ジャーナリスト 石川秀樹 -44ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」


言葉の軽さで首相を棒に振った麻生太郎さんらしい発言だと思った。
きのう行われた社会保障制度改革国民会議、終末期医療に対してポロッとというか、大胆に率直に、かつ不用心に麻生副総理はこう述べた。
「さっさと死ねるように」だけが独り歩きされたんじゃあかなわねぇーなぁ、というところだろうが、メディアはさっそく飛びついた。


「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」


hidekidos かく語り記

        〈写真は共同通信〉

これも同じ日の麻生さんの発言だ。これは事実なのである。
死ねないということ。
終末期、自分で嚥下(えんげ)できなくなると、点滴、中心静脈栄養、または胃瘻(いろう)をもって延命をはかる。
胃瘻はお腹を切開して胃の中にチューブを通し、食物や水分や医薬品を流するための処置。
これを麻生氏は“チューブの人間”といったのだが、チューブでつながれて生かされているのは事実なのだ。


麻生さんは自分を主体に発言しているので、「死ねないんじゃあかなわない」だが、現実は大半の場合、家族が判断することになる
。本人にほとんど意識はないからだ。
そこで医師は「どうなさいますか?」と家族に聞く。
まだ延命の方法があると聞かされれば十中八、九は「お願いします」ということになる。
人工栄養の効果はすごい。
何日も、何年も生きられる。
その間、体は曲がり……、と詳しい描写はやめにしておく。


いったんその措置が取られると、チューブを外す行為は「殺人」とされる。
麻生さんが自分に仮託していいたかったのは、ここであろう。
家族に「ありがとうございました。もう十分です」といえる、法的な状態を作ってあげたらどうなんだ、ということである。
一歩進めれば「安楽死」ということになるが、麻生発言はそこまで踏み込んでいない。


私も同じ問題を抱えている。
人ごとではない。
毎週、老人病院に通い、遺漏を受けている人も何人も観ている。
その上で自分は、自分のことなら延命治療は遠慮する。
が、家族のことはとなればやはり迷う。
だからこそ、本当に『もう十分』と思ったときにそういえる法的な根拠をつくってほしいと思うのだ。


麻生さんのような人でなければこの発言はしなかっただろう。
軽率だ、暴言だ、冷酷だとよってたかって責めるより、高齢者医療(高額にもなる)と命の問題をもっと突き詰めて議論することの方が肝要だ。
命は重いが、「生きたい」ではなく「生きさせられている」状態は幸なのか不幸なのか。
国民的な議論になってしかるべきではないだろうか。




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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただたら、こんなにうれしいことはありません。


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昨夜、友達7人と談笑していて、Facebookをやっている人が4人、やっていない人が3人だった。集まったのは全員が還暦すぎ。
数だけ見ればなかなかの普及率と思えるのだが……。


しかし友人夫妻が気になることをいっていた。
「今まで秀樹君の投稿をずっと読んでいたんだけど、最近、読めなくなっちゃった」
というのだ。
想像するに、ニュースフィードに僕の投稿が出なくなったのだろう。
「いいね!はしてくれています?」
「いや、読んでいるだけ」
夫人が「なんだか怖いのよ。だからうちは読む専門」。


帰宅して、検索窓で2人を検索してみた。
ヒットしない。疎遠ぶりがこんなところにも現れている。
原因はだいたいわかった。
Facebookのアルゴリズムが利いて、「交流関係が薄い」と判断されたのだろう。
それで彼らのニュースフィードに僕の投稿は現れなくなった。
せっかく読んでくれたのだから、たまにはいいね!やコメントをくれればいいのに、とそのときは思った……。

hidekidos かく語り記


アルゴリズムのことを説明すべきかな、と思ったが、それよりも彼らがFacebookについて「何かあったら怖い」と感じていることの方が問題だと感じた。
実は、僕の娘や長男も同じことをいう。
それで仕方なく、わが家ではファミリーのために秘密のグループを作ってやりとりを始めた。
だいぶ慣れて抵抗感は薄くなってきたようだが、グループ以外には書き込みをしていないようだ。


Facebookの本を書いていて思うのは、誤った情報に振り回されて多くの人が混乱している、ということだ。
原理原則がわかっていれば簡単に対応できるのに、見よう見まねで始めるために活用できないで終わっている。


こんなケース、あなたはどうするだろうか。
知らない人から、メッセージなしに友達申請が届いた……。
迷うまでもない、そんな失礼な申請は承認しなければいい
真剣に友達になりたければ(例えば投稿を読んで共感したような場合)僕ならメッセージを書き、交流したい理由を伝える。
現実の世界で、玄関のベルも鳴らさず敷居をくぐるのは泥棒くらいのものである。
常識のない人と友達になれば、なにがしかのリスクを当然、背負うことになる。
だから友人夫妻や娘たちの「怖い」という感覚は、正常である。


