■□■先輩、どうしました!?まだ紙の“新聞” ですか… | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


きのう、ミーツ出版設立のあいさつのため久しぶりに大先輩のお宅を訪問した。
静岡県中部にあるAさんの家は、窓も閉め切りで『不在か?』と思った。
ブザーを押すと、中から奥さんが現れた。Aさんも在宅だった!


Aさんは新聞社で政治畑を歩き、1面コラム、論説で鳴らした。
リベラルな発想をお持ちだが、新聞社の保守的な体質と調整をはかるために主張をねじ曲げる結果、論調はときに揺れるときもあった。
僕のような素直なリベラリストからすると、板挟みが痛々しくも感じられた。


しかし並外れた執念の持ち主であるAさんは、結果的には頂点を極めて退社された。
言論人とサラリーマンの二足のわらじを履いて、時に矛盾を抱えながらも、
分裂症になることもなく会社員人生を全うしたのである。
だから、70歳を過ぎた今は悠々自適でひっそりなのかと思ったのだ。
だが、そうではないらしいところが、先輩らしいところだった。


近郷近在の読者を対象に「“新聞”を週3回発行している」のだそうだ。
読者は100人超。
A4判にやや大きめの字でぎっしりだから、1回の量は新聞の長い論説くらいだろうか。
原発の話もあれば、小沢一郎の去就、ロシアのプーチン大統領の今後など、多彩。
一読して、さすがの洞察力を披歴していた。


「新聞が書かないから、仕方なしに書いているんだ」
「仕方なし」にしては、週3回の論説は常人の域を超えている。
その意気やよし、衰えぬ反骨精神に圧倒される。
新聞社の桎梏(しっこく)から解放され、論調は本来のリベラルを取り戻しつつある。
もっとも、小沢嫌い、民主党嫌いは色濃く、『やはり超個性的』ではあったが。


■ソーシャルメディアで健筆を揮えば、人生変わるのに

先輩の健筆ぶりに感心したものの、一方で『もったいないな』とも思った。
紙で100人に発行するために、毎月の本人負担は5万円だそうだ。
年間60万円を、年金から支出しながら発行を続けている。
手間暇をかけ、エネルギーを絞り、しかも持ち出し。
老ジャーナリストの自己満足と言われかねない発行ぶりなのだった。


「facebookをやればいいじゃないですか。ブログでもいいし。
いやいや、メルマガを有料課金でやれば、収入にもなりますよ」
そうアドバイスしたのだが、乗っては来なかった。


60数万部の新聞社にいて言論人であったことは誇りだったと思う。
『雀百まで…』ではないが、ジャーナリスト魂が今も心の熾き(おき)となっている。
立派だが、僕から見ると未練と思えなくもない。
読者はわずか100人である。
ソーシャルメディアならわずかな日月でケタ違いのファンを掴めるのに…。


「これだけたまっているものな(300本くらいの原稿を見せながら)。米久の庄司さんは『本にしないか』と言ってくれている。でも、明るい話題ではないから辞退しているんだ」


誇り高い人である。なのに、半分は自らを否定して見せた。
『少し老いたのかな』と思った。
もっとも、この判断は間違ってはいない。
時事ネタは旬を逃せば意義が薄れる。
本にしたのではタイムラグがありすぎる。
それでも売れるとしたら、よほど見識すぐれた有名人の場合だけだろう。


しかし、旬を逃さないメルマガなら一定数、売れる可能性がある。
月額100円、500円、1000円…と、いくらにするかは知らないが、
数百人の単位でファンが付けば、収入としても相当な額になる。


■ネットを駆使して一流記者に!欧米では当たり前

老後の収入うんぬんより、僕はプロの書き手がソーシャルメディアで活躍するのを見たい。
ツイッターにしてもfacebookにしても、ジャーナリストの参加は少ない。
先日、有田芳生さんから友達の承認をもらったのでfacebookのウォールを拝見したが、
ツイッターをそのまま再掲載している感じだった。
論客としての姿は、そこに見出せなかった。


確かに、facebookではプロがいくら書いても1円にもならない。
しかしお金にするのは有料のメルマガにして、facebookはもっぱらその人となりや考え方、生き方を見せる場にすればいい。
そして、全人格的に『この人なら』と思えばメルマガ購読につながるだろう。
そういう導線にfacebookはなるのではないだろうか。


それは僕自身のことを考えても、理想の自画像である。
出版社の社長になったことなど、少しもうれしくない。
本当になりたいのは、生涯現役のジャーナリストだ。
目標とするのは『室内』の出版編集人だった山本夏彦さん。
出版社を運営しつつ、鋭い書き手でもあった。


自分で出版社を持っていれば、最低限の発表の場はつくることができる。
しかし今は、出版事業をこなすための雑事に時間を取られ過ぎている。
いつか出版社を任せられるようになったら、思い切り取材をしたいと思っている。


■定年後まで「社畜の記者」ですか?もったいない!

自分のことはさておき最近、もったいない話を聞いた。
65歳の友人が言う。
「この前、小学校の同窓会をやった。
優秀なクラスでさ、東大、京大、慶応に行ったやつもいる。
その中でも最優秀のやつは、東大を出て日経新聞社に入った。
記者としてバリバリ書いていたが、先日、定年になった。
今は自分の健康のために、遠くのパチンコ屋に歩いて通っているそうだ」


「どんなに優秀なやつも、60を超え、65歳を超えるとただの人になってしまう」
と友は慨嘆する。
ところがこの話をした張本人は、65歳で新しい「経営指南塾」を開き、目を輝かせている。
もっとも、彼にfacebookを手ほどきしたのだが、そちらの筋はさっぱり。
書く力はあっても気力なし、やる気はあっても書くつもりはない…。
玉に瑕(きず)の面々が多く、プロの書き手はなかなか現れない。


日本では会社ジャーナリストばかりだ。
欧米では新聞社の記者として名を馳せると、コラムニストとして独立していく。
自身のブログやメルマガを有料にして、独立したジャーナリストになる。


記者クラブ育ちのぬるま湯記者たちは、なかなか独立しない。
安全を考えればこの選択は誤っていないのだから、仕方ない。
大新聞社に所属していた方が、安定した高収入を得られるのは確かである。


しかし、定年で会社を離れてさえなぜ“社畜記者”のままなんだろう。
地方にいる僕なんぞより優秀なOB記者・ライターはごまんといる。
ぜひそういう人たちに、ソーシャルメディアの書き手になってもらいたい。
プロが参入してくれば、市民ジャーナリズムは格段に飛躍するはずだ。


大先輩と久しぶりに会話を交わして、僕はそんなことを考えた。




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