原発推進政策よ、お前はもう死んでいる!! | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


野田佳彦首相がきのうの会見で、大飯原発3号機、4号機の再稼働を明言した。
国民の安全より「生活重視」だそうだ。


理想を掲げ、そこに向かって国民を説得し未来を開くのが政治だと思っていたが、今の「政治」は国民を脅し(「停電が起きるぞ」と)“国民の利便”という詭弁を弄して国民を危地に追いやるもののようだ。
こういう結果を目にして、心ある多くの人は、『元の黙阿弥』『これほど言っても通らないのか』と無力感を感じているかもしれない。
しかし、それは違う!!
元の黙阿弥なんぞになるものか
原発推進政策はすでに「お前は死んでいる」状態だからだ。


きのうのfacebookの投稿、長年の友人であるKさんが以下のようなことを書いていた。

『“ごまめの歯ぎしり”を積み上げて組織化して、リビアであったように、エジプトであったように、大地を揺るがすほどの地響きにならないものか?』
野田という人物、“民草”の方を向いていない。
もう一回、大きな地震が襲ったら、首都圏4000万人規模の避難を要するようなリスクをはらむ「フクイチ」4号機の使用済み燃料プール。
そういうものに思いをはせることができれば、
「再稼働」という選択はなかったはず。



この投稿に対して僕は次のようなコメントを寄せた。

使用済み燃料が何千本も残っているフクイチ4号機、建屋が崩壊して冷却できなくなればもう誰も近づけない。首都圏どころか、日本全体の移住では終わらなくて、世界をどう救うかの問題となります。
宇宙戦艦に乗ってイスカンダル星まで行って放射能除去装置を借りてくるしか手はないですな。



Kさんは僕が原発反対を書き出すはるか以前から、原発の危険を指摘していた。
「そんなに原発が安全だというなら、新宿の真ん中に原発を作ればいい!」
今にして、この言葉のすごさが分かる。
事の本質を1行で言い当てている。


効率を考えれば、需要地で電気を作るのが正しい。
それをしないのは危険があるからだ。
ただの危険ではない、誰もが忌み嫌う「放射能」漏出の危険がある。
だから過疎地に原発を作る


産業が立ちいかなくなり人が次々去っていく地で、札びらを切り
雇用を約束し、原発立地反対住民を脅し、追い詰め、判を押させる。
立地後もカネを湯水のように使い『原発なくしてわが町はない』ように思わせる。
これが原発立地政策だ


さしもの金権も、都会では通用しない。
鉄面皮の電力会社もそのくらいのことは知っている。
だから寂れた寒村が狙い撃ちされる。
地質を調べれば活断層の巣。
そんな地でも、一たび建てると決めれば、学者を(御用学者とは言わないが)カネ漬けにして、あるかなしかの良心を麻痺させ、「問題ない。新しい時期の活動はない」と言わせる。
死んでいるのは学者の魂である。


このようなものが原発立地政策だ。
まだある。
うるさいマスコミと政治家を黙らせなければならない
これも至極簡単。
やはり札束攻勢だ。

東京電力の対メディア広告費、年間200億円
電力会社全10社では860億円
日本最大のスポンサーだ。
これでマスコミは何も言えない。
電力会社が殿様となる。

政治家はもっと安上がり
2011年12月のNHKの取材によると、2010年までの3年間に少なくとも4億8000万円が政界に渡っていた。
全国の電力会社は「公益事業」であることを理由に政治献金の自粛を打ち出しているが、役員らの個人献金や労働組合などの献金の形で、民主党や自民党に献金を続けている。


何とも安い政治ではないか。
たった4億8000万円!
政治家の何人が対象となったか知らないが、一人頭100万円の単位か、
多くても1000万円の単位だろう。


安いと言っても無論、僕らのような庶民には手が出せない大金ではある。
しかしこの程度のカネで今の日本の政治家は易々と動かされてしまう。
逆に言えば、彼らを動かすのは簡単だ。カネをチラつかせればいいのである。
まさにそれをやってきたのが、地域独占企業たる電力会社だ
他の業界でもこの程度の仕組み(カラクリ)は承知している。
だから、必要な時にはボンっと大金を献ずる
。しかし、政治家にとってありがたいのは、たまの献金よりは常時の
(つまりルーティン化した)「計算のできる」献金だ。