ただし、怖いからといってFacebookと及び腰でつきあっていくなら、Facebookの利点を生かすことはできない。
積極的に使い、かつFacebookのプライバシー設定に細心の注意を払い、トラブルに巻き込まれる可能性を事前にシャットアウトしておくべきだ。
Facebookにはそのための対処法が用意されている。


第一に、リスクがいやなら「友達」は本当の友達に絞ればいい
そのことはFacebookの常識である、というより、そもそもFacebookはそれを前提にしているソーシャルメディアだ。
だからFacebookの友達の平均数は130人なのだ。
僕のように広く自分の意見を告知したいために、「友達」の範囲を広げている人もいる。
それを考慮に入れれば、普通の個人がFacebookで交流する友達の平均数は、もっとずっと下がるはずだ。
この点、日本では先にツイッターがブレイクしたという特殊な事情があるようだ。
ツイッターのフォローは自由である。
それと同じ感覚でFacebookの友達申請をする人が後を絶たない。
お説教臭いことをいうようだが、そういうやり方は非常識である


第二に、プライバシー設定は厳密にやるべきだ。
自分の投稿が見られる範囲は自分で決める。
これは「誰誰には見せる」「こちらの人には見せない」というように、個別のレベルにまで絞り込める。
会社の上司から友達申請がきた。いやだなと思う。でも、むげに断ると……。それで渋々、承認。以後、書きにくくなってしまった。
たった1人(あるいはグループ)のために、自分の自由意思が縛られる。
ばかな話だ。でも、ありがち。
そんなときのために投稿範囲のカスタマイズができるようになっている。
ごく簡単な設定だ。


投稿範囲をきちんとコントロールしていないから、自分のプロフィール写真を載せない、イラストや動物の写真にしている人がいる。
明らかに偽名を使っている人も。
これも本末転倒だ。
僕はそういう人でも、投稿内容を見てまじめに書いていると思えば友達申請に応えている。
しかし、これはあくまで例外だ。
本来はあってはならない使用方法であり、きちんと写真と実名を入れなければFacebookに参加する資格はない


最後にFacebookのアルゴリズムに触れておこう。
Facebookのニュースフィードは通常はハイライト表示だ。
友達の投稿やアクティビティーがすべて載ってくるわけではない。
交流の密な友達が優先される。
交流の疎密をはかるのは「いいね!」やコメントの頻度であったり、投稿の種類、投稿の時間だったりする。
この中で最も重視される(と思われるのは)「交流の頻度」だ。
だから「いいね!」する・しないは個人の価値評価ではあるけれど、一方では「交流頻度」をあらわす指数でもある。
だからご夫妻のように、僕の投稿を頻繁に読んでくれていたのに交流の“証拠”を残してくれないと、いつの間にか疎遠にされてしまうという現象が出てくるわけだ。
(これを防ぐ方法もある。「友達一覧」で、これはと思う人には「親しい友達」にチェックを入れておけばいい。以後、「親しい友達」はニュースフィードで優先的に表示される)


正月早々、少々きついことを書いているがお許しを。
僕はFacebookの健全な普及を願っているだけである。




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ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
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こういう記事が時々出てくるから、新聞記者のセンスはやはり人によるのだなと思う。朝日新聞夕刊1面の記事に僕は感心した。


原発保有9社、広告2.4兆円
稼働後42年間 米事故後に急増



見出しの横には「◆電力9社の普及開発関係」の数字が出ている。
普及開発関係とはつまり、新聞・テレビなどメディア各社に投じた広告費だね。
東電がダントツで多く、6445億円とある。
42で割るとこの間、毎年平均153億4500万円強ということになる。
気前よくバラまいたものだね。
2位関西電、4830億円。年平均115億円だ。

hidekidos かく語り記


朝日新聞はこの数字をどうしてつかんだかというと、電力9社の有価証券報告書の数字を丹念に拾ったのだ。公表されている情報。
意識して見なければ、そこからなんの真実も浮かんでこない。
今回は「原発とメディア」というテーマで調べたようだ。
10・11面に特集している。
そちらの見出しも「原発 直視してきたか」「政府の情報、うのみにした」などが載っており、自戒の念を踏まえた上での特集であることがわかる。


さて、その中で以前からいわれている「マスメディアは電力各社からの広告費でズブズフにされている」といわれる事象について、本当にそうなのかと検証したのだろう。
結果は「事実」だった
電力9社でこの42年間で年平均571億円の普及開発費を支出している、ということは、巷間いわれている「新聞・テレビで電力関係の広告費は800億円」と見事に符合している。


