、来てしまったんですけど、
福島の声を聞いていただきたいんです。
福島県の原発はまだ終息していません!
何も変わってないんです。

そのことをみなさん(委員)はご存じのはずです。
なのに、なぜストレステストがどうのこうので、再稼働がどうのこうのって、
特にみなさん男性の方ですね、女性は原発選びません
生命(いのち)が大事なんです。
世界中の女性はみんなつながって生命を守るために必死に生きてます
みなさんにも子どもさん、お孫さんいらっしゃるでしょう。

福島県のインターネットの普及率はすごく低くて、
きょうこの会議があること自体、知ってらっしゃる方はほとんど皆無です。
会議のあるたびに新聞に載せるなりしていただかないと、
私たちの声をここまで届けることができません。

終息したと思っている方、手を挙げてください。
どなたですか、福島第一原発が終息してると言い切れる方は手を挙げてください。
どうしていらっしゃらないんですか?
(男性=野田さん、そう言ったんだ)
(他の女性=誰もいないじゃない)
(男性=誰だ、そう言わせたのは)

福島の、子供たち…子供たちがどんな思いで毎日毎日暮らしてるか、
4歳の子が「おばあちゃん、僕がレンジャーマンになって放射能やっつけてやるよ」って、
「大人になったらやっつけてやるよ」って、
2軒先のお宅のお孫さんが教えてくれました。

そういう現状です。
外で遊べないんですよ。
福島に住んでみてください。
どれほどの異常な空気が流れているか。
どこの終息なんです!?

もうみんな疲れて、「もういいよ、どうせ…」って、
「3月、4月で被爆しまくったから、もういいよ、疲れたよ」って、
「国が安全って言うんだったら私たちのこと、殺したりしないでしょう。
ちゃんと守ってくれてるんでしょう」。

私の母は74歳です。
「昼間見るNHKと、夜見るNHKと、昼間見る民放社の大手のメディアの方が言うことと、
夜中見るメディアのみなさんが言うことと、どっちが正しいんだべ、わかんねぇ―」
こういう形です。

ただ言いたいのは、福島は、いぇ全く福島第一原発は終息してないです

ウソをつかないでください!
子どもたちにウソをつかないでください。
ウソをつくことはいけないことですよね。
そう教えてるんじゃないですか、子供たちに?
違いますか?
お金を儲けることだけ、お金をどっかからいただくことだけのために出世するんですか?
そうじゃないですよね。
もう少し大人として、男性として、弱い女性、子供を守ってください。

10代、20代の若い女の子、男の子は「もういいよ」って、あきらめてます。
ヤケクソになってます
みなさんがたのこれからの税金を払っていく年代です。
皆さん方は税金で、それぞれそっから生活、生計を立てていらっしゃることを
もっと自覚してください。

どうなんですか?
福島第一原発は終息したんですか?
教えてください。
一主婦ですから分からないです。
ただ未だにモクモクと煙が出ていることだけは分かっています
アレは何ですか?
しっかり教えてください。

いかがなんでしょう、どなたがどうなのか私には分からないです。
(なにか指示?)
どの方ですか?岡本さん、いかがですか?
福島第一原発は終息したんでしょうか?
私たちは安全なんでしょうか?
(岡本氏は無言)
10マイクロのところに住んでいて安全なんでしょうか?
もう10カ月過ぎました。
教えてください。なぜみなさん黙ってらっしゃるんですか?
優秀なみなさんですよね。
どうして黙ってらっしゃるんですか?
岡本さんという方、手を挙げてください。
(岡本氏の横顔をアップ、目を閉じ無言)



◆    ◆
1人でも多くの人が、この動画をシェアしてほしい。
アドレス ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=hLYrZsCQsko&sns=fb


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野田佳彦首相がきのうの会見で、大飯原発3号機、4号機の再稼働を明言した。
国民の安全より「生活重視」だそうだ。


理想を掲げ、そこに向かって国民を説得し未来を開くのが政治だと思っていたが、今の「政治」は国民を脅し(「停電が起きるぞ」と)“国民の利便”という詭弁を弄して国民を危地に追いやるもののようだ。
こういう結果を目にして、心ある多くの人は、『元の黙阿弥』『これほど言っても通らないのか』と無力感を感じているかもしれない。
しかし、それは違う!!
元の黙阿弥なんぞになるものか
原発推進政策はすでに「お前は死んでいる」状態だからだ。


