ジャーナリスト 石川秀樹 -45ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★写真家・外山ひとみ 若き日の肖像 はコチラ
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朝から、黄ばんだA3判大ぶりのスクラップブックを見ている。
僕が28歳から35歳までの8年間、週1回朝刊に書いてきた記事である。
3冊目の中ほどにプロカメラマンをめざす「外山ひとみ」さんの記事がある。
日付は1980年7月3日、あれから32年もたってしまった。


外山さんが先日、最近の仕事を送ってきてくれた。
分厚い封書を手にして、Facebookで彼女を見つけて以来、気軽な調子で「何かあったら送ってよ」とメッセージを入れていたことを後悔した。
ジャーナリスト・外山ひとみが写し、書いた記事は、「気楽に紹介を書きます」というような軽いものではなかった。

hidekidos かく語り記


『婦人公論』(10/22号)に書いたのは「女子刑務所 知られざる世界 特別編―死刑執行と刑務官の苦悩」。
この号の表紙は女優・草刈民代で、深みのある明るい表情が印象的だ。
しかし外山ひとみのテーマは「死刑」である。
社会派の婦人誌とはいえ、いささか重い。
が、書き手としてはこれ以上の適役はいないのだろう。
彼女は23年間も刑務所の中を取材してきた。
20代後半から、回った刑務所は40カ所以上にのぼる。
だからこその起用なのだった。
殺人をおかした者、死刑囚と日々を過ごした刑務官、受刑者の社会復帰を支えてきた人……、「刑務所」を通して重層的にこの問題を考えてきた彼女だから感じられる思いがある。
それは、観念や常識、あるいは自分一個の正義感で死刑を論じる者たちの決して持ちえない視点だ。


送ってくれたのは他に、
「女の事件簿 彼女たちの殺意と魔性」
「女子刑務所 知られざる世界」1回~最終回(6回)
いずれも『婦人公論』のコピーだった。


「女の事件簿」では、育児で追い詰められ暴力をふるい結果的に子どもを殺めてしまった母親と、家業不振と自殺願望のため一緒に死のうと2児を殺してしまった母親に取材している。
虐待の連鎖、うつ病、経済的困窮……、本人だけの責任といいきれない環境変化に押しつぶされていく人間の姿を追っている。


何が外山ひとみをかりたてているのだろう。
「自分の罪を、時間が解決してくれることは、一切ないとわかっています。
でも、ただ死にたいと考えていること自体は、子どもたちが喜んでくれないだろうと……」
無理心中で生き残った母親は、少しずつ生きる意欲を取り戻しているようだ。
今、この受刑者は刑務所内の作業の班長をやっている。
『誰かに頼りにされることで、人は変われるのかもしれない』
人を傷つけた魂が人に頼られることもある、深く重い、普通の人から見れば「暗い」人間のドラマにも、時おり陽がさす再生の物語もある。
ジャーナリストの目は、そこもとらえている。


外山ひとみさんを取材したのは、彼女が20歳のときだった。
『家』という写真集を自費出版した。社会派のカメラマンになる、そのための一歩だという。
海のものとも山のものともわからない若いエネルギーを、30歳の僕も希望をもって取材した。
といっても、今となっては『外山ひとみのもつ本当のエネルギーを、何も見ていなかったのだな』と思う。
もちろん彼女は成長して今があるわけだが、これほど執拗でテーマを深く掘っていく心のマグマがあったのだとは、想像もできなかった。


彼女のブログに「いつも路上に身を置き、被写体と添い寝をするような作品を心がけてきた」という言葉があった。
僕のような新聞社にいた者の、到底発することのできない言葉だ。
記者クラブもなければ、守ってくれる組織もない。
ただひとりの人間として“現場”にいて、自と他と同じ平面で対峙してレンズを向け、心の内面までも聞こうとする。
その作業を30年以上も積み重ねてきた。


初期のテーマは、原宿あたりをかっ歩する10代の少女たちの揺れ動く心身に視線を向けた。
1990年代にはヴェトナム、カンボジアに赴き、なお戦争の傷跡が残る中、生きるエネルギーが横溢した普通の人々の暮らしを切りとった。
90年代後半に、(たしか週刊誌などでも話題になったとおもうのだが、)「MISS・ダンディ」女として生まれながら男性として生きる人たちを写し出した。
普通に生きる者たちからすれば「際物(きわもの)」としか見えない対象に近づいていくのはなぜだろう。
「好奇心」というかもしれない。
エッジが立っているテーマの方が売れる、ということなのだろうか。


違うと思う。


心と身体が不一致に生まれてきた性同一性障害は彼女たちの罪ではない。人格と自分の体との不一致に悩む姿に、共感できるものがあるのだろう。
やはり「におい」なのだろうな、と思う。


外山ひとみは安全な生き方をしていない。
彼女が写し、書いてきた世界は、(自分を含め)サラリーマン記者たちが決して踏み込まない世界だ。誰も目を向けようともしてこなかった世界。
僕らは遠目から、ちょっと視線を向ける程度のことしかしてこなかった、
でも「生きる」ということにおいて、とても重要なテーマを宿している被写体を、彼女だけが注視し、世に送り出した。


彼女の処女写真集『家』は、住み慣れたわが家が取り壊されることになり撮った、モノトーンの小さな本だった。
そこにあったのは、なつかしさと、ある種の明るさ、一言でいえば“愛する私のホーム”だ。
彼女の揺るぎない幸せの「原点」だったと思う。
それがあるからこそではないだろうか、
外山ひとみの写真に、僕はなぜかいつも“明るさ”を感じるし、記事に温かさを感じる。
自身「添い寝する」と書いているように、被写体への共感が写っているのだ。


