ジャーナリスト 石川秀樹 -55ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

いやー、人生と言うのはおもしろい。
笑っちゃうような話が次々に起きてくる。


先日、新しく設立した出版社に電話とパソコンの回線を引いた。
出版社と言っても、父と家内が書道で使っている建物に間借りする形。
NTT西日本のフレッツ光からコミュファという会社の回線に変え、
2個目の電話番号をもらったという次第。
「切り替えの日が来たら、回線契約解消をお客様自身がやってください」
と言われたので、きょうNTTに電話した。


すると、係の女性が申し訳なさそうに言うには
「お宅様は、この3月に契約を更新したばかりです。
割引価格になっているので、今契約を切ると3年分の違約金、
3万円
を払っていただくことになります」。


「3万円!」と聞いて、僕は目をむいた。
ばかばかしい!
元はと言えば、業者同士の競争で顧客の囲い込み合戦をやっている
というだけのことじゃあないか。
気のいい客が巻き込まれ、素直にそんなもの、払う必要がどこにある。


とは言え、戦うにはそれなりの情報を集めなければならない。


それで父に「契約」のことを聞いた。
すると父は「??」。
それこそ「なんのこと言ってんだ?」という調子で、
契約更新をした認識自体をもっていない。
なるほどそれで父は「稽古場の電話回線をNTTからコミュファに変えるからね」
と言っても、何も反応しなかったわけだ。


父は86歳
最近とみに世事への関心が薄くなり、金銭感覚は怪しくなっている。
「(契約更新は)電話で言ってきたの?それとも、係の人に直接会ったの?」
「会ったとすればそれはNTTの職員だった?、それとも代理店の人だった?」
と聞いても、首をかしげるばかりだ。
こんな状態の父と、NTTは本当に契約したと言えるのか。


「担当者をよこしてほしい」と窓口の女性にお願いしたが、
「まず担当に電話させます」の1点張り。
こういう話が電話で解決すると思っているのだろうか。
(きっと、マニュアルではこう対応しろとなっているんだな)


めんどくさいことになったものだ。
僕は担当者(そんな者がいるんだろうか)と直接話をし、
上記の状況を確認した上で「それでも契約は成立している」と主張するのかどうか、
責任ある回答を求めたいだけである。


いや、違うな。
こういう問題は毎日毎日、枚挙のいとまないほど全国で起きているだろう。
何も知らない不用意な客が、契約解消の時にほぞをかむ。、
相手はNTT、大きな会社、それに契約書にもハンを押しちゃった、
こんな小額で裁判することもできないし、第一勝てそうもない……。
そう思って、悔しさをかみしめながらと泣き寝入りしているに違いない。
だから、かなわぬまでも一矢むくいてやりたいのだ。


消費生活センターにも電話した。
事情を説明し、対抗できるか見解を聞いた。
「契約が成立していると言えるかですね」
やはりそうか、法律は形式を重視するが、時に”事情”も考慮される。


最後に「長期契約」についてどう考えるかも訪ねた。
係の人は「うちにも掛かってきますよ。消費者が賢くなるしかないですね…」と言う。
あまり言質を取られたくないのか、言葉を濁す。
それで僕は「あなたの個人的な感想を聞かせて」と促した。
すると「それは好ましいことではないですよ」と答えてくれた。


繰り返しになるが、僕の考えはこうだ。
『長期契約』などと言うもの、どんなに契約書をひけらかしたところで、
本質は業者が顧客を抱え込むための手段
囲みの外に逃げ出さないように、ハンコを押させて縛っているだけのことである。
消費者の利益にならないことは、センターの人もちゃんと分かっている。


NTTはいつ電話を掛けてくるのだろう。
最低限、いつ、誰が、どのような手段で父に接触したのか、
きちんと調べて報告するよう求めるつもりだ。


◆◆◆

今、NTT西日本から電話があった。
結論から先に言うと、契約が成立していないことをNTT側が認め
「解約違約金」は支払わないでよくなった。
事情を追跡した結果、
NTT西日本のコールセンターから昨年9月14日に父の稽古場に連絡があり、
その際、家族でない者(生徒さん?)が電話を取り契約したことが分かったと言う。
これでは契約自体が成り立たない。
よって違約金の問題もなし。


