朝刊に「就活解禁 大学3年3月」とあったので、<そんなに早くからか!>と一瞬目をむいた。が、僕の勘違いであった。
よく読めば、今までは3年生の12月から解禁、それを「あまりに早い」というので4年生になる直前の3月からにしようと、安倍首相が経済界トップと会談した、という話らしい。
それならば、僕が就職した40年前となんら変わらない。
僕も3年生の12月ころには学生服を着た。
あさま山荘事件(1972年2月末)は就活最中、都心のショールームで見たような記憶がある。4月中には大方の連中が内定を決め、マスコミ志望の僕は夏までは試験がないため、5月には大いに焦燥感があった。
正直にいえば、夏までに“滑り止め企業”で内定をもらっておこうといろいろ動き、7社受け面接ですべて蹴られていた。
今思えば、一流企業を“滑り止め”とは不遜の極み。
結果、七転び八起きで地方紙にようよう拾ってもらったわけだが、それもコネがあってのことで胸を張れる話ではない。
とはいいながら、実はこの話をするのが僕は好きである。
就職活動。
筆記試験はなんとか通る。
しかし面接では小気味よく明快に応答したつもりが、全部袖にされる。
これは自分が悪いのか、世間が悪いのか。
いうまでもなく“自分のせい”である。
醸し出している雰囲気、人間性、それまでに培ってきた知識やら教養やら常識力が問われたのである。
その結果、全社「ノー!」
大概、ヘ・コ・タ・レ・ル。
僕の場合は7社でやめにしたが、現在は50社、中には100社に蹴られたなんて話さえ聞く。
人間性を否定されたような気分になるだろう。
<これはヤバイ。今の俺では通用しない>
さっさと宗旨替えして、コネ採用を公言していた地元の新聞社を受けることにしたところが僕流だ。
二重三重、お願いできる人にはお願いし、試験の傾向も聞き出して真剣に勉強した。
面接は実になごやかだった。
大学の成績はひどく悪かったのに、それさえほめてくれる人がいた。
結果、トップで入社を許された。
試験結果のせいではないだろう、引きが強かったのである。
「不公平だ」というだろうか。
確かにその当時も「あそこはコネ入社だよな」と否定的ないい方をする人は多かった。
しかし当事者たる僕の見方は違う。
よくぞ私のような者を拾ってくださった、さすが地元だ、と思う。
と同時に、拾ってくれたおかげで会社もずいぶん助かった、ウインウインになった、と思っているのである。
軒並み落とされるというのは、自分が悪いのか、社会が悪いのか。
そんなことは誰にもわからない。
学校歴、成績は似たようなものなのに、何社からも内定をもらえる器用な人もいる。
そんな人たちに比べ、自分が劣っているとは思わない。
しかし「就活」という一事を取れば優劣は明らかだ。
自分には足りないものがあった(はずだ)。
足りないけれども、実はそここそが僕の最大の売りでもあった。
学生時代、いろいろ考えていたから面接に際し、一切猫をかぶったつもりでいたが、見る人には“普通の学生と違う雰囲気”が見えたのだと思う。
うん、彼らはさすがにプロだ。
地元紙だって、それを見抜く人はいたことだろう。
しかし僕には圧倒的なコネがあった。
有無をいわせず僕を押し込んでくれるパワーが。
いいたいのは就活の技術論ではない。
普通は「否定的」に見られる、屈託・世辞のなさ・青臭い正義感・反社会的というより半社会的というべき未熟さ……。
それらは就職時点というただ1点で見る限り、「ノー」といわれてしかるべき性向だ。
しかし、それがあったからこそ僕は拾ってくれた会社になにがしかの恩返しをする功績を残せたのである。
<編集局長か、さもなくば1面コラムを書く記者になる>
なんの根拠もないのに、入社早々からそう決めつけていた。
7社すべてに落とされた経験など、微塵も萎縮させなかった。
20歳そこそこの若造の「完成度」などしょせん取るに足りない。
その時点の俺や僕や私を、ただその時点の尺度だけで選ばれてたまるものか。
どうしようもない自意識強い未熟者をなだめたりすかしたり、怒鳴りつけたりしながら使える記者・編集者にまで育ててくれたのは会社である。
その感謝があるから、全力で仕事ができた。
さて、就活経験者としてアドバイスを送るなら、
「用意周到にやれ」ということに尽きる。
たくさん受けても道は開かれない。
好きな会社を見つけられたら、徹底的に調べて全力でラブコールする。
ただしあなたは未熟者だ。
あなたの思いなど(企業側から見れば)取るに足りない。
届かなくても自分を否定することはない。
否定せずさらに戦術を磨き自分を変えていく。
覚悟をもって粘り強く!
そして最後に、会社に入ることだけがただ一筋の道ではないこともいっておきたい。
61歳で行政書士になり、62歳で出版社を起業した自分の経験からいえば、サラリーマンになる以上にエキサイティングな道はいくらでもある。
全力で生きるつもりなら、そんな道もあることを意識していてもらいたい。
1度きりの人生、何度でも楽しみたいから今もあくせくしている。
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