問題はエサをまかれて、天下の大メディア(もちろん地方紙も含む)が電力関係の記事に手心を加えているかどうかだ。
朝日1面はこの点に関し、砂川浩慶・立教大準教授に「否定的な報道に目光らす意図か」といわせている。
原発に否定的な記事を書けば広告止めちゃうよ、といったかどうか。
それでビビってそっち方面のことは知ってても書かない? 
新聞社にいた者としていわせてもらえば、「それはないだろう」と思う。
ただし、こと原発についてはナーバスな雰囲気はあった。


素朴に考えて、「地域独占の電力会社がなぜ広告なんて出すかな」(それも朝日の調査によれば自動車や家電のトップメーカーと並ぶほど広告費を出してくれている)とは思っていた。
メディアにとって安定的なスポンサーは確かにありがたい。
やはり「ムラの一員」といわれても仕方ないのだと思う。


事実として、福島第一原発の事故が起こるまで危険性を指摘できなかったのだし、事故発生から今日に至るまでの報道においてもマスメディアは、『ノー モア フクシマ』を腹の髄からいえる日本人を過半数生むことに失敗しているのだから。
あれほどの事故を見ているのに、国民世論が「ノー原発」に傾かない国なぞ世界中にあるものか。
そういう世論形成をいまだにできていないマスメディアは全員敗北している


〈やはり永年のハナ薬はこういうときに利くんだね〉などと電力幹部が談笑している姿を想像すると、悔しくてならない。
魂をもった記事を単発ではなく、連日のように読みたい。
またこの記事は、発行部数の少ない夕刊ではなく、朝刊に堂々とぶつけてほしかった


朝日新聞の労作記事を読んで、僕はそんな感想をもった。



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ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
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中部電力がきのう、浜岡原発の海岸沿いに建設中の防波壁(総延長1.6キロ)の高さを18mから4mかさ上げし22mにすると発表した。
それを受けての朝刊各紙の見出しがおもしろい。
新聞社も人の子、“事件”に対する思惑がにじみ出るのだ。


まず日経新聞。「静岡経済」のページに

浜岡の防波壁4㍍かさ上げ
津波19㍍試算に万全策
中部電、再稼働に備え
地元の不安に配慮


どうだ、見たか。これで文句のつけようはないだろう、といわんばかりのはしゃぎょうだ。
見苦しい。

hidekidos かく語り記-浜岡原発と防波壁



朝日新聞は夕刊の一報を受けて、13面にこう書いた。

浜岡原発防波壁 高くしても浸水
最大2㍍ 南海トラフ試算


壁を22㍍にすれば津波は壁を越えないが、取水槽から水があふれる、と新たな問題を指摘した。そして「静岡版」では

>壁かさ上げの評価 知事・首長ら慎重
再稼働と直結しない/安全性判断できない/市民理解得られぬ
御前崎市長は「安心感」評価
 


地元の静岡新聞は、1面は客観見出しに終始。
だから一読して、『なんだ、静岡新聞は変節しちゃったの? あれほどきちんと原発の危険性をキャンペーンしていたのに』と思ったくらいだ。
しかし、社会面トップではいうべきことはいっていたので、少しホッとした。
まずは2つの見出しを読み比べてほしい。

(1面)
浜岡 22㍍防潮堤決定
浸水防止策を強化
中電、県などに説明

(別立てで)
中電社長「安全性高める」

(社会面)
浜岡防潮堤かさ上げ
「安心感増す」「リスク存続」
地元4市長に温度差


1面と社会面を合わせて読めば、まあ何とか「これで浜岡原発の安全性が保障されたものではない」というニュアンスが伝わってくる。
新聞記事や、記事を映す「見出し」には、新聞社の姿勢や記者・編集者の思いが反映されるものだ。
おおむね記者や編集者は現場にいるから、原発に対しては心情的に“黒”または“灰色”と感じている傾向がある(と、僕は勝手に希望的な観測を抱いている)。
しかし編集者は地位を上がれば上がるほど、社の体質に染まっていく。
「社の体質」とは、経営のことを考える、「新聞社だって一民間企業だ」という発想に立つということ。
つまり、スポンサーのことを考えるということだ。
強弱はあるが、経営を考えない新聞社はありえない。
だからこそ大新聞だって原発ムラの大ウソ「原発安全神話」なるものを大威張りで担いできたのだ。


今も正直に「財界寄り」が見えるのが日経新聞だ。
見出しを読んでもらえばそれは明白だろう。
一方、地元の大企業中電を抱える中日新聞・東京新聞は反原発に転じている。
(残念ながらわが家は中日を取っていないので、きょうの見出しは不明だが)
ことほど左様に、日本の新聞といえども「厳正中立」「客観報道」などということはあり得ない。
正しく事実を伝えようとしても記者の思いや、時には社の都合が紙面には現れる。
だからそこは、読む側が心して「この中で、事実は何なのか」を読み取っていかなければならない。
うのみは禁物だ。


