★「さっさと死ねるように」麻生副総理の発言を国民的議論の契機に | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」


言葉の軽さで首相を棒に振った麻生太郎さんらしい発言だと思った。
きのう行われた社会保障制度改革国民会議、終末期医療に対してポロッとというか、大胆に率直に、かつ不用心に麻生副総理はこう述べた。
「さっさと死ねるように」だけが独り歩きされたんじゃあかなわねぇーなぁ、というところだろうが、メディアはさっそく飛びついた。


「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」


hidekidos かく語り記

        〈写真は共同通信〉

これも同じ日の麻生さんの発言だ。これは事実なのである。
死ねないということ。
終末期、自分で嚥下(えんげ)できなくなると、点滴、中心静脈栄養、または胃瘻(いろう)をもって延命をはかる。
胃瘻はお腹を切開して胃の中にチューブを通し、食物や水分や医薬品を流するための処置。
これを麻生氏は“チューブの人間”といったのだが、チューブでつながれて生かされているのは事実なのだ。


麻生さんは自分を主体に発言しているので、「死ねないんじゃあかなわない」だが、現実は大半の場合、家族が判断することになる
。本人にほとんど意識はないからだ。
そこで医師は「どうなさいますか?」と家族に聞く。
まだ延命の方法があると聞かされれば十中八、九は「お願いします」ということになる。
人工栄養の効果はすごい。
何日も、何年も生きられる。
その間、体は曲がり……、と詳しい描写はやめにしておく。


いったんその措置が取られると、チューブを外す行為は「殺人」とされる。
麻生さんが自分に仮託していいたかったのは、ここであろう。
家族に「ありがとうございました。もう十分です」といえる、法的な状態を作ってあげたらどうなんだ、ということである。
一歩進めれば「安楽死」ということになるが、麻生発言はそこまで踏み込んでいない。


私も同じ問題を抱えている。
人ごとではない。
毎週、老人病院に通い、遺漏を受けている人も何人も観ている。
その上で自分は、自分のことなら延命治療は遠慮する。
が、家族のことはとなればやはり迷う。
だからこそ、本当に『もう十分』と思ったときにそういえる法的な根拠をつくってほしいと思うのだ。


麻生さんのような人でなければこの発言はしなかっただろう。
軽率だ、暴言だ、冷酷だとよってたかって責めるより、高齢者医療(高額にもなる)と命の問題をもっと突き詰めて議論することの方が肝要だ。
命は重いが、「生きたい」ではなく「生きさせられている」状態は幸なのか不幸なのか。
国民的な議論になってしかるべきではないだろうか。




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【筆者から】
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主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただたら、こんなにうれしいことはありません。


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