■男たちはなぜ『原発ノー』と言うのをためらうのか | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


原発について、新しくfacebookの友達になったSさんにメッセージを書いていて、
あらためて気づいた視点がある──

   ◇

「未来の子孫に恥じないことをやっていきたい」という発想、
まことにいいね!と思います。
原発のこと、東電のことはよくfacebookでつぶやいていますが、
僕が最も信頼しているのは(ブレないという意味で)
Sさんたちのような、主婦の皆さんです。
「いのち」の原点から考えてくれますから。
その点、男たちは「立場」だの「都合」で考えがちだからダメなんです。


   ◇

自分を含め、男というのはいい加減である。
体面や功利のためにしばしば自分の意見を曲げたり意見を持たなかったりする。
あるいは頑強に自分の主張のみを正しいとする。
その時のよりどころは「理性」であったり「客観性」であったり、
あるいは「経済合理性」「社会正義」などだったりする。


これらは「理屈」だ
頭で考えたもの。
だから一見、合理的な説が流され、みながそれに慣れると、
やすやすとその説(「説」であって真実なわけではない)を信じ込まされてしまう。


だから福島で原発事故が起き、現実に放射能汚染という甚大な被害を受けているのに、
「原発がなければ電力需要を賄えない」という巧妙な刷り込みが流されると、
男たちはうかうかと乗せられる


放射能汚染の問題が投げかけているのは「いのちの危機」についてである。
経済合理性など別論に過ぎないのに、
声高にそれを言い、肝心の論点を自ら外してしまう。


たぶん本人自身気づいていないだろうから言っておくが、
このような別論に乗っかってしまうのは、
男の多くが『原発のことで本音は言えない』と思っているからだ。
『言えば自分が危ない』と思い込んでいる


これが原発ムラが世間にまき散らした一番の罪である。
電力会社が気前よくまいたカネは科学者、技術者、自治体、政治家にとどまらず
マスコミ、有識者などなどに及び、「安全神話」をでっち上げてきた。
その過程で、いつの間にか「原発反対論者は変わり者」
「共産主義者」「グリーンピースだ」などと、
あたかも過激な思想、反社会的な異質論者であるかのようなレッテルが貼られる
頼まれもしないのに、自ら“排除の論理”、
つまり、つまはじきする心理を優先させ、遠ざける。


だから多くの男たちは、原発問題に真剣に触れようとしない。
男は臆病である
それが恥ずかしいから、あらぬ別論を述べ立てかっこうをつける。


男は大概そんなふうなので、
僕は家内を基準にする
ごくふつうの人である。
公平でノーマル。


この人のつぶやきで、僕は時々自分の「男的発想」に気づき、即座に反省する。
そしてあらためて自分の理屈が正しいのかどうか、考えてみる。
まぁ、たいてい僕の負けである。



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