こぶしを振り上げたが、意外な展開。
理屈を言えばきりがないが、ちゃんと経緯を調べてくれたので、
この結論をそのまま受諾することにした。
やれやれ、また男を下げてしまった。
家内に話すと叱られるだろうな…(しょんぼり)。


「はいお代官様」と、僕が易々と3万円支払うことはないと思う。



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「山田経営維新塾」を受講した。
毎月第2金曜日、市内のホテルにカンヅメになって講義を受ける。
年12回。その最初の講義に遅刻する人がいた(無論、やむを得ない事情があったのだが)。
塾長の山田壽雄さんは第1回、はじめの始めの講義だからピリピリしている。


スタートの時間が来た。
塾長は怒りを抑えながら僕ら塾生に、「どうしますか?」と聞いた。
「時間が来たから始めますか?それとも、全員来るまで待ちますか?」
一瞬、『塾長はどっちを望んでいるんだろうか』と考えた。
重苦しい沈黙が続いた時、1人が「待ちましょう」と言った。
ホッとした。僕も『それが正解』と思った。


◆山田壽雄さんと運命的な出会い

僕がこの席にいるのは、不思議な感じさえする。
山田壽雄さん。川根の製茶メーカー「山田園」創業者
らつ腕社長だと聞いていた。
初めてお会いしたのは昨年12月23日、青葉通りにある事務所でだった。
第一印象。怖い人、変じて今は温厚が身についているが、やはり怖そうな…笑顔
にこやかに会話していながら、すべて見透かされているような。


hidekidos かく語り記


事務所に赴いたのは、若い友人から「おもしろい人がいる」と聞いたからだ。
1回10万円の経営塾を開くのだと言う。
「10万円!?」(バブルの時代じゃあるまいし…)
しかし、会ってみたいと思った。
『何しろ、途方もない企画。会わなきゃ損だ』


事前にその人の著書を友人から借りた。
『23年連続で増収増益 小さなNo.1企業の秘密』と言う。
一読、何カ所かに付箋を貼った(僕は滅多にそんなことはしないのだが)。
「商売とは人づくりだ」
「社員さんは原石、磨くために仕事を任せる」
「お客様より社員さんを大事に」
「脳みそが汗をかくほど考えよ」
「失敗は成功への第一歩」
「企業は人間を幸せにするために存在する」
「顧客第一、利潤第一、社員さんも第一」…などなど。


列記すると事もないと思われるかもしれないが、
行間から伝わってくるのは「伝えたい」という熱意である。


僕は素直に読みとおしたが、暑苦しく感じる向きもいるのではないか。
言葉にすると簡単だが、これを実践してきたとすると社員は大変だったに違いない。
『しかし、本気でこれをやってきたとすれば、この人はすごい』と思った。


◆社員さんを磨きあげる経営

中小企業に“人材”など来ないと言う。(確かに一流官庁に行くような人は来ない)
ではどうするか。「磨きあげる」と言うのだ。
実際に、人間と言うのは、学校の成績や氏素性だけでは測れない。
社員に仕事を与え、使命を課し、しかも完全に任せてしまう。
リスクは高いが、人間の伸びシロも想像以上だ。
結果、たたき上げ社員の中から自分の後継者が育ってきた。
社長を譲り、経営の第一線から退いたのは55歳のときだったと言う。


早すぎる。
60歳では会長職も辞めて、むしろ他社の経営指導に力を入れ始めた。
聞けば、息子さんはちゃんと山田園にいる。
優秀な人らしい、社長の器。
なのにあえて他人を後継者に充てた。


社員が奮いたつ、新社長にカリスマ性が求められないから潰されることもない、
だから安定軌道に乗りやすい…。
『なるほど』の理屈だが、実践する人は少なそうだ。


◆「本気」を試されて僕はその気になった

初対面でここまで話を聞いて、『この人の話、1年間聞いてみたい』と思った。
そんな気持ちを隠して、僕は「2冊目を書かないんですか?」と聞いた。
「実はもう書いてありますよ。折々書いたので直さにゃなりませんが」
内心、慌てた。
『でも、いきなりうちには来ないだろう』
すると、「お願いできますか?」と来た。