これができるのは電力業界だけである。
なぜか。
「総括原価方式」と言う、打ち出の小槌をこの業界だけが持っているからだ。
根拠法令は「電気事業法第19条2項1号」
「料金が能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること」
この1行により、マスコミへの広告費も、政治家への献金も
(役員に払わせているから電力会社は「コストに入れていない」と言うだろう。しかしその分、高い給料を払っている)適正な原価となり、ツケは国民が払わされる


実にバカバカしい法律だ。
これを作ったのは、言うまでもなく国会議員である。
理由は言うまでもない。
(献金を自粛しているのは最近のこと。それ以前、原発を推進するについては「リスク回避」を泣きついたに違いない。そのために誰にどれほどのカネが流れたかについては、もはや知る由がない)


だから真剣に原発再稼働=元の黙阿弥を崩すには、
「総括原価方式」を標的にするのが最も正しい。
敵の兵糧を断つのだ。
カネの切れ目は縁の切れ目。政治家はアッという間に電力業界から離れていくだろう。


だから電力会社は必死なのだ
実は「原発再稼働」なぞ2番、3番の重要性ではないのか。
電力業界が恐れるのは「電気事業法第19条2項1号」の改正である。
この法律がある限り、原発は廃止であろうがなかろうが痛くも痒くもないだろう、
と僕は推理している。
会社が存続している限り、次の方式に乗り替えればいいだけのことだから。


カネを媒介とした永年の関係構築により、東京電力はあれほどの人災を引き起こしながらただ1人の逮捕者も出さずに済んだ。
幹部の誰1人、詰め腹を切らされたわけでもない。
破たんして当然の状況を、国費を投じて救済される。
さらに経営形態について「死んでいるはずの会社」が注文を付けるという図々しさだ。


僕らの急務は「脱原発」である。
その点について、僕は楽観している。


原発推進政策はすでに死んでいる。


新規原発が作れない時点で、これ以上の技術進展はなくなった。
求められるのが廃炉技術しかないような分野に、有為の人材は行かない。
欧米企業の輸出攻勢もやむだろう。
次のエネルギーの主力に何がなるのか知らないが、やがて本命が出てくるに違いない。
その時、電力業界が原発に固執するとは思えない。
(ただし、廃炉費用がかさむだろうから、できるだけ長く原発を使おうとはするだろう)
利がないと悟れば、さっさと原子炉を打ち捨てるはずだ。
苦労するのは廃炉作業に係る関係者たちである。


22世紀に生きる人間は「20世紀、21世紀に原発なんぞという未完の技術を無謀にも推進し、迷惑千万なゴミ(核廃棄物)を残した無責任」を強くなじることだろう。
自分が生きている間だけよければよいという貧困な発想の罪は、僕らにもあったかもしれない。
易々と乗せられ、疑問にも思わなかった罪……。


しかし僕らは今、明確に「原発はダメだ!」と叫ぶ。
多くの日本国民が、今ではその声を正当だと思っている
この時点で、この戦いは僕らの勝ちとなった!
政治家がどういう思惑でいようと、電力業界が何を策そうと、
原発がエネルギーの主役に返り咲く道はなくなった


これからも原発の事故は相次ぐだろう。
その度に国民は『それ見たことか』と思う。
こんな安全の成否不確かな中で「安全宣言」し再稼働を認めた野田首相は、
歴史に残る暗愚な宰相になってしまった。
先を見る目が少しでもあったら、もっと違った形で名前を残すチャンスがあっただろうに。


原発ノーを叫ぶ多くの国民は勝利したと思うが、確かに苦い勝利だ。
時の政権は、冒頭指摘した「フクイチ4号機の危険」を知りながら原発再稼働を認める無神経さだ。
この政治センスは度し難い。
だから国民は粗末な政治に対して、当分監視の目を緩めることはできない。
絶望せず、声を上げ続けたい



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