<★制限リスト・知り合い――Facebookの友達を傷つけずに閲覧制限する方法> http://wp.me/p4q7xb-19R
Facebookの日本人ユーザーの平均友達数は「53人」。
2012年3月の数字だが、今もそれほど変わっていないと思われる。
うかつだった。わたし自身、勘違いしていた。
「友達数」の統計を初めてみたのは2011年9月である。
その時は「108人」と言われた。世界平均だと「130人」。
それから以降、2012年から13年はじめにかけてのFacebookの勢いはすごいものだった。みな「友達増やし」に躍起になっているように見えた。
だから確かめもせず、日本人ユーザーの友達数はどんどん増えて、遠からず世界の平均を抜くと思ったのだ。
ところが13年のおしまいころにはブームはしぼんでしまった。
今Googleで「Facebook 友達数 平均 日本」と検索しても2013年以降の記事はヒットしない。
興味が冷めたのだろう。今は「LINE」「LINE」だ。Facebookの統計はとる人もいないらしい。
だから実数は分からないが、平均は伸びないだろうと思っている。
日本のFacebookユーザーはあまり伸びなかった。
1人当たりにしても、友達は増えていない。
その少ない友達の内訳が2012年後半の統計には出ている。
自分の身の周りにいる人たちだ。
その数も10人、20人という人が多い。
以前「制限リスト」のことを書いたら、ずいぶん多くの人が読んでくれ、今も検索から相当数がブログを訪問してくれる。
<日本はそんなにも気兼ね社会なのだろうか!?>
と不思議な感じがしていたのだが・・・・。
Facebookの友達が10人、20人の人が『あの人、苦手だから』『投稿を読まれるとうっとおしい』からと何らかの閲覧制限をかけたらどうなるか。300人、500人もいるなら疎遠になる友達もいると思うけれど、20人ほどのFacebook友達ならかなり濃密な関係性ができているのではないか。
かなりヤバイ。
一発で“異変”に気づかれそうだ。
でも、うっとおしいんでしょ?
ならば制限するしかないのかな。
ただし、慎重にお願いしたい。
聞かれた時の返答も用意しておくべきだ。
方法と心構えについて、書いておいた。
<★ザッカーバーグの思いが独特のアルゴリズムを生んだ | 黎明期のFacebook①> http://wp.me/p4q7xb-18G
この文章、実はすごくなつかしい。
3年前、新聞社を退職した私はすぐに出版社を立ち上げ、
同時にFacebook活用本の執筆にかかった。
Facebookは2年近く使っていたが、プロではない。
どころか、素人なるが故に訳が分からないことだらけで
Facebookに八つ当たりすることもしばしばだった。
それがFacebookの本を書こうとは・・・・
無謀にもほどがあるのだが、Facebookのわかりにくさが
私にはおもしろかったし、その頃はずいぶんFacebook本
が出ていたのだが、どれを読んでもピント外れな気がした。
疑問に答えてくれないのだ。
なぜ「いいね!」は止まるのか、そうかと思えば突然、
人気者になったり。感覚より、何事も数字はウソをつか
ないと思うたちなので「表示数」がはっきり出るFacebook
ページでいろいろ試してみたりした。
すると、矛盾が出てくる。論理で考えてもよくわからない。
それで結局、はまったのだと思う。
結局、当時の疑問の多くはFacebookのアルゴリズムのせい、
といえば言えそうなのだが、明確な回答はいまだに出ない。
結局この本は(私は「文章本」と読んでいたのだが)、あと
からPawerPointのプレゼンを基に「ビジュアル本」を3冊
つくったので「今さら」という感じで仕舞ってしまった。
Facebook自体、後発のSNSに人気を奪われたり、どんなに
しても成果を出すのが難しかったりして、熱狂とは遠くなって
しまった。
「ビジネスに使える」ともてはやしたのに、マーケターたちの
逃げ足の速いこと。まあ、それは予見できた。
Facebookの難しさというより、やはり日本では「実名」に
過度に敏感になる人が多く(それだけ気兼ね社会なのだろう)
このSNSが本来持つ可能性をよってたかって矮小化している
ためだろう。
というわけでFacebookのブームは去ってしまったけれど、
逆に私はこれからが出番のような気がしている。