不思議な縁である。
出版社は、設立しようとは思っているが、この時点で影も形もない。
同時に、行政書士の試験も終わったばかりで、合否定まっていない。
「塾は一般社団法人でやりたい。そちらの登記も手伝ってください」


これは何と言うのだろう、話がうますぎる
初対面でここまで信用しちゃうの?
からかっているのではないとすると、『そうか、本気を試しているんだな』。
となると、後には引けないではないか。
「分かりました、やらせてもらいます」と僕は即答した。


『大丈夫か?おい、おい』と思わないでもない。
こちらの態勢のことだ。
無計画にもほどがある!
まだ印刷会社の協力を取り付けただけ。
本の流通だって大変そうだ。その目途もたっていない…。


しかし、元々計画なんぞ綿密に立てたところで狂いが出るに決まっている。
ならば縁(=偶然)に任せてみるしかないではないか。
『向こうはリスクを冒(おか)して、何の実績もない者を信用すると言うのだから』


◆出版を引き受けたものの態勢はゼロ

こうして、新聞社退職以前に僕の方向性は定まった。
本当は、数か月間失業保険をもらいながら、設立準備をしようと思っていた。
しかし、会社を去るその日までルーティンワークに追われ、準備はできず、
辞めてからすぐにハローワークを訪ねると、
「開業準備にかかれば保険は出ません」と、すげなく返された。



『やれやれ、39年間も雇用保険を収めたのに国からの支援はなしか…』
仕方ない、きっぱりあきらめる他ない。
初手からつまづいた。
しかしこんなことは序の口でさえなかった。
書籍流通の要を握る取次会社との交渉は難航した。
有力書店さんの協力も求めた。それでも…。


さらに設立の登記、書籍コードの取得、電話回線、その他備品の購入と、雑事が続く。
のんびり、ゆっくりのつもりが、
すぐ本を作らなければならなくなって、越えなければならない山が多すぎて、
この間、息せき切って走り続けた感じがする。


疾風怒濤のような1ヶ月が過ぎ、何とか流通の問題も解決した。
本当に無計画だった。
あったのは「思い」だけ。そして怖いもの知らずの突貫精神
助けてくれたのは、みな周りの人たちである。
まだその人たちに、満足にお礼も言えていない。


そして今、本の初刷りが完了した。
表紙カバーももうじき最終のものが決定する。
そんな中での維新塾スタートだった。


◆鬼コーチを泣かせた『感謝の手紙』

午前中はさすがに塾長も塾生も堅かった。
しかし昼食後、犬塚敦統(あつのり)さんという外部講師の話を経て一気に引き締まった。
犬塚さんは愛知県安城市の七福醸造株式会社のカリスマ会長。
環境整備を通じて自分たちの心を磨く事」が信条。
と言っても、一般の人には何のことやら分からないだろう。
毎朝トイレ掃除をしている、と言うともっと誤解されそうだ。
(この人のことを書き始めると、もう1つノートを書かなければならなくなる)


「トイレ掃除=心を磨く」経営論(むしろ実践)は、一部では知られている。
しかし、何しろ犬塚さんは「トイレの水を飲める」くらいまで磨き上げる。
これがなぜ社員教育に通じ、会社を変える力となったかは、
実際に講義を聞いてもらわないと分からない。


塾生は自分を変えたい会社を変えたい一念でここに参集している。
だから刺激的な話を聞いて、空気が引き締まり、熱気を帯びたことは確かだ。
その後、山田塾長は僕らに「感謝について」を書かせた。
謙虚になりきれない僕は駄文をしたためたに過ぎなかったが、
他の塾生、12人の書いたものは素晴らしかった。
希望して6人が、書いた手紙を読み上げた。
鬼のような気迫を見せていた山田さんが、必死に涙をこらえるのが見て取れた。
僕も同じくである(人前では泣かないが…)。


山田さんは塾が始まる前、「全身全霊をぶつける」と言っていた。
それでも僕は『お手柔らかに』と思っていた。
でも、1日で考えが変わった
素晴らしい仲間たちである!!
「この人たちのため、何かをしたい」と思ったのである。


◆山田マジックか、塾生の力か

山田さんが「維新」という大げさな名前を塾の名称にしたのはなぜだろう。
1回聞いただけでは分からない。
しかし7時間半のカリキュラム全体を通じて、みな何か変化したようだ。
問題は、それを持続させることができるかどうかだと思う。
虎視眈々とそのための策を山田さんは、脳みそに汗をかくほど考えているだろう。