長い年月「監獄」を通して、一つのテーマを追ってきた。
世間とか、普通の生活、あるいは常識といったものと同化できずに転げ落ちてしまった者たちの物語。
ジャーナリスト外山ひとみは彼らを「異質」「自分と異なる者」と見ていないのではないか。
人間なら誰しも、塀のあちら側にも、こちら側にも居る可能性がある。
境遇とか環境とか、人との出会いなどよって、人はどのようにも変わり得る。
そのことを彼女はピュアに信じ続けているように見える。
だから人間の陰の部分を捉えながらも、ある種の“明るさ”が彼女の写真や文章からは感じられるのではないか。


「女子刑務所 知られざる世界」の最終回、最終ページに外山ひとみは「母子像」の写真を載せている。
幼児を母親が空に向かって差し上げている構図だ。
視線は子どもと、さらに高い天に向かっているようにも見える。
人は更生できる、社会の支えがあれば人は生まれ変わることができる。
支えさえあれば……。
彼女からの強いメッセージを、僕は感じた。




もうひとつのストーリー…………………………………………………………………………………

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何か書こうと思うのだけれど、いうべき言葉が出てこない。
僕は政治や政治家、その政策を批判することはあっても、政治を否定することは間違いだと思っている。
だって、間接民主主義の中で、法律をつくる最終権者は彼らなのだから。
日本人は忘れているが、憲法改正の発議ができるのも彼らだ。
だから政治家を批判して、選挙に関心を失い、政治参加をやめてしまえば、誰か自分の知らない人たちによって選ばれた政治家たちが国を動かすことになる。
その政治が素晴らしければ、国民は投票日に寝ていようが、レジャーに行って留守しようが、なんの支障もない。
しかし、そんな素晴らしい状況が生れるかね。


一方、この国の国民であることは悲しい、とも思う。
政治や政策への不満をいう。すると必ず出てくるのが「国民にも責任がある。
選んだのは国民じゃあないか」だ。
こういわれるとみんな黙ってしまうが、そうじゃあない。
有意な者を落とし、無能で無意味な者たちを当選させてきたならそうもいえるが、国民は(実体はわからないものの)よりましと思える者たちを、間違いなく選んでいるはずだ。
それでこの国が思うように機能しないのだとしたら、国民に責任はない。
ひとえに、政治家たちの力不足ということになる。
国民の選挙(政治といってもいい)リテラシーはかなり高い。
その国民が今度、どんな選択をしても、どうにもこの日本という国がよい方向に向かうと思えないところが、僕が言葉を失っているところなのだ。


政治の質が劣化している理由はいくつかあると思うが、その責任の一端はマスメディアにある。
きわめて幼稚で情報操作されやすく、かつ無責任で反省がない。
小沢一郎=悪人キャンペーンなどその一つで、これは「原発安全神話」の虚構が崩れ去った今も、この国を覆っている。
鳩山由紀夫、菅直人、そして今は野田佳彦首相と、一国の宰相で新聞、テレビの批判の矢面に立たされなかった者はいない。
マスメディアは民主党嫌い? 
そうともいえない。
安倍晋三自民党総裁も首相候補に躍り出た途端に、ひ弱だ、バカだ、エキセントリックだと叩かれ始めた。
福田康夫、麻生太郎元首相も石もて追われた。
維新の会の橋下徹、石原慎太郎代表も、いいことをいわれることはまず滅多にない状況だ。


マスメディアは何様のつもりなのだろうか。
自分が一番正義で、一番頭がいいとでも思っているのか。
未来の党の嘉田由紀子代表バッシングを横から見ていて、メディアの劣化はひどい、ひどすぎると思った。
例の「卒原発ブレ発言」とされた騒動だ。


「原発再稼働の手続きが全部終了したら、再稼働を認めるか?」
「認めます」といった途端に、「嘉田氏、原発再稼働を容認」と大見出し。
どうしてこんなことになるのだろう。
法治国家の日本で、法律にのっとって手続きが終了した事案を誰が止め得るというのだ。
当たり前のことを当たり前にいうと、わざわざ曲解して伝えられる。
だから今度は「真意は違う」と説明する。
「嘉田未来代表、発言大ブレ」
なんともはや、今度も当たり前の釈明をして、「発言がクルクル変わる政治家」と、レッテルを貼られてしまった。
直後の世論調査で「未来」の支持率が伸びなかったのもうなづける。


いったい日本の新聞・テレビは、日本がどういう国になったら『批判のポーズ』をやめるのかね。
悪い子だ、いけない子だといい続けて、子供が立派に成長するわけがない。
批判する者はひとり高みに立って吠え続け、一方では社の大立者が政治・経済のこれまた大物と密談を交わす。
日本を支配している気分にでもなっているのだろうか。


いい加減に国民は目覚めなければならない。
今のマスメディアは、政治・官僚・司法・経済界のエスタブリッシュメントと全く同質である
同じ時期に同じ一流大学を卒業し、それぞれ日本の未来を背負うつもりで各界に散った。
「原子力ムラ」といえば特殊な利権集団に聞こえるが、大きくくくれば、マスメディア・政治・官僚・司法・経済という5者は「同じムラ社会の住人」たちなのだ。
だから、公平、公明正大な批判などできるわけがない。
最後は必ず“意図ある報道”になるわけである。