きのうのfacebookの投稿、長年の友人であるKさんが以下のようなことを書いていた。

『“ごまめの歯ぎしり”を積み上げて組織化して、リビアであったように、エジプトであったように、大地を揺るがすほどの地響きにならないものか?』
野田という人物、“民草”の方を向いていない。
もう一回、大きな地震が襲ったら、首都圏4000万人規模の避難を要するようなリスクをはらむ「フクイチ」4号機の使用済み燃料プール。
そういうものに思いをはせることができれば、
「再稼働」という選択はなかったはず。



この投稿に対して僕は次のようなコメントを寄せた。

使用済み燃料が何千本も残っているフクイチ4号機、建屋が崩壊して冷却できなくなればもう誰も近づけない。首都圏どころか、日本全体の移住では終わらなくて、世界をどう救うかの問題となります。
宇宙戦艦に乗ってイスカンダル星まで行って放射能除去装置を借りてくるしか手はないですな。



Kさんは僕が原発反対を書き出すはるか以前から、原発の危険を指摘していた。
「そんなに原発が安全だというなら、新宿の真ん中に原発を作ればいい!」
今にして、この言葉のすごさが分かる。
事の本質を1行で言い当てている。


効率を考えれば、需要地で電気を作るのが正しい。
それをしないのは危険があるからだ。
ただの危険ではない、誰もが忌み嫌う「放射能」漏出の危険がある。
だから過疎地に原発を作る


産業が立ちいかなくなり人が次々去っていく地で、札びらを切り
雇用を約束し、原発立地反対住民を脅し、追い詰め、判を押させる。
立地後もカネを湯水のように使い『原発なくしてわが町はない』ように思わせる。
これが原発立地政策だ


さしもの金権も、都会では通用しない。
鉄面皮の電力会社もそのくらいのことは知っている。
だから寂れた寒村が狙い撃ちされる。
地質を調べれば活断層の巣。
そんな地でも、一たび建てると決めれば、学者を(御用学者とは言わないが)カネ漬けにして、あるかなしかの良心を麻痺させ、「問題ない。新しい時期の活動はない」と言わせる。
死んでいるのは学者の魂である。


このようなものが原発立地政策だ。
まだある。
うるさいマスコミと政治家を黙らせなければならない
これも至極簡単。
やはり札束攻勢だ。

東京電力の対メディア広告費、年間200億円
電力会社全10社では860億円
日本最大のスポンサーだ。
これでマスコミは何も言えない。
電力会社が殿様となる。

政治家はもっと安上がり
2011年12月のNHKの取材によると、2010年までの3年間に少なくとも4億8000万円が政界に渡っていた。
全国の電力会社は「公益事業」であることを理由に政治献金の自粛を打ち出しているが、役員らの個人献金や労働組合などの献金の形で、民主党や自民党に献金を続けている。


何とも安い政治ではないか。
たった4億8000万円!
政治家の何人が対象となったか知らないが、一人頭100万円の単位か、
多くても1000万円の単位だろう。


安いと言っても無論、僕らのような庶民には手が出せない大金ではある。
しかしこの程度のカネで今の日本の政治家は易々と動かされてしまう。
逆に言えば、彼らを動かすのは簡単だ。カネをチラつかせればいいのである。
まさにそれをやってきたのが、地域独占企業たる電力会社だ
他の業界でもこの程度の仕組み(カラクリ)は承知している。
だから、必要な時にはボンっと大金を献ずる
。しかし、政治家にとってありがたいのは、たまの献金よりは常時の
(つまりルーティン化した)「計算のできる」献金だ。


これができるのは電力業界だけである。
なぜか。
「総括原価方式」と言う、打ち出の小槌をこの業界だけが持っているからだ。
根拠法令は「電気事業法第19条2項1号」
「料金が能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること」
この1行により、マスコミへの広告費も、政治家への献金も
(役員に払わせているから電力会社は「コストに入れていない」と言うだろう。しかしその分、高い給料を払っている)適正な原価となり、ツケは国民が払わされる


実にバカバカしい法律だ。
これを作ったのは、言うまでもなく国会議員である。
理由は言うまでもない。
(献金を自粛しているのは最近のこと。それ以前、原発を推進するについては「リスク回避」を泣きついたに違いない。そのために誰にどれほどのカネが流れたかについては、もはや知る由がない)


