ジャーナリスト 石川秀樹 -43ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


園田隆二・女子柔道代表監督(39)が辞めないと聞いて、たいへん驚いた。
全日本柔道連盟の上村春樹会長は会見で「本人もたたいたり、蹴ったりしたことは認め、深く反省している。未熟さゆえのことと」といっている。
反省しているから許してやってほしい、上村さんらしい判断なのだろうが、『やはりこの人も普通の男か。何もわかっていない』と、失望を禁じ得なかった。


本来なら女子選手たちは、全柔連に駆け込むはずだ。
しかし、事態を知っているはずの連盟が少しも動こうとしないから、やむなくJOC(日本オリンピック委員会)に訴えた。
そこまで追い詰められていたのだ。
また死を見なければ分からないのだろうか。


体罰、パワーハラスメントというが、一体、誰に権利があるというのだろう。
暴力を振るい、言葉でもって執拗に追い詰める権利が。


僕は人を殴ったことはない。
だから、どんなに腹を立てても殴る蹴るはしたことがない。
以前は、意気地のないことだと思っていたが、今となっては自分の気弱さがありがたい。
どんな場合でも、人に暴力を振るわないというのは自分の誇りである。


上司だから、先生だから、指導者だから、先輩だから人を殴ってよいという法はない。
日本では「愛情があれば殴ってもよい」「愛のムチ」だというが、錯覚である。
殴ってもよい愛などありはしない。
あるのは「俺のいうことをきけ」という強制である。
無理強いである。

hidekidos かく語り記


女子選手たちは、オリンピックが終わるまでじっと我慢をしていた。
『オリンピックが終われば、この苦から解放されるだろう』『もう脅されなくて済む』と思っていた。
なのに「監督続投」だった。
代表監督は単に技の指導だけでなく、引退後の選手の身の振り方にまで影響力をもつ。
誰も逆らいたくはないが、もうこれ以上耐えられない、あるいは現役を引退する選手は「後輩たちが同じ責め苦を味わわなくて済むように」と、訴え出た。


しかし、空しかった。
頼みのJOCは全柔連に遠慮して“指導性”を発揮しない。
挙句、全柔連は戒告ひとつで「監督続投」を決めてしまった。
選手たちは①体制刷新と、②問題が解決するまでの合宿凍結、それに③第三者による調査―を強く求めている。
まことにもっともないい分だと思う。


本当にみなさんに訴えたい。
許される暴力などない。殴られれば痛い。
肉体が痛いだけではない。
心が傷つけられるのだ。
それは「奮起」などということではない。
「怒り」だ。理不尽に対する強い反発だ。


まあ僕は、弱虫なくせに気だけは強いのでこんなことをいっているが、気立てのやさしい人、人を善意に受けとめようとする人、素直な人は心まで砕かれる。
あるいは「悪いのは自分」と、受け入れられない事実を自分を責めることで転嫁する。
暴力はそういう二重、三重の罪をもっていて、人を何回でも“殺す”のだ。



先ほど上村氏のことを「普通の男」といったのは、こういう意味だ。
パワハラ、セクハラをする者は、無神経である。
やってる本人は無神経男だと気づかない。
しかし女性は、心の底から嫌う。
それは男の僕たちがとても想像することができない種類の嫌悪感だ。
そんな男をかばう者、かばう組織、最悪は隠ぺいしようとする組織に対しては嫌悪と憎悪と絶望しか感じない。
傷ついた彼女たちになお、そこまでの重荷を背負わせるのだろうか。


上村よ、そこを分かれ、と僕はいいたいのだ。




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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただたら、こんなにうれしいことはありません。


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けさはうれしい便りがあった。新聞である。


僕の2周り近い若い友人、鈴木弘朗さんの事業が日経新聞朝刊地方版トップで紹介された。
彼が営むのは「鈴木商店」。ネジ屋さんだ。
素人目にはネジの卸をしているといるということ以外、わからない。
ネジの需要がどこで発生し、どんな業界に流れていくものか。
いま一つわからないままだったが、さすがに日経新聞はコンパクトに本質をつかんで書いてくれる。