懇親会で、誰言うとなくこんな会話が交わされた。
「こういう仲間ができたってこと、10万円分の価値はあったね」
『おいおい、そりゃあ、塾長を喜ばせすぎだぜ』僕は心の中でつぶやいた。


毎回、結果を問われるのは大変なことだと思う。
しかし山田さんはやり抜くのではないか。
この日の講義の何が良かったのか、実はよく分からない。
それでも結果として、いつの間にか “同志的な結束”が皆の中に生まれている。
塾長マジックと言うべきなのか、それとも僕らがスゴイのか…。
申し遅れたが、塾生は20代から60代まで、職種も経験も違う人たちである。


◆………………………◆

ミーツ出版株式会社の第1号の本は
『23年連続増収増益 “非常識”社長の「維新」を起こす経営』と言う。
山田経営維新塾のプレ講義のような中身だ。
奇跡のような出会いがあって、わが社のデビュー作となる。
5月中旬には書店に並ぶので、ぜひ手にとっていただきたい。




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原発について、新しくfacebookの友達になったSさんにメッセージを書いていて、
あらためて気づいた視点がある──

   ◇

「未来の子孫に恥じないことをやっていきたい」という発想、
まことにいいね!と思います。
原発のこと、東電のことはよくfacebookでつぶやいていますが、
僕が最も信頼しているのは(ブレないという意味で)
Sさんたちのような、主婦の皆さんです。
「いのち」の原点から考えてくれますから。
その点、男たちは「立場」だの「都合」で考えがちだからダメなんです。


   ◇

自分を含め、男というのはいい加減である。
体面や功利のためにしばしば自分の意見を曲げたり意見を持たなかったりする。
あるいは頑強に自分の主張のみを正しいとする。
その時のよりどころは「理性」であったり「客観性」であったり、
あるいは「経済合理性」「社会正義」などだったりする。


これらは「理屈」だ
頭で考えたもの。
だから一見、合理的な説が流され、みながそれに慣れると、
やすやすとその説(「説」であって真実なわけではない)を信じ込まされてしまう。


だから福島で原発事故が起き、現実に放射能汚染という甚大な被害を受けているのに、
「原発がなければ電力需要を賄えない」という巧妙な刷り込みが流されると、
男たちはうかうかと乗せられる


放射能汚染の問題が投げかけているのは「いのちの危機」についてである。
経済合理性など別論に過ぎないのに、
声高にそれを言い、肝心の論点を自ら外してしまう。


たぶん本人自身気づいていないだろうから言っておくが、
このような別論に乗っかってしまうのは、
男の多くが『原発のことで本音は言えない』と思っているからだ。
『言えば自分が危ない』と思い込んでいる


これが原発ムラが世間にまき散らした一番の罪である。
電力会社が気前よくまいたカネは科学者、技術者、自治体、政治家にとどまらず
マスコミ、有識者などなどに及び、「安全神話」をでっち上げてきた。
その過程で、いつの間にか「原発反対論者は変わり者」
「共産主義者」「グリーンピースだ」などと、
あたかも過激な思想、反社会的な異質論者であるかのようなレッテルが貼られる
頼まれもしないのに、自ら“排除の論理”、
つまり、つまはじきする心理を優先させ、遠ざける。


だから多くの男たちは、原発問題に真剣に触れようとしない。
男は臆病である
それが恥ずかしいから、あらぬ別論を述べ立てかっこうをつける。


男は大概そんなふうなので、
僕は家内を基準にする
ごくふつうの人である。
公平でノーマル。


この人のつぶやきで、僕は時々自分の「男的発想」に気づき、即座に反省する。
そしてあらためて自分の理屈が正しいのかどうか、考えてみる。
まぁ、たいてい僕の負けである。



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こんなことは書かないほうがいいのかもしれないが…。
ヒューレット・パッカードの対応を見ていて「メーカーの辛さ」について考えた。


◎海外生産でなく「東京生産」だから魅力的だったのに…

以前、超円高で国内メーカーの海外生産ラッシュが続く中、
ヒューレット・パッカードは逆に熱心な社員の提案で「東京生産」に踏み切った、
というブログをfacebookでシェアしたことがある。
人件費は海外が安いが、日本への輸送コストや欠品での対応、
品質の一定などを考慮すると、「海外での生産必ずしも有利ならず」
という趣旨だったと思う。


『えらいぞ、ヒューレット・パッカード!』
単純な僕はうれしくなって、パソコンを買うならHPだと思った。
わけても「東京生産だ」と。


◎HPを信じたばかりに多くの時間をロス!