だから真剣に原発再稼働=元の黙阿弥を崩すには、
「総括原価方式」を標的にするのが最も正しい。
敵の兵糧を断つのだ。
カネの切れ目は縁の切れ目。政治家はアッという間に電力業界から離れていくだろう。


だから電力会社は必死なのだ
実は「原発再稼働」なぞ2番、3番の重要性ではないのか。
電力業界が恐れるのは「電気事業法第19条2項1号」の改正である。
この法律がある限り、原発は廃止であろうがなかろうが痛くも痒くもないだろう、
と僕は推理している。
会社が存続している限り、次の方式に乗り替えればいいだけのことだから。


カネを媒介とした永年の関係構築により、東京電力はあれほどの人災を引き起こしながらただ1人の逮捕者も出さずに済んだ。
幹部の誰1人、詰め腹を切らされたわけでもない。
破たんして当然の状況を、国費を投じて救済される。
さらに経営形態について「死んでいるはずの会社」が注文を付けるという図々しさだ。


僕らの急務は「脱原発」である。
その点について、僕は楽観している。


原発推進政策はすでに死んでいる。


新規原発が作れない時点で、これ以上の技術進展はなくなった。
求められるのが廃炉技術しかないような分野に、有為の人材は行かない。
欧米企業の輸出攻勢もやむだろう。
次のエネルギーの主力に何がなるのか知らないが、やがて本命が出てくるに違いない。
その時、電力業界が原発に固執するとは思えない。
(ただし、廃炉費用がかさむだろうから、できるだけ長く原発を使おうとはするだろう)
利がないと悟れば、さっさと原子炉を打ち捨てるはずだ。
苦労するのは廃炉作業に係る関係者たちである。


22世紀に生きる人間は「20世紀、21世紀に原発なんぞという未完の技術を無謀にも推進し、迷惑千万なゴミ(核廃棄物)を残した無責任」を強くなじることだろう。
自分が生きている間だけよければよいという貧困な発想の罪は、僕らにもあったかもしれない。
易々と乗せられ、疑問にも思わなかった罪……。


しかし僕らは今、明確に「原発はダメだ!」と叫ぶ。
多くの日本国民が、今ではその声を正当だと思っている
この時点で、この戦いは僕らの勝ちとなった!
政治家がどういう思惑でいようと、電力業界が何を策そうと、
原発がエネルギーの主役に返り咲く道はなくなった


これからも原発の事故は相次ぐだろう。
その度に国民は『それ見たことか』と思う。
こんな安全の成否不確かな中で「安全宣言」し再稼働を認めた野田首相は、
歴史に残る暗愚な宰相になってしまった。
先を見る目が少しでもあったら、もっと違った形で名前を残すチャンスがあっただろうに。


原発ノーを叫ぶ多くの国民は勝利したと思うが、確かに苦い勝利だ。
時の政権は、冒頭指摘した「フクイチ4号機の危険」を知りながら原発再稼働を認める無神経さだ。
この政治センスは度し難い。
だから国民は粗末な政治に対して、当分監視の目を緩めることはできない。
絶望せず、声を上げ続けたい



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再稼働が既定事実のように語られる大飯原発だが、
けさの静岡新聞に気になる記事があった(第2社会面3段記事)。
敷地内に走る軟弱断層の破砕帯が、近くの活断層と連動して動き
「地表がずれる可能性」があると言う。
つまり、原発建屋そのものがひっくり返る恐れさえある。
変動地形学の研究者、渡辺満久東洋大教授と鈴木康弘名古屋大教授がまとめた。
両教授は「原子炉直下を通る破砕帯もあり、早急に現地調査すべきだ」と訴えている。


こういう記事を読むと、『建てる前にちゃんと地質を調べなかったのかね』と思うが、
調べないことはあり得ない。
問題は調べの結果、活断層や断層帯があることが分かっているのに
その評価において「問題ない」とされ、原発建設が強行されてきたということだ。


専門家の評価がいかにいい加減で無責任なものであるか──
浜岡原発では「堅い岩盤」とされた地質が、
そのサンプルをリュックに入れて持ち帰ってみればボロボロのカルメ焼きのような地質だった、などという話によく表されている。


火山・地震帯の日本でどんな土地を探したところで、
活断層に出合わない原発敷地はないだろう。
今回はその一端が、両氏の良心と危機感によって、明らかにされたにすぎない。


記事はおそらく共同通信の配信だろう。
両氏が単独にリークしたとは思えないが、他紙には掲載されていない。
※共同通信の記事は地方紙に配信されているので、地方紙の掲載は有りか。