はっきり言って、こんなにすごいSNSはない。
交流ツールとしてはもちろんだが、自己表現の場としてみ
ると、こんなに可能性をもつメディアはないのではないか。
欲深なマーケターたちは出ていってくれてかまわない。
かき回されるのは真っ平だ。
しかし静かに機会を狙っているありとあらゆる業種、業態、
活動する組織や個人は、よくぞ残ってくれたと思う。
Facebookが日本で地歩を築くのはこれからだ。
分厚い書きかけの本のところどころに、熱い思いが残って
いる。3年前より、今の方が通用しそうだ。
Facebookはその特性を理解して使えば、必ず使う人によき
ことをお返ししてくれる。
熱狂が冷めた今、「これからが黄金時代」の予感がしている。
少しずつ発表していくことをお許し願いたい。
この文章、実はすごくなつかしい。
3年前、新聞社を退職した私はすぐに出版社を立ち上げ、
同時にFacebook活用本の執筆にかかった。
Facebookは2年近く使っていたが、プロではない。
どころか、素人なるが故に訳が分からないことだらけで
Facebookに八つ当たりすることもしばしばだった。
それがFacebookの本を書こうとは・・・・
無謀にもほどがあるのだが、Facebookのわかりにくさが
私にはおもしろかったし、その頃はずいぶんFacebook本
が出ていたのだが、どれを読んでもピント外れな気がした。
疑問に答えてくれないのだ。
なぜ「いいね!」は止まるのか、そうかと思えば突然、
人気者になったり。感覚より、何事も数字はウソをつか
ないと思うたちなので「表示数」がはっきり出るFacebook
ページでいろいろ試してみたりした。
すると、矛盾が出てくる。論理で考えてもよくわからない。
それで結局、はまったのだと思う。
結局、当時の疑問の多くはFacebookのアルゴリズムのせい、
といえば言えそうなのだが、明確な回答はいまだに出ない。
結局この本は(私は「文章本」と読んでいたのだが)、あと
からPawerPointのプレゼンを基に「ビジュアル本」を3冊
つくったので「今さら」という感じで仕舞ってしまった。
Facebook自体、後発のSNSに人気を奪われたり、どんなに
しても成果を出すのが難しかったりして、熱狂とは遠くなって
しまった。
「ビジネスに使える」ともてはやしたのに、マーケターたちの
逃げ足の速いこと。まあ、それは予見できた。
Facebookの難しさというより、やはり日本では「実名」に
過度に敏感になる人が多く(それだけ気兼ね社会なのだろう)
このSNSが本来持つ可能性をよってたかって矮小化している
ためだろう。
というわけでFacebookのブームは去ってしまったけれど、
逆に私はこれからが出番のような気がしている。
はっきり言って、こんなにすごいSNSはない。
交流ツールとしてはもちろんだが、自己表現の場としてみ
ると、こんなに可能性をもつメディアはないのではないか。
欲深なマーケターたちは出ていってくれてかまわない。
かき回されるのは真っ平だ。
しかし静かに機会を狙っているありとあらゆる業種、業態、
活動する組織や個人は、よくぞ残ってくれたと思う。
Facebookが日本で地歩を築くのはこれからだ。
分厚い書きかけの本のところどころに、熱い思いが残って
いる。3年前より、今の方が通用しそうだ。
Facebookはその特性を理解して使えば、必ず使う人によき
ことをお返ししてくれる。
熱狂が冷めた今、「これからが黄金時代」の予感がしている。
少しずつ発表していくことをお許し願いたい。
★fbの「友達タブ」はあなたの"大事な人"ランキング表だ。現実を反映してるかチェックを!!
http://wp.me/p4q7xb-16U
これ、けっこう大切な論点だと思って書いたんですが。
当たり前と言えば当たり前なんだけどね。
同じAさんのタイムラインの「友達タブ」、Aさん本人が見る順位と友達のBさん、Cさんが見ているのと違う。しかも違うのは「遠目」で見たとき(タイムラインと同時にタブを見たとき)に違うのであって、タブをクリックして見直せば、それはアルゴリズムに従って「Aさんにとっての親密さ順」になっている。
こういうところに僕は、Facebookのこだわりを見てしまう。
手抜きなしだよね。
別に「友達タブ」に表示される写真の並び順なんか誰も気にしないんだから、
(気にしてないからこそ、この記事の注目度が低い!)