それで今回、出版社の事務所に入れるパソコンをHPのオンラインで購入することにした。
カスタムメイドの項目を選択し終わって、ふと気がつくと
「パーツの一部が欠品しており、納入が遅れそう」との赤文字の「注意」が目に入った。
『さすが、人気があるらしい』と僕は楽観視し、そのまま注文した。


しかし結果として、これはミスだった。
注文以来、僕は1ヶ月の余を待たされ、なお「納入の日取りは確定できない」
という事態に見舞われたのだから。
それで、とても残念だったが、HPへの注文をキャンセルした。


この1件、猛烈に腹が立った。
と同時に『おいおい、HP、大丈夫か?』とも思った。


◎おわびのメール3通、しかし中身はおざなり

確か、納入が遅れているためのおわびメールは3度届いた。
しかしそのたびに「めどはたっていない」だけだった。
これでは説明にも何もなっていない。
どの部品が、どのような理由で欠品しているのか、それを知りたいのに。
リーズナブルな理由なら、僕は待つだろう。
しかし、メールは3度ともハンで押したように同じだった。


僕が経営者なら、ここに大きな危機感を持つはずだ。
客を1か月以上も待たせるというのは、あってはならない機会ロスである。
現に僕は、新事務所で仕事ができず、自宅のパソコンを使って急場をしのいでいた。


普通の会社なら、顧客にそれほどの時間ロスをさせることが分かっていれば、
注文を取るのを中止するはずだ。
注文できたということは、事態をそれほど深刻にとっていなかったか、
客をなめているかのどちらかに違いない。
まじめな会社なら、事態解決に必死になるはずだ。


◎信用失墜の痛手に鈍感では先が思いやられる

へたをすれば企業存続にかかわる危機だと僕は考える。
これは順調な会社でも陥りかねないワナだ。
信用失墜すればトヨタでさえ危うくなる時代。
これを本気で免れるには、新聞に全面広告を出し事態をていねいに説明する、
注文者にはあらためて説明文書を送りわびる。
その上で、死に物狂いで調達に駆け回る…くらいしなければならない。
しかし残念ながら、HPはメールでやりすごすだけだった。


先週の土曜日、堪忍袋の緒が切れた僕はHPにキャンセルのメールを送った。
その足で、近くにあるOAショップに飛んで行った。
東芝のDynabookシリーズと台湾のAser社のパソコンが展示されていた。
ノート型を物色する。
HPに注文していたのは11万9000円くらいだった。
店のパソコンを一目見て『なんだ、安いな』と思った。
4万円台から、最高でも8万9000円台。
スペックはHPとさして変わらない。
1ヶ月も待っていた自分がアホらしくなってきた。


正直言って、ヒューレットも東芝もエーサーも、どこが良いかなんて分からない。
遅いパソコンにカリカリしていた僕は、とにかくサクサク動いてくれればいいのだ。
「東京生産だからいいかも…」と思っていただけ。
ことほど左様に、そういう客が多いのではないか。
良いイメージ、良いうわさ、良い口コミ…。
それで十分、人は購買行動を取る。


◎「欠品」は調達計画に根本的な弱点があるのでは?

早くHPが届いていれば、3万円の価格差を「損した」とも思わず、
『なんたって東京生産だからな』と、ひりほくそ笑んでいたに違いない。
しかし、こうした僕のブログは逆の口コミとなるだろう。
”悪口”だから、あまりシェアもされず、うわさは極少にとどまるかもしれない。


しかしヒューレット・パッカードよ、安心してもらっては困る。
僕がネットで物色した限り、欠品は「たまたま」ではなく
多くのシリーズで「赤字注意書き」が出ていた。
これは何を意味するか、中の人なら分かっていなければならない。