一線の記者までも?
彼らには正義感があると信じたい。
しかし、出自は同じ。
しかも「記者クラブ」という特殊な「超ムラ社会」で修業を積む。
そしていつしか、日本の繁栄よりは、ムラの中ではい上がっていくことにエネルギーをかけ始める。
全部ではないが、そういう者は多い。
日本の記者集団そのものが、欧米のジャーナリストから見れば「囲われたムラの住人」である。


そういうものだとして僕らは新聞を読み、テレビ報道を見なければならない。
うのみは禁物だ。
選挙まで残り少ない。
1票を投じたい候補者がいない、とノドまで出かかっているが、グッとそれを抑えて、よりましな候補者を探そう。
自分の目、自分の感覚で見つけるしかないのだ、と肝に銘じながら。



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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
FacebookページはFbのアカウントを持っていなくても見ることができます。しかし本来は、ブログも語り合ってなんぼです。Facebookのアカウントを取ってご意見をお寄せいただいたら、こんなにうれしいことはありません。


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なにか精魂つき果てた感じがする。
レコーダーに録音したインタビューを原稿に起こすくらいのこと、大した仕事ではないのに、午前、午後と計6時間もかかってしまった。
疲れた理由は、作業の手間ばかりではないかもしれない。


やはり、樋渡啓祐市長というまれに見る個性に対峙(たいじ)したからなのだろう。
僕は、彼がいっていること、やろうとしていることに少しも違和感を感じない。
だって、やろうとしていることは武雄市民のために、市の行政をよいものにしよう―と、ただその1点だけなのだから。


佐賀県武雄市は全国1700ある自治体の1つ。
人口5万人の小さな市にすぎない。
しかし、そういう自治体こそ、1人のすぐれた政策感覚をもつ市長が舞い降りただけで、見る間に変わっていく。


決して「異能」なのではない。
合理的な改革だ。
ただ、急ぎに急ぎ、またまっすぐだから、地方の中で分相応に波風立たずにみんなで静かに滅びていこう(もちろん本人たちは「滅びる」なんぞ思ってもいない)という人たちからは、“異物”を見るように嫌われる。


インタビューで、知事や国会議員になりたいと思わないか、問うてみた。
知事は中間管理職、議員は大勢の中の1人。
「そんなもの」という感じで、言下に否定した。
「それをやるより、僕は武雄市という現場でロールモデルをつくる」といった。
400のやりたいことがある、やっと3つか4つできたばかりだと。
地方分権、地方改革、言葉は美しいが上滑るばかりの現場で、彼は最適な解を求めて走り続ける。


「仕掛品でいいんだ。スピードこそが最高の付加価値だ」
と彼はいい続ける。
批判するなら動いて別の答えを出してみろ、といいたいのだろう。
「やっていることがすべて正しいなんて思っていない」
やって見てダメなら直すし、修正すべき点があれば直せばいい。
そうやって、よいも悪いも答えを出して、全国の自治体よ、武雄みたいな小さな市でやっているんだぜ、言い訳しないでやってみてくれ。
追随するでも、反面教師でもいいから(自分のまちを)前に進ませてくれ、と祈っている。


国会議員になって、法律を変えて地方に仕向けて見せるより「これが手本だ」と示した方が早い、と彼は思っている。
さらに400個も独自の政策を実行したら、地方はどんなに変わることだろう。


Facebookの取材で赴きながら、僕は「樋渡啓祐」というキャラクターそのものに強く魅かれたようだ。
ただのレコーダー起こしではない。
「格闘」した後のような疲れを感じているのは、たぶん、そのためなのだろう。


hidekidos かく語り記



□     ■     □     ■
樋渡啓祐武雄市長インタビュー

―武雄市が力を入れている「F&B良品」が、東京ビッグサイトで開かれた「東京ビジネスサミット2012」で特別賞を受賞しました。おめでとうございます。市長は担当職員の福田史子さんの名前を入れてFacebookに書き込みをされていました。いつも市の職員の名前を出すんですか?

樋渡啓祐市長 公務員は匿名でなくちゃいけないってのは変なタブーで、個人が集合して組織というのはできている以上は、その中心になっている人の名をちゃんと出してやるというのが基本的なスタンスですよね。


―職員の名が出ている方が反響がいいような気がします。

樋渡 そうですね、みんなそれを求めていると思いますよ。武雄市役所とか僕とかいうのも悪くはないけど、次の興味はマクロを構成しているミクロの人はどうだろうって、なりますもんね。


―そういう意味ではFacebookというのは独壇場ですね。

樋渡 元々「非匿名」だしね、そりぁそうだと思いますね。僕らがやっていることに対してはすごく親和性が高いと思います。


◎Facebookには思っているままを書いている
―きのう佐賀新聞に「武雄市内に福祉避難所がない」ということが報じられ、それを読んだ市長は即座にFacebookに「これはいかん、すべての責任は私にある。今年度内に、福祉避難所を複数設置することにしました」と書いていました。この率直さには驚きました。「いいね!」も1000近くついていました。

樋渡 「いいね!」の数を増やそうというのじゃなくて、自分の思っていることをそのまま書いているだけなんでね。よく「これ狙ったでしょう」とかいわれますが、全然。一部の人にはそう見えるかもしれないけど、そんなことをすると大部分の人は白けますよ。自分の思っていることをその時の感情で書くというのが大事だと思っているんで。

―Facebookを書くときに、「職員に向かって」という意識で書くことはないですか?