僕が読み取る事実は、
①防波壁をかさ上げすれば津波は防げる、
②浜岡原発の危険性は「津波」だけではない(東海大地震の震央にある)、
③よって「津波対策完了=再稼働了解」ではない
―だ。



日本列島の中央、太平洋側に僕らはとてつもなくやっかいな施設を抱えてしまった。
新聞は、まずもってそのことを肝に銘じたうえで、浜岡原発を報じてほしい。




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Facebook発の映画『ペコロスの母に会いに行く』は、ボケてしまった母とハゲてしまった長男のおかしくてチョッピリ切ない物語だ。
舞台は長崎。原作は“ペコロス”こと、岡野雄一さん(62)が自費出版した4コマの漫画本。
母は認知症にかかり施設に、息子は売れない漫画家。時々はライブハウスに通っては、これまた売れない歌をうたっている。
還暦すぎて今や小タマネギのような見事なハゲ頭になった。
ストーリーといえば、母がペタペタと息子の頭を叩きながら交わすとぼけた会話と、若かった母が飲めば酒乱の夫に苦労させられる回想シーンだけ。
どこから見ても映画になるはずもなかったが、神様のいたずらか、ペコロスの元にフリーの音楽プロデューサーとの出会いを用意した。
村岡克彦さん。
50歳を間近にして彼もまたガケっぷちにいた。
ある日、Facebookで長崎新聞のペコロス紹介記事を読んだ。
興味をひかれ本を手に入れ、あらためてほれた。
Facebookで岡野さんに連絡をとり「販売を手伝いたい」と申し出る。
それが今年1月。
おカネをかけられない。
でもFacebookがあった。
いざというときに使えるツールと直感した村岡さんは、前年の秋から一心不乱にFacebookを研究していた。
培った発信力を駆使して「ペコロス」を浸透させていく。
そして2月、奇跡が起きる。
東京のプロデューサー、井之原尊さんから「映画にしたい」の連絡がFacebook経由で入ったのである。


それから以降の展開を村岡克彦さんにインタビューした。
Facebookで出会い、Facebookで広げ、映画の資金集めもFacebookでつながった人たちが力を貸してくれた。
不思議な映画のメイキングストーリーの聴いたままをお届けする。

$hidekidos かく語り記-ペコロスと母



■   □   ■   □

――今も福岡と東京と行ったり来たりですか?


今までは、井之原さんのお宅に居候してましたが、今度、近くにアパートを借りました。
井之原家は子ども4人。その子ども部屋に寝泊まりさせてもらってました。
この生活はまだまだ続きそうです。
撮影は3月頭までかかる。ランタンフェスティバルのシーンはさすがに長崎で撮らないと。
撮影は長崎で4、5回、あとは東京でが多いです。長崎に(スタッフが)いればいるほどカネがかかりますから。


【ブーム前夜】
メイキング映画も撮っていますよ。12月中には第1弾が完成します。
励ます会やファンの集いなどで観てもらいます。
Facebookページですか? 8600いいね!くらいです。
まだ宣伝はウェブ中心にとどめています。
封切りは来年の秋ですから、今は抑えて……。


本は今、8刷り、8万部くらい出てます。
Amazonのギフトで常にベスト5に入っています。
「贈りたい本」として定着してますね。
まさに口コミで広がりつつある。
5冊、10冊まとめ買いも多いようです。
認知症の家族がいる人にとか、病院の待合室、グループホームの家族に……。
1月の末、僕が手伝い始めたときには1冊ずつ郵便で届けるという作業をしていたんですけどね。


――自費出版の本を売ってあげたいと思ったのは、村岡さんの勘ですか?


この本はなんとかしたいなんとかなるんじゃないかと思ったんですね。
何か生まれてくるような気がした、ビジネスとは限らないですけど。
なんかしらできそうな気がね。
自費出版で3刷り(1500部)。
その後、西日本新聞が出してくれることになって5000部(1刷り)刷ったんです。
それがあっという間に、1週間くらいでなくなった。


――僕は、Facebookはコミュニティーをつくるツールだから、いわゆる拡散には向いていないと
思っているんだけど。それがここまで広がったというのは、村岡さんが全国を飛び回りながらいろんな事を投稿しているということが要因かな。


毎日つぶやいているわけではないですよ。
ペコロスに関係なくても、人の投稿で興味のあることにはコメント残したりしている。宣
伝しようと書いてはいないんです。


――でも、「Facebook発」をうたってメディアに注目させるという戦略は当初から持っていたのでは?