調達計画が体をなしていないのだ。
何か根本的で、決定的な欠陥がこの計画にはある。
致命傷になりかねない欠陥だ。
さらに悪いのは、全社でその危機を共有しているように見えないこと。
おざなりなメールがその証拠である。


本来なら調達部門の長のクビが飛んでもおかしくない事態なのに、
外から見えるHPはへらへら笑っているかのようだ。
客はメーカーの事情などお構いなしに、自分の都合で会社を評価する。
わがままな客を常に満足させなければならない、だからメーカーは辛い。
辛いけれど、それを常に達成することで”評価”が生まれる。
当たり前のことだ。


◎今ごろ「届いた」と言っても後の祭り

土曜日に出したキャンセルのメールは、月曜日の昼近くになっても返信がなかった。
『東芝のを買っちゃったのはいいが、本当にキャンセルできているんだろうな』
心配になり、あらためてオペレーションセンターに電話をした。
すると交換の女性は
「欠品した部品は今週末には入り、商品をお届けできるかもしれません」と言う。
なんだか『ソバ屋の出前みたいだな』と、おかしくなった。
「申し訳ないが、代わりのパソコンを買ってしまった。だから必ずキャンセルしてもらいたい」
断固たる口調で、あえて申し渡した。


こういうの、後の祭りと言うんだよね。


追記

昼間、電話であらためてキャンセルした話を上に書いた。
そんなことをしたのは、キャンセルメールがスル―される恐れあり、と踏んだからだ。
だからこその念押し電話のはずだったが、今メールを開けてみれば──
「納期が確定いたしましたので、ご案内申し上げます。」

いやーっ、ビックリした!ここまでHPがたるんでいるとは思わなかった。
電話でオペレーターは、受付番号まで聞いて僕の人物確認をしている。
そして「キャンセルを確かに承りました」と言ったのに、
現場にキャンセルが届いていない

やっかいな会社だ。
被害を受けているこちらが、なぜキャンセルの証明をしなければならないのか!
いい加減にしてほしい。

電話には受け付け記録があるはずだが(「録音する」と言っていた)、
念のため「キャンセルメール」を添付してHPに3度目のキャンセルを伝えた。
ついでに、このブログのURLも記載した。

ヒューレット・パッカードの人も、このブログを読んでほしい。
そして、どうしたらこんなばかげたミスを防げるか、真剣に議論してほしい。





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新聞社にいたから、よく印刷局に刷り出したばかりの新聞を取りに行った。
うなる輪転機の音より、記憶に残っているのは「紙のにおい」だ。
輪転室には見えない紙粉(しふん)が舞っているらしい。
インクのにおいに混じって、懐かしい独特なにおいが鼻をくすぐる。
自分が付けた見出しをそこで確認すると、なんだかホッとした。


編集局から出版部門に移っても、紙とのつきあいは続いた。
手掛けた本の「見本」が印刷会社から届く。
折癖もついていない表紙をめくるのはワクワクする瞬間だ。
開けるとかすかに(新聞ほど強くはないが)やはり紙のにおいがする。


◆…………………………◆

本は構造自体が新聞より頑健である。
表紙があり、表側はカバーで覆われ、内側は見返しの紙。
見返しの紙には遊びが1枚入って、その内側に扉(タイトル)がある。さらに
まえがき、目次があって、その後ろにまたタイトルがあり、ようやく本文。


並製本と言われる簡易な本でもこの“お化粧”は省略されない。
だから本は美しい。
機能美とも言えるが、中身を大切にくるむその様式がいい。


本は「特別なもの」、本当にト・ク・ベ・ツだ。
ある日、思い出して本棚に手をやる。
何十年ぶりかに引っ張り出した本はシミのにおいがする。
紙は少々、黄変しているかもしれない。
それでも読み始めると、懐かしい時代が帰ってくる。
こんな商品、めったにあるものではない。
書棚はもう1つの「脳」知識の倉庫であるし、思い出の貯蔵庫でもある。


◆…………………………◆

本は特別なもの。
しかし、出版局長を務めていて気がついた。
特別な存在ではあるが、「本にすること」自体は難しくない、と。
本が特別であるのは、人の思いがそこに詰まっているからだ。
それが、思いを形にすること(本という形)までを難しく思わせている。