樋渡 ないです。僕の頭の中では職員も市民もないですね。政治家なんでね、もちろんここの市役所を率いているという思いがないわけじゃないんだけど、それよりも政治家、ステイツマンなんで自分の主義主張を述べるということにつきます。あんまり誰それを意識して書くということはないですよ。それをやった瞬間、白けるんですよ、それ以外の人たちは。「俺たちはかやの外かよ」って。市民も職員も分けへだてなく、おもしろいって思ったことを書く。


―外から見ていると、今度の記事にしてもかなり踏み込んで書いています。

樋渡 それもあえて踏み込んでいるってことじゃなくて、思っていることを素直に書く。僕の中でタブーってないんですよ。ここまで、とかいうのが。ここ以上、ここ以下というのがないから。いや、だから批判もいっぱいいただきます。まあ、仕方ないですよね。そういう風にコントロールしていないから。


◎僕は反権力、反権威
―それは、昔からですか?

樋渡 昔からですね。僕は反権力ですから。反権力、反権威ですね。まず疑ってかかりますもんね。だからそうはいっても矛盾なんですよ。自分は権力もっている立場にあるからね。だけど反権力とか反権威であることは、いや、権威は尊重しますよ、尊重はするけども、それまでには疑いますよね、やっぱ。「本当に権威なの?」とかね。「これは権力を支持してるだけじゃないのか?」って。だから権力や権威をかさに着る人に対しても徹底的に攻撃しますもんね。


―リコール騒ぎというのもそんな感じ?

樋渡 そうですね、完全に感情ですよね、お互い「感情」。もちろん僕の場合、「経営」ってのもありましたけど。(大赤字の市立)病院を経営しなければならないってのがあったんで、僕は経営はできないから、それでは民間にお任せしますって。


◎F&B良品は年度内に20自治体に広がりそう
―(職員さんに出していただいたコーヒーがうまかったので)武雄温泉街を歩いていたらコーヒー屋さんで「F&B良品に出店しています」というポスターを見かけました。

樋渡 僕らはそういう人たちを応援するという役割があるし、地域の所得向上というのをしなければ地域として成り立っていかないからね。


―2011年11月7日からだから、ちょうど1年たちました。

樋渡 現在、全国の6自治体が参加、年度内に20自治体くらいいきますね。


―牧之原市(静岡県)もその20自治体の中に入っていますか。

樋渡 (いずれ)入っていただくことになると思いますが、それよりも早いところが出てきてますもんね、石垣市(沖縄県)とか南栃市(富山県)とか。12月中にやるというところがあります。牧之原市は期待していますよ、あそこは市長(西原茂樹市長)がいいし、かつ産品見ているとすごくいいのがある。そういう意味では静岡にはすごく期待しています。


―静岡は一番やらないんですよ。

樋渡 恵まれているからですよ、ある意味。


◎Facebookを使って次の一手は?
―日本Facebook学会が11月16日から3日間、武雄市で開かれました。そこで地方自治体にとっての重大発表があると聞いていましたが。

樋渡 ひとつは「F&B良品」のポータルサイトを作って、Facebookをやってない人も入れるようにすること。もうひとつは、(市民がわざわざ)情報公開請求しなくて済むようにうちはありとあらゆるものを情報公開します、と。そこにEvernoteとかGoogleを活用します。Evernoteを使うと後で編集しやすいから自由にやってほしい。Evernoteにも落としGoogleにも落として、使いやすいようにします。もちろん検索もできるようにします。


―いきなりですけど、Facebookを使って何か「次の一手」みたいなものはありますか?

樋渡 いや、ないです、全然。思いついたときやります。そうそう、基本、僕はやっていることもいっていることも反射神経なんで。(ここで市長に電話が入り中断)
えーと、なんでしたっけ。次の一手? そのとき考えます。


―こんなことばかり聞かれるでしょう。

樋渡 そう、でも同じこと答えます。僕は反射神経の人間なんで。だから思いついたら、とりあえずやってみる。で、ブログとかFacebookとかツイッターでその感触を試す。それがマーケティングなんですね。(市立図書館の)Tポイント導入だってマーケティングですよ。「ああそうか、これだけ反応あるんだよね」とか。
(※武雄市は市立図書館に指定管理者制度を導入し、TUTAYAを運営するCCC(株)に図書館業務を全面委託する。図書館ではTポイントも使えるようにするが、この点に関しては反対意見も少なくなかった。なお、図書館にはスターバックスコーヒーも入ることになっている)


―武雄市のホームページを昨年8月、Facebookページに切り替えました。先日、ページへのいいね!、つまり「ファンが2万人を超えた」とありましたが、そのうち武雄市民はどれくらいいるのでしょう。

樋渡 (市民は)5%くらいじゃないですか。1000人くらいでしょう。うちは人口5万人くらいなんで、いろんな人たちが(直接)いろんなことをいいますよ。(市長と市民の距離が)元々すごく近いんですよ。僕になってからよけいに近くなってるもんね。道を走ってても声掛けてきますよ。(※市長は市民ランナーでもある)


◎図書館革命、見えてきたら賛同はもっと広がる
―図書館を見てきたんですが、素晴らしい設計ですね。

樋渡 できてから12年です。14、5億円かかっているんじゃないですか。(隣の超豪華な市民会館も)競輪事業で潤っていた古きよき時代に建った。しかし維持費が大変。図書館なんか、来ている人は常連ばかりですよ。だから「図書館革命」なんです。一般の人たちに開放するというのと、司書さんたちをも開放する。図書の整理係に甘んじていますから。カンファレンスだとかレコメンド(図書の推奨)とかを対人でやる、それが本来の司書の役割ですよね。