ニュースになったのは「さびにくい鉄製ネジ」である。
商品名「ロングッド」。
ロング(長持ちして)でグッド(よい)を掛けた命名だろうか。ここは僕の勝手な想像だ。

hidekidos かく語り記


それがどれほどすごいものか。
「さびにくい」といえば、今まではステンレスのネジだった。
だが高い。
そこで生産委託先と共同で、炭素配合して強度を上げた鉄に特殊な表面処理を施したネジを開発した。
同程度のさびにくさをもつステンレス製の3割安。
傷がついても、処理に使った亜鉛、ニッケル、クロム同士が反応して表面を覆うため、さびが発生しにくい。
なるほど、画期的だ。


彼は“走る男”である。
きのうもFacebookで「1日24時間では足りません!」といっていた。
営業に施設整備にと忙しく飛び回っている。


彼を知ったのは「山田経営維新塾」でご一緒させてもらったからだ。
1年を通して経営のことを学ぶ。
塾の理念は「共に学び、共に進化し、維新を起こす」だ。
勉強もだが、人間力が試される塾である。
僕もこの10カ月共に学び、やはり変わった。


その塾に、彼は夫人と共に参加している。
ふたりともなんといったらいいのだろう、僕のようなガサツな人間が到底及ばないような「純真さ」をもっている。
大の大人に「純真」もないものだが、そうとしかいいようのない汚れのなさ、一途さ、真剣さ、人や自然への温かさをもっているのである。
はじめふたりに接したとき、これは長所というよりも、ビジネスをしていくには弱点にもなるのではと、いらぬ心配をした。
やはりそれは俗人の思いあがった見方であり、ふたりはその域をはるかに超えていた。


昨年10月、彼らは塾の仲間3人と共に「100キロウォーク」に参加した。
結果をいえば彼は完歩、夫人は71キロ地点で足の豆が破れリタイアした。
他の同士2人も完歩した。
このウォークはふたりのみならず、同志たちには大きな刺激になった。
彼は途中、息も絶え絶えの様子だったのである。
しかし、妻の無念、社員の思い、一緒に歩いている同志の思い、沿道の声援などなどを背負い、背負ったがゆえに歩き切ったのである。
「責任感」といえば言葉が軽くなる。
彼は人の思いがわかる人間である。


さて、喜んでばかりもいられない。
新聞に載ったということは、大きな影響力をもつ。
ありがたい、うれしいことではあるが、「注目を受ける」ことは危険でもある。
競合他社は目の色を変えるだろう。


彼は強い意思の持ち主だ。
百も承知で駆け抜けるだろう。
「勝負の年になる」といっていた。
言葉通りの年になりそうだ。


評判は一過性のものである。
やがて人々は忘れる。
しかし、中に1人や2人、強く印象に残す人もいてくれる。
そこで何かがつながれば、また新しい展開が生れていくかもしれない。
僕がここでこうして書いているのも、そのためだ。


Facebookは新聞ほどの拡散効果をもたない。
しかし、人の心に思いを伝えるなら、十分すぎるほどのツールである。
この友に僕はなんの手助けもできないが、彼や夫人(専務さんである)の人物を保証することはできる。


ふたりはかけがえのない僕の友である。



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昨夜の「いじめ」に関する論考、静かだが深い反響をいただいています。


書きそびれたが、きのうの雑談では中学・高校の部活についてこんな話も出た。
「学校によっては、部活の生徒募集のときに、親から『指導方針について顧問のやり方について、一切苦情を申し立てません』という念書を取っているところもある。体罰もよし、と事前にハンコを押させるわけですね」


