Facebookがわからなくなった。
何をしたいのか? 誰の味方なのか?
できることなら大企業や有名ブランドではなく、
ふつうの庶民や零細中小企業、個人商店の味方であってほしい。
こんな話をもちだす訳は、去年から今年にかけて
Facebookのアルゴリズムが変わった感じがするからだ。
変わるのは毎度のことだから驚かないが、Facebookの振子の触れ方、どっちつかずでフラフラしているように見える。
今度は「親しい友達」重視なのだと言う。
その分、Facebookページの表示は減らされるらしい。
まあ、ザッカーバーグが正気なら『そっちの方向だろうな』
とは思う。
力のある会社やブランドなら別にFacebookを使わなくても他のメディアを使えばいいし、Facebookにこだわって何かキャンペーンを仕掛けるなら、経費を惜しみなくつぎ込んで宣伝すればいい。
2012年頃にはそれを大歓迎するようなにぎわいだった(ニュースフィードがね)。
信念をもって180度方針転換なら「そうですか」とのみこむだけだが、今さら友達、それも親しい友達重視だと言われると、
私は半分白けた感じになる。
今までだって、ずいぶん友達を絞り込んでくれていたじゃあないか。不必要にしつように。
最近私が意地になったように「ニュースフィード」のことを書いているのも、その偏りを指摘したかったからだ。
4月からのアルゴリズム変更で、Facebookページの投稿は減り、代わりに「親しい友達の投稿」が増え、特定の友達の「連続投稿」が優遇されるという。
いくら親しくても"特定の友達の"は願い下げだ。
興味を抱けば本人のタイムラインに行って、見る。
Facebookはフラットに、できるだけ多くの友達の投稿を見せてくれればいい。「親しい」とFacebookよ、あんたが判断してくれなくてもいいよ、と言いたいのだ。
親しい友達が(Facebookに勝手に)優遇されて表示ラッシュとなる。ラッシュの分はFacebookページの表示から削る。
事実、私のニュースフィードでFacebookページの投稿は「広告で」以外、ひとつも見つからない。
そこで思うのだ。
私はこのFacebookページをとても大切にしている。
でも、Facebookページだ。
今までだって、個人ページに比べれば表示上の不利は否めなかった。今度また、もっといじめられるのかい?
Facebookページと個人のページと、Facebookがどちらを(最終的に)取るかと言えば、「個人」を取るに決まっている。そしてそれはFacebookの出自や、存在理由から見てまことに正しい選択だと思う。
しかしFacebookよ、君らが見ている「Facebookページ」は大企業やブランド、有名人ばかりではないか? 今までもそうだし、きっとこれからもそうだ。
その辺について、私は強く強く違和感を覚える。
ふつうの個人を優遇するなら、小さな会社、個人事業、チェーンでない独立の店、そんなスモールでローカルな、力弱い私たちのようなビジネスをもっと大切に扱ってくれないか。
スモールビジネスにとって、Facebookは大切で、重要な戦略手段だ。金を惜しみたいのではない。カネに換えられない関係性がFacebookを介して、現に生まれているのだ。
法外な資金を使えない私たちにとって、それはとても大事にしたい支え棒なのだ。
「Facebookページだから」と一律に切って捨てられ、友達やファンのニュースフィードから締め出されるようでは、途方に暮れる。
Facebookが何を考えているのか、私にはさっぱりわからない。