友達ごとに見え方を変える必要もないと思うんだが、Facebookは変えてみせる。
これ、間違いなく永久CEOのザッカーバーグのこだわりだと思うな。
いかに「アルゴリズム」を重視しているか、こんなところからも伝わって来る。
これからFacebookのアルゴリズムについて、集中的に書こうと思っています(ブログに)。
きょうの記事は、その露払いみたいなものです。
興味をもってもらいたいな・・・・・。
http://wp.me/p4q7xb-16U
これ、けっこう大切な論点だと思って書いたんですが。
当たり前と言えば当たり前なんだけどね。
同じAさんのタイムラインの「友達タブ」、Aさん本人が見る順位と友達のBさん、Cさんが見ているのと違う。しかも違うのは「遠目」で見たとき(タイムラインと同時にタブを見たとき)に違うのであって、タブをクリックして見直せば、それはアルゴリズムに従って「Aさんにとっての親密さ順」になっている。
こういうところに僕は、Facebookのこだわりを見てしまう。
手抜きなしだよね。
別に「友達タブ」に表示される写真の並び順なんか誰も気にしないんだから、
(気にしてないからこそ、この記事の注目度が低い!)
友達ごとに見え方を変える必要もないと思うんだが、Facebookは変えてみせる。
これ、間違いなく永久CEOのザッカーバーグのこだわりだと思うな。
いかに「アルゴリズム」を重視しているか、こんなところからも伝わって来る。
これからFacebookのアルゴリズムについて、集中的に書こうと思っています(ブログに)。
きょうの記事は、その露払いみたいなものです。
興味をもってもらいたいな・・・・・。
<★「最新情報」に切り替えてもFBの投稿すべては見られない。でも、試す価値ある機能だ!!>
http://wp.me/p4q7xb-14v
昼間、1週間前に書いた原稿を書き直した。
ニュースフィードの表示の仕方
①ハイライト
②最新情報
先日は「最新情報に切り替えても、友達の投稿すべてかが読めるわけではない」に力点を置いて書いたのだが、われながら的外れな気がした。
今どき、「最新情報」に切り替えてニュースフィードを見るユーザーはほとんどいない(たぶんね)。
「ハイライト」で十分。そんなに熱心に友達の投稿を読んでいないのではないか。
これはずいぶん辛口な見方をしてしまったが、少なくとも、
Facebookが日夜提供しているニュースフィードの中身に「疑問を持っている」というユーザーはほとんどいないのではないだろうか。
でも、この原稿を書くためにあらためて自分のニュースフィードを見直し、特に「最新情報」に切り替えて読んでみて、
私は自分が頭の中で描いている「私のFacebook友達」と
、実際にFacebookがニュースフィードに投じてくる友達(の投稿)とはずいぶんズレがあることに気がついた。
Facebookのアルゴリズムは独特である。
しかも偏り、はっきり言って「間違っている」といいたくなるような表示の仕方が多い。
また「ハイライト」表示だと、極端に友達が絞り込まれてしまっている。「これでよしとしてきたのか」と思うと、自分が恥ずかしいくらいだ。
それを気づかせてくれたのは「最新情報」という表示法だった。
みなさんもこの表示を試してみる価値がある、と思ったものだから、書き直した次第だ。
http://wp.me/p4q7xb-14v
昼間、1週間前に書いた原稿を書き直した。
ニュースフィードの表示の仕方
①ハイライト
②最新情報
先日は「最新情報に切り替えても、友達の投稿すべてかが読めるわけではない」に力点を置いて書いたのだが、われながら的外れな気がした。