―でも、図書館革命を批判している人は市長の意図を逆にとっていますね。

樋渡 仕方ないですよ、それは。見えないもんだから。CCC(という業界異端児)と僕とという組み合わせだから、すごく反発があるというのはよくわかりますよ。でも、だって例がないから。実際出て来てみると、その批判というのはだいぶ減るんじゃないですかね。それは時間の問題だと思ってます。恋愛と図書館は時間ですよ。カエサルがいった通りでね、人は見えるものでしか判断できないですよ。ある意味、図書館のロールモデルになると思いますよ。Tポイントもそうだし。
今の「自由」というのは不自由な状態からの自由じゃないんですね。マルクスが生きていた時代の自由と違っていて、今の時代の自由というのは「選択肢」の問題なんですよ。こういう田舎っていうのは、元々選択肢がないというのが田舎ということであって、選択肢がないというのが不自由ということなんだと。だから、選択肢を提示するというのがすごく大事だと僕は思っています。田舎というのは画一的になりがちなんです。それがずっと延長線上をいくと「タブー」になっちゃう。そういうの大っ嫌いなんですよ。


◎武雄市で全国のロールモデルを作る
―田舎に限らず、ほとんどの自治体がそうじゃないですか。

樋渡 だから僕らがたった人口5万の辺ぴなところでそれを「できる」「やれる」と提示できれば、ほかの自治体は言い訳できなくなる。今までは「いや、前例がない」とか「ほかに例がない」とかいうじゃないですか。でも、武雄がやると言い訳きかなくなる。そこが東京都とか大阪府と違うとこなんですよ、僕らの位置づけというのは。東京、大阪がやっても「あれは特別だ」となるけれど、武雄は全国自治体1700分の1だから。首長さんたちに言い訳させないようにしようと思います。


―そういえば、市役所の玄関に全国からの視察の掲示が出ていますよね。どれくらい理解して帰っているんでしょう?

樋渡 インパクトは理解していますよ、政治家だから。それが大事なんですよ。『よくわかんないけども、これはスゲェーぞ』というので十分。それでどうなっていくかというと、今度は(自治体の)職員が来るんですよ。だから議員には感性で訴える。シビレさせる。今度、行政の人が来たらその人たちには理性で訴えかける。そこはマーケティングを分けるんですよ。議員の場合は発信力あるから、Facebookやツイッターに書いてくれというんです。そうすると横に広がっていくから。
ここに物見遊山で来る人はいません。そんな者が来たら僕に怒られますから。「帰れ!」っていいましたよ、何度も。だからみんな真剣勝負。
反論する人もいますよ。そういうのは大歓迎。自分のやっていることが全部正しいなんて思っていないから。間違っていたら直せばいい。最適解を求め続けていれば、将来的にもいい解答が生まれるというのが僕のスタンスです。だから「将来どうするんですか?」といわれても僕には答える術がなくて、3年後、5年ごといっても外れますもんね。そんなとこに労力を使うよりは、今起こりうること、起こっていることにきちんと誠実に応えるということだと思います。


◎武雄市がベンチャーキャピタルに乗り出す
―起業家を武雄市に呼び込むことに執念を燃やしていますね。起業家を市の職員にする案まで考えているとか。

樋渡 あれはもうダメですね。副市長が反対して、かつ総務省が反対したから。「(公務員の)兼業禁止の規定を超えられないでしょう」っていわれて、それはそうだと思いました。その代わりにうちの職員が案を出してきたのは、「市でベンチャーキャピタルをつくりましょう」と。単にベンチャーキャピタルといってもおもしろくないから、100億円くらい積み増ししようという話をしてるんですよ、今。しかも審査員が、ただ単に審査するんでなくて、OKを出した審査員にベネフィット(利益)を与えようと。出資した会社が大きな利益を出した。あるいは上場したとするじゃないですか、そのときインセンティブ(報奨)を審査した人たちに与えよう。会社が儲かればもうかるほど、その人たちのところに(利益が)来る、というのを付けようと思っています。


―審査員はどういう人たちがなるんですか。

樋渡 これから考えます。企業家とか僕が信頼する大学の先生とか、シリコンバレーの人とかにします。そういう人たちは卵の状態からもってくるからいいんですよ。その人たちは、お金というのはどうでもよくて、「育てたい」というマインドがあるんですよ。そこで損を出したとしたら市がファイナンスする。これ、マスコミが注目するに決まっていますよ。


◎メディアの注目を集める劇場化、「それは意識してやっている」
―市長がやっていることは必ずマスコミに書かせることを意識していますね。

樋渡 もちろんもちろん。書いてもらえるように時期も内容も考えます。場合によっては見出しまで考えますよ。記者会見でも懇談のときでも、そのまんま記事になるようにしゃべる。


―僕はFacebookというのは広がりにくいメディアだと思うんです。だから、そこを広げるために市長はマスメディアを使っているのかな、と思ったんです。違いますか?

