★「Facebookを使うのが怖い」だって? 原則を破れば、それはリスクも…… | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

昨夜、友達7人と談笑していて、Facebookをやっている人が4人、やっていない人が3人だった。集まったのは全員が還暦すぎ。
数だけ見ればなかなかの普及率と思えるのだが……。


しかし友人夫妻が気になることをいっていた。
「今まで秀樹君の投稿をずっと読んでいたんだけど、最近、読めなくなっちゃった」
というのだ。
想像するに、ニュースフィードに僕の投稿が出なくなったのだろう。
「いいね!はしてくれています?」
「いや、読んでいるだけ」
夫人が「なんだか怖いのよ。だからうちは読む専門」。


帰宅して、検索窓で2人を検索してみた。
ヒットしない。疎遠ぶりがこんなところにも現れている。
原因はだいたいわかった。
Facebookのアルゴリズムが利いて、「交流関係が薄い」と判断されたのだろう。
それで彼らのニュースフィードに僕の投稿は現れなくなった。
せっかく読んでくれたのだから、たまにはいいね!やコメントをくれればいいのに、とそのときは思った……。

hidekidos かく語り記


アルゴリズムのことを説明すべきかな、と思ったが、それよりも彼らがFacebookについて「何かあったら怖い」と感じていることの方が問題だと感じた。
実は、僕の娘や長男も同じことをいう。
それで仕方なく、わが家ではファミリーのために秘密のグループを作ってやりとりを始めた。
だいぶ慣れて抵抗感は薄くなってきたようだが、グループ以外には書き込みをしていないようだ。


Facebookの本を書いていて思うのは、誤った情報に振り回されて多くの人が混乱している、ということだ。
原理原則がわかっていれば簡単に対応できるのに、見よう見まねで始めるために活用できないで終わっている。


こんなケース、あなたはどうするだろうか。
知らない人から、メッセージなしに友達申請が届いた……。
迷うまでもない、そんな失礼な申請は承認しなければいい
真剣に友達になりたければ(例えば投稿を読んで共感したような場合)僕ならメッセージを書き、交流したい理由を伝える。
現実の世界で、玄関のベルも鳴らさず敷居をくぐるのは泥棒くらいのものである。
常識のない人と友達になれば、なにがしかのリスクを当然、背負うことになる。
だから友人夫妻や娘たちの「怖い」という感覚は、正常である。


ただし、怖いからといってFacebookと及び腰でつきあっていくなら、Facebookの利点を生かすことはできない。
積極的に使い、かつFacebookのプライバシー設定に細心の注意を払い、トラブルに巻き込まれる可能性を事前にシャットアウトしておくべきだ。
Facebookにはそのための対処法が用意されている。


第一に、リスクがいやなら「友達」は本当の友達に絞ればいい
そのことはFacebookの常識である、というより、そもそもFacebookはそれを前提にしているソーシャルメディアだ。
だからFacebookの友達の平均数は130人なのだ。
僕のように広く自分の意見を告知したいために、「友達」の範囲を広げている人もいる。
それを考慮に入れれば、普通の個人がFacebookで交流する友達の平均数は、もっとずっと下がるはずだ。
この点、日本では先にツイッターがブレイクしたという特殊な事情があるようだ。
ツイッターのフォローは自由である。
それと同じ感覚でFacebookの友達申請をする人が後を絶たない。
お説教臭いことをいうようだが、そういうやり方は非常識である


第二に、プライバシー設定は厳密にやるべきだ。
自分の投稿が見られる範囲は自分で決める。
これは「誰誰には見せる」「こちらの人には見せない」というように、個別のレベルにまで絞り込める。
会社の上司から友達申請がきた。いやだなと思う。でも、むげに断ると……。それで渋々、承認。以後、書きにくくなってしまった。
たった1人(あるいはグループ)のために、自分の自由意思が縛られる。
ばかな話だ。でも、ありがち。
そんなときのために投稿範囲のカスタマイズができるようになっている。
ごく簡単な設定だ。


投稿範囲をきちんとコントロールしていないから、自分のプロフィール写真を載せない、イラストや動物の写真にしている人がいる。
明らかに偽名を使っている人も。
これも本末転倒だ。
僕はそういう人でも、投稿内容を見てまじめに書いていると思えば友達申請に応えている。
しかし、これはあくまで例外だ。
本来はあってはならない使用方法であり、きちんと写真と実名を入れなければFacebookに参加する資格はない


最後にFacebookのアルゴリズムに触れておこう。
Facebookのニュースフィードは通常はハイライト表示だ。
友達の投稿やアクティビティーがすべて載ってくるわけではない。
交流の密な友達が優先される。
交流の疎密をはかるのは「いいね!」やコメントの頻度であったり、投稿の種類、投稿の時間だったりする。
この中で最も重視される(と思われるのは)「交流の頻度」だ。
だから「いいね!」する・しないは個人の価値評価ではあるけれど、一方では「交流頻度」をあらわす指数でもある。
だからご夫妻のように、僕の投稿を頻繁に読んでくれていたのに交流の“証拠”を残してくれないと、いつの間にか疎遠にされてしまうという現象が出てくるわけだ。
(これを防ぐ方法もある。「友達一覧」で、これはと思う人には「親しい友達」にチェックを入れておけばいい。以後、「親しい友達」はニュースフィードで優先的に表示される)


正月早々、少々きついことを書いているがお許しを。
僕はFacebookの健全な普及を願っているだけである。




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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
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