今どき、「最新情報」に切り替えてニュースフィードを見るユーザーはほとんどいない(たぶんね)。
「ハイライト」で十分。そんなに熱心に友達の投稿を読んでいないのではないか。
これはずいぶん辛口な見方をしてしまったが、少なくとも、
Facebookが日夜提供しているニュースフィードの中身に「疑問を持っている」というユーザーはほとんどいないのではないだろうか。
でも、この原稿を書くためにあらためて自分のニュースフィードを見直し、特に「最新情報」に切り替えて読んでみて、
私は自分が頭の中で描いている「私のFacebook友達」と
、実際にFacebookがニュースフィードに投じてくる友達(の投稿)とはずいぶんズレがあることに気がついた。
Facebookのアルゴリズムは独特である。
しかも偏り、はっきり言って「間違っている」といいたくなるような表示の仕方が多い。
また「ハイライト」表示だと、極端に友達が絞り込まれてしまっている。「これでよしとしてきたのか」と思うと、自分が恥ずかしいくらいだ。
それを気づかせてくれたのは「最新情報」という表示法だった。
みなさんもこの表示を試してみる価値がある、と思ったものだから、書き直した次第だ。
Facebookがわからなくなった。
何をしたいのか? 誰の味方なのか?
できることなら大企業や有名ブランドではなく、
ふつうの庶民や零細中小企業、個人商店の味方であってほしい。
こんな話をもちだす訳は、去年から今年にかけて
Facebookのアルゴリズムが変わった感じがするからだ。
変わるのは毎度のことだから驚かないが、Facebookの振子の触れ方、どっちつかずでフラフラしているように見える。
今度は「親しい友達」重視なのだと言う。
その分、Facebookページの表示は減らされるらしい。
まあ、ザッカーバーグが正気なら『そっちの方向だろうな』
とは思う。
力のある会社やブランドなら別にFacebookを使わなくても他のメディアを使えばいいし、Facebookにこだわって何かキャンペーンを仕掛けるなら、経費を惜しみなくつぎ込んで宣伝すればいい。
2012年頃にはそれを大歓迎するようなにぎわいだった(ニュースフィードがね)。
信念をもって180度方針転換なら「そうですか」とのみこむだけだが、今さら友達、それも親しい友達重視だと言われると、
私は半分白けた感じになる。
今までだって、ずいぶん友達を絞り込んでくれていたじゃあないか。不必要にしつように。
最近私が意地になったように「ニュースフィード」のことを書いているのも、その偏りを指摘したかったからだ。
4月からのアルゴリズム変更で、Facebookページの投稿は減り、代わりに「親しい友達の投稿」が増え、特定の友達の「連続投稿」が優遇されるという。
いくら親しくても"特定の友達の"は願い下げだ。
興味を抱けば本人のタイムラインに行って、見る。
Facebookはフラットに、できるだけ多くの友達の投稿を見せてくれればいい。「親しい」とFacebookよ、あんたが判断してくれなくてもいいよ、と言いたいのだ。
親しい友達が(Facebookに勝手に)優遇されて表示ラッシュとなる。ラッシュの分はFacebookページの表示から削る。
事実、私のニュースフィードでFacebookページの投稿は「広告で」以外、ひとつも見つからない。
そこで思うのだ。
私はこのFacebookページをとても大切にしている。
でも、Facebookページだ。
今までだって、個人ページに比べれば表示上の不利は否めなかった。今度また、もっといじめられるのかい?