これほど重要な中身(少なくとも大飯原発を稼働させようというタイミングなのだから)
にもかかわらず、あるいは”であるからこそ?”、
他紙が反応しないというのはどうなのだろう。
最近は原発批判もするようになってきた朝日新聞の第3社会面トップは
「AKB総選挙 熱狂138万票」だ。
「これが社会現象だ」と浮かれ騒いでいる時ではないと思うが。


日本のマスメディアの底が知れる
これだから政治家や電力幹部たちが、ナメたことをするのだ。



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ツイッターのフォロワーがけさ、18万人を超えた


ラジオの聴取率はおおむね2%、
静岡県の人口は375万人くらいだからラジオを聴く人の数は約7万5000人。
2009年の衆議院選挙静岡1区の当選者牧野聖修さんの得票は12万904票。
だから「18万人」という数字はそれなりの重みがあるなあ、と思う。


そうは言っても、“流れ去るメディア”であるツイッターで
18万人に「つぶやき」が実際に届くかと言うと、その確率はかなり低い。
(もっとも、これはどのメディアでも共通か…。
ただテレビ、新聞の場合、圧倒的に届く範囲が広い。
なにしろ「マス=大量」メディアだからね)


一方、facebookは友達の上限は5000人。
しかも独特のアルゴリズムによって、常時、投稿が届く範囲は数百人までいくかどうか。
情報の「発信」を目的とすると、この数は心もとない。
しかし体感的に言えば、思わぬ広がりを見せる場合もかなりある。


ツイッターとfacebookでどちらが優れたメディアなのか、一概に言えない。
第一、両者では運営者の考え方がまったく違うようだし……、
と分析を始めるとキリがなくなりそうだ。
だから、その話はまた次の機会に。


きょうツイッターのことを書いたのは、僕なりの感慨を書きたかったからだ。
「数」というのは不思議なもので、一定数を超えると、
数それ自体が特別の意味を持ってくる(ことがある)。
僕の場合、まさにそれだった。


1万人を超え、2万、3万人と増えていくと、僕は「責任感」のようなものを感じ始めた。
断っておくが、ツイッターのフォロワーが増えていくのは、
「僕のつぶやきが素敵だから」では、決してない。
人を数多くフォローしているからリフォローが多いと、ただそれだけのことである。
だからフォロワーの多さを誇っても何の意味もない。
しかし、そのことが明確に分かっているのは自分だけのようなのだ。
多くの人は「数」だけを見て、「すごい」と思ってしまう。
当初、「それは違う」と言い続けてきたが、理解する人は少ない。
なので、やがて説明するのをやめた。
それよりも「数にふさわしいつぶやき手(変な日本語だが)になるのが先だ」
と、発想を変えた。


10万人の大台を超えるころには、
静岡県内で言えば“有数”のツイッター巧者とみなされるようになった。


──くう・ねる・あそぶ(日常のつぶやき)だけではないよな。


そんな思いが頭をかすめる。
自分らしい何か
結局、今も模索しながら考えている段階で、
『これは』と言った方法論を見出したわけではないのだけれど。
フォロワーを増やしていく過程で漠然と考えていたことは、
『PRのツールとしては使えそうだ』というこだったと。
しかしそれも今、中途半端だ。
いろいろ試してはいるが、十二分に活用しているとは言えない。


そうこうしているうちに、僕の投稿の主体はfacebookに移っていった。
やり取りが直にできるのが魅力だ。
しかし、ソーシャルメディアの世界に最初に誘ってくれたのはツイッターである。
フォロワーをどんどん増やせるという仕組みがなかったら、
僕はここまで来なかったのではないか。


──ソーシャルメディアの可能性をもっともっと高めたい
「言論」と言わないまでも、せめてみんなの「オピニオン」が飛び交い、
もの言わぬ大衆ではなく、一人ひとりの「個」が際立つ社会に。
と言う考えも、後からついてきた理屈のような気がする。


『数が増えていくから楽しい』
『自分が認められたような気がする』


いかにも競争心旺盛な団塊の世代らしい発想だったと思うが、
そうしたSNSのツールが僕には合っていたのである。
ともあれ僕はここに居る(SNSの世界にドップリ)。
最初の導き手はツイッターだった。
何しろ、おもしろい世界が出現したものだ。


ソーシャルメディア普及の時代に遭遇できて、本当に良かったと思う。


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