樋渡 そうそう。メディアが僕のFacebookを追いかけてます。


―それは孫正義さんのツイッターもそうですね。

樋渡 橋下(徹)さんもそうかもしれないですね。僕はツイッターよりFacebookの方が好きなんで、そこに書くわけだけど、書いた瞬間にメディアから問い合わせが来たりしますもん。

―直接、間接に記者と話し合いをしているようなものですね。

樋渡 そうそう。自分は「メディアだ」と思っているから。だから、その選択肢も増やしているんですよ。ここだと佐賀新聞しかない。でもFacebookなら誰でも見られるし、(メディア側の)編集権をなくすことができるじゃないですか。編集権を有するのがメディアだから、テレビでも新聞でもラジオでも。その編集権を今度、自分でもてるわけですよ、発信もできるしね。編集して発信するというのがメディアですよね。それを信じるかどうかは消費者というか、市民が判断してくれればいい。


◎名前が「肩書き」になる時代がやっと到来した
―みながそれをやり出せばすごい市長が生まれるし、普通の人がFacebookをやり本音で書けるようになれば世界は変わる、と僕は思っているんですが。

樋渡 さあ、それはどうですか。変わらないんじゃないですか。でも、さらけ出すという点では今までの媒体と違うんでね、緊張感というか親しみ感というのは今までのメディアではなかったものですよね。発見もあるし。『ああ、あの人がいってるのか』みたいな。だから、自分が肩書きになる時代がやっと来たなと思うんですよね。今までは例えば「電通にいます」とか、「朝日新聞社にいます」とか、「財務省にいます」「総務省にいます」というのが肩書き、ステイタスだったじゃないてすか。そんなのってつまんないですよね。それよりも自分の名前が肩書きになるといったほうが、よっぽどおもしろいですもんね。だから職員にもいってますが「自分の名前が肩書きになるようにがんばれ」といってます。例えば「○○△△のいる武雄市役所になれ」って。「その方が絶対に楽しいぞ」というのが、やっとわかるようになってきたですね。


―市長在職6年半ですか。そしてFacebookをやり始めて約2年。

樋渡 本格的に使いだして1年ですね。


―市長は有名だからFacebookを使いやすいのだと思っていましたが、使い始めのころのウォールを見てみると、ちゃんと苦労されてますね(笑)。

樋渡 反応、全然なかったです。「選挙にきく」って日経BBかなんかに書いていたから始めたのに、全然反応なかった。『なんじゃ、これ?』でしたね。(苦労は)ツイッターでもそうですよ。「有名」という意識はないですよ、全く。


―Facebookを市長のような手法で使うのは難しい。

樋渡 それはどう使ってもいいわけですよ。日記風に書く人もいるし、それは全然かまわない。それこそ選択肢ですよ。僕みたいに使うのも選択肢のひとつ。Facebookについて僕は誰も参考にしてないし、(参考になる人が)いないから。


◎樋渡市長流にFacebook本社ものけぞった
―話は変わりますが、今年8月にFacebookの本社に行かれましたね。

樋渡 ええ、行きました。呼ばれたから。「来てください」といわれたから行きましたけど。FacebookもGoogleも、ちょうど時期が合ったからいいなと思って。


―行ってみて、どうでした?

樋渡 思った通りでしたね。こういう集団だからFacebookとかGoogleってのが生れてくるんだろうなってだけですね。行ったから自分が変わったとかいうことはないです。むしろ僕らの発言に向こうが驚いていた。Facebookの本社はのけぞつてましたね。例えば、市のホームページを全部Facebookページにしたとか、うち(武雄市)のイントラ(組織内ネット)をFacebookにして非公開のグループにしてるのにびっくりしてましたから。なおかつFacebookで通販やるに至っては、ほんとにのけぞっていました。
日程が合わなくてマーク・ザッカーバーグには会えなかったですが、後で広報が上げたら、彼も驚いていたそうです。


―世界中にどこにもないということですね。

樋渡 そうそう。だから、ビッグワンでなく、オンリーワンを評価するアメリカの先取り精神、っていうのは感じましたね。アメリカというのは、問題はいっぱいあるけれども、イノベーションが生まれるというのはそこにある。いいものはいい、って。日本の場合は、「これを他の人はどう思ってる?」ってなるじゃないですか。あんなところにイノベーションなんか生まれるわけがないし、僕みたいな政治家、登場しませんよ。
話は変わるけど、僕が存在しているってことに関していうと、それは非常に不思議ですよ。普通、落ちますよ、このタイプは。まず間違いなく落ちる。だってもう、議会で暴言吐いて名誉棄損を受けてるし、住民訴訟で21億円の損害賠償請求を受けてるしね。普通は阿久根市長と同じで、普通の市民だったらすごい拒否感をもちますよね。もってる市民もいますけど、だけどみんな笑ってますもんね。「あー、また始まった」みたいな(笑)。
人気はやはりあるんでしょうね。だから図書館で市民アンケートをとったら、7割が賛成。新聞記者がいってましたけど「この7割というのが樋渡さんの支持ですね」と。図書館イコール樋渡だとみな思っているわけだから。


―7割というのはすごい支持率です。

樋渡 体感温度でいえばもっとありますよ、今。ただ、僕の場合は余計なこといいますからね。あと、ものすごく言葉足らずだったり。そうそう、そりぁ、誤解はいくらでも……。意図している部分もあるし、『おーっ、こう来たよね』と意図しないものもある。絶えずやっぱ劇場化ですよね。

―劇場をつくることを意識していますか?

樋渡 それは、してますね。劇場化というのは一石十鳥くらいの効果があるんですよ。メディアが反応する、あるいは市民が感応する、職員が揺さぶられる、で、自分の意識もわかりやすくなりますもん。副次効果として反応を得やすくなるとか。だから劇場化は絶えず意識してます。


―自分自身、引けなくなりますしね。

樋渡 ほんとほんと。図書館だって病院だって(リコール騒ぎの要因となった市立病院の民間移管問題)みんなそうですよ。こんだけ矢のように批判されると嫌にもなりますよ。『でも、いっちゃったしな。もうルビコン河渡っちゃったし』ということが、何度もありますよ。


◎リアルが一番、声掛けしてくれる市民がいることが大事
―10月24日にシニアFacebook講習会がありましたね。市長が講演した。反響はどうでした?

