★写真家・ジャーナリスト 外山ひとみが見てきたもの | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

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朝から、黄ばんだA3判大ぶりのスクラップブックを見ている。
僕が28歳から35歳までの8年間、週1回朝刊に書いてきた記事である。
3冊目の中ほどにプロカメラマンをめざす「外山ひとみ」さんの記事がある。
日付は1980年7月3日、あれから32年もたってしまった。


外山さんが先日、最近の仕事を送ってきてくれた。
分厚い封書を手にして、Facebookで彼女を見つけて以来、気軽な調子で「何かあったら送ってよ」とメッセージを入れていたことを後悔した。
ジャーナリスト・外山ひとみが写し、書いた記事は、「気楽に紹介を書きます」というような軽いものではなかった。

hidekidos かく語り記


『婦人公論』(10/22号)に書いたのは「女子刑務所 知られざる世界 特別編―死刑執行と刑務官の苦悩」。
この号の表紙は女優・草刈民代で、深みのある明るい表情が印象的だ。
しかし外山ひとみのテーマは「死刑」である。
社会派の婦人誌とはいえ、いささか重い。
が、書き手としてはこれ以上の適役はいないのだろう。
彼女は23年間も刑務所の中を取材してきた。
20代後半から、回った刑務所は40カ所以上にのぼる。
だからこその起用なのだった。
殺人をおかした者、死刑囚と日々を過ごした刑務官、受刑者の社会復帰を支えてきた人……、「刑務所」を通して重層的にこの問題を考えてきた彼女だから感じられる思いがある。
それは、観念や常識、あるいは自分一個の正義感で死刑を論じる者たちの決して持ちえない視点だ。


送ってくれたのは他に、
「女の事件簿 彼女たちの殺意と魔性」
「女子刑務所 知られざる世界」1回~最終回(6回)
いずれも『婦人公論』のコピーだった。


「女の事件簿」では、育児で追い詰められ暴力をふるい結果的に子どもを殺めてしまった母親と、家業不振と自殺願望のため一緒に死のうと2児を殺してしまった母親に取材している。
虐待の連鎖、うつ病、経済的困窮……、本人だけの責任といいきれない環境変化に押しつぶされていく人間の姿を追っている。


何が外山ひとみをかりたてているのだろう。
「自分の罪を、時間が解決してくれることは、一切ないとわかっています。
でも、ただ死にたいと考えていること自体は、子どもたちが喜んでくれないだろうと……」
無理心中で生き残った母親は、少しずつ生きる意欲を取り戻しているようだ。
今、この受刑者は刑務所内の作業の班長をやっている。
『誰かに頼りにされることで、人は変われるのかもしれない』
人を傷つけた魂が人に頼られることもある、深く重い、普通の人から見れば「暗い」人間のドラマにも、時おり陽がさす再生の物語もある。
ジャーナリストの目は、そこもとらえている。


外山ひとみさんを取材したのは、彼女が20歳のときだった。
『家』という写真集を自費出版した。社会派のカメラマンになる、そのための一歩だという。
海のものとも山のものともわからない若いエネルギーを、30歳の僕も希望をもって取材した。
といっても、今となっては『外山ひとみのもつ本当のエネルギーを、何も見ていなかったのだな』と思う。
もちろん彼女は成長して今があるわけだが、これほど執拗でテーマを深く掘っていく心のマグマがあったのだとは、想像もできなかった。


彼女のブログに「いつも路上に身を置き、被写体と添い寝をするような作品を心がけてきた」という言葉があった。
僕のような新聞社にいた者の、到底発することのできない言葉だ。
記者クラブもなければ、守ってくれる組織もない。
ただひとりの人間として“現場”にいて、自と他と同じ平面で対峙してレンズを向け、心の内面までも聞こうとする。
その作業を30年以上も積み重ねてきた。


初期のテーマは、原宿あたりをかっ歩する10代の少女たちの揺れ動く心身に視線を向けた。
1990年代にはヴェトナム、カンボジアに赴き、なお戦争の傷跡が残る中、生きるエネルギーが横溢した普通の人々の暮らしを切りとった。
90年代後半に、(たしか週刊誌などでも話題になったとおもうのだが、)「MISS・ダンディ」女として生まれながら男性として生きる人たちを写し出した。
普通に生きる者たちからすれば「際物(きわもの)」としか見えない対象に近づいていくのはなぜだろう。
「好奇心」というかもしれない。
エッジが立っているテーマの方が売れる、ということなのだろうか。


違うと思う。


心と身体が不一致に生まれてきた性同一性障害は彼女たちの罪ではない。人格と自分の体との不一致に悩む姿に、共感できるものがあるのだろう。
やはり「におい」なのだろうな、と思う。


外山ひとみは安全な生き方をしていない。
彼女が写し、書いてきた世界は、(自分を含め)サラリーマン記者たちが決して踏み込まない世界だ。誰も目を向けようともしてこなかった世界。
僕らは遠目から、ちょっと視線を向ける程度のことしかしてこなかった、
でも「生きる」ということにおいて、とても重要なテーマを宿している被写体を、彼女だけが注視し、世に送り出した。


彼女の処女写真集『家』は、住み慣れたわが家が取り壊されることになり撮った、モノトーンの小さな本だった。
そこにあったのは、なつかしさと、ある種の明るさ、一言でいえば“愛する私のホーム”だ。
彼女の揺るぎない幸せの「原点」だったと思う。
それがあるからこそではないだろうか、
外山ひとみの写真に、僕はなぜかいつも“明るさ”を感じるし、記事に温かさを感じる。
自身「添い寝する」と書いているように、被写体への共感が写っているのだ。


長い年月「監獄」を通して、一つのテーマを追ってきた。
世間とか、普通の生活、あるいは常識といったものと同化できずに転げ落ちてしまった者たちの物語。
ジャーナリスト外山ひとみは彼らを「異質」「自分と異なる者」と見ていないのではないか。
人間なら誰しも、塀のあちら側にも、こちら側にも居る可能性がある。
境遇とか環境とか、人との出会いなどよって、人はどのようにも変わり得る。
そのことを彼女はピュアに信じ続けているように見える。
だから人間の陰の部分を捉えながらも、ある種の“明るさ”が彼女の写真や文章からは感じられるのではないか。


「女子刑務所 知られざる世界」の最終回、最終ページに外山ひとみは「母子像」の写真を載せている。
幼児を母親が空に向かって差し上げている構図だ。
視線は子どもと、さらに高い天に向かっているようにも見える。
人は更生できる、社会の支えがあれば人は生まれ変わることができる。
支えさえあれば……。
彼女からの強いメッセージを、僕は感じた。




もうひとつのストーリー…………………………………………………………………………………

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