それは全くその通り。
最初から考えていました。
自分にとって身近で、ただでできる、唯一の手段です、Facebookは。
今なら、Facebookで何かをしようとするとメディアは飛びついてくれますから。


【映画制作に掛かる資金】
制作コストは2億2000万円と見積もっています。
7月から動き出して半年で集めようと。
テレビ、新聞社などからはこれくらいという枠組みを作ったんです。
それで動いたんだけど、その当時決めたところはほとんど入っていないですね。
逆にFacebookつながりで僕らが動き、そこからつながった人たちを中心におカネが集まりつつあります。
『わが母の記』のように松竹があって静岡新聞があってといったメディア、新聞社、テレビ局が集まって制作委員会をつくってやるというのが一般的なやり方ですが、今回はメディアも映画会社も代理店も一切入っていない。
スポンサーはほぼ100%Facebookで僕らとつながった方々ですね。

hidekidos かく語り記



【Facebookつながり】
僕がいうFacebookつながりというのは、『ペコロス―』を宣伝しようとFacebookページや個人のページで書いていて知り合ったという意味ではありません。
応援してくださるのは、『ペコロス―』抜きにして、以前から僕のページで知り合った人たちです。
会って話しているときに、「実はこんなことをやっている」というと、「それはおもしろいね」と反応してくれる。
必ずしもビジネスというスキームで皆さんとお会いしたということではないです。
「(Facebook上で)お友達になってください」から始まった人たちですよ。


僕がほんとうに感動した話があるんです。
メインのスポンサーになってくださった会社の話です。
ふつうは会社の協賛というとトップのツルの一声であったり代理店が取り持つということなんですが、この会社の場合は違った。
まさにFacebookつながりでした


お会いしたのは一営業マンです。
僕はFacebookで春風ひとみさんという元宝塚スターと知り合いになっていて、この方が紹介してくれたんです。
名古屋の手羽先屋で飲んでいるというと、連絡をとってくれて、そこでいろいろとお話ができた。
「でも難しいでしょうね」というと、「ちょっと本社に掛け合ってみます」といってくれたんです。
ナンバーワンの営業マンだったんですね、約束通りそれを実行してくれて、僕は本社でのプレゼンをすることができました。
一番の味方をFacebookつながりでつかまえることができた。
今回のプロジェクトを象徴する出来事だったと思っています。


【井之原さんと岡野さん】
一緒に動いている井之原は、元々テレビ系のプロデューサーです。
映画は今回で2本目かな。
先読みのできるプロデューサーで、いろんなジャンルの本で、いつの間にか映画の原作権を買ったりしています。
今回は彼にとっても大作になりました。


ここまで大きくなる予定ではなかったですが、スタッフとかキャスト含めかなりの大作に。
これくらいの映画を松竹とか東映とか東宝でつくると6億円くらいの映画になりますね。
それを2億円台で作るわけなので、ギャラも配慮していただいたりとか。
それでも経費的にはちょっとオーバーしちゃってるかな。
長崎の昔の赤線街を一個つくっちゃうなど、仕掛けもかなり大きくなっています。


――ペコロスご本人、岡野雄一さんが出る場面はないんですか。「寺町坊譚(ぼんたん)」など聴きたいですよ。


それは出てもらう予定です。
具体的にどこに出そうか、検討しています。
「寺町坊譚」の歌は主演の岩松了さんが今コピーしてですね、映画の中で歌うようになります。


岡野さん自身が一番面食らっています。
今年1月には、(自費出版で)500部売れたらいいと思っていた人ですから。
前回、何年か前に出した本は500部出して300部売れた。
まさかここまで大ヒットするとはね。
人生何が起こるかわからない、を地で行っています。
1月にはほんと、1冊売れたらいくらなんて計算していたのが、半年たってみると億単位のプロジェクトを抱えるはめになっている。
びっくりしますよね。


岡野さん、テレビも出まくっていますし、NHK教育テレビでこの前、30分、岡野さんの特集をやったんです。
サンデー毎日も特集を組んでいます。
「なぜ『ペコロスの母に会いに行く』がブレイクしたか」というような特集ですね。
来年以降もっと、どんどん加速していくと思います。


【共感できるストーリー】
――村岡さんは音楽プロデューサーだから、人を売り込む手法にはたけていますよね。
ペコロスと出会ったときに、そのムシがうづいたとか?


そうですね。
62歳の岡野雄一、今まで売れたことのない長崎のローカル誌に4コマ漫画をちょこっと描くような漫画家が、一気に、アメリカンドリームじゃないですが、上っていく。
こういうこともあるんだということが皆さんに共感して喜んでもらえる要素のひとつかなというのはありましたね。
還暦過ぎて、そろそろみんな夢を見るのをあきらめて余生を過ごすことを考え始めているときに、いきなりこんな大ブレイクが起きることもあるんだという、しかもこんな介護みたいな地味な話で……。


それは取りも直さずFacebookというところに結んでいくんです。
みんないいものを持っているし、持っている人はいる。
しかしそれを広める手段を今までのメディアはもっていなかった
それをFacebookという新しいメディアによって、直接ダイレクトに届けられる