一方で、こんな話も。
「僕も高校の野球部では体罰を受けました。でも僕の場合、反抗的だったから、先生にぶん殴られなければ“なめていた”と思いますよ。僕の人間形成は部活でやってもらった。今でも先生に感謝しています」


そんな例も中にはあるので、今でも体罰を「指導」とする勘違いが学校現場でやまない。
「運動能力はすぐれているけれども、成績や素行についてはどうもね、という生徒も、強豪校といわれる学校には入ってくる。そういう生徒を押さえこむために、ある程度、体罰は許容されるのだろう」
いやはや、話があべこべなんですな。


「強豪校だから」→「成績がレベルに足りなくても」→その部が強くなるなら合格させる。こんなことがまかり通る、それを当たり前のこととして、僕たちも話をしている。
この辺に、大阪・桜宮高校の病弊のもとがあるような気がします。ひとり桜宮高校だけか。いや、全国至るところであるのでしょう。


わが静岡県でも、誰でも知っている県立の“野球名門校”がある。
運動能力が高いから少々ゲタを履かせて入試を通す、くらいのことならガタガタいやーしません。
ゲタもゲタ、到底どの授業にもついていけないレベルの“選手”が入ってくる。
そういう人はある意味、かわいそうでもある。
部活で放り出されたら、もう教室に居場所はないのです。


桜宮の偏差値レベルがどのようなものか、よくはわからない。
しかし「市立」という以上、一定のレベルはあると想像します。
体育科の生徒たちが、普通科と対等のレベルにあったのか。
いやいやもちろん「科」が違うわけだから、同等である必要はないと思うが、厳密に「スポーツ科」のレベルというのが守られているのか。


僕が見知っている県内の高校では、県立高校でも市立高校でも、その辺のさじ加減がいろいろあった。
そのことはみんな知っているけれども、誰も声を上げない。
あの、こうるさい朝日新聞でさえ、ことが高校野球だからでしょう、知っている事実を調べようともしない。
そんなことをすれば、出場辞退をしなければならない高校のオンパレードでしょうから。


この点、これほどコンプライアンスがやかましくいわれる時代になっても、高校スポーツではなんら襟を正そうという機運が盛り上がってこない。
不思議でなりませんな。
ここまで生きてきて、多少世間というものを知っていますから、こういう論は「暴論」として、黙殺されるということは承知です。
しかし「異議申し立てしません」念書が事実なら、それは動かぬ証拠。
教育委員会に駆け込めば、さぞかし教委も頭を抱えることでありましょう。
空気を読めないどころではない。
地域社会のつまはじきになること必定。
親がそんなことをすれば、子どもが学校で、教室で、部活でどのような差別を受けるか、わかったものじゃあない。
そう考えるからこの問題、大きく話題にはならないのです。


しかし戦後60数年、いい加減に目を覚ましたらどうだろうか。
高校野球が郷土意識を喚起して、熱狂で包まれ、優勝しようものなら歓呼の声で迎えられる。
郷土の誇り、日本人の誇り、敢闘精神の精華、これぞ花道、がんばろーニッポンの意識を呼び起こし、前に進んでいく勇気を与えてくれたことは確かでしょう。
しかし、なぜ高校野球だけが特別なのか。


他の高校スポーツでも、駅伝、サッカー、バスケ、ラグビー、強豪校はまるで“特別階層”のような扱いを受け、その選手候補たちも入学で便宜をはかってもらう。
いったん部活が始まれば、体罰容認だ、父兄は何もいうな、学校も見ぬふりを通せ、がまかり通っている。
もちろん大げさないい方かもしれない。
しかし、多くの人には思い当たる節がある話を僕は今しているのです。


高校スポーツはただの高校スポーツ。
命を掛けてやる子がいてもいいが、大人が計算づくで学校の名誉やら、地域の名誉やらを背負わせるものではない。
「文武両道」を自慢するなら、天地に恥じず正々堂々それを貫き通してほしい。
つまり、体罰以前の問題として、子どもたちのみならず大人を巻き込んだこの高校スポーツの悪弊を、一度、リセットしなければならないと思うのです。