樋渡 100人くらいだったですかね。でも、あれは動員。平日ですしね、兼業農家が多いから集まりっこないですよ。


―ということは、武雄市民自体にFacebookが普及しているということではなさそうですね。

樋渡 全然。普及しないと思いますよ、僕は。しなくていいと思ってますから。だって、リアルが原則ですもん。リアルをないがしろにしてこういうデジタルの世界が、というのは異様な世界でね。やっぱりリアルが大事ですよ。もうあくまでFacebookやソーシャルネットワークというのはリアルの補完ですよ、市民にとっては。
まあ、そうはいっても、今までのIC寺子屋に900人以上が受講して平均年齢が65歳を越していてね、でなおかつ今、順番待ちってことはやはり関心が生れている。その主な人の意見を聞いてみたら、「Facebookページを見たい」とか「意見をいいたい」とか、あるいは僕に「文句をいいたい」とかという人たちがいるんで、ある意味、ちょうど過渡期かもしれないですね。


―市民のFacebook活用、あながち無理ではないじゃないですか。

樋渡 でも僕は市民にFacebookを使えとかっての、全然期待していないですけど。だけどその辺歩いているとみんな声を掛けてくれるから、リアルで。それが一番ですもんね。


◎現場で働ける「市長」が自分にとっての最適解
―衆院選が近付いていますが、応援に行かれないですか。

樋渡 行きません。僕は好き嫌いが激しいし、行ったら落ちたなんてことになると困るから。支持政党はないですよ。自分党。この指止まれです。どことも組まない。いろんなところから「うちに入れ」とかいわれるけど、しがらみ作りたくないから。義理があるからこれをしなくちゃならないというのは嫌だから。


―知事選に出たいと思うこと、ありませんか?

樋渡 まったく興味ないですね。おもしろくもなんともないもの、あんな中間管理職。


―国会議員はもっと何もできないですね。

樋渡 そうそう。だから市町村長が一番おもしろい。だって、現場の司令官だから。こんなおもしろい仕事ないですよ。


―でも今の政治を見ていて、こんなていたらくだから俺が、と思わないですか?

樋渡 それを僕は現場でやりますから。向き不向きというのがあるんですよ。僕は議員とかには向かない。大きな組織を率いることもできない。僕には今の感じがジャストフィットですよね。適性というのがあると思います。


―それではもったいないと思いますが。

樋渡 だからそれは、ここでロールモデルを立てて、参考にしたいところはどんどん使えばいいし、反面教師にしてください。そっちの方が(国会議員として地方を変えようとするより)早いですよ。FB良品だってそうだし、図書館もそうなるでしょう。僕らはここで、(地方自治体が「だからやれない」という)言い訳できないモデルをつくる。


―なんだか、やりたいことは全部やったような気がしませんか?

樋渡 全然しません、そんなもの。まだいくらでもありますよ。400のうち成し遂げたのはまだ4つくらいですよ。やりたいことはあっても、タイミングが早すぎるとかというのがあるんですよ。


―それだとあと何年もかかりそうですね。

樋渡 だから、死ぬまでやろうと思って。落ちるまで。4年ごとに是非については有権者に判断していただく、ということだと思いますけどね。


◎普通の人のための「ダボス会議」を武雄市で
―市庁舎の建て替え計画も進んでいるとすると、後は観光ですか?

樋渡 観光も今、進みつつありますね。それは流れに沿って。
あとは、どこにもできない観光をやうと思ってます。スイスのダボスのようになればいいなと思っているからFacebook係をつくったし、来年は図書館のシンポジウムのでかいのをやりますけど、ここに来ればいろんな人に会えたり、知を共有したりとか、発信できる場にする。ザルツブルグは音楽祭で集めるじゃないですか。ダボスは知の交流拠点といわれますけど、ダボスの場合は経営者とか政治家とかのだけど、うちは「市民のダボス」にしたいんですよ。いろんなやる気のある人たちが来て、そこでいろんなものを共有する。うちは温泉というアドバンテージもあるから。そこでまたいろんなことを考え、また休んでもらう。


―武雄市に視察に来たら武雄温泉に泊ってほしいですよね。

樋渡 うん、それは僕も考える。しかし温泉というのはいくらでもあるし世界遺産もあるわけだから、それ(温泉)で売れるというのは無理で、他にできないことをやるというと、僕らが観光資源になるということ、行政が資源。


―ということはやはり、Facebookの出番がありそうですね。

樋渡 そう思います。




<ここからは「著者ページ」と「著書」の紹介です>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな視点、はじめてだ!
「なぜ?」を徹底追究
ジャーナリストの視点で電本3部作

※著者ページ
http://denhonkan.jp/meikan/detail.html?ab_id=7



※著書
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』



 Vol1.
 Facebookの基本のキ」。
 「入門書」ですがかなり濃い内容です。
 いいね!の原理、エッジランクやクチコミ発生機能について  核心を伝えます。
 
 









 Vol.2
 Facebookのビジネス活用術。
 個人やお店、小さな会社は大企業や有名人を見習ってはい けません。
 バラマキマーケティングより友達を大切に。
 











 Vol.3
 Facebookのスーパースターたちを紹介しています。
 樋渡市長、「ペコロスの母に会いに行く」のプロデューサー
 村岡克彦さんも登場します 
 インフルエンサーの投稿術、さすがです。