だから岡野さんのそういった成り立ちについても、発信していくと皆さん興味深く見てくださる。
ほんともう、ただのハゲチャビンですけども、このおやじがいつの間にか売れっ子になっていくというプロセスを、みんなが楽しんでいる。
Facebook上では62歳も20歳も同じ。
それができちゃうのがすごいと、僕自身が思いますよ。
それを広めるためにはもちろんテクニックなり、技術はあるんですけど。


商品化して「これいいでしょう、いいでしょう、おもしろいでしょう、おいしいでしょう」といくらいわれても、そこには何の共感も得られないわけじゃないですか。
もちろん「いい本である」というのは前提として、なぜいいのかという理屈付け、理論付けが必要ですし……。ストーリー性ですよね。


僕がFacebookを書くときに、この本はこれこれこうだからいいですよ、という説明は基本的にしてないんです。
認知症のお母さんを介護する息子の話っていうくくりで、ボケることも悪いことばかりじゃないですよ、というメッセージを伝えることくらいしか書いてないですね。
岡野さんのファンであり、僕のファンであるということが、おもしろがってもらえる一番の要素なんだと思います。


この人たちが何かやろうとしている。
そのムーブメントに関心をもってもらえれば、ということですね。
動き自体を追っていく、映画がどのような経緯で提案され実現していくのかという流れ、ペコロスは今、こんな段階なんだなとか、岡野さん注目されてきたよね、とか。
そこですよ。


岡野さん本人も売れたから何か変わるという人ではなく、ほんと、おろおろしているだけなんです。
それをみんなが見て、温かく見守ってくれているという状況。
そこをうまくFacebookでうまく表現できたら、と思います。
岡野さんはこれほど売れてきても、話の半分は下ネタばかりだし、NHKに出て辛いのは「下ネタ話せないこと」なんていう人ですから。


【Facebookとの出会い】
ちょうどFacebookが広がっていくという過渡期に始めたんです、一番いいタイミングで。
広告を1、2回試してみると、通常の倍くらいの人が見ますね。
「投稿を宣伝する」というやつで、2500円くらいでやってみたですけど。
「ペコロス―」の記事を上げると普通は3000から6000インプレッションくらいですよ。
広告を上げると1万から1万2000くらいに上がります。


――Facebookページでも「10%」の反応があるページは少ない。


中身ですよ。
みなさんがおもしろがるような中身がないと難しいでしょうね。
でないと、「ただの広告かぁ」で見過ごしちゃいますから。


去年の夏、福岡の屋台で飲んでいるときに、オーストリア人で講談社の記者をやっていたという男が来て座って、友達になったんです。
1週間くらいうちに泊めたんですが、彼が帰るときに「日本はまだFacebookが普及していないけど、絶対にやったほうがいい」というセリフを残していった。
それで始めました。


秋ごろから本格的に。
友達が増え始めて2000とか3000人とかになっていく。
そのとき、これはやはり続けていくことによって何かしら生まれるかもしれないと。
人と人のつながりをこんなにポータブルにハンディーにつくれるシステムはない。
mixiもやっていたんだけど、mixiはあくまで匿名なのでいくら知り合ってもどこの誰かもわからない。
Facebookは実名で、どこどこの会社の誰だれさんだってはっきりわかる。
実名だからみな適当なことはいわないですよね。
mixiは友達との連絡ツールとして使っていて、そこから友達を広げていくということはなかった。
で結局、mixiはやめてしまったんです。
 

昨年11月ごろから、『Facebookって、これはとんでもない、なんかすごいものなんだぞ』と思い始めたですよ。
例えば、Facebookを通じてマイクロソフト社長の成毛眞さんだとか、YMOの高橋幸宏さんだとかに普通に僕がお話をしている状態が生れている。
今までのリアルタイムの状況なら、そこにたどりつくまでに何段階ものステップがあった。
カシオ計算機の樫尾さんとも「おはようございます」というと「おはようございます」が返ってくる。
これは一体何なんだろうと思いましたね。
ものすごく不思議。
有名人も会社の大社長も同じ人間としてFacebookの中ではつきあっている。
ひょっとするとこれは、すごいことなんだな。
今までの自分たちの生きてきたリアルな世界を飛び越えたすごいことが起きているのかもしれない、という実感をもったんです。


【資金集め】
『ペコロス―』の運営資金としてFacebookを通じたつながりの中で資金の提供をお願いしています。
アメリカ流のクラウドファンディングと違って、一種の寄付ですね。利益が出たら一定額を返すというのではなくて、試写会に参加する権利とか、前売りチケットだとかポスターなどがついたファンド、基金です。

1口3000円から最高99万9999円まで。
3000円、6000円という方が多いです。
金額的には約400万円くらい集まっています。
最終的には1000万円くらいにまでもっていきたい。
99万9999円の方もおひとりだけいらっしやいます。
これもFacebookを使ったやり方の1つで、映画界などでも注目して、記事に取り上げられています。