Facebookページと個人のページと、Facebookがどちらを(最終的に)取るかと言えば、「個人」を取るに決まっている。そしてそれはFacebookの出自や、存在理由から見てまことに正しい選択だと思う。
しかしFacebookよ、君らが見ている「Facebookページ」は大企業やブランド、有名人ばかりではないか? 今までもそうだし、きっとこれからもそうだ。
その辺について、私は強く強く違和感を覚える。
ふつうの個人を優遇するなら、小さな会社、個人事業、チェーンでない独立の店、そんなスモールでローカルな、力弱い私たちのようなビジネスをもっと大切に扱ってくれないか。
スモールビジネスにとって、Facebookは大切で、重要な戦略手段だ。金を惜しみたいのではない。カネに換えられない関係性がFacebookを介して、現に生まれているのだ。
法外な資金を使えない私たちにとって、それはとても大事にしたい支え棒なのだ。
「Facebookページだから」と一律に切って捨てられ、友達やファンのニュースフィードから締め出されるようでは、途方に暮れる。
Facebookが何を考えているのか、私にはさっぱりわからない。
何をしたいのか? 誰の味方なのか?
できることなら大企業や有名ブランドではなく、
ふつうの庶民や零細中小企業、個人商店の味方であってほしい。
こんな話をもちだす訳は、去年から今年にかけて
Facebookのアルゴリズムが変わった感じがするからだ。
変わるのは毎度のことだから驚かないが、Facebookの振子の触れ方、どっちつかずでフラフラしているように見える。
今度は「親しい友達」重視なのだと言う。
その分、Facebookページの表示は減らされるらしい。
まあ、ザッカーバーグが正気なら『そっちの方向だろうな』
とは思う。
力のある会社やブランドなら別にFacebookを使わなくても他のメディアを使えばいいし、Facebookにこだわって何かキャンペーンを仕掛けるなら、経費を惜しみなくつぎ込んで宣伝すればいい。
2012年頃にはそれを大歓迎するようなにぎわいだった(ニュースフィードがね)。
信念をもって180度方針転換なら「そうですか」とのみこむだけだが、今さら友達、それも親しい友達重視だと言われると、
私は半分白けた感じになる。
今までだって、ずいぶん友達を絞り込んでくれていたじゃあないか。不必要にしつように。
最近私が意地になったように「ニュースフィード」のことを書いているのも、その偏りを指摘したかったからだ。
4月からのアルゴリズム変更で、Facebookページの投稿は減り、代わりに「親しい友達の投稿」が増え、特定の友達の「連続投稿」が優遇されるという。
いくら親しくても"特定の友達の"は願い下げだ。
興味を抱けば本人のタイムラインに行って、見る。
Facebookはフラットに、できるだけ多くの友達の投稿を見せてくれればいい。「親しい」とFacebookよ、あんたが判断してくれなくてもいいよ、と言いたいのだ。
親しい友達が(Facebookに勝手に)優遇されて表示ラッシュとなる。ラッシュの分はFacebookページの表示から削る。
事実、私のニュースフィードでFacebookページの投稿は「広告で」以外、ひとつも見つからない。
そこで思うのだ。
私はこのFacebookページをとても大切にしている。
でも、Facebookページだ。
今までだって、個人ページに比べれば表示上の不利は否めなかった。今度また、もっといじめられるのかい?
Facebookページと個人のページと、Facebookがどちらを(最終的に)取るかと言えば、「個人」を取るに決まっている。そしてそれはFacebookの出自や、存在理由から見てまことに正しい選択だと思う。
しかしFacebookよ、君らが見ている「Facebookページ」は大企業やブランド、有名人ばかりではないか? 今までもそうだし、きっとこれからもそうだ。
その辺について、私は強く強く違和感を覚える。
ふつうの個人を優遇するなら、小さな会社、個人事業、チェーンでない独立の店、そんなスモールでローカルな、力弱い私たちのようなビジネスをもっと大切に扱ってくれないか。
スモールビジネスにとって、Facebookは大切で、重要な戦略手段だ。金を惜しみたいのではない。カネに換えられない関係性がFacebookを介して、現に生まれているのだ。
法外な資金を使えない私たちにとって、それはとても大事にしたい支え棒なのだ。
「Facebookページだから」と一律に切って捨てられ、友達やファンのニュースフィードから締め出されるようでは、途方に暮れる。
Facebookが何を考えているのか、私にはさっぱりわからない。