嫌な奴とさげすまれ、友達を失いそうな発言ですが、僕はぜひみなさんの意見をうかがいたいと思っています。





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ただ今、帰宅。
2.5キロの道を20分の超速足で帰って来たので、体中から汗が噴き出ています。
息せき切って駆け戻ったのは、聞いてほしい話があったから。
僕が通っている経営塾で、談たまたま「体罰」「いじめ」の話がはじまったのでした。


■   □   ■
例の大阪・桜宮高校の体罰事件――
「石川さんが親ならどうしました?」と聞く人がいたから、
「顧問を100発くらいぶん殴るでしょうな」と答えました。
子供がされたことと同じことを教師に返さなければ。
殴打する者は、殴られる者の気持ちは一生わからない。
だから話をするなら、痛みを知らせた上でなければ通じるものがない。


こんな話をしていると塾長の山田 壽雄さんが、有名な野球選手Oさんの息子さんのエピソードを話してくれました。


「有名人の子どもは必ずいじめに遭うんだね。Oさんの息子Fさんも中学、高校でいじめに遭った。身長180㌢超、護身用にと、少林寺拳法を子どものころから習っていた人が、指1本動かさないでボコボコにされてしまう。あまりの仕打ちに、ある日とうとう、母親に『自殺したい』と打ち明けた。するとお母さんは『お前が死ぬなら私も一緒に死んであげる』といったそうだ」


心に響く話である。
話には続きがあって


「その話を後で妻から聞いたOさんは、息子とふたりきりになったときに聞いた。『お前、なぜやり返さなかった?』Fさんの答は、『そんなことをすれば、お父さんを困らせるでしょう』」
父は有名人、自分暴力沙汰はかっこうのマスコミの餌食となり「お父さんがたたかれる」。
この親にしてこの子ありという話。


しかし、僕がFさんなら違う答を出した。
相手に勝てる力をもっているのだ、ごく初期の段階でたたきのめして、いじめの根を絶ったと思う。
それくらいのことしなければ、溜飲が下がりゃアしません。
この話を聴いた塾生のひとりが、小学生時代の体験を話し始めました。


「十数人に囲まれて後ろ手に縛られ、ロッカーに入れられて、階段を4階から1階まで転げ落とされた。体中、血だらけですよ」


いじめはエスカレートする。


「素っ裸にされて脚を持たれて股を開かれて、肛門にボールペンを突っ込まれたことも……」


そんないじめが毎日続く。
自分がその子の親だったらどうしただろうか。
そのとき、唯一の女性塾生がこういうのです。
「私がその子たちをつかまえて、同じこと、してやります」
なるほど、僕と同じだ!!


しかし被害者の塾生は、自分でこの苦境を打開した。
首謀者と目される子が、ある日また絡んできた。
『きょうは好きにさせてたまるか』と思い切り蹴り上げたら、たまたま当たった。
その子がひっくり返り自分は馬乗りに。
チャンスとばかり顔をめがけて、拳をふるった。
それはもう、自分の手の皮が裂けて血だらけになるまで、何度も何度も。
「ごめんなさい、もうしません」と謝るまで殴り続けたそうだ。


この話を聴いていた塾長は、「暴力を暴力で返すことは本当の解決につながるのか?」とおっしゃる。
尊敬する心の師の言葉も引き合いに出された。
「男子はいじめられてはならないのです」
この言葉にも確かに、一理ありましょう。
でも僕はこう思うんですな。


暴力に暴力をもって返さなかった例なら、ガンジー氏の例がある。イギリスの植民地支配に対して「非暴力」をもって戦った。この戦い、多大な犠牲を生みながらも最後は勝利をおさめます。それはインドの民衆が度重なる屈辱に屈せず、あきらめず、戦いを続ける意思を微動だにさせなかったからだ。
そんな“闘争”を今の日本に当てはめてみましょうか。
件の塾生はいいました。