確かにかつて、本は特別な人が書くものだった。
ブログやソーシャルメディアが普及した今も、本はお高く止まっているように見え
『敷居が高い』と感じる人も少なくないようだ。
一方、書店サイドからは「似たような本ばかりが増えて」と、
「特別」どころか、「いい加減にしてくれ」との声さえ聞こえる。
1日300冊!書店に出回る本の数だ。
出版社側から言えば、本はもはや「特別」どころか、
当座の売り上げを確保するための“道具”と化しているのかもしれない。


◆…………………………◆

団塊創業塾である女性に出会った(仮に「Aさん」と呼ぶ)。
2次会の最後に「本を出したい」と僕を呼び止めた。
脳梗塞で車いす生活になったお父さんとのことを書きたいと言う。
「自費出版にいくら掛かりますか?」
うーん……。これは難しい質問だった。
オンデマンドのような数十の部数なら数万円でもできるし、
きちんとした製本で何百冊、千冊単位なら数十万円掛かるかもしれない。


結局「いくらでも、できますよ」と、答えた。
印刷・製本代はピンもあればキリもある。
その中で最高のものを作ってあげたいと思ったからだ。


後日、原稿の一部がメールで送られてきた。
達者な文章ではなかったが、心を打つ話が何個所もあった。
それで、本の原稿になるようリライトしてみた。
見違えるような文章になった。
『思いはこう伝えるんだよ』という気負いが、その時の僕にはあったのだろう。
彼女は感心してくれた。
でも、きっと大きなお世話をしてしまったのだと思う。
その後、Aさんのペースがすっかり落ちてしまった。


◆…………………………◆

本を「特別の存在」と思うのは、今やアマチュア側に多い。
それだけ本は大切な、大切な存在
それが分かるから、Aさんの思いを受け止めようとしたわけだが、
僕のやった“仕事”は空回りしてしまった。
さらに、1冊のちゃんとした本にするべく、
Aさんに、もっと「書きこむ」よう勧め、自分史年表までつくらせた。
それですっかり行き詰まってしまったようだ。


「ちゃんとした本」とはなんだろう。
200ページも字を連ねることなのか。
数ページでも、数十ページでも、伝えたいものがあれば本は成立する。
「人の思いをつなぐ」「日本一良心的な」と言いながら、
僕は気の利かない野暮な編集者であり、
せっかくのAさんの思いを意気阻喪させてしまった。
もっと軽やかに本は作れるし、在っていいのに、
僕自身が妙に気負いこんで「特別なもの」にしてしまった。


ソーシャルメディアの時代は、本を残したい人をたくさん生みだすだろう。
それはとてもうれしい変化だ。
古今東西見渡しても、ふつうの人の日々の思いが綴られ、
蓄積され、それをまた読む人がいるという状況は考えられなかった。
奇跡のように稀(まれ)で、幸運な時代!


◆…………………………◆

きのう母が、腰骨の上にできた褥瘡(じょくそう)を治療するため入院した。
療養型病棟の4人部屋。
同室の2人は径管栄養で生きながらえている様子で、表情がない。
一方、あと1人は100歳の女性だが全く違った
自分で車いすを操り、食事も介助なしで完食する。
サイドの棚には歌集が何冊か置いてあった。
『歌を詠まれるんだ……』
この人が「いま」を書くことができたら、素晴らしいだろうなと思った。
(口述筆記という手もある!)


「本を書く」という敷居を取っ払ってしまえば、素材となる人は満ち満ちている。
のこしておきたい思い、言葉、経験、調査や研究……。
一人ひとりの中にあるそれらは、本にする価値のある事どもだと思う。


本は特別だが、本は一所懸命生きる人すべてに書くべき資格がある
僕は以前、思っていた。
「死すべき存在である人間が何かを遺すなんぞ、おこがましい」と。
しかし歳を重ね、少し大人になって、考え方が変わった。
それぞれに華(はな)がある。
それは十分に記憶されるに足るものだ、と。


それらが本の形になればいいなと思う。
そのためのお手伝いが出来るなら、幸せだ。
それが3月16日、ミーツ出版株式会社を創業した第一番の目的である。

──────────────────────────────
◆本を出版したい方のご相談に乗ります
ミーツ出版株式会社 石川秀樹(hidekidos)
電話 054-374-1430




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