これとは別に、人間のつながりをもつた方々に相談してお力添えを願うという形でも資金を集めています。
これが1億円弱くらいですね。
1000万円の方が何人かいらっしゃいます。
会ってお話をして、熱く語ってこの本を読んでもらって、予算を説明して僕らのこの思いに協力・協賛してくださいと。
ほぼ全員がFacebookを通じてお会いした人たちです。
紹介の紹介まで含め、そういった形で広がってきています。


今まで会った人の数というと数え切れない、オフ会、励ます会を含めますとね。
励ます会は東京、大阪、名古屋、北九州、福岡、長崎。
九州の3会場はいずれも300人以上が集まってくれて、ホテルの大宴会場貸し切ってみたいな形になりました。


【「1番」に意味】
――Facebook活用事例第1号の商業映画、という戦略は今のところ当たっているようですね。
メディアの反響も大きい。


僕もそれは意識しています。
映画関係のFacebookページのファン数も、いまは『のぼうの城』とか『3丁目の夕日』が1、2番だと思いますが、来週にはそれを抜いて1番になるんだとかね。

Facebookページのファンを増やすというのは、有名人でないと難しいです。
友達になったばかりの人に「今度こういうページをつくったから」と知らせても、「いいね!」を押してくれる人は少ないです。
でも僕の友達、5000人の方々は、村岡がやっていることなら応援するよ、という方が非常に多かった。
だからペコロスのFacebookページを立ち上げたときに、増え方はすごかったですよ。
1か月で5000いいね!を達成しましたから。


ただ、数字に変にこだわるとおかしなことになるので、それは肝に銘じています。
例えば去年の秋からフィード購読というのが出てきて、その数の多さを誇示しようとする人が出てきた。
今、僕の個人ページには5000人くらいフィード購読してくださる人がいます。
これを1万人にすることはそんなに難しくはないんです。
友達をフィード購読に移行させればそっくり乗っかるわけですから。
セミナー講師はそんなことを教えるんですよ。


――まったく意味ないことを……。


意味ないんです。
村岡と友達になったと思ってくださっている方々を「きょうからあなた方は友達ではなく村岡のファンになりました」というのは、ちょっとできんなと思います。


――最近、Facebook自体がおかしくなってると思いませんか? 
「友達になる」なんてところに若いタレントのような女性が次々出てきたり。


フィード購読者数ランキングなんか見ると、100人のうち50人くらいがそういう人たちで占められてたりしますから。
友達申請すれば、自動的に「フィード購読」になりますからね。
承認するしないにかかわらず、フィード購読者になる。どんどん数が増えていきます。


――数字のまやかしをなぜ誇ろうとするのかね。勘違いしている、日本人は。


【共感を得れば広がる】
数は力ということはありますけども、数がどれだけ「実数」かですよ。
どれだけ血の通った数なのか


数の話をすると、僕が今年8月のロンドンオリンピックの時、上げた投稿に11万いいね!がつきました。
サッカー男子の3位決定戦があったとき、韓国選手が(竹島は韓国のものという)プラカードを上げて大騒ぎになりましたが、その翌日に、日本人の観客はスタンドのゴミ拾いをして掃除をしていましたという写真を上げたんです。
それで11万いいね! 
個人(のウォール)で11万というのは日本記録じゃないかと思ってます。
シェアは5600くらい。
シェアにシェアを重ねて、どこまで行ったかわかんないくらい。


――Facebookは小さくまとまるツールだから、広がりは難しいといったんだけど、極端に共感を呼ぶネタの場合は、こういうこともあるんですね。


それこそ感動、心の共有ができたんでしょうね。
韓国選手は勝ち誇ってあんなことをしたけれども、日本人の観客は次のお客さんのためにスタンドをきれいにしようとしていた、これが日本人の美徳であると。
その写真をネットで見つけたときに、『これはアップしなければ』と思いました。
アップしたら、見る間にバァーと来ました。
それ見たときに『あーっ、つながっているんだ』と実感しましたね。
おそらくその10倍くらい、100万人に広がったのかな、と。


友達の友達を通して伝わっていくとすると、ペコロスで既に8000人のいいね!(ページのファン)がいる、これを単純に友達の平均125人を掛けて計算すると110万人につながりをもっていることになります。
それなりにいいコンテンツを発表すれば、そこまで広がると思えます。


※当日の村岡さん原文
『サッカー日韓戦の終了後のスタンド。グラウンド内ではいろんなことが行われていた間、日本人サポーターは自分たちのエリア周辺のゴミを黙々と清掃していた。この姿に外国人記者が感銘してこの写真が撮られたらしい。負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出るやもしないのに、ただ冷静に清掃する日本人サポーターの姿こそ我々が誇るべき美徳ではないだろうか。』
<10万6470いいね! 1406コメント、5629シェア>


――Facebookページだと「何人に表示されました」と出ますが、何人くらい出ますか?