「僕が大勢に殴られ蹴られ、階段から落とされるのを見ていながら、クラスの誰ひとり、助けてはくれなかった。『やめろ』とはいってくれなかった」と。


桜宮高校ではどうでしょう。
全国大会に勝つ強豪の部活だから? 誤った教師のやり方を誰ひとりとして止めなかった。
ひとりの生徒の死より「今まで通り入学試験をやってほしい」と在校生が懇願した。
暴力に屈しない、理不尽は断断固として認めないという、正義の精神がどこにありましょう。


今のこの国は、ひとたび火の粉をかぶったら、自ら火消しに走らなければ火だるまになる危険が常にあります。
子どもに「いじめ」を禁じる?
大人社会でパワハラだのセクハラだの、追い出し部屋だの、いじめがやまない中で、どうして子どものいじめがやみますか。


この話、結局どこに落としどころもなく、いったまま、聞いたままにはなりましたが、心に深く刻まれた議論でありました。



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疾走する異端、樋渡啓祐佐賀県武雄市長がまた戦おうとしている。
けさの日経新聞第2社会面が以下のように伝えた。


「市職員給与、税収と連動 14年度導入を検討」


「検討」だから、これから先陣を切るという話だ。
今までは武雄市も他の大半の市町村と同様に、人事院勧告や県人事委員会の勧告に準拠して職員の基本給を決めてきた。
新しい制度では、とりあえず初年度は基本給の50%の部分に税収の増減を反映させる。
公務員の給与は号俸給であり、職員を7等級に分類している。その秩序を崩すわけではなく、勧告を聴いたうえで、市税の勢い(つまりは市民経済の勢い)を加味した給与にしようというのである。

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さて、この改革にも「反対論」はごうごうと巻き起こってきそうだ。
人事院、県、条例で行うだろうから市議会、おひざ元の市職員などなど。
一見関係なさそうな市経済界からも、もしかすると反対の火の手は上がるかもしれない。


市長のことだから、とうにFacebookで発言しているのではないかと樋渡さんのタイムラインをザッとさかのぼってみた。
1月6日、こんな記述を見つけた。


「年俸制公務員制度で組織に揺らぎ、そして、今度は新しい給与制度で組織と地域社会としっかりリンクさせ、並行して、組合の在り方に問題を提起します。今年は、図書館や自治体通販制度に並行して、公務員の本丸のこういった制度に風穴を開け、もっと、公務員のみんなが良い意味で働きやすい環境を作り上げます」


なるほど、市長の頭の中には先に「年俸制の公務員」という構想がある。
その先に給与改革だ。
「年俸制」そのものも物議をかもしているが、地味に見えるけれども「市税と職員給与のリンク」は年俸制以上に、全国の自治体にショックを与える改革になるだろう。
今までは市町村の経済がどうであろうと、国家公務員給与だけをにらんで給与を決めてきた。
自治はないが、“絶対的な”安定感と、一種のお墨付きがあった。
市税にリンクさせるとなれば、不況なら給料が下がるし、活況となれば職員の懐も膨らむ。
自治体職員も、わが身のことだから真剣にならざるを得ない。
これぞ地方自治だ。


「地方自治」に対して、建前は賛成、本音は「許すまじ」が東京にいる中央官僚のスタンスである。
樋渡さんは元々は総務庁(現総務省)の職員。
古巣が何をいってくるかは100%お見通しだろう。
想定問答もきっちりできているに違いない。


形骸化している地方自治に、風穴を開けてもらいたい。
全国のみなさんも、地味で堅苦しい地方自治のテーマだが、一撃の持つ意味はとても大きい武雄市の挑戦を、興味をもって見守ってほしい。
地方から変わっていかなければ、この国の未来はないように思えるのだ。


(写真は樋渡市長のFacebookタイムラインから拝借した)



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