朝、Facebookのページを開いて驚いた。
僕の拙いFbページ『ジャーナリスト 石川秀樹』 
に、きのう取材させていただいたばかりの樋渡啓祐・佐賀県武雄市長がページの「ファン」になってくれたのである。


樋渡さんはツイッターをいち早く市の行政に取り入れたり、市のホームページをFacebookページに切り替えたりと、ソーシャルメディアに強い市長として知られている。
言葉も行動も(首長の標準から見れば)過激で、物議をかもす。
メディアへの発信を狙って、物事を劇場化するのが得意である。
だから一部では「暴走特急」と呼ばれ、批判の矢面に立つこともしばしばだ。


hidekidos かく語り記



お会いしたとき、市長は少しピリピリしている感じがうかがえた。
公務多忙の折である。
元々、一民間企業の出版社の取材など迷惑であったに違いないが、Facebookつながりに免じて快諾をいただいた。
秘書の方との打ち合わせでは「1時間半」の取材時間だったが、状況にかんがみ、半分で切り上げようと決めた。


話の中で最も聞きたかったのは、「Facebookを活用した次の一手は何か」である。
すると樋渡さんは「ないです。全然」と即答した。
にべもない。
しかし一瞬後、補足するように「思いついたらやります。ようするに僕は基本、反射神経なんで。やっていることも、いっていることも」。
そのとき電話が入り、この話はそれっきりで終わってしまったかに見えたが……。


インタビューの後半、「やりたいこと全部やっちゃったのでは?」と聞くと市長は、「いや、400やりたいことのまだ4つくらいですよ。市立病院民営化も図書館の民間(TUTAYA)委託も、F&B良品も」という。
400もあるとすれば、まだまだ先が長い。
「だから死ぬまで市長をやっていたい。4年ごとに市民に審査してもらって」
なるほど、武雄市にとっては心強い。
そして最後に大きな構想を語り始めた。


どこにもできない観光をやりたいんですよ」
いきなりで、意味を量りかねていると
僕らが観光資源になる、行政が


確かに武雄市には地域活性化をめざす多くの市町村議員や行政関係者が視察に訪れる。
が、樋渡さんが見ているのはその先だ。
武雄をダボスにしたいんですよ」
政財界人の知の邂逅の場として知られるスイスのダボス、あるいは音楽祭の都市ザネツブルグのように。
それにならえば武雄市は、“ふつうの人々“の知と意欲と行動が交差する場になる、ということなのだろう。
「やはりFacebookの出番がありそうですね」
「それはもう……」


こんな感じで僕の取材は終わった。
そそくさと席を立とうとすると、「つながる部をご紹介しますよ」と自ら3階フロアを案内してくださった。
さらにFacebookの市営通販サイト「F&B良品」の職員のところにも。
主任の古賀敬弘さん、 Fukuda(福田史子)さんと話ができ、今までは遠い存在だったサイトのイメージがにわかに明確になってきた。


こちらのわずかばかりの気配りに、市長も気配りで返してくれたのだな、と思った。
そしてさらにきょう……。


庁内でも「独裁者」というよりは、直球を投げつつその球威の波紋をいつも気にかけているエース、といった趣き。
『だからこの人の期待にこたえたいと思うんだろうな』
外から見れば変哲もないコンクリートの武雄市庁舎が、中に入ってみるとやけに明るかったことを思い出した。


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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしていますが、ジャーナリストであり続けたいと思っています。また、61歳で行政書士の資格を取り今年8月に開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」として熱く語り続けています。
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『第3極、二分の流れ』だとか。
嘉田由紀子滋賀県知事が「脱原発」を旗印に新党を結成する見通し! 
きのうそれが明らかになるとこの騒ぎである。
ほんと、新聞は気楽にいってくれる。

hidekidos かく語り記


利にさとい小沢一郎国民の生活が第一代表は早速、連携の可能性をいう。
嘉田さんは、原発ゼロをめざす各政党を緩やかに糾合して「オリーブの木」のような存在になるという。
石原慎太郎氏がくっついた日本維新の会は「脱原発」がグジュグジュになってしまった、だからもう1本明確な柱を立てようというのだろう。


文句をいう筋合いは何もない。
いっていることは正しいし、やり方としてもそれしかないと思う。
でもね、と僕などは考えてしまう。


『これでは「脱原発」は小さな争点にしかならないよ』


国民の多くが望んでいる本当に重要で日本の未来を決める大政策の受け皿が、にわか仕立ての小政党ばかり。
もちろん国民がこぞってそこに投票を集中させれば、大きなうねりとならないこともないかもしれない。
そんな希望的観測があるのかもしれない。
それにしては候補者もいない、自らも選挙に立たない。
本当に「原発ゼロ政党」たちが糾合するのかな。
僕にはブルーローズ(不可能なこと)に見える。
新聞が揶揄(やゆ)する通り、最大限がんばっても、小集団をまた2つにする結果しか生まないのではないか。


こんな現実を見せつけられると、野田首相のこの時期の解散戦略は、やはり政治巧者だなと思わせる。
大政党の自民党は「原発」には知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。
民主党もまたあいまい路線で触れたがらない。
これほどの大事を、傍目(はため)には「第3極ばかりがワァーワァーと」という印象に落とし込むのに成功している。
悔しいが、それが現実。
時間がなさすぎるのだ。


国民が一矢むくいるにはどうしたらいいのだろう。
やはり人物と政策をよく見て決めるしかない、という平凡なことしか思い浮かばない。




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ジャーナリスト、ミーツ出版社長、行政書士、ソーシャルメディアを愛する者-として書いています。
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