3000人~6000人くらいですね。多いときは1万人もあります。
ファンの数より多い場合があります。
]ここぞというネタは、個人ページとFacebookページに同時に上げます。
誘導するより同時に載せた方が効率的です。


【ペコロス以前の村岡さん】
福岡でたった1人でやっている会社ですから、フリーでひとりぼっちでやっています。
去年の秋に、何か1人でやれることないかと思っていたときにFacebookに出合ったわけです。
『ひょっとしたら、これを頑張ることによって何か2012年開けるんじゃないか』ただの勘ですけどね、そう思った。


嫁にも友達にもいわれたのが、「毎日、朝から晩までFacebook見ている」と。
いろいろ何かおもしろいネタとかを探して上げているわけだけど、親戚からも「毎日Facebookばかりやっているようだけど、仕事しないで大丈夫なの?」といわれました。


なんかヒントないかなと、とりあえず研究してました。
魅かれて読むフィードは「なるほど、なるほど」というのがありました。
こういったことを書くとみんな喜ぶのか、とか。
こういったネタというのは逆に反感を買うのか、なんて。
自分の見せ方とか、「村岡克彦」というキャラクターの作り方とか。
時々、エッジのきいたことを書くと、直接、電話を調べて掛かってきたり。


書いているうちにマイクロソフトの成毛さんとかYMOの高橋さんだとかからコメントをもらうようになりました。
福岡の何もないフリーのこの僕にコメントを返してくれたり、投稿をシェアしてくれたりとか。
成毛さんはつながりのある人でなければ友達申請受け付けませんという人ですが、向こうから僕に申請してきてくれましたから。
その時はどういう人か知らなくて、後から調べたらすごい人だったんだと気づいたくらいです。樫尾さんの場合もそうですよ。後からカシオの取締役と知りました。


【大変なことになってしまった】
――撮影現場にはずっとおられるですか?

基本的にはいるべきなんですが、僕らおカネを集めなければならないじゃないですか。
やっている間でもおカネがどんどん出ていく。
おカネを稼ぐという作業を全国回ってます。


岡野さんは撮影現場にいて方言指導をしてます。
カネ集め以外に今やっていることだと、9月に撮影したものを編集するのと、冬の撮影に向けてのプランニングですね。
僕は8月まで、音楽のコンサートとかそんなことばかりでしたから、映画というものにかかわったことがなかったんですよ。
今、何カ月かたってこの億単位の映画を率いる立場になってしまった。
とんでもないことになってしまったな、というのが実感です。


井之原はもちろん経験がありますが、今は井之原と同じ立場で2人でやってますから。
僕もプロデューサーなんですね。
井之原と2人でおカネ集めから全部動かしているんですよ。
協賛を約束してくれても、企業ですから入ってくるおカネが後になっちゃうことがあります。
年度末にとか、映画ができてからとか。
だから、とりあえず現場を回すおカネを至急集めなければならないわけです。
すでに1億以上のおカネが出ていますから。


企画を立ててスポンサーを見つけておカネを集める。
キャストを決めて、その枠組みをつくる。
Facebookを始めたことによって、フリーのこの僕が先頭になってやっているというのがなんとも不思議です。
映画は観るものでしかなかったのに、いきなりプロデューサーとなって旗を振る立場になっているなんて。


――ペコロス以降の展開は?


ペコロスのアニメ版も考えています。
声優は本人たちにやってもらいます。
長崎も坂本龍馬(NHKの「龍馬伝」)以来何もなく落ち込んでいますから、長崎市としても映画のヒットを願っています。
ランタンフェスティバルなど現在の長崎のお祭りをどんどん取り入れていますから、観光の目玉としてね。


【Facebookはツール】
井之原プロデューサーがいなければこの映画はなかった
そして彼にいわせれば、僕がFacebookでこうやって広げるネットワークをもってなかったら「やっていなかったかもしれない」といってます。


いいもの、いい本というのはどこにでもあるものなんです。
探せばいくらもある。
それを生かすためのツール、ネットワークがそこにあるかどうか。
「ひょっとしたらいけるかもしれない」と見切ったのはそこです。
すでに動いている人に乗っかる、連動していくということですね。


「Facebook発」というキーワードが、2チャンネルで「電車男」がヒットしたような感じなんですね。
いずれにしても、Facebookは手段です。
Facebookを使って何をしようとしているか、というのが大事です。





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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
FacebookページはFbのアカウントを持っていなくても見ることができます。しかし本来は、ブログも語り合ってなんぼです。Facebookのアカウントを取ってご意見をお寄せいただいたら、こんなにうれしいことはありません。


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